K18.宮古と岩手内陸の温暖化量
著者:近藤純正
	18.1 はしがき
	18.2 宮古の温暖化量解析
	18.3 岩手内陸の温暖化量解析
	  (a)盛岡の準備解析
	  (b)厨川の準備解析
	  (c)水沢の準備解析
	  (d)水沢・厨川の温暖化量
	18.4 藪川アメダスにおける気温と風速の相関関係 

	要約
	参考文献
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岩手県三陸沿岸に位置する宮古測候所と、内陸の北上盆地に位置する 水沢(旧緯度観測所、旧永年気候観測所)と盛岡市厨川(くりやがわ)に ある東北農業研究センターにおける観測データから約100年間の温暖化量を 評価した。 (2006年7月25日完成)


18.1 はしがき

日本における地球温暖化量を把握するために、これまで日本各地を巡回し 観測所周辺の環境を調べてきたが、都市化などの影響を受けたところが多く 理想的な観測所は数地点しか存在しない。

それゆえ、観測所が理想的な周辺環境になくても、多少の補正を行えば 地球温暖化量を見積もることができそうな場合、データを活かさなければ ならない。 仮に、理想的な観測所において、昔から毎時24回観測、あるいは6回観測が 継続して行われてきていれば、日本の観測所は数ヶ所で十分と思うが、 現実には測器や観測回数の時代による変更にともなう0.1~0.2℃程度の誤差 があり、さらに測候所の廃止や周辺環境が悪化する観測所もあるので、 多めの地点として20ヶ所ほどの観測所を選定しておきたい。

岩手県宮古はその候補の一つで、100年以上にわたって観測が行なわれて きた。

岩手県北上盆地に位置する旧水沢緯度観測所では昔から測候所と 同等の気象観測が行なわれ、永年気候観測所とされていたが、ごく最近は 電波天文観測に重点が置かれるようになり、さらに水沢が発展し奥州市 となり、都市化が気温観測値にも現れるようになってきた。

盛岡市厨川(くりやがわ)の東北農業試験場(現在の独立行政法人、 農業・食品産業技術総合研究機構、東北農業研究センター)は広大な敷地を もち、気象観測が1950年ころから行われてきた。 このデータを水沢のデータとつなげば、内陸部の気候変動を知ることができる。

この章では宮古と、水沢ー厨川について解析を行う。

18.2 宮古の温暖化量解析

宮古測候所は宮古港を眼下に見下ろす鏡岩(標高29.0m、現在は漁業協同組合 の建物がある)において1883(明治16)年3月から気象観測を始めている。 1886年1月から毎日6回観測が行われるようになった。

宮古測候所の建物配置図と周辺の写真は「写真の記録」の 「宮古測候所と周辺アメダス」に掲載してある。

気象庁ホームページおよび気象庁年報(CD-ROM)に掲載の月・年平均気温は 何回観測によるかを現地の原簿で確かめたところ、
(a)1886年1月~1938年12月・・・・・1日6回(2, 6, 10, 14, 18, 22時)観測
(b)1939年1月~1952年12月・・・・・1日3回(6, 14, 22時)観測
(c)1953年1月~以降・・・・・・・・1日6回観測
(d)1990年12月に永年気候観測の廃止、1991年1月から24回観測
となっていることがわかった。

別の章 「K20. 1日数回観測による平均気温」で示すように、1日6回観測による 年平均気温と24回観測による年平均気温の差は

24回観測平均気温-6回観測平均気温=0.006±0.018℃
24回観測平均気温-3回観測平均気温=0.1~0.3℃(経度の関数)

である。したがって、
(1)上記(b)の14年間のみ年平均気温を補正し0.2℃程度高くする 必要がある。

そのほか、移転等に伴う気温のジャンプ、ダウンの不連続がないかどうか、 次の順序で検討する。
(2)1939年1月から現在地(鍬ヶ崎、標高41.6m)に移転した。この移転に ともなう気温の不連続はないか?

(注:1939年移転時の標高は41.6m、1951年4月に測候所標石を設置し42.7m となり、その後、何度か水準測量を実施しており、現在の標高は42.5m である。)

(3)1974~1980年にかけて、年平均風速が減少したことにともなって、 気温の不連続はないか?

(4)現在地(鍬ヶ崎)において、1991年に庁舎建て替えにともなう気温の 不連続はないか?

全体的な環境変化を概観するために、図18.1に年平均風速と気温日較差 (毎日の最高気温と最低気温の差の年平均値)の経年変化を示した。 宮古においては移転と風速計高度の変化にともない風速は階段状に増・減 しているが、1974~1980年の5%程度の減少を除けば、風速はほぼ一定の まま経過してきた。

一方、気温日較差は長期にわたり減少している。1939年の移転による不連続 を除外すれば(連続するようにずらしてみると)、この120年間 (1886~1938年+1939~2005年)に(0.4℃+0.5℃)/9℃=0.9℃/9℃ =10%の減少である。この値からすれば、環境変化は比較的に少ないと みてよいだろう。

後掲の図18.6に示すように、宮古では霧日数が増加しており、1930年から 2000年までの70年間に倍増している(北海道寿都では増加傾向は見えない)。 この霧日数の増加が気温日較差減少の大きな原因の一つと考えられる。

宮古風速経年変化
図18.1 (上)年平均風速の経年変化、(下)気温の日較差の経年変化
上の図において、丸印プロットは観測値、赤の線と緑の線は風速の真値の 推定値。4杯式と発電式風速計は誤差特性により、実際より強めに 観測したり弱めに観測したりすることを考慮して真値の線を描いてある。 1903年に風速が階段状に大きくなったのは、風速計の設置高度が4.5mから 12.3mになったことによる。1939年に風速が階段状に小さくなったのは 測候所が鏡岩(標高29.0m)から現在地の鍬ヶ崎(標高41.6m)に移転した こと、1991年の風速増加は庁舎建て替えにともない風速計高度が高くなった ことによる。


検討(1):3回観測の補正
宮古は東経142.0度に位置するので、1日3回観測による年平均気温は毎正時 24回観測による年平均気温よりも0.18℃低い ( 「K20. 1日数回観測による平均気温」の図20.1の左上の曲線を参照)。 これは多数点の統計から得た補正値である。

一方、現地の宮古の原簿に記録された観測資料によれば、1938年1~12月の 1年間、旧測候所(鏡岩)と現測候所(鍬ヶ崎)において3回と6回の同時 観測が行われている。そのデータを整理すると年平均気温は次のように なった。

6回観測による年平均気温-3回観測による年平均気温
=10.46-10.25=0.21℃・・・・・・現測候所露場(鍬ヶ崎)
=10.39-10.17=0.22℃・・・・・・旧測候所露場(鏡岩)

ただし、この比較観測は1年間であり、年による違いもあるので、 前記の他地点も含む統計値0.18℃を考慮して、宮古の1939年~1952年の 3回観測による平均気温(気象庁ホームページに掲載の値)に 0.20℃を加えた値を真値とする。

検討(2):1939年の移転(鏡岩から鍬ヶ崎へ)にともなう補正
幸いなことに、移転前の旧露場と移転後の新露場(新露場は現在も同じ露場) で2年4ヶ月(28ヶ月間)にわたり同時観測が行われ、そのデータが現地・宮古 測候所に保存されていた。データ整理を行い次の結果を得た。

1日3回気温観測の28ヶ月間の比較(1938年1月~1940年4月):
(現・鍬ヶ崎現露場の平均気温)-(旧・鏡岩露場の平均気温)
1938年12ヶ月:+0.08℃
1939年12ヶ月:-0.01℃
1940年4ヶ月:-0.03℃
28ヶ月全期間:+0.03℃

1日6回気温観測の12ヶ月間の比較(1938年1月~12月):
(現・鍬ヶ崎露場の平均気温)-(旧・鏡岩露場の平均気温)
=10.46-10.39=+0.07℃(現露場が高温)

6回観測による比較がより正しい方法であるが、比較はわずか1年間しか 行われていない。3回観測による年によるばらつきを考慮すると、+0.07℃ には統計的信頼性が低く、補正すべきかどうかについて悩むところであるが、 0.1℃以下でもあり、ここでは暫定的に、移転による 気温の不連続は生じなかったとしておきたい。

検討(3):1974~1980年にかけての風速減少にともなう補正
図18.1(上)において、1974~1980年にかけて年平均風速が5%ほど減少して いる。一般に風速が弱まると、地面付近で温められた暖気の上空への拡散が 弱まり、いわゆる「陽だまり効果」によって年平均気温が上昇する。

図18.2は1950年~2000年の50年間について、宮古と他の8気象官署における 年平均気温の差の経年変化を示したものである。

8気象官署とは、室蘭、むつ、八戸、盛岡、石巻、山形、仙台、福島である。

宮古50-00気温変化
図18.2 宮古の年平均気温と8気象官署平均の年平均気温の 差の経年変化。
8気象官署は室蘭、むつ、八戸、盛岡、石巻、山形、仙台、福島、 緑の線は長期的な傾向である。


宮古において年平均風速が減少した1974~1980年について、年平均気温差 に不連続的な変化はほとんど認められない。

緑の線で示した長期的な傾向が右下がりであるのは、宮古に比べて他の気象 官署が都市化等の影響によって気温上昇が大きいことを意味している。

図18.2では8気象官署との気温差を示したが、8気象官署は宮古からいずれも 離れているので、数年以内の短期間における変動の相関関係が小さく、 プロットはばらついており、0.1~0.2℃程度の小さな気温不連続の判断は 難しい。

そこで、近傍のアメダスとの比較を調べたいのだが、1974~1980年は区内観測 所(棒状温度計による最高・最低気温の観測のみ)からアメダス(電気抵抗式 温度計、毎時観測)の時代への切り替え期にあたる。

図18.3は宮古と6アメダス(小本、普代、川井、門馬、遠野、藪川) の平均気温との差である。これらアメダスの1976年以前については、 「K19. 最高・最低気温平均と平均気温」の図19.1(左)に示す関係 を用いて年平均気温(24回観測による平均気温に相当)を推定した。 6アメダスの補正量は表18.1にまとめてある。

   表18.1 最高・最低気温平均から年平均気温を推定する際の補正量
                         1962ー1976年の期間
          アメダス名  気温日較差(℃)  補正量(℃)
           小本           8.4               -0.17
           普代          10.0               -0.40
           川井          10.1               -0.42 
           門馬          11.3               -0.61       
           遠野          10.5               -0.48
           藪川          11.0               -0.56

宮古77気温変化
図18.3 宮古と8アメダス平均の気温差(検討3と関連)。
緑の線は長期的な傾向、プロットのばらつきの標準偏差を緑の帯の幅で示してある。


図18.3 にはプロットのばらつきの標準偏差を緑の帯で示した。 帯の中央の線は平均値であり、1974~1980年の風速減少にともなって 気温が約0.1℃程度不連続的にジャンプしているように見える。 このジャンプ状の気温不連続が真であるかどうかの判断は難しいが、 次の(a)(b)(c)を総合して、宮古におけるこの不連続は「なし」としたい。

(a)図18.3のプロットのばらつきが大きいこと。
(b)アメダス切り替え期の6アメダス設置にともない環境変化があった。
(c)発電式風速計による風速観測値の減少は0.3m/s(15%)あるが、 風速の真値における減少は5%程度と小さく(図18.1の緑線)、 風速計の故障が考えられること。

検討(4):1991年の庁舎建て替えにともなう補正
1991年の宮古測候所庁舎建て替えにともなう年平均気温の不連続は図18.2 でも認められたが、近傍のアメダスも含むデータからも確認しておこう。

図18.4は宮古の年平均気温と17アメダス(気象官署も含む)平均の気温との 差である。この時代は、すべて電気抵抗式温度計による毎日24回観測によって 平均気温が求められているので、精度は高い。

17アメダスとは盛岡、大船渡、小田野沢、六ヵ所、三沢、八戸、種市、久慈、 陸中山形、普代、小本、川井、遠野、住田、気仙沼、志津川、江ノ島である。 宮古から遠くなると、年々変動の相関関係が悪くなるので、地点数を増やしても 縦軸の気温差の精度は上がらず、実用上は近傍の5~10地点を選んでも 結果は変わらず十分であるが、この図では17アメダスを選んで求めた結果 を示した。

宮古90気温変化
図18.4 宮古と17アメダス平均の気温差(検討4と関連)。
緑の線は長期的な傾向。1990~1991年の庁舎建て替えによる宮古の 気温ジャンプが認められる。


図18.4からも庁舎建て替えによる年平均気温の上昇は約0.2℃であることが わかる。

庁舎建て替えによってなぜ0.2℃の気温上昇が生じたのか?
新・旧庁舎の敷地より一段低い位置にあった露場の位置は変わらなかったが、 庁舎建て替えに前後して次のことがあった(東北技術だより、1992;および 宮古測候所の豊間根正志所長による)。
(1)木造平屋建ての旧庁舎は露場に近い場所にあったが、二階建て コンクリート造りの新庁舎は北寄りに移動し、庁舎と露場の間(レベルは庁舎 と同じ)に舗装された駐車場が造られた(東北技術だより、第9巻第4号)。
(2)露場の西隅にあった雨量小屋とボンベ庫が解体・撤去された(1990年 10月)。
(3)露場の北西方向の庁舎敷地の南側(露場と一段低い敷地にあった旧宿舎 の間)にあった桜の木が伐採された(この伐採は2001年2月に行われ、 次項のウインドプロはイラー設置に伴うもの)。
(4)駐車場の東端、露場の北側にウインドプロファイラー用のドームが 建設された(これはだいぶん後の2001年3月)。

(5)露場南東側の大きな樹木(クルミの木)が現在ある。その北側に あった桜は2003年3月に伐採された。 (6)現在、測候所の西側を南北に通る国道45号線は1972年に工事が始まり、 1973年に完成した。

(1)と(2)は露場の風速を強めることになり、気温を下げる効果をもつ のだが、舗装の駐車場がそれ以上に気温を上げることになったのだろうか?

これは、高知地方気象台の露場の状況に似ている。つまり、1950年代から 高知の露場南側には住宅が接して立ち並ぶようになり、2000年の段階で 年平均気温が周辺の観測所(室戸岬、安芸、後免、窪川、清水)に比べて 0.8℃も上昇し、ほぼ定常的になった。

さらに、2001~2004年に行われた周辺再開発により、新しい住宅 団地をつくるに際し、露場に接していた住宅はなくなり風通りはよくなった。 これで高知の気温は下がると予想したのだが、逆に年平均気温は0.3℃上昇 した。その理由として考えられることは、新しくなった住宅団地には 縦横に走る新しい舗装道路ができ、さらに露場西側に造られた小公園の 西方にも幅25~27mの大きな道路が造られ、これが風通りのよくなることで 生じる気温下降を上回る気温上昇をもたらしたと考えられる。

高知の詳細については、「K12. 温暖化は進んで いるか(3)」の図12.9を参照のこと。

以上の宮古についての検討の結果をまとめると、(1)1939年の鏡岩(標高29.0m) から鍬ヶ崎の現在地(標高42.5m)への移転にともない、年平均気温の 不連続はなかったが、1991年の庁舎建て替えにともない0.2℃上昇した。 (2)1日3回観測の時代(1939~1952年)の年平均気温は補正して0.2℃高く しなければならない。

長期変動の上昇率(地球温暖化量)をみるために、1991年以後の気温を基準 にするならば、それ以前の過去の年平均気温を次のように補正すればよい。

創設年~1938年:0.2℃高く修正
1939~1952年:0.4℃高く修正
1953~1990年:0.2℃高く修正
1991年~以後:そのままの値を使用

以上の補正を行った年平均気温の経年変化を図18.5に示した。

宮古気温長期変化
図18.5 宮古における年平均気温の経年変化(補正済み)。
緑の線は長期変化の傾向を示す。


図18.5によれば、宮古における気温の100年間当たりの 上昇率は0.3℃程度である。 この上昇率は、1939年の移転にともなう0.07℃程度の上昇と、 1977年前後の0.1℃程度の上昇の可能性が明確でなかったので、ゼロと 仮定した場合の値である。

補足事項1:
しかし、これら2回の上昇の可能性を考慮に入れるならば 100年間当たりの気温上昇率は小さくなる。

補足事項2:
図18.1(下)に示したように、気温日較差が長期的に減少傾向にある理由は 何によるのだろうか。
観測所の近傍と広域について次の事実がある。 (1)現在の露場の南東側に大きなクルミの木があり、長年にわたって生長を 続けており、高い測風塔上の風速は変化しなくても、露場の風速は長期的に 減少する可能性がある。 (2)宮古市役所の近く、宮古湾と閉伊川岸の市街部から北向けに登ってくる 国道45号線は前述の通り、昔はなかったが1973年に新しくできた。 (3)宮古市役所から得た情報によれば、旧宮古市の人口の変化は顕著で なく、1920年は29千人、1930年は35千人、1940年は43千人、1950年は51千人、 1960年は55千人、1970年は59千人、1980年は62千人の極大、1990年は59千人、 2000年は55千人である。 (4)眼下に見える住宅等の個々の建物は平屋から二階建てへと 大きくなっていると考えられる。(5)宮古港は埋め立てられ、そこには 住宅やその他の建築物が増加した。(6)宮古における年間の霧日数は1940年 ころ24日程度であったが、2000年ころ41日となり60年間に17日も増えた (図18.6)。

これらのうち、気温日較差を小さくする原因となりうるものは、 (2)と(6)であり、ほかに地表層の熱的パラメータ(熱容量)が大きく なってきているのかもしれない。(1)~(5)はいずれも長期的に 平均気温を上昇させる方向に作用する。

宮古の霧日数
図18.6 宮古における年間の霧日数の経年変化、参考のために 北海道南部の日本海沿岸の寿都における霧日数も示した。霧日数は宮古では 1930年以後倍増しているが、寿都では顕著な変化は認められない。


(6)の霧日数の増加による気温日較差に及ぼす効果を概算して みよう。気温日較差の年平均値は大よそ9℃である。霧の日は気温日較差が 仮に6℃小さくなったと仮定する。霧日数の増加分17日間の合計は 6℃×17=102℃、これを365日で平均すれば102℃/365=0.28℃となる。 つまり、気温日較差の年平均値は60年間に0.28℃減少することになる。 図18.1(下)の1940~2000年間の気温日較差の減少は約0.5℃であるので、 その約半分(0.28/0.5=56%)は霧日数の増加で説明することができる。

霧日数の増加は観測所の広域における変化であり、観測所近傍の環境変化 ではない。霧日数が増加している原因は不明だが、もともと三陸沿岸は霧の 発生しやすい地域であり、霧日数の増加は広域の 大気汚染によって生じているのかもしれない。この問題は 気候変動にとって重要であるので、今後、他の地点についても調べる 予定である。

以上の補足事項1、2を考慮すれば、宮古測候所近傍の環境変化(霧日数は 除外)がなかったとした場合の100年間当たりの気温上昇量は、 前記0.3℃より小さく、0.2℃程度となる可能性がある

18.3 岩手内陸の温暖化量解析

岩手県内陸について予備解析した結果、1965年ころまでは水沢(旧緯度観測所)、 それ以後は盛岡市厨川の東北農業試験場(現在の東北農業研究センター)に おける気温観測データをつないで用いれば、内陸広域における気温の長期 変動を表すことがわかった。

両地点におけるデータの質のチェックを行う際に、盛岡地方気象台における 気温との差を解析したいので、最初に盛岡地方気象台における庁舎改築に ともなう不連続がなかったかどうかを調べることにしよう。

(a)盛岡の準備解析
盛岡地方気象台の写真は、「写真の記録」の 「59. 盛岡と岩手内陸の観測所」のはじめのほうに掲載してある。

図18.7は1996~2000年にかけての庁舎改築前後の盛岡の年平均気温と 周辺11観測所平均の差である。11観測所とは、宮古、大船渡、好摩、 奥中山、江刺、川井、紫波、藪川、松尾、雫石、大迫である。

緑の線は長期的傾向である。この線の傾きが右下がりであるのは、盛岡の 気温上昇率が他の11観測所平均よりも小さいことを意味している。

盛岡新庁舎影響
図18.7 盛岡の庁舎建て替えにともなう年平均気温の周辺 11観測所平均気温との差の経年変化。


多くの気象官署の建て替え等に伴って気温の不連続は生じやすいが、 図を見る限り、旧庁舎から仮庁舎、さらに新庁舎へと変化しても、年平均 気温における不連続は認められない。

その理由として、気温上昇効果と下降効果がうまい具合に打ち消しあって 気温変化がゼロになったものと考えられる。

建て替え前後に、露場周辺で起きたことは次の通りである(盛岡地方気象台の 資料による)。
(1)気象台は、西~北側が崖状になり、小高い丘の上にある。 南の正門から旧庁舎玄関に向かって右手に露場、左手に4本の樹木が 生えた築山はロータリーとなっていたが、築山は新庁舎建設に際し撤去され、 駐車場の一部となった。旧ロータリーはアスファルト舗装されていた。
(2)新庁舎の建設に際し、露場以外の敷地は低く削り取られたため、露場 は相対的に庁舎敷地よりも高くなった。
(3)2階建て旧庁舎の壁の南面から露場の百葉箱北面までの水平距離は17.2m、 隔測温湿度計までは19.5m、庁舎屋根の地面からの高さは11.5mであった。
(4)旧庁舎と露場の間、幅5.5m、長さ23.5mの敷地、は砂利敷きであったが、 新庁舎の建築後はアスファルト舗装となった。
(5)露場を含む気象台敷地の南~東側を通る道路はアスファルト舗装されて いたが、これは現在も同じである。
(6)新庁舎の規模は旧庁舎とほとんど同じ2階建てである。

ロータリーがなくなり、露場面が庁舎敷地より相対的に高くなった ことで、全体として露場の風通りは良くなったと思うが、年平均気温 における目立った変化は生じなかった。

(b)厨川の準備解析
次に厨川(農業研究センター)における気温データの品質について検討し よう。

厨川の写真は、「写真の記録」の 「60. 水沢観測所と東北農研」の後半に掲載してある。

図18.8は厨川の年平均気温と、周辺12アメダス平均の気温との差の経年変化 である。12アメダスとは盛岡、宮古、大船渡、好摩、奥中山、江刺、川井、 紫波、藪川、松尾、雫石、大迫である。

厨川気温ギャップ
図18.8 厨川(東北農業研究センター)における年平均気温と、 周辺12アメダス平均の気温との差。
(厨川における気温資料は桑形恒男博士と佐々木華織さん の提供による)


東北農業研究センターの佐々木華織さんによれば、厨川における観測装置の 変遷は次の通りである。
1950年~1969年12月:百葉箱内(旧露場)、ガラス棒状最高、最低温度計、示度は目視観測
1970年1月~1986年3月:70型、白金抵抗体温度計(通風式)、隔測自記記録
1986年4月~1996年12月:80型(横川ウエザックシステム)、毎正時観測
1997年以降~:95型(MEISEIシステム)

気象機器は気象台と同等のものが使用されている。 1969年までは研究棟群に近い場所にあった旧露場、1970年以後は現在の 周囲一面に広がる圃場の真ん中の現露場で観測が行なわれている。

現露場の西側には1990年4月12日から逐次、ビニールハウスが 建造されて、1998年4月末までには合計15のビニール群が隣接することと なった。露場の気温センサーから、もっとも近いビニールハウス端までの 水平距離は19.5m、気温センサーからビニールハウス側の露場フェンスとの 水平距離は9mである(佐々木華織さんによる)。

以上のことを考慮して図18.8を見ると、器械の更新の時期ごとに年平均気温の 不連続が生じていることがわかる。現システム(95型)を基準にして、緑の線 が真の傾向とするならば、80型の時代(1986~1996年)は0.22℃程度 低温に観測され、70型の時代(~1985年まで)は0.06℃程度高温に観測され ている。なぜだろうか?

ビニールハウスの増加によって、1992年の頃からその気温観測に及ぼす 影響が出始め、現在では0.1℃程度高く観測されているように思う。 図の緑の破線は、ビニールハウス群が仮になかったとした場合に予想される 変化である。

今後の注意点として、(1)測器の更新に際して、上記の不連続があった ことを思い出して、適切な対応をとること、(2)ビニール群を用いた研究 プロジェクトが終了した段階で、ビニール群の解体に際して0.1℃程度の 年平均気温の下降が予想されることに注意してほしい。実際に0.1℃の下降が 見出されれば、今回の推定「ビニール群の年平均気温に及ぼす影響」が 確認されることになる。そうでなかった場合は、別の原因を考えなければ ならない。

測器更新時に生じたと見なされる2回の不連続(1986年、1996年)を補正して、 盛岡と厨川における年平均気温の差を図18.9に示した。緑の線で描いた長期 傾向は、次の図18.10(上)に赤の線で示す盛岡の長期傾向(1975~1985年の 急激な上昇)と矛盾しない。1970年代に時々現れた大きな値(厨川の気温が 相対的に低温)の理由は観測ミスによるものかもしれない。

同図において、1992年頃から2000年にかけて下降しているのは、現段階では、 ビニールハウス群による「陽だまり効果」と見なしておきたい。

盛岡厨川気温差
図18.9 厨川(補正済み)と盛岡における年平均気温の差 (盛岡-厨川)の経年変化。


図18.9において、1960~1969年期間のプロットは、厨川の旧露場の百葉箱内の ガラス棒状最高温度計と最低温度計によって観測されていたので、その毎日の 最高・最低平均値から次の方法によって求めた値である。

1960~1969年期間の厨川における気温日較差の平均値は9.81℃であり、 「K19. 最高・最低気温平均と平均気温」の図19.1(左)に示す関係 によれば、補正量は-0.37℃となる。したがって、最高・最低平均値から 0.37℃を引き算した値を年平均気温(毎日24回観測から求めた平均気温に 相当)とした。

(c)水沢の準備解析
旧水沢緯度観測所は気象庁の永年気候観測所の一つでもあった。緯度観測では 高精度の天体位置観測が行なわれるため、その測器周辺の気象環境の把握 に神経が注がれてきた。1980年のころ、露場の近くの樹木が生長し、 天文観測に不都合な気温の空間的分布が形成されることに気づいたらしく、 1986年には同じ広い敷地内で、樹木がじゃまにならない場所に露場が移転 した(菊地ほか、1981;1986;1987)。 ここでは、気象庁と同等の気象観測は2000年まで続けられ、データはよく 整理されている。

旧水沢緯度観測所の写真は、「写真の記録」の 「60. 水沢観測所と東北農研」の前半に掲載してある。

もともと、旧緯度観測所は市街地から離れた場所にあったが、水沢市(現在の 奥州市)が発展し、敷地周辺には住宅が増え、近くの道路は拡幅されて都市 化の影響を受けるようになってきた。

もと緯度観測所で気象観測を担当されていた菊地直吉さんのご協力を得て、 データ収集を短時間にすませることができた。

図18.10(上)には盛岡と宮古の年平均気温の差と、水沢と宮古との差を プロットしてある。都市化の影響がほとんどなかったと考えられる1950年 以前について、これら気温差がゼロになるようにずらして、その後の変化 が見やすくなるようにしてある。

盛岡水沢気温差
図18.10 (上)年平均気温の盛岡と宮古の差、および水沢と 宮古との差、1950年以前の縦軸がゼロになるようにずらしてある。
(下)水沢と盛岡の年平均気温の差、1978年以後の2重丸印は水沢と 3アメダス平均の気温差。
赤の線と緑の線でそれぞれ盛岡と水沢の長期傾向である。


まず、図(上)を見てみよう。赤の線は宮古を基準とした場合の盛岡の 長期傾向である。戦後の復興が始まった1950年ころから気温は上昇し、 1970年代から再度の上昇がはじまり、2005年現在、宮古に比べて0.7~0.8℃ も高温となっている。

いっぽう水沢では1960年半ばころから気温の上昇がはじまった。この上昇 は露場付近の樹木の生長によるもので、1985年には約0.6℃も高温になった。 露場の移転により、気温が約0.2~0.3℃下降した。この0.2~0.3℃は樹木に よる「陽だまり効果」とみなしてよいだろう。

1970~1985年の期間は水沢の陽だまり効果と都市化の影響の和が盛岡の都市 化の影響を上回った時代である。1986年に水沢はいったん気温下降したが、 その後の上昇速度は盛岡のそれを上回っている。これは水沢の市街部都市化が 急速に進んだことを意味している。

水沢の旧露場の陽だまり効果を詳しくみるために、図18.10(下)では水沢と 盛岡の年平均気温の差(四角印)と、水沢と周辺3アメダス(好摩、奥中山、 江刺)の年平均気温の差(二重丸印)をプロットした。

1986年の水沢の樹木による気温下降「陽だまり効果」 は約0.3℃と判断できる。なお、水沢での風速観測は樹木より高い庁舎 の屋上で行われており、樹木の生長による風速への影響は認められない。

水沢・厨川の温暖化量
以上の解析により、基本的には1965年ころまでの水沢のデータに、それ以後 の厨川のデータをつなげば岩手県内陸(北上盆地)における広域の温暖化傾向 を表すことができる。ただし、厨川における測器更新の際の0.1~0.2℃程度 の見かけ上の不連続(測器の不具合、未調節)があることに注意すること。

図18.11は水沢、盛岡(1950年以前)及び厨川のデータをつないで作成した 長期の気温変化であり、緑の線は長期傾向である。厨川のプロットは 未補正のままにしてあるので、将来、誤差が確認された時点で補正する ことにしたい。
水沢厨川長期気温変化
図18.11 水沢・厨川における気温の経年変化。
厨川のプロットは未補正のままにしてある(測器更新にともなう 1970~1986年の+0.06℃の狂いと、1986~1996年の-0.22℃の狂いは補正 していない)。 図中に示す観測点のカッコ内の数値は加・減した値、たとえば水沢の (-0.55)は元の気温から0.55℃低くした値のプロットであることを意味する。


図によれば、北上盆地における100年間当たりの気温 上昇率は約0.3℃である。

18.4 藪川アメダスにおける気温と風速の相関関係

藪川では1945年1月26日に-35℃の低温を記録しており、”本州一寒い村”と 呼ばれたことがある。ただし、-35℃を記録したのは現在のアメダス地点 ではなく、地形的に低い場所で観測されていた時代に記録された値である。 筆者は、1980年のころ、なぜ藪川で低温が発生したかを地形上から探るために 当時藪川を数回訪ねたことがある(「身近な気象の科学」の第5章を参照)。

その1980年の頃(藪川にアメダスが開設されて間もなくの頃)から、 筆者は、アメダスの近傍に植えられた桜の木が生長するにしたがって、 観測の邪魔になるのではないかと気にしていた。

図18.12(上)は藪川における年平均風速、(下)は藪川と周辺の10アメダス 平均の年平均気温の差の経年変化である。

藪川の気温と風速
図18.12 岩手県藪川における気温と風速の経年変化。
(上)年平均風速、(下)藪川の年平均気温と10アメダス平均の年平均 気温の差。10アメダスは盛岡、厨川、好摩、奥中山、江刺、川井、紫波、 松尾、雫石、大迫。


図によれば、年平均風速は1990年ころから減少しはじめ、1996~1998年には 1.1/1.65=67%になった。1988年から1989年にかけて1.3/1.1=118%の 風速ジャンプがある。それにともなって年平均気温は約0.1℃下降した。 これは桜の枝を切り落としたことによるのではなかろうか?

1999年以後、風速はまた減少しはじめ2003年と2004年の間に1.0m/sとなり、 1.0/1.3=77%に落ちた。これと前後して年平均気温は0.15℃程度下降 した。今回藪川を訪ね、見てみるとアメダスのそばにあった桜の木の大きな 切り株があった。アメダスの向かいにある郵便局と東側にある酒屋 の工藤正男さんに、さらに後で電話で郵便局の日野杉 勉 局長に聞くと、 2~3年前に桜の木は伐採されたとのことである。

備考
盛岡地方気象台防災業務課長・向井幸雄さんに調べていただいたところ、 2004年7月15日に桜の枝の切り落としと伐採が行われたとのことである。 図18.12の2004年に見える風速と気温のアップとダウンはこれに相当する。

1985~2005年の20年間をならして見ると、風速の減少1.1/1.65=67%に 対して年平均気温は(-3.4)-(-3.65)=0.25℃の上昇に対応する。 これは、隣地の樹木(藤盛商店所有)の生長による影響も含んでいると 思う。

桜の伐採と風速増加・気温低下が対応している。桜の切り株の隣には もう一本の桜があり、これが生長すると再びアメダス観測の邪魔になることが 予想される。さらに、隣地にある背の高い樹木数本の生長が長期的な観測値 に影響を及ぼすものと考えられる。

アメダス等の気象観測はごくローカルな微気象を知ることではなく、10~ 50km範囲の気象・気候を監視する目的で配置されているので、 ごく近傍の周辺環境はなるべく一定に保つことが望ましい。

念のためにアメダス隣地の所有者である雑貨屋「藤盛商店」に聞くと、 「観測の邪魔になる樹木数本は伐採してもらってよい」との内諾を もらった。これが、気象庁によって実行されるならば、藪川は北上高地を代表 する観測所としての役割を果たすことになるであろう。

要約

(1)岩手県三陸沿岸の宮古と内陸の水沢・厨川について、都市化などの 影響を除外した広域を代表する気温の長期変化を求めた(図18.5、図18.11)。 沿岸と内陸での長期変化の傾向は非常によくにており、100年間 あたりの上昇率は0.3℃程度である。

(2)宮古については1939年の移転、1975~1980年ころの風速減少期について 気温の不連続的変化がなかったかどうかを検討した結果、ともに0.1℃程度 の気温上昇があった可能性もあるが、確実性が弱いので、今回は無視したが、 1991年の庁舎建て替えによって年平均気温は約0.2℃上昇している。この 0.2℃は補正した。

(3)宮古において1939~1952年の14年間は1日3回の観測から年平均気温が 求められているので、この期間は0.2℃だけ高く補正した。

(4)水沢では露場周辺の樹木の生長によって1965~1985年の期間、陽だまり 効果を起こしたと考えられる。露場の1986年の移転によって生じた0.3℃の 気温下降量から陽だまり効果を見積もることができた。

(5)厨川では過去の器械更新に際して観測値に不連続があった可能性が あるので、今後の更新ではメーカーとの間で適切な対応をはかる必要がある。

(6)厨川の露場の気温センサーから19.5m離れた位置からビニール群が 立ち並び、それによる陽だまり効果が0.1℃程度生じている可能性がある。 ビニールハウス群の一斉撤去に際して、0.1℃程度の年平均気温の下降が 予想されることに今後注意しよう。

(7)藪川アメダス(標高680m)では近傍の桜の枝の切り落としと、伐採に ともない年平均風速が増加し、同時に年平均気温は下降した。長期的には 風速が67%に落ちると(33%の減少に対し)、気温は0.25℃程度上昇する。

参考文献

近藤純正、1987:身近な気象の科学.東京大学出版会、pp.189.

菊地直吉・後藤恒男・小野寺栄喜、1981:位置天文観測に及ぼす観測室付近 の気象環境(Ⅰ).緯度観測所彙報、第20号、111-120.

菊地直吉、1986:同上(Ⅱ).緯度観測所彙報、第25号、1-16.

菊地直吉・阿部千鶴子、1992:水沢の気温、国立天文台水沢観測センター技報. 第4号、39-53.

宮古測候所(瀬川百彦、佐々木勝男、豊間根正志)、1992:宮古測候所の庁舎 新築について.東北技術だより、第9巻第4号(通号第178号)、265-282、 仙台管区気象台発行.

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