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共同研究


  アメリカ学会 第38回年次大会  日本女子大学 
シンポジウム 「戦争とアメリカ社会」
 

  報告者 杉森長子 (日本女子大学) 「平和運動の立場から」
  五十嵐武士 (東京大学) 「パックス・アメリカーナの現状」
  村山淳彦 (都立大学) 「[よい戦争]とアメリカ作家達──スペイン戦争から第二次世界大戦へ」
  和田光弘 (名古屋大学) 「古戦場の記憶──独立戦争再訪」
  司会・コメント 秋元英一 (千葉大学) 写真 パネラーの方々と

 21世紀になってわずか4年しか経っていないのに、アメリカはアフガニスタン、イラクと2つの戦争を行った。イラク戦争はなお、決着がついたとは言いがたい状況にある。もしも、「テロに対する闘い」がこの先連綿と続くのなら、「戦争と革命の20世紀」が終わっていよいよ平和な時代がやってくるか、という世界の人々の願いもむなしい。歴史的にもアメリカは戦争を内在化させた国家システムだとも考えられる。そこで表題のようなシンポジウムが企画された。
 最初に発題した杉森長子会員は、アメリカの最近のイラク戦争に対する反戦運動を取り上げ、その広がりとこれまでと異なった形態に注目した。アメリカ研究者になじみの深いアメリカ歴史協会(AHA)の中で、反戦団体「戦争に反対する歴史家グループ」(HAW)が2003年1月のAHA年次大会で結成された。4月にはティーチインを全国46の大学で開いた。2003年4月には、アメリカ歴史家協会(OAH)の事務局にも働きかけた。中心メンバーの多くはヴェトナム戦争にも反対した人々である。ベトナム戦争の時に公式の反対声明を出さなかったがイラク戦争には公式反対声明を出したことも注目される。この運動には、歴史家の気概が感じられた。今後の広がりに注目したいと述べた。
 次に、五十嵐武士会員がアメリカのヘゲモニーの現況とかかわらせて、イラク戦争に至った事情とそれのもつ政治的な意味について述べた。冷戦が終わったことによって、国連がPKOなどによって局地紛争に介入できるようになったし、その回数も飛躍的に増加した。イラク戦争も国連による介入をめざした結果でもある。アフガニスタンに対する武力行使はほぼ国連の平和維持機能の発揮に近い形で遂行され、国際世論もそれほどは反対せず、しかも、きわめて短期間にタリバン政権が崩壊したので、この経験が、ブッシュ政権をイラク戦争に向かわせたとも言える。ブッシュ政権は「悪の枢軸」演説にもとづき、「先制攻撃論」を合理化した。国際法を無視する好意である。しかしながら、イラク戦争は、議会の圧倒的多数によって支持されており、アメリカ世論が支持したと言える。大量破壊兵器をもつ可能性のある国に対して過剰反応した、とも言えるが、今日の状況は、国連による集団安全保障が危うくなっており、アメリカの覇権による武力行使が起きやすい状況だとも言える。また、若い世代の人口が多い中東地域では、職を確保することが困難な状況が背景にある、と解説した。
 村山淳彦会員は、文学者の立場から、以下のように発題した。20世紀アメリカ作家による、現実の戦争体験に基づいて書かれた文学作品として、スペイン戦争から第二次世界大戦までの戦争を描いた、アルヴァ・ベッシーのMen in Battle、ヘミングウェイのFor Whom the Bell Tolls、ノーマン・メイラーのThe Naked and the Dead、スタッズ・ターケルのThe Good Warを取り上げ、これらの作品のなかで、戦争の大義に対する気づかいが中心的なテーマになっており、また、反ファシズムという大義が、人民戦線文化の趨勢につれて明確でなくなってくると論じた。表現方法上の特徴としては、ジョン・リードを意識的に継承したプロレタリア文学運動で特権的なジャンルであるルポルタージュ、ドキュメンタリーの手法や、モダニズムによって広まった視点の複数化、そしてターケルに見られるように、ニューディールの連邦作家プロジェクトで重用されたフォークロアに由来するオーラル・ヒストリーの技法が取り込まれていることも指摘した。
 最後に、和田光弘会員は、まずアメリカ独立革命の戦争としての諸側面について、その史蹟、とりわけ南部の古戦場にある多くの記念碑の分析を通じて、「集団記憶」がつくりあげることになる歴史的・社会的構築物として独立革命が捉えられるのではないかと示唆した。後世のアメリカ社会にとって独立戦争と革命とは、立場に応じてさまざまに利用可能な国民統合のための「装置」である。それは建国の原点であるから、その象徴的意義は時代ごとの主流社会にとって好都合だった。正統性と保守性は表裏一体の関係にあり、その機能には限界があるが、国民的な英雄を創造し、傍流に位置するマイノリティに対しても国民国家内の存在理由を与えただけでなく、やがては南北戦争によって引き裂かれた地域間の融和、さらには旧敵国との和解を象徴する役割をも担った。こうした機能を持つにいたる独立戦争の史実が、再構成された記憶として記念碑に結実することの意義が指摘された。
 コメントの中で秋元は、戦争と経済の関係について、戦争は経済の拡大期に確率的に起きやすいとする分析を紹介した猪口邦子を例にとりながら、たしかにアメリカ史においても、南北戦争前の南部の好景気、第一次大戦前の景気拡大期、そして第二次世界大戦では、ドイツや日本のように、大恐慌からの景気回復が早かった国が火付け役になったことなどを述べ、また、戦争が終わった後に、年金などの形で国家が個人に補償する金額が増大することに注意を喚起した。
 討論の中では、藤本博会員が杉森報告のHAWの中味をただし、新川健三郎会員がイラク戦争についてのアメリカの誤算を問い、パレスチナ問題との深層における関連を問うた。五十嵐は、イラクをたたけばパレスチナ交渉がやりやすくなるという予測はあったと答えた。岡村黎明会員は、イラク戦争におけるメディアの役割を問題にした。五十嵐は、大量破壊兵器の存在についてメディアが果たすべきだった役割はいまから思えば、大きかったと答えた。成田興史会員はキューバのグァンタナモ収容所についての、日本のアメリカ研究が果たすべき役割があるのではないかと示唆した。五十嵐はアメリカ人のダブル・スタンダード、著しいコンフォーミティなどに注意すべきだと答えた。児玉実英会員は、和田報告に対して、北部の記念碑について質問した。古矢旬会員が村山報告に対して、イラクのような砂漠での戦争は、新しい状況であり、どのような新しい文学を生み出せるのかを問題提起した。佐々木隆会員は、村山報告に対して、マーク・トゥエインの作品についての意見を問うた。村山は戦うべきときに戦うというアメリカ人の態度は、その時代ではコメディとしてしか出せなかったが、ヘミングウェイにいたってはじめて大儀についてシリアスな戦争文学に結晶したと答えた。中逵啓示会員が、五十嵐報告に対して、なぜネオコンのように、単独行動主義になってしまったのか、とただした。五十嵐は、アメリカにはヨーロッパのような左翼が形成されず、したがって原理の異なる人々がそれを認め合ったうえで議論するというスタンスがない、似たような立場の人々どうしの争いになってしまうという点を気をつけてみなくてはならない、と答えた。最後に司会者がKevin Phillips, Cousins' Wars を引き合いに出しながら、歴史のそれぞれの時点での戦争にかんする選択がどのように後の時代の針路を決めてしまったかについて注意を促した。 (秋元英一) 『アメリカ研究』第39号 2005年より。


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