■日本鉄道(東北本線)■
 宇都宮−矢板間旧線

 

  第三章  新線(現在線)を観察する(その2)

 

2−3 新線をたどる(その2) 鬼怒川橋梁
現鬼怒川橋梁 (1)現在の鬼怒川橋梁
現橋梁は橋長約470mで
■上り線
下路平行弦ポニーワーレン(垂直材つき)トラス10連+上路プレートガーダ−11連
■下り線
コンクリート橋
である。なお、上り線橋梁(写真)はT5〜7頃に架けられた2代目、下り線橋梁はS35頃架けられた3代目である。したがって、M30路線変更時の橋梁は現存していない。
全橋脚が、煉瓦積みであるが、トラス部は特に堂々たる風格である。水切りの形は尖頭型。一部を除き桁台座部はコンクリートで補強されている。
ガーダ桁は、S30年代末期のものであり、リベット打ちのプレートガーダとしては、最終期のものである。また、トラス桁の製造時期については、今後銘板類などの確認を行いたい。
上り線橋梁のトラス桁
ほぼ原型をとどめる桁台座部。3基の現存を確認している。
(3)新線初代鬼怒川橋梁
その姿を、古絵葉書で偲ぶことができる。右の写真をクリックすると、絵葉書集を見ることができるので、ご覧頂きたい。
初代橋梁の遺構 2002年夏ごろから下り線橋脚の上流側に写真のような初代橋梁の物と思われる遺構が現れた。位置は、上り線第一トラスの岡本方橋脚とほぼ同位置。以前からこの付近に煉瓦片が見られたがこのような大規模な遺構が現れたのは驚きだ。手前は石積み(2種)、奥に煉瓦構造物が見える。
(2002.10.19撮影)
角度を変えて煉瓦構造物をみる。橋脚にしては規模が大きすぎるし、川と直交する方向に長い。
(2002.10.19撮影)
遺構の煉瓦構造物
橋脚のような部分 上の構造物の先端(川に面した部分)を見ると橋脚のような構造物と接している。隅石を擁するその断面は舟形だ。すぐ向こうに現在線(下り線)の橋脚が見える。
(2002.10.19撮影)
近くには舟形をした煉瓦の塊が川面から顔を覗かせていた。
(2002.10.19撮影)
舟形をした煉瓦隗
堤防外側の石積みと丸材 石積み遺構(写真右側)は、煉瓦構造物を水流から守るように設置されその外側には人工と思われる自然石の堆積、その上に丸材が格子状に並べられている。
(2002.10.19撮影)
丸材は、地中深くに埋設されたボルト(というより鉄筋を深く埋設し、先端にネジをきったようなもの)でしっかりと固定されていた。
(2002.10.19撮影)
丸材の固定状況
散乱する煉瓦隗 あたりには巨大な煉瓦隗や隅石と思われる石材が散乱している。煉瓦片はかなり下流方向でも見ることができる。
(2002.10.19撮影)
これらのことから、以下のように推定した。
@これらの遺構は、初代鬼怒川橋梁の岡本方橋台である。当初は、初代橋梁も現上り線橋梁と同じ構成であると思っていたが、
・日本鉄道覚書によると橋長はわずか800フィート(約240m)と短い。
・前出の古絵葉書によるとトラス桁の位置まで築堤が長く伸びていた。
ことからこの遺構が橋台跡である可能性は高い。
A石積み遺構は橋台擁壁の基礎部であり、その外側に自然石を堆積し、丸材を格子状に組みで石の流出を防止した。
以下に、概略図を示す。
遺構の概略図
破壊された遺構 (4)初代橋梁と思われる遺構のその後
現橋梁の護岸工事(橋脚の周辺を浚渫しテトラポッドを設置する)が2002年末頃から始り、悪い予感がしていたが2003.1.下旬現地を確認したところ遺構は完全に破壊されていた。
丸材も全て撤去され、ご覧のような状況になった。きちんと分別されているところが今日的だ。輸送の安全を守るためにはいたしかたない。しかし、今日でもこの遺構と同じ機能をもつ設備が必要であることは、いまだ川との戦いが終わっていないことを私に強く印象付けた。 丸材の残骸
撤去した煉瓦の堆積 それにしてもすさまじい煉瓦の量だ。ちなみに煉瓦の寸法は、およそ220mm×110mm×60mm、重さは、2〜3kgであった。
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更新    2003.3.  1  初代橋梁に関する調査不足を補完し、誤解を生じる
                  表現や誤記を修正。
作成    2002.1.24

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