平成18年指定文化財

更新日 2013-03-03 | 作成日 2007-10-08

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尾上文書 58点

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有形文化財・古文書
福岡市博多区 個人蔵

概要

 福岡藩の砲術「陽流抱え大筒」を伝える尾上家伝来の古文書58点である。
 尾上家は初代尾上右京之亮可親(自庵)は和泉国岸和田の岸則虎の嫡子で代々播磨国加古郡尾上を領していた関係から尾上を称した(『尾上家譜』)。黒田職隆・孝高の姫路在城時より仕え、上方・九州諸所の軍役に従事し多くの軍功をあげ、弟武則は黒田の称号を賜った(『尾上家譜』)。黒田如水・長政に従い筑前入国後には1,700石を領した福岡藩の「大御譜代」(『慶長年中士中寺社知行書附』)の家柄である。尾上城由江氏は16代にあたる。
 『御判物』は杉箱に、書冊類は茶封筒に入れ、それぞれ整理番号を付け散逸しないよう保管されている。うち50点については『福岡市歴史資料所在確認調査報告書』(1982年)所収の目録番号と一致している。

内容

 『尾上家譜』によると、先祖伝来の品・判物(天正年中、右京亮可視への知行宛行状)は、四代可成が黒田綱之の守役として在府中、明暦三年の大火で焼失したことを記しているが、現在『御判物』1巻(17.5×199.5㎝)が残され、黒田如水書状(2通)、黒田長政書状・知行宛行状・知行目録(9通)、黒田忠之知行宛行状・知行目録(3通)など15点を収めている。寛政7年(1795)に9代可恭により修補・成巻されたものである。
 『黒田家御書御感状覚書』(1冊・墨付85丁)は、宝暦7年(1757)可春(林家から尾上家の養嗣子となり9代可恭と号した)が書写したものだが、この翌年正月江戸中屋敷に勤めている。現在福岡市博物館に所蔵される『御感書』12巻のうち第1巻〜第8巻が驚くべき正確さで写されている。宝暦4年(1754)尾上家の家督を嗣いだ以後、江戸在勤の準備として22歳の若き可春(可恭)書写したものであろうか。
 『長政公御代慶長初年分限帳』(1冊・墨付39丁)は、寛政4年(1792)同じく9代可恭が書写したものだが所々に朱字の書き入れがあり有益である。
 『見聞私記追加 草稿』(1冊・墨付96丁)は文化13年(1816)、85歳になった9代可恭が実家林家の外戚曾祖父重勝の編集した『見聞私記』にその後の見聞を追加したものである。福岡・博多の市井の記事や、文化元年(1804) ロシアの使節レザノフに伴われ帰国した仙台石巻の若宮丸漂流民の聞書き記録である『環海異聞』の抄録するなど興味深い書物となっている。
 『砲術火前乎数目録』(1巻・17.5×199.5㎝)は13代尾上鉄平(旧姓越知)が慶応2年(1866)安部冶良左衛門から受けた抱え大筒の伝書である。
 その他『〔攻城守城異船軍之目録〕』(1巻・17.5×364.0㎝)『〔真中道流、陽流砲術、吉田流射術控〕』(1巻・15.0×492.5㎝)など砲術をはじめ兵法、武術に関する免状が伝えられている。

指定理由

 本文書は黒田職隆・孝高(如水)の姫路在城時より黒田氏に仕え、上方・九州諸所の軍役に従事し、
黒田氏とも姻戚関係があり(尾上家初代の弟は職隆女を室とし黒田姓を名乗った)、上方・九州・中国・朝鮮において多くの軍功をあげた「大御譜代」尾上家に伝わった古文書である。
 文禄2年(1593)の晋州城における軍功を賞した長政書状、2代尾上(尾江)藤太夫へ宛て贈物の御礼と藤太夫の病を見舞った如水の書状など黒田家との深い関係を伺わせる。
 尾上家代々の事蹟が知られる『尾上家譜』『御先祖様方年忌之覚』をはじめ『長政公御代慶長初年分限帳』『黒田家御書御感状覚書』の写本も資料的に高い価値を持つ。
 また、『砲術火前乎数目録』『〔真中道流、陽流砲術、吉田流射術控〕』『〔劔術免許状〕』『〔弓術免許状〕』など砲術をはじめ兵法、武術に関する伝書は福岡藩の武芸資料として貴重である。
 本文書は、福岡県無形文化財「陽流抱え大筒」(1962年指定)の附指定「関係用具並びに文書一括」としてその一部を成していたが、技術保持者尾上城祐氏(大正11.9.30〜平成16.12.11)の物故にともない指定解除になったものである。
 福岡藩の砲術「陽流抱え大筒」に関する資料のみにとどまらず、藩主御判物等々貴重な家文書が伝えられており、本市の文化財として指定し、散逸を防ぐとともに保存継承が図られる必要がある。