53. 高知と室戸岬の観測所

近藤 純正

高知市比島にある高知地方気象台の観測露場と室戸岬測候所の周辺環境を 2005年11月19日~21日にかけて視察した。 今回の訪問の目的は、(1)高知地方気象台の観測露場の周辺環境が 都市再開発によって大きく変わり、年平均気温が室戸岬その他と比較して 2001年以後に急激に上昇しつつある原因を探ること、 (2)室戸岬測候所は周辺に一般住宅などが存在せず環境が昔と変わら ないことを目で確かめることである。 (2005年12月2日完成)

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  	  もくじ
		(1)高知地方気象台の観測露場
		(2)室戸岬測候所

(1)高知地方気象台の観測露場
高知地方気象台の観測露場は高知市比島にある。1945年の終戦前後、周辺には 住宅等は少なく、南方を走る鉄道・土讃本線の列車が見えたほどである。 筆者は終戦後、当時の高知測候所へ何度も行ったことがある。しかし、 50年余の前のことであり、記憶は定かでなくなっているので、知人に尋ねた。

高知測候所に3回勤務されていた島村稔さんから伺った話によれば、
1954~1957年(1回目勤務時代):周辺には田畑もあり、特に南側は開けて鉄道が見えた
1962~1971年(2回目勤務時代):住宅が建て混み密集化(1970年8月に高潮で浸水)
1979~1987年(3回目勤務時代):周辺の旧住宅地は安定状態になっていた

1954~1957年のころ、周辺に見えた大きな建物は赤十字病院のみであった。 赤十字病院の沿革から周辺の発展状況が推測できる。
1928年:赤十字病院の前身が測候所の北西方向に開院
1957年:鉄筋4階建本館新築
1969年:同病院の北館病棟鉄筋5階建増設
1985年:本館(地下1階、地上7階建)増改築
現在の赤十字病院は、次の地図(a)の北西隅の範囲外に位置している。

高知地図1976
高知地方気象台周辺の地図(a)、1976年の航空写真に基づくため多少 の不正確さはある。 中央部分は気象台敷地、赤色は庁舎と宿舎などの建物、黄色は道路・通路 その他の裸地と判断される地面、薄い緑色は畑や空き地らしい地面、 残りの白色地域は住宅の密集地。(ワールド航空事業 株式会社発行の昭和51年度版高知市街航空写真地図に基づく)

上記の地図(a)は1976年の航空地図に基づくものであり、土地利用状態の 判断に不正確さはあるものの、1940年から1977年までの観測露場の位置関係は この地図に示された通りだと思う。 鉄道・土讃本線(褐色)は露場の南方約200mを通っている。

1970年8月に高知市街東部(気象台も含む)が台風10号による高潮で浸水 したのだが、その頃には露場の南側に接して住宅が密集して建てられていた。

気象台は浸水を契機として庁舎のみ本町の合同庁舎へ移転し、露場は現地 に残された。1978年から露場は、元の宿舎跡へ(東へ約40m)移動した。

露場以外の気象台の敷地は江ノ口東公園として整備され、2000年までこの 状態が続いた。それを次の地図(b)が示している。

高知地図1998
高知地方気象台周辺の地図(b)、再開発直前の1998年頃の住居地図。 赤色は住宅などの建物、黄色は道路・通路、薄い緑色は公園、濃い緑色は 露場を示す(高知市都市整備部提供の地図に色づけ した)

地図(b)の濃い赤色は建物を示している。露場の南側には2階建て住宅が 密集している。露場の東側の道路をはさんで南東寄りには江の口保育園が ある。当時の保育園は平屋建てであったが、露場に面する側は現在2階建て となっている。

露場の北側と西側は植え込みで囲まれている。1990年頃、筆者はこの露場 を訪ねたとき、周辺が建てこんでおり、”このような風通しの悪い場所 で気象観測が行われているのか!”と思ったことがある。この時、繁茂した 植え込みに視界が遮られたのか、露場の西側にグラウンドがあったという 記憶が残っていない。

そのため、2001~2005年に露場周辺が再開発によって南側の住宅が解体される と、風通りがよくなり年平均気温は下降すると予想していたのだが、気温 データを見る限り、年平均気温は室戸岬などに比べて上昇している。 その詳細については、本ホームページの「研究の指針」の 「K12. 温暖化は進んでいるか(3)」の 図12.8を参照のこと。

予想と逆であったことから、露場の周辺環境の変化について詳しく調べたく なり、再び高知に出向き、高知市役所都市整備課や県立図書館で確かめる こととなったわけである。地図(b)(c)は市役所都市整備部高知駅周辺 都市整備課のご協力を得てコピーしていただいたものである。

高知地図2005
高知地方気象台周辺の地図(c)、再開発計画後を想定した住居地図。 赤色範囲は住宅などの敷地、黄色は道路、緑色は気象台の露場。露場の南 側の S 字と北側の N 字は次に掲げる2枚の写真を撮影した地点。 2005年11月現在、公園の南側に東西に並ぶ8区画のうち、 左端と3番目は未築の空き地、同北側の左から2番目も未築の空き地である。 (高知市都市整備部提供の地図に色づけした)

地図(c)は都市整備計画図である。薄い赤色部分は住宅地であるが、 2005年11月現在、2~3階建ての住宅等が殆んど建てられ、残りの10~ 20%程度のみ未築である。露場の南側が風通りがよくなった代りに、 西側は狭くなり住宅等が建てられ、その西側には拡幅された大きな道路 (25~27m幅、都市計画道路3・4・16はりまや町一宮線)ができている。

高知露場南から
江ノ口東公園南側の盛り土(S 地点)から見た観測露場、180度範囲。二重 の白いフェンスの内側が露場、その北西側(左奥)にある背の高いフェンス の内部にウインドプロファイラーがあり、白いフェンス内の南西隅にある白い 建物(左手)は気象台の比島露場局舎。 横方向の合成写真のためにひずんでおり、東西方向の白いフェンスは実際 には直線である。中央の遠方に見える白い建物は市営住宅、露場の東隣の2階建と その右に続く平屋建ては江の口保育園、右端の手前に黒く写っているのは 公園のトイレ。

高知露場北から
観測露場の北側(N 地点)からの眺め、180度範囲。 合成写真のためにひずんでおり、実際のフェンスは東西方向に直線である。

高知露場南東と北西から
(左)高知地方気象台の観測露場の南東からの眺め、手前の褐色 の建物は公園のトイレ、奥の白い高層ビルは市営住宅、 (右)北西からの眺め、赤矢印は測風塔の位置を示す。

高知露場南東西から
高知地方気象台の観測露場の南西からの眺め(合成写真)。
赤の丸印と四角印は露場の周囲に張られた白いフェンスの南西角と南東角、 赤矢印は子供用のサッカー練習場の高いフェンスに植えられた蔓が生長し 繁茂しつつある場所を示す。 露場の南西隅の白い建物(気象台の比島露場局舎:写真の中央)の屋上には 日射計が設置されている。

(2)室戸岬測候所
室戸岬測候所は高知県の東部にあり、南の太平洋に突き出た室戸岬の標高 185mにある。1934年9月21日の室戸台風、1961年9月16日の第2室戸台風が 近くを通過し、記録的な強風と低い気圧を観測したことで知られたところで ある。

室戸台風では911.6hPaという、それまでになかった低い気圧を記録した (のちに、沖永良部台風により沖永良部で1977年9月9日に907.3hPaの新記録が ある)。 第2室戸台風では最大瞬間風速84.5m/sを記録した(のちに、第2宮古島台風 により宮古島で1966年9月5日に85.3m/sの記録がある)。
現在も第一位の記録として1965年9月10日の台風23号による最大風速69.8m/sは 室戸岬測候所で観測された値である。

2005年11月19日(土曜日)、高知駅8時30分発の快速の直通列車に乗車、後免 (ごめん)から土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線となり、奈半利に9時38分 到着。そこからバスで室戸岬に向かう予定であったが、少々の待ち時間が あったのでタクシーを利用することにした。

室戸遠景
行当岬から南東に見える室戸岬、赤矢印は室戸岬測候所の 測風塔(望遠写真)


測候所の近くに着くと、測候所の気象解説官が入り口で待っておられた。 案内されて、高さ40mのコンクリート造りの測風塔に上ると 360度の展望、土佐湾から太平洋を望むことができた。

室戸庁舎
測風塔から見下ろした測候所庁舎と露場(上下の合成写真)

室戸北
測風塔から見た北方向(上下の合成写真)
手前広場の左寄りの建物は元の宿舎(現在は空家)。広場の中に 昔の宿舎があり、その北側の林は茶畑であった。

室戸南
測風塔から見た南方向。岬の先端方向に見える塔は室戸岬灯台の塔、 その手前に第24番札所の最御崎寺の屋根が見える。

見下ろした露場の東西方向
測風塔から見下ろした測候所庁舎の東西方向、左の海が土佐湾、 右の海が紀伊水道側の太平洋(合成写真)

室戸露場
露場の南東から見た観測露場と庁舎、右手の写真範囲外に測風塔 がそびえている(合成写真)

室戸測風塔
北から見た高さ40mの測風塔

近年の室戸岬測候所
北から見た室戸岬測候所周辺一帯、2003年12月4日撮影 (室戸岬測候所提供)

1970年の室戸岬測候所
1970年頃の室戸岬測候所(室戸岬測候所提供)

以前に室戸岬測候所で作成された「室戸岬:創立50周年記念号」 (1970年)を見せていただくと、最初の頁に次のことが書かれていた。
  50周年を記念して
本年(1970年)7月10日、室戸岬測候所は開設50周年を迎えました。 これまでの歴史をふり返ってみますと、車道もなく、水道もない”陸の 孤島”といわれた岬上で、家族を含む全員が不自由な生活に耐えながら、業務 に精励を続けてこられたことが、当所の重要性を確立する何より大きな原動力 でありました。
家族宿舎が山麓に移り、市水が揚り、ドライブウエイが完成し、室戸には スーパーマーケットも出現した現在、文明の恩恵に浴せなかった200名をこす 先輩の方々の苦労に心から敬意を表すものであります。・・・・・・
    昭和45年初秋
  室戸岬測候所長 加藤 晃


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