平成19年指定文化財

更新日 2013-03-03 | 作成日 2007-10-08

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千利休書状 1幅
附 黒板勝美鑑定書 1通

有形文化財・古文書
福岡市中央区 個人蔵
 

概要

【法量/cm】
       竪15.6  横49.8
【形態】
       紙本。掛幅装。
【釈文】
       今度古溪和尚様
       御帰洛之段、民法、薬院、我等、両三人令披露候。
       御前御喜色不斜候。
       則、新寺被仰付、院主ニ
       成し被為参、別而可有
       御馳走 御諚候。於
       様子者、弥御仕合可然候条、
       可御心易候。尚追而可申
       入候。恐々謹言。
                       利休
           九月五日          宗易(花押)
         宗室老
         宗湛老
              床下
【黒板勝美鑑定書】
         一 九月五日千宗易状
             宗室宗湛両老宛
         右拜見候處
         宗易正筆無疑
         様被存候 仍一
         筆如此ニ御座候
          大正二年八月廿四日
            黒板勝美(花押)
          磯野七平殿        

 
 

指定理由

 大徳寺117世の古溪宗陳(1532~1597)の帰洛に関する利休書状です。古溪は利休の参禅の師。宛名の宗室は島井宗室、宗湛は神屋宗湛、いづれも当期の博多を代表した町衆であり、茶の湯の利休門下でもあります。
 天正16年(1588)、古溪は秀吉の勘気を受けて筑紫に配琉され、翌年赦されて帰洛するまで一年余を博多で過ごしました。本書状は利休等の奔走によって秀吉の勘気解け、帰洛がかなうことを報じたもので、天正17年(1589)帰洛直前のものです。謫居の庵室を大同庵と称しました。博多の旧町名、古溪町(現博多区奈良屋町)は古溪宗陳に因む町名です。
 本書状の礒野家への伝来の経緯は明らかでないが、早くは、大正初年礒野家を訪問された黒板勝美氏(1874-1946、『国史大系』校訂・編纂)により「福岡では、平岡良助氏の家には、古寫經や神屋宗湛の日記の一部、千利休の手紙など記憶に残つて居ます。又博多の磯野氏にも利休の手紙がありましたが、平岡氏のと共に雙璧といつてよい(「福岡地方旅行談」『考古学雑誌』第四巻第六号 大正3・1914)と紹介され、大正2年(1913)8月24日付の鑑定書も残されています。
 流謫中の大同庵を中心とした古溪の動静は『宗湛日記』その他に垣間見られますが、それらからは堺商人-大徳寺-博多商人-領国大名の円環する密接な関係が指摘されています(田中健夫『島井宗室』)。流謫中の古溪の帰洛について報じた本書状にも同様に堺・博多の商人-禅-茶(田中健夫『島井宗室』)の深い関係が窺われ、当時の政治・経済・文化の一側面を端的に示す貴重な資料です。