34.長野と飯山の気象観測所

近藤 純正

世界の地上気温が年々上昇するという、いわゆる地球温暖化の問題が広く 知られるようになった。その証拠を示す気温は都市化の影響の 少ないとみなされる気象台・測候所で観測された値が用いられて いる。しかし、気象台・測候所の多くは都市に設置されており、そこで観測 される気温データには、人工熱の影響やコンクリート建築物・ 舗装道路の増加と、植生地の減少によって起きる都市特有の気温上昇が 少なからず含まれている。

今回、2004年11月8日、日本では代表的な気象台である長野地方気象台を訪ね、 その周辺環境を観察した。同時に、都市化の影響がほとんどないと思われる 飯山のアメダス観測所も訪ねた。暖気のせいなのか、遠くはかすんでいた。

長野県のアメダス地点名一覧を見ていて、一字違いのため、飯山は長野県 南部にある飯田と間違えたことがあった。

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長野盆地の鳥瞰図
これから訪れる長野と飯山アメダスの位置関係を鳥瞰図によって眺めて おこう。この鳥瞰図は黒姫山(標高2053m)の上空10kmから東を眺めた ものである。

薄緑色で表示した細長い低地は長野盆地であり、その右方には長野市街地が ある。千曲川(ちくまがわ)を図の左方向へ下ると飯山市(人口約2.6万人、 旧飯山町範囲の人口は8千余)があり、その市街地から下流に飯山アメダス がある。

長野市街地から飯山アメダスまでの直線距離は約30km、その間の傾斜は 1000分の1で緩慢である。すなわち千曲川に沿って標高を測ってみると、 長野市街付近で335m、飯山アメダス付近で305m、標高差は僅か30mである。 千曲川は下流に行くと、信濃川となり日本海に注ぐ。

長野盆地の鳥瞰図
この鳥瞰図は国土地理院発行の数値地図、および DAN杉本氏作成の「カシミール」を使用して作成した。

長野地方気象台
JR長野駅からゆるい坂道を登ると善光寺に至る。そこから東の方に小高い城山 があり、付近一帯は城山公園とよばれている。城山公園のもっとも高い場所に 彦神別神社がある。その北側に元のNHKが、その北隣に長野地方気象台があった。

気象台長・下山紀夫さんの案内で測風塔に登って周辺を見渡すと、 東~南東方向に市街域が広がって見えた。西側の少し低い位置、樹木の陰に 善光寺本堂の屋根が見えた。

気象台(昔の測候所)はこの城山の現在地より南の場所に創立し、 のちに移転があったが、同じ城山内での移転なので、周辺環境はほとんど 変わっていないとみなされる、と教えていただいた。


長野地方気象台正面

気象台観測露場

気象台測風塔から東の市街地を望む

気象台測風塔から西(善光寺)の眺め

公園の美術館の西から見上げた気象台

北方の山腹からの城山の遠望


飯山アメダスと昔の観測所跡
長野地方気象台の嶋川寿善男さんには飯山の古い気象資料を探し出して いただいた。また、教えていただいた道筋に沿って行くと飯山アメダスを 迷うことなく見つけることができた。長野県農事試験場飯山 試験地の広い圃場の中に気象観測機器が設置されていた。

アメダスから離れた位置に千曲川の堤防がある。この堤防は道路となって おり、その外側には河川敷がある。河川敷は広くて千曲川の水流が見えない ほどである。

次に、昔の観測地を知るために飯山市役所に立ち寄った。企画財務課の 深石真由美さんから冊子「飯山の気象」を見せていただいたところ、 観測場所は次のように移転している。

飯山気象観測所:
(1)1891年~1925年(明治24年~大正14年)、下水内郡役所(現 下水内地方事務所)
(2)1926年~1942年(大正15年~昭和17年)、下水内農会事務所(現 農協中央会下水内支部)
(3)1943年~現在、飯山市大字飯山4,795 長野県飯山試験地

深石さんが市役所の玄関先まで出てこられて、(1)と(2)の場所は 市役所の玄関に向かって左(北)側のすぐ隣であると教えてくれた。

長野地方気象台の記録によれば、標高は(1)と(2)地点で315m、 現在の(3)で313mである。したがって、下流にある現在のアメダスは 以前の場所に比べて2mだけ低い位置にある。


飯山アメダス、西側から

飯山アメダス、東側から

アメダス、南からの遠望(右手に千曲川の堤防)

アメダス東側、千曲川の堤防道路と河川敷

昔の飯山観測所跡、手前右は市役所玄関

飯山愛宕町の雁木通り、豪雪への構え

正受庵(禅室)、1847年の善光寺地震後の再建

雪と寺の町、JR飯山駅ホームの鐘

飯山の商店街には、たくさんの仏壇店が並んでいた。 この付近は積雪が多い土地柄と漆塗りに適した気候のゆえ、昔から地場産業と して奨励されてきたらしい。金具と金箔の映える独特の飯山仏壇は伝統的 工芸品に指定されている(飯山市市制施行50周年記念誌、2004年7月31日発行、 による)。

市街地のほぼ中央の小高いところに飯山城跡がある。この城は上杉謙信が 川中島合戦の拠点として築城したもので、12年間の合戦にも武田信玄は 攻め落とせなかったという。この城址に登ると、桜並木を通して眼下に 千曲川の流れが見えた。

小さな街ながら寺が多い。市役所でもらった観光案内所によると、 市街地周辺には19の寺が並んでいる。

飯山から長野に向かうJR飯山線の列車の中で飯山の男性と隣り合わせ になった。彼によれば、この付近では「一里で雪一尺」といわれており、 千曲川の下流(北のほう)へ4km進むごとに積雪が30cmずつ深くなる という。新潟県との県境近くでは最大7~8mも雪が積もったことがある らしい。

長野の1~2月には積雪の深さ20cm以上の日数は4~5日間である。 年間の最大積雪の深さは、長野では70~120cm、飯山では140~260cmである。 飯山の北東にある野沢温泉では、最大積雪の深さは140~260cmである。

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