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アメリカ経済史の学び方
アメリカ経済史の学び方

 アメリカ経済史の位置長いこと、日本の経済史学界にあっては、アメリカ経済史は中心でなく、「辺境」だった。その日本の外国経済史研究で中心を占めたのは、世界で最も早く産業革命をなしとげた国、イギリスである。今日でもこの見取図は完全に変ったわけではないが、イギリス経済史研究には以前のような活気はない。といって、中心がアメリカに移動したわけではない。日本の学者、インテリの間には今もって「ヨーロッパ中心史観」的な傾向があり、たとえば資本主義発達史研究で、アメリカはなかなか「典型」と認めてもらえない。
 こうした中で、研究者たちの学問的方法の枠組み(フレーム・オブ・リファレンス)に変更をせまるような、現象が続けて起きた。1つは、社会学者ウォーラースティンらの「世界システム」的な考え方の浸透である。世界経済発展の国際的連関を重視する見方からすると、イギリスが国民経済的枠組みだけで、産業革命を行ったという解釈は成り立たなくなっていった。これまで以上に、新世界の(奴隷)労働力、貴金属、資源などの先進国経済にもつ意味合いが強まってこざるを得なかった。日本でも、この枠組みにのっとった研究が多く現われている。
 いま1つは、第二次大戦後の、アメリカのヘゲモン(覇権国)としての勃興と冷戦体制のごく最近までの継続である。かつてのヘゲモン、イギリスは何よりも貿易国家だったが、アメリカは何よりも軍事国家であり、新しい技術は政府や軍需部門から生れ、軍産複合体といわれるような関係の中で自己完結した。「冷戦下」でさえ、朝鮮戦争やヴェトナム戦争があり、結局はそれらがアメリカ産業の競争力をさえ、損うことになった。ともあれ、アメリカ的生活様式のイメージとともに、この間にコカコーラや、マクドナルドに代表されるアメリカの大衆文化が遠く大陸中国の中まで浸透した。
 第3が、1970年代から明確化した、かつての重厚長大産業に代わる知識、情報集約型の産業群の基軸的役割であり、それと関連する日本や東アジア諸国の経済的台頭である。このシステムの下で、アメリカがうまく役割転換して指導的地位に踏みとどまれるかどうかは、なお不明である。だが、かつての穏健な輸入大国が(攻撃的)重商主義的な輸出貿易国家に生まれ変わってでも蘇生しようとしている姿には、この国がかかえる深刻な内政問題が投影している。


アメリカ経済史の見取図

 1980年代、レーガン政権が供給の経済学をひっさげて、減税と軍拡、そして「小さな」(?)政府をめざしたが、減税によってかえってふえるとされた税収は落ち込み、格段に富裕化した金持ちたちの「消費」は中産階級をも巻き込むブームの様相を呈した。昨今の不況からの回復プロセスでも、アメリカ人の消費意欲はめざましい。こうした問題を考えるにさいして、経済学の等式やグラフだけを思い描くのでは片手落ちである。同じ100万円の自動車を購入する場合を想定しよう。日本人は(むろん多くの場合)、お金をかなりためてから、頭金を払い、残金をローンに組むか、あるいは全額をためて現金で支払う。アメリカ人はまず手持ちの中古車を個人的に売り払い、せいぜいそれを頭金にして、あとは全面的にローンに頼るであろう。日常の買い物でも、食料品などを除けば圧倒的にクレジット・カードで支払う。つまり借金で買う。
 日本人は、クレジット・カードも普及してきたが、なお、割引が多少あれば、むしろ先に金券(電話やスーパー、電車などのキャッシュ・カード)を購入して、ないしは銀行の口座から現金を引き出して買う。最近伸張めざましいディスカウンターの店長は、何十万円という現金を懐にして一気に仕入れを行うという。卑近な例では秋葉原の現金決済主義を思い起してもいい。こうした行動様式の差異は、アメリカにおける歴史的な消費者優位の伝統、そしてドルという世界通貨に対する飽くことのない信頼、その他さまざまな要因が考えられるだろうが、経済政策担当者の目算を狂わせる一因となり、両国の貯蓄率の著しい差異にみちびき、貿易摩擦の遠因ともなる。
 個々人の経済行動も、著しい同時多発性を伴う場合には、顕著なインパクトを経済のプロセスに与える。安価で良質の商品が売れるのは、その初歩的な例である。しかしながら、もしも価格が政府によって決められる(公共料金)か、支持されている(米などの農産物)場合には、これらの行動も限界にぶつかる。政府の経済政策に対応して動くのは、何も消費者ばかりではない。高い関税率によって政府がある産業を保護しようとするとき、海外での競争力のある企業家は、アメリカ国内での高いコストを嫌って海外へ立地するであろう。 1970年代初頭のオイル・ショック以来、アメリカの労働者の賃金は停滞したままである。企業の海外への流出のほかに、労働力市場でもメキシコやアジアなどからの、楷梯でいえば下からの労働力の大量供給がたえることがない事情もある。そこで、大方の想像に反して、アメリカの家計の多くは働き手をふやしてトータルな収入を維持しようとしている。他方で、労働者は残業をいとわず、仲間との競争から解雇されることを恐れて、場合によっては賃金の切り下げをも飲まざるを得ない。ヨーロッパとは違って、アメリカの労働時間はふえている。
 だが、悲観的な話ばかりではない。以上のようなことも、アメリカ経済の透明性(transparency)ゆえの現象である。この透明性は、日本などと違って必需品物価の著しい低さにつながっている。企業間の顧客を求める激しい競争、地域間の産業誘致の競争、ホワイトカラーの厳しい引き抜き合戦、等々はこれまでもそうだったが、これからもアメリカ経済の成長率を押し上げる要因となるにちがいない。また、各地のベンチャー・キャピタルは、創意と卓越したテクノロジーをもつが資金のない、将来性豊かな資本家たちを支え続けるであろう。
 アメリカ経済史の研究には色々な方法があろう。政治との関連から興味をもつのも悪いやり方ではない。大統領選挙や下院議員選挙で最大の票田であるカリフォルニア州は、現在もなお人口を流入させつつある成長地域である。サンベルトの中心、テキサス州も航空宇宙、医療、バイオ、エレクトロニクスなどの産業の集積地である。ニュー・イングランドや中西部などのかつての製造業ベルトは、成長率こそやや低いものの、文化・社会資本の充実度では、日本の多くの都市がそれに及ばない。多人種社会は、あつれきを生むと同時にそのエスニシティ間の緊張から活力をも生み出している点にも注意しよう。
 文献は、とりあえず、秋元英一『アメリカ経済の歴史、1492-1993年』(東京大学出版会、1995年)、鈴木圭介編『アメリカ経済史T、U』(東京大学出版会、1972年、1988年)などがある。一歩進んで本格的に勉強しようという学生諸君は、英語の文献に挑戦しよう。近年ノーベル賞を受賞したノースのものなどは、扱っている時代が19世紀であっても、実に爽やかな知的刺戟を与え続けてくれるはずである。Douglass C. North, The Economic Growth of the United States, 1790-1860 (Norton, 1966, $8.95). 


-----千葉大学法経学部経済学科『経済学へのアプローチ』より。



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