ほたる 夏虫 Firefly

蛍 写真素材フォトライブラリー

男に忘られて侍りける頃、貴船に参りて、御手洗川に蛍の飛び侍けるを見てよめる

物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる(たま)かとぞみる

『後拾遺集』より和泉式部の歌。はかなく明滅しながらさ迷う蛍の光を、恋に焦がれる余り身体を抜け出してゆく我が魂かと眺めている。

蛍はまことに儚い虫で、寿命も短い。成虫は、幼虫の時に蓄えた養分で生をつなぎ、時々草葉に溜まった夜露を飲むばかりだという。そんなあわれな虫が、自ら光源となり、かすかに緑色を帯びた光を発して飛ぶ。
蛍が和歌で恋心の象徴とされたのは、何よりその光のあえかな美しさゆえであろうが、また「こひ」「おもひ」が「ひ(火)」を含むという言葉の上での都合も与っていた。

建保三年内大臣家百首歌に、名所恋

芦の屋に蛍やまがふ海人やたく思ひもこひも夜はもえつつ

『続後撰集』に採られた藤原定家の歌。芦屋の里に見える火は、蛍の光を見紛うのか、海人の焚く漁火か。夜は「思ひ」の火も「こひ」の火もさかんに燃えている、という歌。芦屋の菟原処女(うないおとめ)の伝説や伊勢物語を想起させつつ、夜の闇の中を漂う光に恋人たちの情炎を眺めている。和泉式部と全くタイプは違うが、こちらも恋歌の名手の作である。

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  『玉葉集』 (題しらず) 喜撰法師
木の間よりみゆるは谷の蛍かもいさりにあまの海へゆくかも

  『新古今集』 (題しらず) 在原業平
はるる夜の星か川辺の蛍かも我がすむかたに海人のたく火か

  『古今集』 (詞書略) 紀友則
夕されば蛍よりけにもゆれどもひかり見ねばや人のつれなき

  『後撰集』 (詞書略) 読人不知
つつめどもかくれぬ物は夏虫の身よりあまれる思ひなりけり

  『後拾遺集』 (蛍をよみはべりける) 源重之
音もせで思ひにもゆる蛍こそなく虫よりもあはれなりけれ

  『源氏物語』 (「蛍」 玉鬘の歌)
声はせで身をのみこがす蛍こそいふよりまさる思ひなるらめ

  『千載集』 (題しらず) 源俊頼
あはれにもみさをにもゆる蛍かな声たてつべきこの世と思ふに

  『恋昔百首』 (蛍) 源国信
つくりおける罪を蛍のこの世にて尽くす炎を見るぞ悲しき

  『千載集』 (詞書略) 藤原季通
昔わがあつめしものを思ひ出でて見なれ顔にもくる蛍かな

  『忠度集』 (蛍) 平忠度
身の程に思ひあまれるけしきにていづちともなく行く蛍かな

  『式子内親王集』 (夏) 
ながむれば月はきえゆく庭の面にはつかに残る蛍ばかりぞ

  『続古今集』 (詞書略) 藤原定家
さゆり葉のしられぬ恋もあるものを身よりあまりて行く蛍かな

  『新古今集』 (百首歌たてまつりし時) 九条良経
いさり火のむかしの光ほの見えてあしやの里にとぶ蛍かな

  『風雅集』 (宝治百首歌の中に水辺蛍) 藤原俊成女
秋ちかし雲ゐまでとやゆく蛍沢べの水に影のみだるる

  『玉葉集』 (千五百番歌合に) 後鳥羽院宮内卿
軒しろき月の光に山かげの闇をしたひて行く蛍かな

  『新葉集』 (水辺蛍をよませ給うける) 後村上院
夏草のしげみが下のむもれ水ありとしらせて行く蛍かな

  『新葉集』 (五百番歌合に) 長慶院
あつめては国の光と成りやせんわが窓てらす夜はの蛍は

  『挙白集』 (瀬田の渡へ蛍をみにまうでられし時) 木下長嘯子
飛ぶほたる思ひにもえてここも又世をうぢ川の水のみなかみ

  『後水尾院御集』 (水辺蛍) 
とぶ蛍水の下にもありけりとおのが思ひをなぐさみやせん

  『漫吟集』 (秋の歌とて) 契沖
空の色は水よりすみて天の川ほたるながるる宵ぞ涼しき

  『賀茂翁集』 (晩夏) 賀茂真淵
行く雲もほたるの影もかろげなり来む秋ちかき夕風のそら

  『土を眺めて』 (妻の生家) 窪田空穂
螢来(こ)と見やる田の面(も)は星の居る遙けき空に続きたりけり
其子等に捕へられむと母が魂(たま)螢と成りて夜を来たるらし

  『あらたま』 斎藤茂吉
草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ

  『桜』 坪野哲久
かすかなるいのちといはめゆきあひてわかれ消えたり蛍二つは


公開日:平成18年05月01日
最終更新日:平成22年01月27日

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