平成19年指定文化財

更新日 2013-03-03 | 作成日 2007-10-08

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伊達政宗筆「集謡」 1巻
附 小河直諒「添書」・黒板勝美鑑定書等関係書類 26点

有形文化財・書跡
福岡市中央区 個人蔵
 

概要

【法量/cm】
 (本紙)竪18.4
    横934.6
    罫幅約1.7cm。紙本。巻子装。
    松竹梅菊牡丹及飛鳥等の模様を金泥・銀泥で描いた斐紙(鳥の子紙)の料紙19紙を継ぐ。

【奥書】
  「 於朝鮮梁山書之      羽越前守
       文禄二五月二日        政宗(花押) 」

【表題】
原表表紙墨書「集謡」、天保12年小河直諒添書包紙墨書「伊達政宗卿謡曲軸物添書」、旧桐箱上墨書「仙臺黄門政宗卿自筆謡曲」、大正2年黒板勝美鑑定書「伊達政宗小謡集」、大正2年上田萬年借用願「伊達政宗梁山陣中手寫小謡集」、大正3年伊達邦宗書簡「政宗自筆謡曲集」

【内容】
 一曲の中心となる内容を説明する「曲」(クセ)や掛け合いの「論議」を抄記する。
 収録曲名は、西行桜・頼政・芭蕉・紅葉狩・錦木・善知鳥・花筐・誓願寺・花月・砧・常陸帯・当麻・祇王・鉢木・夕顔・融・半蔀夕顔・田村・矢立加茂・兼平・皇帝・是界・遊行柳・軒端の梅、以上24曲。
 奥書から朝鮮に出兵していた伊達政宗が文禄2年(1593)5月2日に、梁山の陣中に記した謡曲集であることが分かる。天保12年(1841)小河直諒「伊達政宗卿謡曲軸物添書」によれば、先祖小河傳右衛門信章-(信章孫)直章…直諒と伝来したものとする。黒田長政に従った小河傳右衛門の朝鮮龍泉城での功名は肥前名護屋の秀吉の耳にも届き豊前に1万石を与えられる所であったことは(帰国途中対馬にて病没)『黒田家譜』にも記される。「添書」に述べる朝鮮での小河の事蹟は『黒田家譜』に沿ったものであり同書には本巻のことは見えない。政宗から小河への賜与については「たしかなる書付も無けれは如何なる故に世々持傳へたるといふ事知りがたし」と直諒自らが率直に記している。
 故あって(武谷水城「福岡藩士小川家に傳へたる伊達政宗自筆の謡集」『筑紫史談』第十七集 大正7年・1918)明治維新後礒野家の有となり、現在に至っている。

【黒板勝美鑑定書】
  一 伊達政宗小謡
    集一巻
  右征韓陣中/於梁山伊達政宗/手書する處殊ニ/珍しく拝見致候/御地紙模様等まで/当時の面影を
  /とゝめ 結構なる/ものと奉存候 仍/一筆如此ニ御座候 
    大正二年八月廿四日
      黒板勝美(花押)
   磯野七平殿 

 

指定理由

 本資料は礒野家固有のものではありませんが、「附 小河直諒「添書」・黒板勝美鑑定書等関係書類 26点」によってその伝来の経緯は明らかで、小河家より礒野家にもたらされたものです。
 早くは、大正初年礒野家を訪問された黒板勝美氏(1874-1946、『国史大系』校訂・編纂)により「磯野氏には、先日史局の展覧倉に陳列致しました秀吉八才筆、伊達政宗筆、謡ひ本等があります」(「福岡地方旅行談」『考古学雑誌』第四巻第六号 大正3・1914)と紹介されています。
 それより先、天保12年(1841)小河直諒は本資料の伝来について考察し、「伊達政宗卿謡曲軸物添書」を著しています。
 黒田二十五騎小河傳右衛門信章の活躍は諸書の伝えるところですが、豊臣秀吉もその軍功を賞誉するため肥前名護屋に帰陣させましたが、帰参途中対馬で病没したと伝えられています。
 本資料の伝来は、政宗から直接小河傳右衛に与えられたものか、あるいは在陣中の黒田長政との往来によるものかいづれかが考えられますが、いづれにせよ朝鮮出兵時における伊達家と黒田家の関係を示す貴重な資料です。
 政宗二十七歳の筆になるものである。ちなみに長政二十六歳。諸芸に秀で能筆家であったその書体は華麗と賞揚されるが、天正18年(1590 政宗二十四歳)の書状に通う筆致とも感じられる。なお、本資料に書された政宗のいわゆる「鶺鴒印」の花押は当期の花押とも同類型のものであると考えられる。青と紫の打雲りに松竹梅菊牡丹及飛鳥等を金泥・銀泥で描いた料紙もまた華麗美麗であり一種の美術作品として、また近世初頭大名の文芸資料としても貴重である。