4. 温暖化は進んでいるか

著者:近藤純正
	4.1 地球温暖化問題の難しさ
	4.2 研究の意義
	4.3 気温観測の難しさ
	4.4 資料の収集
	4.5 最高・最低気温から平均気温への換算

	4.6 最高・最低気温と10時の気温の関係
	4.7 気象官署と田舎観測所データの比較
	4.8 地球温暖化量と中都市の都市昇温量
	まとめ
	コメントと感想
	文献
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二酸化炭素の増加によって地球が温暖化しているといわれている。 日本および世界中で観測された気温データを見ると、確かに上昇傾向となって いる。しかし、100年間以上にわたって気温が観測されてきた気象観測所の 多くは都市にある。近年の都市は人口の密集化、人工熱の増加、 植生面積の減少、道路の舗装など、いわゆる都市化されており、 気温データは地域的に狭い範囲しか代表しなくなった。
そこで、都市温暖化の影響を除外した、地球全体の地上気温の上昇傾向を 正しく再評価すべきだが、その際に必要な注意点と解析方法を考えてみたい。 (2004年11月29日完成、12月8日までのコメントの追加)

この地球温暖化に関する一連の研究の最終的結果は 「K40.基準34地点による日本の温暖化量」および 「K41.都市温暖化の評価(1)」と、 その続きに掲載されている。データの利用はそれらから引用してください。



4.1 地球温暖化問題の難しさ

最近では地球の温暖化問題が広く知られるようになってきた。
2004年11月5日、ロシアのプーチン大統領が地球温暖化防止のための 京都議定書の批准法に署名し、2005年2月16日にはこれが発効することとなった。 最大の温室効果ガス排出国のアメリカが京都議定書の枠組みから離脱した ことで、発効にはロシアの批准が不可欠となっていたものだ。

議定書が発効すると、各国は二酸化炭素などの排出量を削減する義務が生じる。 そのため環境省は環境税の導入などを考えている。しかし、経済界には環境税 の導入に反対する動きもある。

そもそも地球の温暖化が問題となったのは、二酸化炭素などの増加に よって地球の気候が変わり、食糧の生産、その他の人間の生存に影響が出る ことが心配されるようになったからである。

多くの観測資料によれば、気温の上昇ばかりでなく、氷河の後退などの情報 から温暖化が進行しているらしい。また数値計算による将来の気候予測でも 温暖化と、それに伴なう異常気象の増加が指摘されている。

この場合、数値計算では現在までの過去の気候変化の観測値を再現させたのち、 将来の予測をするのだが、過去の気候変化の観測値が正しいかどうかが 気になる。この章では、この気掛かりについて考察し、若干の解析結果を 示したい。

4.2 研究の意義

多くの地球温暖化予測についての数値計算は、現段階では不十分なところも あり、観測された世界の気温上昇傾向に合うように、意図した研究が多い と思われる。したがって、観測された気温上昇の傾向が過大に評価された ものを使っていれば、将来予測は間違った結論を導くことになる。

気温の将来予測
図4.1 世界の地上気温の予測。黒線:中都市の気象観測所で得られて いる気温の経年変化、赤色の実線@:最近報告されている予測の傾向 の一例、緑色の一点鎖線A及び破線B:将来の改良された予測による傾向、 いずれも模式図。

現在のところ、世界の地上気温の経年変化は図4.1の黒い実線で示すような 上昇傾向(100年間で0.6〜0.8℃)であることが指摘されている。 予測については赤線で表すような傾向(一例、模式図)が知られている。

「身近な気象」の「地球温暖化の話」の章でも述べたことだが、 約半世紀前にプラスという学者が「地球大気中の二酸化炭素が2倍に増えると 地球の地面付近の平均気温は3.8℃上昇する」と予測している。 現在のように格段に進歩したコンピューターを使って詳細な計算を行なっても、 プラス氏の予測と大差のない結果が得られている。つまり、最近の 多くの計算結果は3〜7℃程度の範囲内にある。その一例が図4.1の赤色の 実線@である。

より確かな観測データの解析がなされれば、気温上昇の大きさは、それほど でないかもしれない。また、現在、見落としている重大な物理・化学過程を 考慮すれば、予測値Aのような傾向となるかもしれない。

ここで、”温暖化はそれほど大きくないのか!”と 早合点してはならない。 いまは、気温観測値について都市化の影響の吟味をして、より信頼性の 高い温暖化の実態把握が急務である。

予測値Aでは平均気温だけ見ていると上昇が小さいので安心できるように 思うかもしれないが、温暖化の影響が別の面に現われる可能性がある。 たとえば、地域によって大きな高温化と低温化、集中豪雨、干ばつなど 異常気象が頻発するようになるかもしれない。

一方、見落としている重大な物理・化学過程を含めれば、フードバック の過程が顕著となり、近い将来、予測値Bのように大きな温暖化となる かもしれない。 いずれの場合でも、将来予測はより高い精度が望まれる。

現在知られている気温上昇傾向を示すデータには、都市化の影響の少ないと 見込まれた観測所のデータが採用されている。しかし、現実には多くの 観測所は都市にあるため、気温上昇傾向には都市化によるぶんが少なからず 含まれていると考えるべきである。

一例として、気象庁が毎年ホームページで発表している日本の年平均気温 の平年差の経年変化の図に使用した気温データの観測所は次の17地点 である。すなわち、網走、根室、寿都、山形、石巻、伏木、長野、水戸、飯田、 銚子、境、浜田、彦根、宮崎、多度津、名瀬、石垣島である。

同様に、世界の年平均気温の平年差の経年変化の図は、気象庁に入電した 月気候気象通報(CLIMAT報)のすべての約1200地点のデータを使用 している(気象庁ホームページによる)。

これらのデータは、長期間にわたって観測を継続している気象観測所の中 から、都市化による影響が少なく、特定の地域に偏らないように選定された となっている。

改めて、都市から離れた田舎での観測データを利用するとしても、 日本を例にとると、気象台・測候所(気象官署)でない観測所は アメダスの前身である区内観測所等に委託して観測が行なわれたものである。 データは村役場や郵便局あるいは民間人が測定した毎日1回の気温と、 最高・最低気温、日雨量などの観測値である。 測器が破損するなどの事故も、欠測もある。 さらに、時代によって観測所の廃止・再開が頻繁にあった。

そのため、これらのデータは、気象官署のそれに比べれば、継続性が 悪くて、統計をとるのに不備がある。しかし、気温上昇の実態を知る 重要性からすれば、こうしたデータの不備を補い、工夫して、より正しい 実態を明らかにしたい。それを数値計算に反映させて、地球温暖化の 将来予測をより正確に知ることが重要となる。

4.3 気温観測の難しさ

1979年に国際協力研究としてモンスーン実験研究(MONEX, Monsoon Experiment) が行なわれた。私たちは東京大学海洋研究所の白鳳丸 (3,200トン)に乗り組み、日本南方の赤道海域で観測を行なった (身近な気象の科学、図12.9、参照)。

私は佐藤威さんと二人で、放射量、大気汚染度の指標・混濁係数、 海面下0〜10m各層の海水温の鉛直分布の観測を担当した。さらに、 当時までに完成していたバルク法によって海面熱収支量を求めた。 定時にラジオゾンデの飛揚を行なう班、海上の乱流輸送の観測を行なう班など、 多くの班が参加した。

白鳳丸
図4.2 白鳳丸の東京港出航前、佐藤威さんと手前に筆者 (1979年5月1日)。

ラジオゾンデの飛揚時には船上で観測した気温を基準としているのだが、 その値と、観測船の定時観測の気温(ルーチン観測)、私たちが風上側で 注意深く観測した気温との間に違いがあることに気付いた。

そこで、私はアスマン通風乾湿計を持ち、各班の気温観測をしている船上の 各場所へ行って観測してみると、そこでの私の観測気温と各班の気温との間で 矛盾はない。 しかし、場所が違えば、それぞれの観測値に相違があり、船上にできた ヒートアイランドのせいだと思った。

そこで、私たちの観測が基準になると考え、深夜も3時間ごとに毎日、佐藤威 さんと交代で気温観測を続けた。風が船尾の方向から吹く追い風のときは 船尾に行って観測した。

船上で観測されたヒートアイランド
図4.3 日本の南方洋上(南緯2度〜北緯25度間)で観測された水温と 気温の日変化、15日間の平均。海面上の気温(太い実線)は海洋観測船の 風上で観測、甲板上の定時観測の気温(破線と○印)は通常の船舶気象 観測資料。(水環境の気象学、図7.12、より転載)

その結果は図4.3に示した。甲板上の定時観測の気温のうち、3時間ごとの データは気象通報で送信されるものである。私たちの正しい観測値 に比べて、定時観測値は15日間平均で、日中は0.5℃程度(微風時には 3℃前後)の高め、夜間は0.1℃程度の低めである。

船舶による気温観測値において、このような誤差があるとは思いもよら なかった。島に比較すれば小さな船舶でも日中はヒートアイランドが 形成されるのだ!

モンスーン実験研究の40日間の航海が終る頃、私のレポートの原稿は できあがっていた。

この航海で得た結果からすると、地球温暖化を調べる気温の資料として、海上 気象観測の単純な統計値は使えないことになる。船舶が時代と共に大型化 してくると、自然の気温上昇がなくても見かけ上、温暖化の傾向が現われる ことになる。

陸上の観測所でも、その場所のごく近傍の状態が変化すれば、気温の観測値 に変化が現われることになる。このため、気候変動の実態調査は難しく、 高精度で求めることはほとんど不可能である。0.2℃程度の誤差は 取り除きえない。

クリックして「モンスーン実験研究で えた副産物」(山本の放射図の補正)を参照し、プラウザの「戻る」を 押してもどってください。
モンスーン実験研究の副産物


4.4 資料の収集

宮城県金華山灯台では1882年6月からの気象観測資料がある。観測の開始当時 の記録原簿を見ると、温度は華氏で記載されていたので、摂氏(℃)に換算 しなければならなかった。1983年までの毎月の気温データは整理したものを 使用する(近藤・山崎、1985)。1900年以前の数年間、データの欠ける期間 については宮城県石巻のデータから補完した。

昔の気温データには、氷点下の場合にマイナスの記号はつけないで、 例えば85.7という表示されることがある。これは観測気温に100を 足し算してあり、−14.3℃の意味である。そのほかの表記法もある ことに注意した。

静岡県浜松の気象データを気象庁(中央気象台)気象年報・月報などから調べていて 気付いたことは、太平洋戦争終結の1945年8月の気温データがなく、 その年の年平均気温が欠けている。浜松は工業地域にあったため、アメリカ の爆撃機による空襲や海上からの艦砲射撃を受けたであろう。

測候所の職員は決死の覚悟で気象観測を行なったが、火災等による破壊で観測 ができない状態になったのかもしれない。

気象庁(東京の本庁)図書室および統計室に保管されている各測候所の 気象年報・月報で欠けているものもある。欠けている期間については、 CD-ROMに観測原簿の写真として保存された区内観測所(委託 観測所)データを読みとった。日々のデータの最後の行に月合計値と 月平均値があるのだが、文字が読めない筆記もある。電卓で月合計値と 月平均値が矛盾していないか確かめながら作業を進めた。

しかし、両方の数字の判読が困難なもの、観測地点名が明記されていない 原簿もある。「これでは各地方気象台へ行って、手書きで整理された資料 から書き写すほうがずっと楽だ!」と思った。

こうした読みとり作業はたいへんだが、「長い年月にわたって 観測資料を積み上げてきた人々の苦労に比べれば、たいしたことではない」 と思った。幾多の無名観測員に敬意を表さねばならない!

4.5 最高・最低気温から平均気温への換算

アメダス以前の区内観測所(1977年または1979年以前のデータ)では、 毎日の最高・最低気温が観測されてきた。 このデータから日平均気温、年平均気温を推定しなければならない。

クリックして「最高・最低温度計とデータの 利用性」(平均気温の代表値として利用)を参照し、プラウザの「戻る」を 押してもどってください。
最高・最低温度計とデータの利用


 年平均気温=最高・最低気温の平均値+補正量

と定義し、各気象台に対する補正量を観測データから求めると、 次表のようになった。2つの30年間について求めた補正量から、最終的に、 その気象台近傍の区内観測所に対して採用する補正量は4列目に示した。
滋賀県の木之本と今津については、滋賀県農業総合センター農業試験場湖北 分場(木之本町千田840)で観測されているデータを用いて、同様に 補正量を求め、表の後半部に示した。
      年 平 均 気 温 の 補 正 量

気象台 1900〜1929年 1970〜1999年 採用する補正量 適用する観測所
旭 川  −0.24℃   −0.07℃    −0.2℃   江丹別、東川
山 形  −0.41℃   −0.34℃    −0.4℃   小国、長井
長 野  −0.64℃   −0.50℃    −0.6℃   飯山
彦 根  −0.25℃   −0.24℃    −0.2℃   虎姫、竹生島

観 測 所      1993〜2003年
木之本農業試験場    −0.13℃    −0.1℃   木之本、今津
補足1:木之本の農業試験場湖北分場
なお、木之本の農業試験場では、区内観測所が廃止された後、引き続き 最高・最低気温など気象のほか地中温度なども観測されている。 1992年4月からは自動観測システムが導入され、1時間 ごとの気温が記録された。当初は1時間ごと24回の観測から日平均気温が 算定された。しかし、自動観測システムは1995年から更新されて、 現在は5分間ごとにサンプリングされ、最高・最低気温と日平均気温は そのデータから算定されるようになっている。

4.6 最高・最低気温と10時の気温の関係

気象観測において、毎日10時に定時観測する時代があった。 その時代には毎日10時に10時の気温と最高・最低気温、雨量などが観測 されていた。観測所にもよるが、最高・最低気温は観測されず、10時の気温 のみを観測する場合もあった。 10時の気温は日平均気温、あるいは最高・最低気温の平均値に近いので、 そのデータも活用したい。

彦根地方気象台に保管されているデータのうち、滋賀県琵琶湖北部の 西岸に位置する今津の1907年と1908年については10時の気温のみであった。 そのデータから最高・最低気温の平均値を推定するために、 今津の1909年〜1920年(1912、1913年は欠)の10年間、および木之本(琵琶湖 北部の東岸の内陸)の1914年〜1920年の7年間について比較したところ次の 関係を得た。

今 津:(10時の気温の年平均値)−(最高・最低気温の年平均値)=1.03℃±0.13℃
木之本:(10時の気温の年平均値)−(最高・最低気温の年平均値)=1.00℃±0.19℃

採用式:(最高・最低気温の年平均値)=(10時の気温の年平均値)+1.0℃

この関係を用いて最高・最低気温の年平均値の欠けた年の値を推定した。 この方法によって推定した年は、木之本では1913年、今津では1907、1908、 1912、1913年である。

補足2:明治時代の気候表
気象庁や彦根地方気象台には現在データは保管されていないが、区内 観測所でも明治初期から気象観測が行なわれていたようである。 「滋賀県気象累年報」明治26(1893)年〜昭和10(1935)年、 彦根測候所昭和12年1月刊行、によればこの期間の最高・最低気温の平均が 気候値として掲載されている。

また、木之本町中央公民館長・山路浩成氏から教えてもらった 富田八右衛門編纂「近江伊香郡誌」(上巻:640ページ、 中巻:485ページ、下巻:656)、昭和58(1983)年9月28日発行、によれば 木之本における最高・最低気温の年平均値の明治27(1894)年〜大正14 (1925)年までの32年間の平均値は13.7℃と記載されている。
元の年々の資料が入手できた1913年〜1925年の13年間の最高・最低気温の 平均値は13.63℃である。したがって、残りの1894年〜1912年 の(32−13=)19年間の最高・最低気温の平均値は13.74℃と算定できる。 この値13.74℃は4.7章(8)で利用する。

4.7 気象官署と田舎観測所データの比較

以下で示す年平均気温の経年変化の図の作成にあたって は、気象庁図書室、各地方気象台等で入手したデータのほか、気象庁編集 「気象庁年報2003年度版」CD-ROMに記載のデータ、および気象庁ホーム ページの「電子閲覧室(気象データ検索)」に掲載されたデータも使用した。

(1)北海道旭川と江丹別の比較
都市にある旭川地方気象台における年平均気温の経年変化と、田舎にある 江丹別観測所(現在はアメダス)におけるそれを図4.4(a)(b)によって 比較した。

旭川の年平均気温の経年変化
図4.4(a) 旭川における年平均気温の経年変化。赤の実線は長期的傾向を示す。
江丹別の年平均気温の経年変化
図4.4(b) 江丹別における年平均気温の経年変化。緑の実線は長期的傾向を示す。 参考値としての1915年以前の+印は旭川、1938年以後の×印は東川のデータ。

江丹別では観測のない時代があるので、旭川のデータを参考のために +記号でプロットした。旭川では1920年ころから夜間の放射冷却が 弱化しはじめ、年平均気温に影響するようになったと判断されるので、 1915年以前についてプロットしてある。放射冷却による年最低気温が 年々上昇していることは、本ホームページの「身近な気象」の 「都市化と放射冷却」の章の 図8.1を参照のこと。

また、1938年以後については東川観測所(現在はアメダス) のデータを×印でプロットしてある。 ただし、東川の気温は江丹別に比べて平均的に0.8℃ほど高温であるので、 この差を引き算した値を参考とした。 以下で示す地点についても同様に、 図中の地点名のうしろに付けた括弧内の数値(単位は℃)はこの地点間の 補正値である。

上川盆地の東部に位置する東川は、小盆地にある江丹別に比べて 標高は約70m高いが、盆地の斜面(丘陵地)に近くて夜間の冷却が 江丹別ほど大きくないこと、その他の地形的な関係によって、平均気温は 高くなっている。

なお、旭川と周辺のアメダスの地形等については、 本ホームページの「写真の記録」の 「旭川の都市化と気温上昇」の章に 説明がある。

旭川における1910〜1920年の気温急上昇
図4.4の(a)と(b)を比較してみよう。まず、図(a)において、1910〜1920年に かけて急激な気温上昇がある。 その1として、1898年以前の低温は、測候所が 1916年以後の現在地・旭川市6条10丁目とその隣接地・8条11丁目よりも 標高の低い忠別川・美瑛川の合流地付近(現在の旭川市神居町)、すなわち 上川盆地のより低い場所にあったことによる。前記のとおり、上川盆地の 平坦部では、標高の低い場所で年平均気温が低くなりやすい。ただし都市が 温暖化した現在では、旭川市街域における都市化による影響のある場所は除く。

その2として、他の北日本の観測所において生じた低温がある。つまり、 1910年前後には世界的な大規模火山噴火が連続して発生したことにより 低温期が数年にわたって生じた(地表面に近い大気の科学、図9.3;身近な 気象の科学、図9.6、参照)。

図(a)(b)を比較してみつと、旭川では1920年以降、 特に1950年以後に気温が上昇し、最近の2000年付近では1.8℃の高め となった。これは旭川の都市化による影響とみなされる。

(2)北海道根室とえりも岬の比較
次に、都市にある根室地方気象台における年平均気温の経年変化と田舎にある えりも岬測候所(現在はアメダス)におけるそれを図4.5(a)(b)によって 比較した。

根室の年平均気温の経年変化
図4.5(a) 根室における年平均気温の経年変化。赤の実線は長期的傾向を示す。
えりも岬の年平均気温の経年変化
図4.5(b) えりも岬における年平均気温の経年変化。緑の実線は長期的傾向を示す。 参考値としての+印は浦河のデータ。

両地点(a)(b)ともに、長期的な気温の上昇傾向は明瞭では ないが、ごく最近の根室では0.2℃程度の上昇があるようにも 見える。

根室において都市化による影響とみなされる温度上昇が小さいのは、根室が 細長い半島にあって、南北にある海からの強い風によって都市高温化の 影響を受け難い関係であろうか。盆地にある旭川の年平均風速が約2m/sに 対して、根室のそれは約5m/sである(いずれも1955年以前の統計値)。

(3)宮城県石巻と金華山の比較
両地点(a)(b)ともに、長期的な気温の上昇傾向は明瞭では ないが、1990年以後の石巻では0.4℃程度の上昇があるようにも 見える。

石巻の年平均気温の経年変化
図4.6(a) 石巻における年平均気温の経年変化。赤の実線は長期的傾向を示す。
金華山の年平均気温の経年変化
図4.6(b) 金華山における年平均気温の経年変化。緑の実線は長期的傾向を示す。 参考値としての+印は江の島のデータ。

両地点での特徴の1は、40年程度の周期で長期平均気温がジャンプと ダウンを繰り返していること、その2は1904〜1910年ころと、1980〜1987年 ころに数年間の低温期があることである。

前者との関連については、三陸沖の親潮と黒潮の境界線が数十年のサイクル で南北移動しており、海洋の影響を受けやすいと考えられる(地表面に近い 大気の科学、図9.6、参照)。後者との関連では、世界的な大規模火山噴火 の頻発と関連しているようだ(同、図9.3、参照)。

(4)山形と小国の比較
図(a)(b)について1940年以前の気温(縦軸)が全体として一致するように 合わせると、山形では1950年以降に気温が上昇し、 最近では1.4℃の高めとなった。これは山形における都市化の影響 とみなされる。

山形の年平均気温の経年変化
図4.7(a) 山形における年平均気温の経年変化。赤の実線は長期的傾向を示す。
小国の年平均気温の経年変化
図4.7(b) 小国における年平均気温の経年変化。緑の実線は長期的傾向を示す。 参考値としての+印は長井のデータ。

前述の都市でも同様であったのだが、1950年以降に都市化による 影響が出始めたのは、1945年の戦争終結後に各都市は復興しはじめた時代と 一致している。都市における大気汚染が進んだのもこの頃からである(水環境 の気象学、図4.5、参照)。

(5)静岡県浜松と石廊崎の比較
浜松の年平均気温の経年変化
図4.8(a) 浜松における年平均気温の経年変化。赤の実線は長期的傾向を示す。
石廊崎の年平均気温の経年変化
図4.8(b) 石廊崎における年平均気温の経年変化。緑の実線は長期的傾向を示す。 参考値としての+印は御前崎のデータ。

1940年以前の期間で図(a)(b)の縦軸が一致するように合わせると、 浜松では1950年以後に約0.7℃の上昇がみられる。これは都市化の 影響であろう。

(6)高知と室戸岬の比較
高知地方気象台の前身・高知測候所は1882年に創立し、当初は現在地に 近い平坦部の高知市若松町にあった。しかし1888年〜1939年の期間は高知城 二の丸(標高は現在地より約30m高い)にあったが、年平均気温には大きな 不連続はないと思うので、補正等の操作は行なわず、観測データをそのまま プロットする。

つぎに、室戸岬の1920年以前について、1903〜1904年のデータはあるが、 他の年は観測値がないので高知の年平均気温に0.7℃加えた値を参考 とする。

高知の年平均気温の経年変化
図4.9(a) 高知における年平均気温の経年変化。赤の実線は長期的傾向を示す。
室戸岬の年平均気温の経年変化
図4.9(b) 室戸岬における年平均気温の経年変化。+印は高知の年平均気温 に0.7℃を加えた値である。緑の実線は長期的傾向を示す。

室戸岬に比べると、高知では1950年以後に0.7℃の 気温上昇がある。これは都市化の影響とみなされる。

高知地方気象台の観測露場の写真は図4.10に示した。その他、昔の高知測候所跡の 写真と説明は本ホームページ「身近な気象」の「7.地球温暖化の話」の章、 図7.10〜7.13に掲載してある。

高知地方気象台観測露場
図4.10 高知地方気象台観測露場、右に見える大きな電柱から向こうが 露場の敷地、その手前が小公園に整備中(2004年9月20日撮影)。

(7)長野と飯山の比較
長野地方気象台は長野盆地の低地部に位置するが、周囲よりは高い 城山にある。 北方の住宅地や西方の信州大学の敷地より20m程度、南方のJR長野駅 より約60m、東方の千曲川より約80m高くなっている。

次をクリックし長野と飯山の気象観測所の周辺状況を ご覧になり、プラウザの左上にある「戻る」を押してもどってください。
「長野と飯山の気象観測所」

長野の年平均気温の経年変化
図4.11(a) 長野における年平均気温の経年変化。赤の実線は長期的傾向を示す。
飯山の年平均気温の経年変化
図4.11(b) 飯山における年平均気温の経年変化。緑の実線は長期的傾向を示す。

図(a)(b)について1940年以前の気温(縦軸)が全体として一致するように 合わせると、長野では1950年以降に気温が年々上昇し、 2000年ころには1.0℃の高めとなった。これは長野における都市化 の影響とみなされる。

長野地方気象台は周辺より小高い城山にあるが、気温上昇が1℃あるのは、 長野市街地を含む大気境界層内全体が都市化の影響を受けているものと 考えられる。

標高418mの長野地方気象台は標高313mの飯山アメダスに比べて約100m高いが、 図(a)(b)によれば、1940年以前の年平均気温はほとんど同じである。 長野盆地でも、旭川の位置する上川盆地で述べたことと同様に、盆地の 平坦部内では年平均気温が標高とともに低温となってはいない。

(8)滋賀県彦根と木之本の比較

次をクリックし彦根と木之本ほかの観測所の周辺状況を ご覧になり、プラウザの左上にある「戻る」を押してもどってください。
「彦根と木之本ほかの観測所」

図4.12(a)(b)によって、彦根と木之本(琵琶湖東岸北部の内陸)の気温の 経年変化を比較してみると、1900〜1920年のころの年平均気温は両地点で ほぼ同じである。 それ以後、彦根の気温は上昇の傾向があり、特に 1960〜2000年には0.7〜0.8℃ほど高温となった。

彦根の年平均気温の経年変化
図4.12(a) 彦根における年平均気温の経年変化。赤の実線は長期的傾向を示す。
木之本の年平均気温の経年変化
図4.12(b) 木之本における年平均気温の経年変化。1894年〜1912年までの 19年間は気候値からの推定(4.6節参照)。緑の実線は長期的傾向を示す。

田舎観測所として木之本を選んだのは、観測所がいつも町の中心部から離れた 場所にあったからである。木之本は江戸時代の北国街道の宿場であったが、 最初に気象観測が開始されたのは郡役所であった。この郡役所は 宿場の街並みから西方に離れた鉄道(北陸本線)の駅の近くに設置されて いた。ここは明治初期には人家がわずかしかないところであった。

その後、木之本の気象観測所は宿場の街並みの東側の山すそにある伊香農学校 (現伊香高校)に移転、さらに滋賀県立農業試験場湖北分場の広い水田 地帯へ移転し、現在に至っている。農業試験場は気象庁の区内観測所 として1979年に廃止されたが、引き続き観測は継続されている。

小都市における気温に対する都市化の影響
木之本の近辺にあった郡役所の今津(琵琶湖西岸北部)と虎姫(琵琶湖東岸 北部)でも明治時代から気象観測が開始された。これらの郡役所は 町並みの中にあり、小都市ながら時代とともに都市化の影響を受けるように なった。

年平均気温の差の経年変化
図4.13 今津と木之本における年平均気温の差の経年変化。赤の実線は 長期的傾向を示す。

図4.13の縦軸は今津の年平均気温と木之本の年平均気温の差である。 木之本が都市化の影響を含まず基準として見るならば、今津では気温観測が 開始された時代(1910年の前後)には昇温量は0.4℃であるが、 1970年代には0.8〜0.9℃と大きくなってきた。

今津の湖岸道路の近くには、古くからの町並みがあり、そこに曹澤寺がある。 この寺の食堂(じきどう、修行僧たちの食堂)が明治維新の排仏希釈 (はいぶつきしゃく、仏法を廃し釈尊の教えを棄却すること)により、 高島郡役所として使用されるようになった。ここで気象観測 が開始されたが、のちに旧制・今津中学校(現高島高校)に移転した。 ところが、現アメダスは郊外の今津中学校に1978年11月16日に設置されたため、 1979年以降において気温差はマイナスとなった。

今津で観測が開始された明治時代の町並みは、「写真の記録」の 「35.彦根と木之本ほかの観測所」の章で述べたように、湖岸に沿う街道の 両側に家並みと曹澤寺がある程度で、形は細長いものであった。 こうした構造は、都市化による気温上昇ではなく、後述の 陽だまり効果による気温上昇とみなすべきだろう。

1926年に観測所が旧制今津中学校に移転、さらに1974年に高島高校に改名、 と時代が進むにしたがって、今津の町は線状から面状に広がってきた。 こうして、現代で言う「都市化」(道路舗装、人工熱の排出量の増加など) によって、今津の気温は現在のアメダス地点へ移転する直前まで上昇して きた。そしてアメダスが郊外にできて、気温が急下降した。

小都市において、町並みに設置された気象観測露場の 平均気温が高くなる理由は、陽だまりが高温になる原理と同じである。 気象観測露場は日当たりのよい場所に設定されることになっており、 町並みの陽だまりでは風が弱く、地表面が受けた太陽エネルギーが 顕熱・潜熱輸送量として変換される割合が小さく、そのぶん、地表面温度が 高くなる。地表面付近の風速が弱く、顕熱の上空への拡散も弱いがために、 地上気温も高くなる。

町並みの中にある郡役所に当初、気象観測所が設置された虎姫についても 今津と同様に平均気温が高くなっていたが、郊外のアメダスの時代になって 平均気温は急下降した。ただし、虎姫は途中の観測が中止されていたため、 竹生島のデータを補完した図による結果である(その図は省略)。

今津町の人口は約1万4千人、虎姫町の人口は約6千人である(いずれも2003年 現在)。これらは小都市ではあるが市街部では高温となることに注意しなけれ ばならない。

4.8 地球温暖化量と中都市の都市昇温量

前節で示した各(a)図に描かれた長期傾向(赤色の線)と各(b)図の それ(緑色の線)から、5年ごとに平滑された気温値を読み取り、 平均図を作成する。(a)図は1890年以後の110年間について、(b)図は 1900年以後の100年間を対象とする。

都市内観測所(気象官署)と田舎観測所についての平均カーブの比較から、 従来発表されている「地球温暖化の傾向」に含まれている都市化の影響の 度合いを調べてみよう。

年平均気温の経年変化
図4.14 気象官署8箇所と田舎観測所8箇所における年平均気温の差の経年変化。 赤と緑の実線はそれぞれの長期的傾向を示す。

図14(上)は中都市内に設置されている気象官署のデータによる、平均気温の 経年変化である。この100年間に約1℃の上昇が見られる。

一方、図14(下)に示すデータでは、田舎観測所における 平均気温はこの100年間にわずか0.2℃程度の上昇である。 この値は従来いわれている地球温暖化量(世界平均値と日本平均値、ともに 同程度:0.6〜0.8℃)に比べてかなり小さい。

気象官署のデータで気温上昇が大きいのは、これら気象官署が中都市に置かれ ており、都市化によるものと考えられる。そこで、気象官署と田舎観測所の 気温差をもとめ、その経年変化を図15に示した。 ただし、この図では1900〜1915年期間における差がゼロになるように ずらしてある。

気温差の経年変化
図4.15 気象官署と田舎観測所における年平均気温の差の経年変化。 ただし、1915年の値を基準のゼロとしてある。

日本の都市では終戦後復興と近代化が進み、高度経済成長期とあいまって 1950年ころから時代とともに都市化が急速に進んだ。その結果、 気象官署が設置されている中都市では2000年には 田舎観測所に比べて0.9℃の気温上昇となった

まとめ

地球温暖化は地球全体の地上付近の平均気温が長期間にわたって上昇する ことであり、地域的には平均より大きいところも小さいところも存在し、 また長期変化のトレンドも地域的に異なるものと考えられる。 今回は日本の地域的な特性を調べたものである。

約100年間の長期気温データについて、日本の中都市に設置されている 測候所・気象台と田舎観測所(区内観測所、アメダス)を比較したところ、 中都市の気温は、とくに戦後の1950年以降に急激に上がり、2000年には平均値 で約0.9℃も上昇している。 一方、田舎観測所では気温上昇量は顕著ではなく、この100年間にわずか 0.2℃程度である。

つまり、従来いわれている、日本における気温の上昇量(世界平均でも 同程度)のうちの大部分は都市化による上昇量であることがわかった。

今後、日本について調査する地点数を増やすと同時に、世界の各地の 気温データについても、その継続性や周辺環境の変化なども吟味し直す ことが緊急の課題となる。これらの作業は地道であるが、自然の変化を 正しく知るための努力を怠ってはならない。

地球温暖化による昇温量が、もしも、従来いわれている昇温量(100年間に 0.6〜0.8℃:日本平均も、世界平均も同程度)より小さいとすると、 今後の地球温暖化についての研究は、ある面で厳しくなることになる。

というのは、次の通りである。二酸化炭素など温室効果気体の 濃度が地球上で急激に増加していることは疑う余地のない事実である。 そうすると、大気中の放射過程も変化しているはずだ。

その結果として地上気温に大きな変化が現われていないとすると、大気現象 の何に現われるのか? 気温なら分かりやすい気象要素だが、 それ以外となると複雑で、地球温暖化の研究は一層難しくなる。

雨の降り方、雲量の増減・分布、・・・・などは変動が激しく、 長期間にわたる統計資料に乏しい。さらに、これらも測候所・気象台では、 都市化の影響を受けている可能性がある。 したがって、長期変化しているのかどうかの検出が難しいのだが、 これら諸要素を総合的に調べなければならなくなってくる。

また、数値計算による気候変化の研究では、見落としている重大な物理・化学 過程は何なのかを明らかにしなければならない。それは計算プログラムに 含まれているパラメータをちょっと変化させてみるということではない。 複雑な大気・海洋・陸面過程の基礎をじっくり研究する必要がある。

今後の地球表面の大気環境のうち、特に気温等については、アメダス (気象庁)以外の農業試験場などの広い観測露場で観測されたデータの 価値が高まってくる。それらデータの管理・整備・公表が重要となる。

コメントと感想
内容をお読みになった方から寄せられたコメントと 感想の要約は次の通りです。回答すべきコメントには、回答を付け ました。
なお、その他の質疑・応答 Q&A は「8. 温暖化問題 Q&A」に掲載してあります。

(コメント1): 大変面白い研究成果で、感動いたしました。今後、国や県の農業研究 機関のデータは有効に活用すべきだと強く感じました。温暖化やその影響 評価の研究において、データや気候モデルの計算結果を吟味もしないで使用 している例が多いと感じています。

(コメント2): 多くの農業気象関係者にとって精度の 良い観測データの継続の重要性が改めて認識できる内容です。また、今後の 気象観測のあり方について皆が集まる会で徹底的に議論してもよいと思い ました。

(コメント3): 温暖化問題に関するこの論文のご主張の要点はまったく同感です。 「GCMによる21世紀末の気温上昇予測」の話では、地球科学にとって 一番大切な「実証」の精神に欠けていると思います。 気温の長期変動を見るとき、個々の観測地点がどれだけの代表性を持って いるかについて、以前から京都大学の山元龍三郎先生の議論がありました。

(コメント4): 世間では、地球温暖化を”実感する”人が増えている昨今ですが、 気候の変化を肌で感じるようなことは不可能なことだと思っています。 今回調べられた中都市の気温データは、地域的な変動の特性を示していますが、 地域的なトレンドもあり、それを地球全体の気候変化と関連させるのは話が 遠いように思います。いかがなことでしょうか。

(回答)
地域的なトレンドは10〜50年程度の短い時間スケールでは顕著と考え られるので、地域データ(日本、中国、アメリカなど)だけから地球全体 を見ることは難しい場合があります。しかし、50〜100年間程度以上の 時間ではトレンドの強弱はあっても、長期の気候変化は共通してくるのでは ないかと私は考えています。
それは、例えば気象庁ホームページで公開されている世界と日本(17地点) についての平均気温の約100年間の経年変化を比べればわかります。 すなわち、両者は50年程度以上の時間スケールではほとんど同じような 気温上昇の傾向となっています。日本の平均気温は、戦前に比べて1950年 ころから約0.2℃ほど高温になってきました。これは、戦後になって、日本の 都市化の変化速度が諸外国(平均)よりも大きいことによると思います。

詳しいことは、クリックして 「日本と世界の気温経年変化の比較」を参照し、プラウザの「戻る」を 押してもどってください。
日本と世界の気温経年変化の比較


(コメント5): コメント4に対する回答の図において、日本の 気温上昇の長期トレンドと、世界の気温上昇の長期トレンドを比べたとき 一致性が高いことは驚きです。

(コメント6): ショッキングな内容に驚きました。ヒートアイ ランドの程度は都市化(人口)の関数であり、小都市であれば、あったにせよ、 大丈夫と思っていましたが、想像以上に小都市でも影響がありそうですね。
温暖化についてはこれまで懐疑的でしたが、最近は認めざるを得ないかとも 思っています。間接的な証拠として、例えば、この1000年程度の気温変化が プロキシデータから再現され、この100年間は急激な気温上昇を示している こと、また温暖化(温室効果)から予想されるように、成層圏は冷える トレンドにあること、海洋の貯熱量がここ50年、変動を伴ないながらも増加 していることなどがその理由です。

文献

近藤純正・山崎幸雄、1985:金華山島の鹿を半減させた1984年1〜4月の 異常低温と融雪遅延の熱収支解析.天気、32.79−86.

近藤純正,1987:身近な気象の科学.東京大学出版会, pp.189.

近藤純正(編著),1994:水環境の気象学−地表面の水 収支・熱収支−.朝倉書店,pp.348.

近藤純正、2000:地表面に近い大気の科学ー理解と応用ー. 東京大学出版会、pp.324.

富田八右衛門(編纂), 1983:近江伊香郡誌、上巻:640ページ、 中巻:485ページ、下巻:656ページ.

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