大伴宿禰稲公
おおとものすくねいなきみ
- 生没年 未詳
- 系譜など 名は稲君にも作る。大伴安麻呂の子。旅人の庶弟(04/0567左注、「望請庶弟稲公」)。坂上郎女の弟(04/0586左注、「姉坂上郎女」)。即ち母は石川内命婦。家持の叔父。
- 略伝 730(天平2)年、帥旅人を見舞いに大宰府へ下向。この時右兵庫助(04/0567左注)。736(天平8)年以前、家持により追和された歌があり、この時は衛門大尉(08/1553)。741(天平13)年、因幡守従五位下。743(天平15)年、従五位上。749(天平感宝1)年4月、正五位下。749(天平勝宝1)年8月、兵部大輔。754(天平勝宝6)年4月、上総守。757(天平勝宝9)年5月、正五位上。さらに同年8月、橘奈良麻呂の乱鎮圧の直後、従四位下に昇叙される。758(天平宝字2)年2月、大和守として城下郡大和神山の奇藤に瑞字が生じたことを報告する(この瑞字は神意が藤原仲麻呂の執権を肯定するものと解釈された)。以後の消息は不明。
万葉には1首、08/1553。04/0586の姪田村大嬢に贈る恋歌は、左注によれば姉坂上郎女の代作。
大伴氏の歴史へ|系図へ