平成18年指定文化財

更新日 2013-03-03 | 作成日 2007-10-08

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尾上文書 58点

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有形文化財・考古資料
福岡市東区 宗教法人 香椎宮

概要

1)三角縁神獣鏡とは
三角縁神獣鏡は、鏡背中央の鈕のまわりに、半肉彫りの神像や獣形像を配した図案を用いた広義の神獣鏡の一種で、鏡縁の断面形が三角形状をなす点が最大の特徴である。鏡面の直径は17cmから26cmまでのものがあり、平均径が約22cmを測る大型鏡である。一般的に、三角縁神獣鏡は中国において後漢代末頃から三国・西晋代にかけて製作されたと考えられている(樋口1979) 。わが国においては、古墳時代前期の古墳からの出土例が多く、前期古墳の副葬品のうちの代表的遺物とされている。
 特に注目されるのは 、『三国志』魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)に記載される、邪馬台国女王卑弥呼が魏に遣使した景初三(239)年と同じ紀年銘を持つものがあり、弥生時代から古墳時代への画期、政治的な動態を明らかにする上で多くの課題を有する重要な考古資料と評価されて久しい(小林1976、樋口 2000、福永2005)。

2)発見の経緯と出土地点・遺構
 本資料は、昭和31(1956)年に東区大字唐原の丘陵において行われた宅地造成工事中に発見されたと伝えられ、昭和33(1958)年7月25日に香椎宮に奉納された。現在香椎宮では、本資料を社宝とし 「香椎宮宝物殿」に大切に保管・展示している。
 本資料の出土地点について、森貞次郎氏は、当時の工事関係者からの伝聞、現地踏査等によって、現在の東区香住ヶ丘三丁目地内に相当する地点を推定された。さらに、出土遺構は粘土槨を主体部とする直径約25m、高さ5mほどの円墳であったと想定されている(森1971)。

3)資料の観察所見
 本資料の鏡背文様は、大きく内区と外区に分けられる。内区は、鈕の周りに4つの円錐状の乳を配し、その間に二神(東王父、西王母)二獣(龍、虎)を配した主文区と、天・王・日・月の方格銘と小乳で区画し、その間に魚、獣、鳥を配置する獣文帯に細分できる。外区は外側から鋸歯文、波状文、鋸歯文を巡らしており、これらの文様構成と厚い肉彫りの文様表現の手法は、神獣鏡の特徴をよく備えている。また、各文様の稜線は明瞭で上質な鋳上がりである。
 本資料の面径は21.07cmを測り、三角縁神獣鏡としては平均的な大きさ(平均径22.4cm)である(福永2005・表2)。
 鈕は直径3.38cm、鏡面から高さ1.40cmを測り、半球状をなす。頂部はやや丸みが弱い。鈕孔は片方がやや不整形になっているものの、いま一方(「天」側)は幅0.60cm、高さ0.3cmの長方形で、鏡面から0.15cm上がった位置に開口している。紐座は蒲鉾形の断面で、幅0.44cm。表面には有節重弧文を表す。
 内区主文区は四乳の間に二神二獣を配している。捻座を伴う乳は径1.35〜1.40cm、高さ0.8〜0.85cmで、頂部はなだらかな丸みを持っており、基部に6〜8枚の花弁を鋳出している。
 神像は、数条のひだで身体をふくよかに表現し、前面に小壺または香炉を持つ。目の縁取り、口元 などいずれも写実的で、ふっくらとした顔の表現である。一方の神像は三山冠を被り、左右両側に笠松形を表わす。東王父と思われる。いま一方の神像は西王母と思われるが、頭部に三珠文様の被物を付け、左脇には笠松形文を介して立位の脇侍を伴っている。また、右肩上方には献花する飛天を描く。 両肩には光背様の文様が施されているが、類例は少なく、岡山県天神山1号墳出土の三角縁獣帯三神三騎獣鏡や、群馬県赤城塚古墳出土の三角縁画像文帯騎獣神獣鏡などがある。獣像はいずれも右向きで頭部は正面を向け、大きく目を見開き口を開け、威嚇的である。龍虎は明確にその姿態がかき分けられているが、龍は鱗が省略されており、胴部は違いが不明確となっている。
sokumen.jpg 内区外周には獣文帯と櫛歯文帯を有する。獣文帯は幅1.06cmで、内区の四乳に対応する位置に方格を置き、そのなかに「天」、 「王」、 「日」、 「月」の銘を一字ずつ反時計回りに記す。方格は立体的である。方格と方格の中間にさらに円圏座を持つ小乳を配し、文様帯を8区分し、その区画内を魚、飛禽獣で埋める。獣文帯の外側には幅1.1cmの櫛歯文帯を置く。櫛歯文の条線は円周に対してやや斜行しており、櫛歯の間隔も乱れがちである。
 外区は内区外周の文様帯からO.15〜0.22cm一段高くなっている。外区内側斜面には文様を施さない。 外区には、内側から外向鋸歯文、複波文、外向鋸歯文を描き、さらにその外側に一本の明瞭な外周突線を巡らしている。縁は頂点の厚さが1.04cmを測る断面三角形の三角縁である。

4)形式と年代
 三角縁神獣鏡は、これまでに全国で520面余、九州においては70余面が出土している。本資料は、三角縁獣文帯二神二獣鏡に分類される(樋口2000)。同笵又は同型の資料として、奈良県櫻井市金崎(古墳?)出土鏡(東京国立博物館所蔵)がある。
 樋口隆康氏は、舶載とされる三角縁神獣鏡をその形態的特徴から大きく4群にわけ、本資料は形式的に新しいII群とし、製作時期を3世紀後半頃と考えている(樋口2000) 。
 福永伸哉氏は、鈕孔の形状からみた製作技術の系譜と時期、外周突線の有無の傾向を抽出し、それまでの乳による文様構成の特徴、乳の捩文座の有無、笠松形文等の分析を通した編年研究を統括して、舶載鏡とされる鏡群がA〜Dの4群に分けられるとし、本資料が含まれるC群の製作年代を260年代以降としている(福永2005) 。
 一方、同じく三角縁神獣鏡を出土し、出土状況や共伴関係が明らかな那珂八幡古墳や、藤崎遺跡などの事例から類推すると、主体部については粘土槨を伴う木棺がほぼ妥当であり、古墳時代前期のうちでもやや新しい時期と考えられることから、本資料は概ね古墳時代初期頃を上限として製作され、前期半ばにかけて副葬されたものと考えられる。

5)保存状況
 鈕から外縁にかけて主たるひびが横断しており、それから派生した細いひびが鈕を中心に広がっている。何らかの加圧で破断する可能性がある。また、鏡面ならびに縁表面に新たな緑白色の錆が生じ、内部への浸食が進んでいる。早急に現状調査を行い、状態の安定化、腐食防止の処理方法を検討する必要があると考えられる。

指定理由

 本市においては、これまで西区若八幡宮古墳や早良区藤崎遺跡第3次第6号方形周溝墓、同遺跡第 32次1号方形周溝墓、博多区那珂八幡古墳、南区老司古墳・卯内尺古墳、東区天神森古墳・名島古墳から三角縁神獣鏡が出土しており、本資料も含めると9面の出土例を数える。
 本資料は、これらと相まって、古墳時代前期における博多湾岸域の地域社会のあり方、近畿地方との政治的関係などを知る上で学術上貴重な考古資料であり、将来にわたって永く保存を図ることを目的として本市の有形文化財に指定する。