不破内親王
ふわのひめみこ
- 生没年 未詳
- 系譜など 聖武天皇の皇女。母は県犬養広刀自。同母姉に井上内親王、同母弟に安積親王がいる。氷上塩焼に娶られ、志計志麻呂・川継を産む。
- 略伝 763(天平宝字7)年1.9、無位より四品に叙せられる。当時既に30歳前後であったと推測されるが、この歳まで無位だったのは、これ以前に何らかの科により無位におとされた前歴があったためである(後述)。翌天平宝字8年、夫の氷上塩焼は恵美押勝の乱に加わり斬殺されるが、不破内親王について処遇の記事はない。769(神護景雲3)年5月、県犬養姉女らと共謀して称徳天皇を呪詛し、子の志計志麻呂を帝位につけようと企てたとの罪状により厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ)の姓名を与えられ、京より追放される。志計志麻呂は土左に遠流される(氷上志計志麻呂の変)。この時の詔に不破内親王につき「先朝勅有りて親王の名を削れり」とあり、この「先朝」を淳仁朝として押勝の乱の際塩焼の罪に連座したとみる説、聖武朝として天平14年の塩焼王配流事件と関連づける説とある。また天平14年以降に前科ある塩焼王と情を交わし、そのため内親王を剥奪されたとみる説もある(早川庄八)。同年7.10、追放された地での生活の諸費用として封戸40戸と水田10町を賜わる。771(宝亀2)年8月、県犬養姉女らの罪は誣告だったと判明。不破内親王も翌宝亀3年12月、内親王の属籍を復される。宝亀4年1.1、四品に復す。5.12、三品に昇叙。781(天応1)年11.16、二品。天応2年閏1.11、氷上川継の謀反の企てが発覚し、大行天皇の服喪中との理由で、死罪を免じて伊豆三嶋に配流、母の不破内親王と川継の姉妹は淡路国に移配される。795(延暦14)年12月、淡路より和泉に移配される。以後の消息は不明。
系図へ