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's wonderful-act4-



あれから4年。
僕は相も変わらず場末のバーでピアノ弾きを続けていた。その間に変わったことと言えば、2年前に付き合い始めた恋人とまた去年別れたこと。そして、父が亡くなったこと。それから、これが一番大きな変化かもしれないが、時折呼ばれてレコーディングに参加するようになったことだろう。


僕は2年ほど前、30歳の記念にとセルフプロデュースでカセットテープを作った。それを面白がったリチャードが古い友人のバンドマスターに聞かせ、彼がそのまた友人のプロデューサーに聞かせた。そしてぐるぐると人から人へと渡り歩いた1本のテープが、僕をスタジオミュージシャンとしてデビューさせてしまった。


だけど、それはそれ。
スタジオに篭って喧々諤々話し合いながら、一つの音楽を作り上げていく過程も面白い。だけど、僕はやっぱり馴染みのこのバーの片隅で好きな曲を好きなように弾いているのが性に合っていると思う。
というわけで、今日もまたこのバーでピアノと格闘している。





季節は移り変わり、今日はもう5月の終わり。僕があの学校を卒業した日も嫌味なくらいの青空で、見上げたままあまりの青さに涙がでそうだった。






父親が亡くなったと聞かされた時、僕は綺麗に思考停止してしまって、受話器の向こうにいる弟と二人むっつりと黙りあってしまった。そして次に考えたことは、やっぱりいい加減帰国しなくちゃいけないだろうかってことだった。



ああ、止めにしよう。なんだか辛気臭い。
せっかくのいい季節なんだから、なんかこうもっと爽やかな曲でも弾かなくっちゃ。





カランとドアベルが小さく鳴った。まだ、開店には2時間残っている。まだだよと声を掛けようと顔を上げた先に立っていたのは黒いガウン姿の女性。

逆光でよく顔は見えないが、黒いガウンに黒い角帽、手には何かの書類を持っていた。

「Sorry, Miss. We aren't open yet.」
「探しました」
「What?」
「この場所を……いいえ、あなたを、氷室健一というジャズピアニストを探していました」
「僕?」
「はい。わたし今日卒業しました。高宮美雪です。覚えてらっしゃいますか?」
「あ……君」

僕はきっとだらしなく口を開いたままだったと思う。


まったく、君には驚かされてばかりだ。そうか、今日が卒業式だったのか。それでその格好。
ああ、納得。


「そうか、おめでとう。じゃあこれから君は一層厳しい場所に1歩を踏み出すわけだ」
「はい、そうなりますね。だけど、わたし、まだ日本へは戻りません」
「そう」
「氷室さん。改めてお願いがあります」
「聞けるお願いにしてくれるとありがたい」
「好きです。わたし、卒業できたら氷室さんに必ず言わなきゃって思ってました。そして、ご迷惑でなかったら、他にどなたもお相手がいらっしゃらなかったらわたしと付き合ってください」
「……あのね」
「もう世界が違うなんて言わせません。わたしもただのピアニストです」
「……ったく、君は」
「だめですか?」
「だめじゃないよ。僕も……少なくとも君を嫌いじゃない」



僕はどういう訳かその時、無性に笑いがこみ上げてきてとても困った。ただのピアニスト……か。確かにそうだ。僕と君はもう他には何もない。ただ自分の指先から紡ぎ出す音だけで生きていく、しがないピアノ弾きに過ぎないのだから。


「氷室さん?」
「ごめん、ちょっと待って」
「はい」

開店前で人気(ひとけ)の無い店のカウンターの中で、あの時と同じ空色のソーダ水を作った。そして、僕が笑った理由を見つけられずにきょとんとしている彼女に手渡すと、ピアノのそばに椅子を用意した。

さて、何を弾こう。
お祝いに1曲と思ったけれど、いいのが思い浮かばない。

「's wonderful」
「え……?」
「初めてお会いした時に弾いてくださったでしょう」
「そうだったね」
「はい」

あの時は何も感じていなかった。
だけど、今は違う。あの曲の歌詞のごとく、僕の胸は今更ながらどきどきしている。そして、4年前とは違う感情で彼女を見ている。

僕は彼女をきっと好きだ。
いや、たぶん一生好きになり続ける。



「高宮さん」
「なんでしょうか」
「僕は君を愛してるよ、たぶん」
「わたしは初めてお会いした時から好きでした」
「そう、ありがとう」






僕達は、今日を境に新しい関係になった。
そして、一年後にはもう一人増えて僕達は3人になる。
それから6年経って、僕らはやっとこさ日本へと戻ることになる。大切な一人息子の一言で。
息子が何て言ったかって?それは……僕達の秘密。





いつか……僕達の息子も奇跡のような恋をする日が来るだろう。
僕と美雪が出会ったように……。
恋をしても世界は変わらないと思っていたけれど、本物の恋は人生を変える。
彼女と出会って僕はようやく気が付いた。




It's wonderful.
So, it's wonderful for us to love each other.
It is marvelous for me to love you.
Everytime, everywhere.



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