第三章 新線(現在線)を観察する(その2)
2−3 新線をたどる(その2) 鬼怒川橋梁 |
これらのことから、以下のように推定した。 @これらの遺構は、初代鬼怒川橋梁の岡本方橋台である。当初は、初代橋梁も現上り線橋梁と同じ構成であると思っていたが、 ・日本鉄道覚書によると橋長はわずか800フィート(約240m)と短い。 ・前出の古絵葉書によるとトラス桁の位置まで築堤が長く伸びていた。 ことからこの遺構が橋台跡である可能性は高い。 A石積み遺構は橋台擁壁の基礎部であり、その外側に自然石を堆積し、丸材を格子状に組みで石の流出を防止した。 以下に、概略図を示す。 |
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(4)初代橋梁と思われる遺構のその後 現橋梁の護岸工事(橋脚の周辺を浚渫しテトラポッドを設置する)が2002年末頃から始り、悪い予感がしていたが2003.1.下旬現地を確認したところ遺構は完全に破壊されていた。 |
丸材も全て撤去され、ご覧のような状況になった。きちんと分別されているところが今日的だ。輸送の安全を守るためにはいたしかたない。しかし、今日でもこの遺構と同じ機能をもつ設備が必要であることは、いまだ川との戦いが終わっていないことを私に強く印象付けた。 | ![]() |
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それにしてもすさまじい煉瓦の量だ。ちなみに煉瓦の寸法は、およそ220mm×110mm×60mm、重さは、2〜3kgであった。 |
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更新 2003.3. 1 初代橋梁に関する調査不足を補完し、誤解を生じる
表現や誤記を修正。
作成 2002.1.24
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