1 次頁へゆく|まへがきへ戻る | * | 恭仁宮に引き返し 二日後に急死しました 薨年十七歳 | 向け行幸に出発 その途上 桜井頓宮で安積皇子は脚病を発して | れば 天平十六年閏一月十一日 聖武天皇は恭仁宮から難波宮へ | 注 安積皇子は聖武天皇と夫人県犬養広刀自の子 続日本紀によ | しまふやうに 慌ただしくも逝つてしまはれた我が大君よ | 訳 山全体までも輝かせて咲いてゐた花が 一時に散り尽くして | 散りぬる如き我が大君かも 三|四七七 | あしひきの山さへ光り咲く花の | * | 葬されたことを言つてゐます | 注 天知らすとは 幽 宮で天界を支配なさること すなはち埋 | を | つたので おろそかに見て過ごしてきたことだ この和束の杣山 | 訳 我が主君がそこで天界を支配なされようとは 思ひもしなか | おほにぞ見ける和束そま山 三|四七六 | 我が大君天知らさむと思はねば | 内舎人大伴宿禰家持の作る歌 | 十六年春二月 安積皇子の薨りましし時 | * | 家持秀歌選 挽歌 |