K32.基準3地点の温暖化量と都市昇温
著者:近藤純正
	32.1 はしがき
	       研究の目的
	       直線近似のあいまいさ
	32.2 第1次解析(2005年)の補正
	    田舎16観測所資料の補正
	    気象庁17観測所資料の補正
	32.3 基準3観測所(寿都、宮古、室戸岬)の解析
	    各観測所概要と補正
	    解析結果(広域の地球温暖化量)
	32.4 1988年の気温ジャンプ
	32.5 都市の気温上昇量
	       気象庁17観測所の平均
	       7大都市の平均
	    10中都市の平均
	32.6 補足
	       準基準9観測所の気温
	       ローカル6中都市の気温上昇量	    
	まとめ
	資料
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地球温暖化など気候変化を監視できる観測所の数は少ない。 今回、観測所周辺の環境が理想に近い3観測所(寿都、宮古、室戸岬)におけ る100年余の気温資料から日本における地球温暖化量を求めた。この解析では、 観測法の変更にともなう誤差は補正した。
1980年代までの約100年間の気温上昇率は0.3~0.5℃/100y 程度であり、 その後、1988年ころ気温は約0.6℃の幅でジャンプしている。

温室効果ガスの増加による地球温暖化とは異なる原因で生じる都市気温上昇量 を10中都市(網走、山形、水戸、長野、飯田、彦根、多度津、浜田、宮崎、 石垣島)の平均について求めると、1950年頃から目立つようになり、 1975年頃から増加率が増し、2000年代の初めには0.8℃となった。
また、東京や大阪など7大都市について都市気温上昇量の平均値を求めると、 1920年頃から増加傾向が現れており、戦後の1950年から急速に増加して 2000年の初めには約1.7℃となった。平均上昇率は、1910年~1945年には 0.8℃/100y、1950年~2005年では2.5℃/100yである。
(2007年2月02日完成)


32.1 はしがき

研究の目的
都市化の影響を含まない観測所における気温の長期変化を調べるには 2つの目的がある。

(1)気温変化はざまざまな要因によって起きる。 そのうち、大気中の二酸化炭素など温室効果ガスの増加によって生じる 地球温暖化量をより正確に求めること。
(2)求められたバックグラウンドの地球温暖化量を基準にして、 地球温暖化とは別の原因で生じる都市気温上昇量を評価すること。

第1次解析
その目的のために2005年に行った解析(第1次解析)では、全国各地をまわり 気象観測所の周辺環境の聞き取り調査など行ったうえで、都市化や陽だまり 効果の少ない田舎観測所の資料をもとに、地球温暖化量を評価した。

そのようにして求めた温暖化量は、気象庁17観測所(根室、山形、石巻、石垣島 など)における気温上昇率(概略1℃/100y)と比べると、かなり小さい (0.2~0.3℃/100y)。その結果は「研究の指針」の 「K11. 温暖化は進んでいるか(2)」の図11.17 に示した。

気温上昇率が小さいので、その精度を上げるために検討したところ、気象観測 の方法と測器は時代によって変化してきており、それに伴う不連続つまり 誤差(±0.1~±0.6℃程度)を補正しなけれなならぬことがわかってきた。 詳細は「K19.最高・最低気温平均と平均気温」「K20.1日数回観測の平均と平均気温」「k23. 観測法変更による気温の不連続」 の章で説明した。

それらを要約すると、現在では日平均気温は毎正時24回の観測から決められて いるが、昔は1日の観測回数が3回、4回、6回、8回の時代があり、 また観測所ごとに回数が頻繁に変わっている。さらに百葉箱内温度計による 目視観測から通風式隔測温度計に変更されてきた。

24回観測に比べて3回観測では日平均気温が低めとなり、4回観測では高めと なる(太陽の南中時刻、つまり経度の関数となる)。6回および8回観測では 24回観測による日平均気温との差が0.1℃以下となり、補正はしなくてよい。

また、最高気温と最低気温を決めるときの1日の区切り(日界)も時代よって 変化してきており、現在の日界24時に比べて、日界9時の時代、特に最低気温 は高めに記録され、平均的に約0.38℃(0.1~0.6℃)の誤差が生じる。

直線近似のあいまいさ
気温の長期変化は必ずしも時間軸に対して直線的ではなく、ジャンプなどが あるときには機械的に直線近似を当てはめるのは適当ではない。

その理由は、直線近似による気温上昇率は統計期間に敏感であり、 期間の5年ごとの増加に対し、気温上昇率が0.1℃/100y 程度ずつ増加する からである。それを図32.1によって説明しよう。

1次解析
図32.1 第1次解析(2005年)の結果と補正後の結果の比較。
(左)田舎16地点平均の気温経年変化、直線は機械的に1次近似で 表した場合の関係(気温上昇率=0.24℃/100y)、(右)気温の観測法の変更 にともなう誤差を補正した気温経年変化、緑の線は機械的に1次近似で表した 場合(気温上昇率=0.53℃/100y)、赤の破線は右の3プロットを考慮しない で描いた関係(気温上昇率=0.3℃/100y)を示す。なお、図中に入れたR 2はプロットの相関関係を表すR2値のことであり、相関係数 が1のときR2=1となる。


右図のプロットは補正後の関係であり、補正の方法は次の32.2節で示す こととし、ここでは直線近似が適当でないことの説明を行う。

左図では直線近似の線を入れてあるが、1985年までの年平均気温は 時代による上昇傾向がほとんど見えない。しかし、それ以後の1990年、 1995年、2000年のプロットが追加されるごとに直線近似を当てはめて 気温上昇率を計算すると、大きく増加していく。

右図では、全プロットを表す緑線の気温上昇率は0.53℃/100y であるが、 プロットの傾向は2つに分けたほうがよく、最後の3プロット以外の 傾向ではほぼ単調な上昇をしている。しかし、最後の3プロットはそれまでの 傾向からすると異常とすべきである。つまり、100年間当たりの気温上昇率と R2値はプロットを1つ追加するごとに次のように変化する。

1985年まで・・・・・0.26℃/100y、R2=0.47
1990年まで・・・・・0.34℃/100y、R2=0.54
1995年まで・・・・・0.45℃/100y、R2=0.56
2000年まで・・・・・0.53℃/100y、R2=0.61

したがって、この図のような年平均気温の経年変化の傾向は、 (1)ほぼ直線近似で表現できる時代と、(1)気温ジャンプの時代に 分けるほうが実態をよく表すことになる。

以下では、この方針に沿って解析を行う。

32.2 第1次解析(2005年)の補正

「研究の指針」の「K11. 温暖化は進んでいるか(2)」 の図11.17に示した結果は、生データに基づいたものである。 より正しい気温変化の長期傾向を求めるために、今回は、観測法の変更に ともなう補正を行う。

(1)田舎16観測所資料の補正
9時日界の補正:
田舎16観測所のうち4観測所は気象官署のデータが含まれているが、その他の 12観測所は区内観測所(アメダスの前身)のデータであり、毎日の最高・最低 気温(日界は9時)の平均値から日平均気温を推定した。「研究の指針」の 「K23. 観測法変更による気温の不連続」の図23.1に 示した17のプロット(気温日較差の誤差)を平均すると、9時日界の誤差 =0.38℃である。日平均気温に換算する際の誤差は0.38℃の 1/2、つまり 0.19℃を補正する必要がある(9時日界により最低気温が平均的に、0.38℃ 高めに記録されている)。

現在の観測方法による気温を基準にするならば、そのぶん だけ低温になるように補正しなければならない。

百葉箱から通風式隔測電気温度計への変更にともなう補正:
非通風時代のデータ(1972年ころ以前)では、平均気温は平均的に 0.10℃だけ高めに観測されているので、現在の 観測法による値を基準にするならば、過去の気温は0.10℃ だけ低くする必要がある。 詳細は「研究の指針」の 「K23. 観測法変更による気温の不連続」の表23.5に記載されている。

上記2つの補正をまとめると、次のようになる。5年ごとのプロットに対して、
1965年以前のプロット・・・・補正量=-(0.10+0.38/2×12/16)=-0.24℃
1970年のプロット・・・・・・・・補正量=-0.12℃(滑らかに接続させるため)
1975年以後のプロット・・・・補正量=0

これらの補正によって得られる田舎16観測所の平均気温の経年変化は前記の 図32.1(右)に示した。未補正の生データと補正済みデータでは、機械的に 直線近似で表したときの気温上昇率とR2値は次のようになる。

生データ:0.24℃/100y、R2=0.21
補正済み:0.53℃/100y、R2=0.61

補正済みと生データの違いは0.29/100y(=0.53-0.24)、比率は約2倍 (0.53/0.24=2.2)である。

(2)気象庁17観測所資料の補正

気象庁17観測所とは、古くから気象観測が開始され、かつ、都市化 の影響が少ないとして、日本の気候変動をみる目的として、気象庁が選んでいる 観測所のことである。それらは根室、網走、寿都、石巻、山形、水戸、銚子、 長野、飯田、伏木、彦根、境、浜田、多度津、宮崎、名瀬、石垣島の17地点 である。

3回観測の補正
1939年は17観測所の約半分が3回観測、1940~1952年は根室以外は3回観測、 それ以後は1990年まで6回(根室などの特殊気候観測所:永年気候観測所)、 または8回観測(普通気候観測所)となった。

3回観測の誤差を「K20. 1日数回観測の平均と平均気温」 の図20.1(上、左)の補正グラフから読みとると、補正量は表32.1に示す ようになる。

表32.1 気象庁17観測所に対する1日の気温の観測が3回の場合 の補正量。
補正された気温=(生データ)+(補正量)、により行う。
                   観測所名      経度(度)   補正量(℃)                  
                   半島地形
                      根    室        146         +0.01
                      寿    都        140         +0.06
                      銚    子        141         +0.06
                      浜    田        132         +0.08

                   沿岸部と内陸
                      網    走        144         +0.14
                      石    巻        141         +0.20                
                      山    形        140         +0.20
                      水    戸        140         +0.20
                      長    野        138         +0.22

                      飯    田        138         +0.22
                      伏    木        137         +0.25     
                      彦    根        136         +0.27
                         境           133         +0.28
                      多 度 津        134         +0.28

                      宮    崎        131         +0.28
                      名    瀬        129         +0.27
                      石 垣 島        125         +0.19

                      平    均         -          +0.19                    


この表から、17観測所に対しては次の補正量を用いればよい。

1938年以前・・・・・・補正量=0
1939年・・・・・・・・・・補正量=+0.10℃
1940~1952年・・・・補正量=+0.19℃
1953年以後・・・・・・補正量=0


百葉箱から通風式隔測電気抵抗温度計への切り替えは、ほとんど1971~1975年 の間に行われた。ここでは、現在の方式による観測値を基準にするので、 次のように補正する。

1971年以前・・・・・・補正量=-0.1℃
1975年以後・・・・・・補正量=0
1972~1974年・・・・補正量が-0.1℃から0℃まで滑らかになるように補正する。

これらの方法によって補正した年平均気温の経年変化は図32.2(下)に 示した。

気象庁17地点の気温変化
図32.2 気象庁17地点(根室、網走、寿都、石巻、山形、水戸、 銚子、長野、飯田、伏木、彦根、境、浜田、多度津、宮崎、名瀬、石垣島) 平均の気温経年変化、青線は3年移動平均、赤線は長期変化の傾向。
(上)未補正の生データによる結果、(下)観測法の変更にともなう 誤差を補正した気温の経年変化。


長期変化の傾向を赤線で示した。直線近似したときの気温上昇率は、

1898~1987年の期間では、
補正済み:0.80℃/100y、R2=0.26

1898~2006年の期間(ジャンプも直線近似に含める)では、
生データ: 1.07℃/100y、R2=0.43
補正済み:1.17℃/100y、R2=0.48

生データと補正済みでは気温上昇率は0.10℃/100y ほどしか変わらない。
それは、田舎16観測所データにおける補正済みと生データの違い、すなわち 気温上昇率の差=0.29/100y、その比率が約2倍であったのと比べれば小さい。 田舎観測所データで差が大きいのは、最低気温の9時日界の影響が大きい ことによる。

32.3 基準3観測所(寿都、宮古、室戸岬)の解析

地球温暖化など気候変化を監視できる観測所の数は少なく、数地点しかない。 これまでの現地調査によれば、理想に近い観測所は北海道南西部日本 海沿岸の寿都、三陸沿岸の宮古、四国南東端の室戸岬の3ヶ所しか見つかって いない。

これら3観測所を「基準3観測所」と呼ぶことにして、毎年の3ヵ所 の平均気温に基づいた気温の長期変化データを作成する。

各観測所概要と補正
○寿都測候所については「写真の記録」の 「61. 寿都測候所と黒松内アメダス」と、
「研究の指針」の「K25.北海道寿都の気温ジャンプ 問題」「K26.寿都比較観測の課題」に 掲載した。

これらに掲載された内容は次のようにまとめることができる。

寿都測候所は古くから海岸にあったが、1989年9月22日に山側の現在地 (標高33m)に移転した。その移転に伴う気温の不連続は見出すことが できない。

1960年ころから年平均風速は9%(1980年の風速/1960年の風速=6.0/6.5) ほど減少し、西風の卓越する冬期の平均風速もほぼ同様である。これと 同時に、気温日較差の年平均値がやや増加する傾向にある。いろいろ調べて みたが、この原因は現在までのところ不明である。

「K27. 風速減少と気温上昇の関係」の図27.4に よれば、9%の風速の減少によって約0.1℃の陽だまり効果を生じている 可能性がある。つまり、現在の気温観測値を基準にするならば、1970年代 以前の気温は約0.1℃ほど高く補正する必要がある。

室戸岬でも1970年前後に約4%の風速の減少がある( 「K31. 室戸岬の地球温暖化量」の図31.1を参照)。これは自然風の長期変動 の可能性がある。

寿都の9%の風速減少の一部は風上側の環境変化によるかもしれないが、 現段階では陽だまり効果はないものとして解析する。

○宮古測候所は「写真の記録」の 「58. 宮古測候所と周辺アメダス」に、途中までの解析は「研究の指針」 の「K18. 宮古と岩手内陸の温暖化量」の18.2節に示し たが、その段階では百葉箱内の水銀温度計から通風式隔測抵抗温度計への 切り替え(地上気象観測装置による観測開始)にともなう誤差は未補正 のままであった。今回はその補正を行う。

○室戸岬測候所は「写真の記録」の 「53. 高知と室戸岬の観測所」の後半に掲載されているように、 気候変動監視目的の観測所として理想に近い環境にある。補正方法もその 章に示してある。

室戸岬で気になる点は、百葉箱から通風式隔測への切り替え時にともなって 最高気温が低くめに、最低気温が高めに記録され、その結果、気温日較差が 不連続的に約0.7℃小さくなったことである。これは近隣の9つの気象官署と 比較しても同様に約0.7℃低くなっている。

これ以外については、昔の写真や現地視察では日本で最適環境の 観測所とみなされる。

以上の3観測所についての補正量を表32.2にまとめた。補正のプラス、 マイナス記号は現在の観測法に基づく気温を基準として、昔の気温を補正する 場合に適用する。プラスは補正後に高い気温となる意味である。補正の順序は、 最初に3回観測にともなう補正、次いで移転等にともなう補正、最後に百葉箱 内からの切り替えにともなう補正を行う。

表32.2 気温の補正量の表
 観測所名     3回観測にともなう補正         移転等           百葉箱からの変更                  
            経度(度) 補正量(℃) 期間(年)   補正量(℃) 期間   補正量(℃)   期間  

 寿    都   140(岬地形)+0.06  1940-1952       0                  -0.1  ~1972年まで
 宮    古   142         +0.20  1939-1952     +0.2  ~1990まで    -0.1  ~1971年まで
 室 戸 岬   134(岬地形)+0.08  1921-1952       0                  -0.1  ~1972年まで


解析結果(広域の地球温暖化量)
補正済みの年平均気温の経年変化は図32.3に示した。

3基準点の気温
図32.3 基準3地点における気温の経年変化、プロットは補正済みデータ。
(上)北海道南西部沿岸の寿都、(中)三陸沿岸の宮古、(下)四国南東部の 室戸岬。


年ごとの気温を3地点で平均して作成したデータを基準3地点のデータと 呼ぶことにする。その経年変化を図32.4に示した。青線は3年移動平均で あるが、折れ線のプロットは各中間年の位置にあるのではなく、3年目に あることに注意のこと。

基準3地点平均の気温
図32.4 基準3地点(寿都、宮古、室戸岬)平均の気温経年変化。
青線は3年移動平均、赤線は長期変化の傾向を示す。


「はしがき」でも述べたように、本解析では1987~1988年ころ生じた 1988年の気温ジャンプに注目したい。ジャンプ前の 1987年までを直線で近似したときの気温上昇率は 0.44℃/100y となる。数値の詳細は表32.3に掲げた。

表32.3 基準3地点の気温上昇率(単位:℃/100y)とR2値の表。
観測所名の「基準3点」とは寿都、宮古、室戸岬の平均気温についての 計算値を意味する。
*:1900~1985年の期間、**:1900~2000年の期間の 値。
              観測所名     1893~1987年     1893~2006年    1893~2006年                  
                         気温上昇率   R2    気温上昇率    R2  平均気温±標準偏差(℃)  
              基準3点       0.44    0.09       0.68    0.23       11.63±0.47

              寿    都       0.46    0.06       0.75    0.20        8.20±0.56
              宮    古       0.61    0.11       0.64    0.15       10.43±0.54
              室 戸 岬       0.26    0.03       0.67    0.21       16.25±0.48
              平   均        0.44    0.07       0.69    0.19       11.63±0.53

田舎16点平均 0.26* 0.47 0.53** 0.61 ---


32.4 1988年の気温ジャンプ

1987~88年ころに生じた気温ジャンプを1988年の気温 ジャンプと呼ぶことにする。

ここで、ジャンプがより明瞭になる図を作ってみよう。上の図32.4のプロット と同じだが、5年移動平均したプロット(各プロットは各中央年にプロット) は「K30. 気温センサーの野外検定」の章の図30.1に 掲載した。その図の5年移動平均のプロットでは、 1988年の気温ジャンプがより明瞭である。

さて、上の表32.3によれば、基準3点では、ジャンプ量は 0.62℃である。ただしジャンプ量は図32.4に見える 傾向から、次式で定義した。

ジャンプ量=(1989~2006年平均気温)-(1969~1986年平均気温)

境目に相当する1987年、1988年のデータは含めない。

0.62℃を確かめるために、基準3点以外についてのジャンプ量も計算して みよう。
都市化の影響が少なめと考えられる20の測候所(現在、無人の 特別地域気象観測所も含む)を選び、その結果を表32.4に示した。

表32.4 1988年気温ジャンプの計算表(単位:℃)
ジャンプ量=(1989~2006年平均気温)-(1969~1986年平均気温)、 ( )内の数値はばらつきの標準偏差、観測所名の「基準3点」とは寿都、 宮古、室戸岬の平均気温についての計算値を意味する。
                   観測所名  気温(1969-1986) 気温(1989-2006) 気温ジャンプ                  
                   基準3点    11.54(0.43)       12.16(0.36)       0.62
                   寿    都     8.14(0.48)        8.81(0.46)       0.66
                   宮    古    10.40(0.57)       10.80(0.49)       0.40
                   室 戸 岬    16.07(0.42)       16.87(0.32)       0.80

稚 内 6.21(0.46) 7.00(0.53) 0.79 羽 幌 6.97(0.38) 7.87(0.46) 0.89 根 室 5.81(0.46) 6.45(0.62) 0.64 江 差 9.42(0.42) 10.28(0.42) 0.86 む つ 8.99(0.51) 9.76(0.56) 0.77 深 浦 10.37(0.44) 10.72(0.41) 0.56 石 巻 11.06(0.59) 11.76(0.44) 0.70 日 光 6.45(0.50) 7.12(0.49) 0.67 勝 浦 15.19(0.45) 15.90(0.41) 0.71 八 丈 島 17.99(0.39) 18.47(0.43) 0.47 石 廊 崎 16.22(0.41) 16.78(0.48) 0.57 御 前 崎 15.78(0.38) 16.52(0.49) 0.74 潮 岬 16.67(0.30) 17.43(0.43) 0.76 平 戸 15.66(0.38) 16.24(0.44) 0.58 牛 深 17.44(0.40) 18.17(0.43) 0.73 清 水 17.59(0.23) 18.38(0.44) 0.79 与那国島 23.43(0.21) 23.89(0.34) 0.46 久 米 島 22.41(0.24) 23.06(0.36) 0.64 南大東島 22.83(0.23) 23.38(0.43) 0.56 父 島 22.85(0.30) 23.28(0.33) 0.43 平 均 --- --- 0.67±0.13


20ヵ所の測候所ではジャンプ量の平均値は0.67℃ (各地点間のばらつきの標準偏差は±0.13℃) となり、基準3点で得た値0.62℃にほぼ等しい。

32.5 都市の気温上昇量

前節で得た基準3点の気温変化を日本における広域の地球温暖化量 (バックグラウンド温暖化量)とみなしてよいだろう。 この気温との比較から、都市化による気温上昇量を見積もることが可能 となる。

気象庁17観測所:
まず、中都市とみなされる「気象庁17観測所」(中都市:根室、山形、 長野など)平均の気温上昇量を求め、図32.5に示した。

元のグラフを見渡したところ、1940年以前には気象庁17地点と基準3地点の 気温差がほぼ一定であるので、この時代が基準となるように、気温差から 1.59℃を引き算した値を縦軸にプロットした。したがって、グラフは1940年 以前を基準にした気温上昇量の経年変化となる。

17地点の気温上昇量
図32.5 気象庁17観測所(根室、網走、寿都、石巻、山形、水戸、 銚子、長野、飯田、伏木、彦根、境、浜田、多度津、宮崎、名瀬、石垣島) 平均の気温上昇量。
「基準3点」と「気象庁17観測所」平均の気温はともに補正して作成した。
1900~1950年頃を基準のゼロとしてプロットしてある。
黒の折れ線は3年移動平均、赤線は長期変化の傾向を示す。


気温上昇量は終戦年(1945年)の後、1950年ころから目立つようになった。 平均する資料数が少なく、ばらつきもあるので、確定的ではないが、 1970年代の経済膨張、大規模国土開発の時代に急上昇があり、バブル崩壊期の 1990年前後はほぼ平坦となり、その後、最近の10年間に再度の急上昇が見える。

バックグラウンド温暖化量を差し引いた、気象庁17観測所の都市気温上昇率は、 次のとおりである。
1950年~1975年・・・・0.7℃/100y
1975年~2006年・・・・1.2℃/100y

7大都市:
次いで東京など7大都市について同様に気温上昇量を求める。その際の 3回観測の補正量は表32.4に示した。

表32.4 7大都市の観測所に対する1日の気温の観測が3回の場合 の補正量。
補正された気温=(生データ)+(補正量)、により行う。
                   観測所名      経度(度)   補正量(℃)                  

                      札    幌        141         +0.19
                      東    京        140         +0.20
                      横    浜        140         +0.20
                      名 古 屋        137         +0.25

                      京    都        136         +0.26
                      大    阪        136         +0.26                
                      福    岡        130         +0.27

                      平    均         -          +0.23                    


1940~1949年は横浜と京都は3回観測、その他は24回観測である。 したがって、7観測所平均気温に対する補正量は+0.07℃(=0.23×2/7) となる。1950~1952年の3年間は全国一斉に3回観測であるので7観測所平均気温に対する 補正量は+0.23℃となる。

補正済みデータに基づいて描いた気温上昇量は図32.6に示した。中都市の前図 と同様に、7大都市と基準3地点の気温差が1930年ころ以前にゼロとなる ように、気温差から1.9℃を引き算した値を縦軸にプロットしてある。

7大都市の気温上昇量
図32.6 7大都市(札幌、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、福岡) 平均の気温上昇量
1900~1930年頃を基準のゼロとしてプロットしてある。関東大震災(1923年) による横浜測候所周辺の焼失による気温ダウン(陽だまり効果がなくなり、 年平均気温が0.7℃下降したこと)を補正してある。黒の折れ線は3年移動平均、 赤線は長期変化の傾向を示す。


大都市では、日本の工業生産量が急上昇する1930年代から大都市平均で、 気温上昇が見える。戦争の空爆による焼失の影響なのか、終戦後の1945~ 1950年ころの数年間は平坦時代(意識すると多少の落ち込み)も見られるが、 復興が進むにしたがって、1950年頃から急上昇がはじまっている。 中都市と同様に、1980~1995年頃に平坦部が見える。

気象庁17観測所の図32.5でも述べたように、平均する資料数が少ないので、こうした 微妙な変動を明らかにするためには、今後、基準とする観測所の数を増やして いくことが望まれる。

一方、現段階で、大都市の気温上昇量の傾向を少しでもよく見るために、 基準3地点に根室、石巻、銚子、伏木、境、名瀬の6地点を加え、 合計9地点との気温差を調べてみよう。これら6地点には多少の都市化の影響 (後掲の図32.10及び表32.5で示すように、1893~2006年の期間で、 0.4℃/100y 程度の都市気温上昇率)を含むので、絶対値というよりは 長期的な社会状況との関連を見ることになる。

追加した6地点に対する補正は次の通リである。

3回観測の補正:
気象庁17地点の場合と同様に、表32.1を参照すれば、次のようになる。
1938年以前・・・・・・補正量=0
1939年・・・・・・・・・・補正量=+0.09℃
1940~1952年・・・・補正量=+0.18℃
1953年以後・・・・・・補正量=0

百葉箱から通風式隔測電気抵抗温度計への切り替えによる補正:
前記の気象庁17観測所の場合と同様に、次のように補正する。

1971年以前・・・・・・補正量=-0.1℃
1975年以後・・・・・・補正量=0
1972~1974年・・・・補正量が-0.1℃から0℃まで滑らかになるように補正する。

結果は図32.7に示してあり、プロットのばらつきは前図におけるよりも 小さい。追加した6地点は都市化の影響を多少受けているので、気温上昇率は 小さめに出ているが、7大都市の気温上昇の特徴は出ていると思う。

7大都市の気温上昇量2
図32.7 7大都市平均の気温上昇量、その2
ただし、縦軸は(7大都市平均)-(気象庁6点と基準3点、合計9点の平均)-0.6℃
7大都市:札幌、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、福岡、
気象庁6点:根室、石巻、銚子、伏木、境、名瀬、
基準3点:寿都、宮古、室戸岬
1987~1910年頃を基準のゼロとなるように気温差からさらに0.6℃を引き算 してある。
黒の折れ線は3年移動平均、赤線は長期変化の傾向を示す。
赤の破線は気象庁6点の気温上昇量を補正した、真に近い傾向を示す。


図32.7によれば、大都市平均として、1910年代から気温上昇が見える。終戦 直後の平坦(ないし落ち込み)の傾向と、1985~1995年頃の平坦部も見える。

赤の破線は気象庁6点の都市気温の上昇量を補正した真値に近い気温上昇量 の傾向である。その際の補正方法は、次節で説明する。

赤の破線から求められるバックグラウンド温暖化量を差し引いた、 7大都市平均の都市気温上昇率は、次のとおりである。
1910年~1945年・・・・0.8℃/100y
1950年~2005年・・・・2.5℃/100y

10中都市:
上の図において、基準とする地点数を3点から9点に増やすとプロットの ばらつきが小さくなったので、気象庁17地点の中で都市化の影響が大きいと 思われる10地点を選んで同様のことをしてみよう。

気象庁17地点から根室、寿都、石巻、銚子、伏木、境、名瀬の7点を除いた 残りの10の都市を「10中都市」と呼ぶことにする。

観測法の変更にともなう補正の方法は前記と同じだが、表32.1を参照して、 3回観測の1940~1952年の補正量=+0.20℃、1939年の補正量=+0.10℃を 用いた。

図32.8は10中都市の気温上昇量の経年変化である。戦後の落ち込み時代が 基準のゼロになるようにプロットしてある。戦後の落ち込みを意識すると、 戦前にあった0.07℃程度の都市昇温量が戦災でゼロとなった。ただし、 データのばらつき具合から判断すると、この落ち込みは明確とはいえず、 あくまでも筆者の意識の中でのことである。

10中都市の気温上昇量
図32.8 10中都市平均の気温上昇量
ただし、縦軸は(10中都市平均)-(気象庁6点と基準3点、合計9点の平均)-0.6℃
10中都市:網走、山形、水戸、長野、飯田、彦根、浜田、多度津、宮崎、 石垣島
(気象庁17地点から根室、寿都、石巻、銚子、伏木、境、名瀬を除いた 地点)
気象庁6点:根室、石巻、銚子、伏木、境、名瀬、
基準3点:寿都、宮古、室戸岬
戦後の1945年~1950年頃を基準のゼロとなるように気温差からさらに0.82℃ を引き算してある。
黒の折れ線は3年移動平均、赤線は長期変化の傾向を示す。
赤の破線は気象庁6点の都市化の影響を補正した、より真に近い傾向である。


赤の破線は、気象庁6点の都市化の影響を補正した、より近い経年変化の 傾向である。補正方法は次節で説明する。

赤の破線から読みとれる、バックグラウンド温暖化量を差し引いた、 10中都市平均の都市気温上昇率は、次のとおりである。
1950年~1975年・・・・0.9℃/100y
1975年~2005年・・・・1.6℃/100y

10中都市の最近の1950年~1975年期間における気温上昇率 (0.9℃/100y)は7大都市の戦前の1910年~1945年 期間における気温上昇率(0.8℃/100y)にほぼ等しい。

32.6 補足

準基準9観測所(気象庁6地点と基準3地点)の気温:
基準3地点(寿都、宮古、室戸岬)の図32.4との比較のために、 気象庁6地点と基準3地点、合計9地点平均の気温経年変化を図32.9に示した。 この図は若干の都市化の影響のある6地点(ローカル都市:根室、石巻、 銚子、伏木、境、名瀬)を含んでいるために、気温上昇率を見るという よりは、長期的な形を見るのに参考とすべきである。

図32.9では、図32.4よりも短期的な変動は小さくなっているが、長期的 傾向(赤の線)は図32.4に似ていることがわかる。

気象庁6点と基準3点の気温
図32.9 気象庁6地点と基準3地点、合計9地点平均の気温経年変化
気象庁6点:根室、石巻、銚子、伏木、境、名瀬、
基準3点:寿都、宮古、室戸岬
黒の折れ線は3年移動平均、赤線は長期変化の傾向を示す。
赤の破線は、気象庁6地点の都市化の影響を補正した、より真に近い傾向である。


気象庁6点には多少の都市化の影響を含むために、気温上昇率は基準3地点の 図32.4におけるよりも0.25~0.3℃/100y ほど大きくなっている。このことを 表32.5に示した。

表32.5 直線近似で表したときの気温上昇率(単位:℃/100y)の比較の表。
期間の最初の1893年~は「基準3点」以外では1897年~である。
「都市化の影響」は1893~2006年期間における基準3点との差で表した。
              観測所           1893~1987年  1893~2006年 1893~2006年                  
                                    気温上昇率  気温上昇率    都市化の影響
              基準3点                 0.44          0.68              ---

              基準3点+気象庁6点       0.69          0.97             0.29
              気象庁6点               0.79          1.09             0.41
              気象庁17点               0.80          1.17             0.49 
              10中都市                 0.85          1.27             0.59


「都市化の影響」を1893~2006年期間における基準3地点との差で定義する こととし、各グループについて検討してみよう。

気象庁17地点の中で、都市化の影響が比較的小さいとして選んだ気象庁6地点 は都市化の影響として0.41℃/100y の気温上昇がある。17地点から寿都と 6地点を除いた10中都市では0.59℃/100y の気温上昇がある。

ローカル6中都市(根室、石巻、銚子、伏木、境、名瀬)の気温上昇量:
気象庁6地点(ローカル都市:根室、石巻、銚子、伏木、境、名瀬)は都市化 の影響を受けた気温上昇がある。それを見積もってみよう。

図32.10は(準基準9地点:気象庁6地点と基準3地点)と(基準3地点)の 差を示したものである。

準基準9点と基準3点の差
図32.10 (準基準9点:気象庁6地点と基準3地点) と(基準3点)の差の気温経年変化
気象庁6点:根室、石巻、銚子、伏木、境、名瀬、
基準3点:寿都、宮古、室戸岬
黒の折れ線は3年移動平均、赤線は長期変化の傾向を示す。


図によれば、準基準9地点と基準3地点の差は1950年ころから上昇しはじめ、 2000年代の初めには約0.25℃である。0.25℃は表32.5に示した気象庁6点 の「都市化の影響、0.41℃」の約2/3であり、矛盾していない。つまり、 準基準9地点には2対1の比率で気象庁6地点と基準3点が含まれているから である。

この図32.10に示した長期傾向(赤線)のずれを図32.7~32.9に補正したのが 赤の破線である。

まとめ

地球温暖化など気候変化を観測できる3観測所(寿都、宮古、室戸岬) の100年余の気温資料から温暖化量を求めた。気温変化の傾向は、1987年ま でと、それ以後の急激な上昇(気温ジャンプ)の2つに分けた。

ジャンプとする理由は、統計期間によって気温上昇率が敏感に変化し、 5年ごとに気温上昇率が0.1℃/100y 程度ずつ増加し、長期変動について 資料間の比較が難しくなるからである。

このように、気温変動の期間を2つに分けると、1980年代までの約100年 間の気温上昇率は0.3~0.5℃/100y 程度であり、 その後の1990年代にかけて気温は約0.6℃の 幅でジャンプ(1988年の気温ジャンプ)した。

なお、全期間(1893~2006年、114年間)の気温 変化を機械的に直線近似で表すと、気温上昇率=0.68℃/100y となる。

温室効果ガスの増加による地球温暖化とは異なる原因で生じる「都市気温 上昇量」を中都市(気象庁17観測所:根室、山形、水戸、銚子、長野、 彦根、多度津、宮崎など)について、基準3観測所平均気温との差から求める と、戦後復興時の1950年頃から目立つようになり、経済膨張時代の1970年代に 急速に大きくなり、その後の停滞期があり、そして最近の2000年前後に 急上昇している。

データのばらつきが大きいので、より確度を上げるために、基準とする 地点数を6地点追加し、10中都市の気温上昇量を描き補正すると(図32.8 の赤の破線)、終戦の1945年頃を基準にすれば、1950~1975年の上昇率は 0.9℃/100y、1975年~2006年では1.6℃/100y である。

終戦直後を基準にすると、10中都市の都市気温上昇量は2000年代の初め には0.8℃となった(図32.8の赤破線)。

東京や大阪など7大都市について都市気温上昇量の平均値を求めると、 すでに大正時代~昭和初期の1920年頃からその増加が見え始め、戦後の 1950年から急速に増加し、2000年代の初めには約1.7℃となった (図32.7の赤破線)。

7大都市の戦前1910年~1945年期間における気温上昇率は0.8℃/100y、 1950年~2005年期間では2.5℃/100yである(図32.7の赤破線)。

都市におけるこれらの特徴は日本の経済活動、国土開発の時代変遷と関係して いるように思われるが、バックグラウンドの基準として用いた観測所の数が 少なく、確度がやや低くなる。それゆえ、都市気温上昇量の時代 変化の確度を上げるには、基準となる観測所の数をさらに増やす必要がある。

しかしながら気象官署の多くは、1940年代前後に創設されたものが多く、 この時代は気温の1日当たりの観測回数が3回、6回など頻繁に変えられており、 資料の接続に誤差が生じやすいので、データ解析が一段と難しくなる。

幸いなことに、農業研究センターなどの観測露場は理想に近い環境にあり、 今後の気候変動監視目的に活用されることを期待したい。

資料

中央気象台:中央気象台年報、1886(明治19年)~1940(昭和15年), 1950 (昭和25年)~1996(平成8年).

気象庁:気象庁ホームページ、「気象統計情報」の「気象観測(電子閲覧室)」.

気象庁(編):気象庁年報2003年度版、CD-ROM. (財)気象業務支援センター.

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