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共同研究

  1998年6月6日
アメリカ学会第32回年次大会 千葉大学
シンポジウム 「『アメリカの世紀』は復活するか?」

  司会 秋元英一(千葉大)
  佐々木潤(国際貿易投資研究所)「NAFTAの進行と挫折」
  薬師寺泰蔵(慶応大)「アメリカン・テクノロジーの未来」
  林 敏彦(大阪大)「新しい経済と米欧関係」
  菅 英輝(九州大)「アメリカのヘゲモニーとアジア・太平洋」
  小池美佐子(東北大)「演劇から見る21世紀アメリカの3つの課題」

まず、各パネリストの報告の内容を簡単に紹介しておこう。
佐々木氏は、1994年に成立した北米自由貿易協定(NAFTA)について、賛成派を「コーポレイト・アメリカ」、反対派を「ミドル・アメリカ」と特徴づけた。前者は連邦と州政府、産業界、多くのマスコミで、NAFTAによる市場の拡大はアメリカ企業の生産性と競争力の上昇、メキシコなどの所得の上昇によるアメリカへの不法流入の減少を説く。後者は労働組合、環境や消費者保護団体などで、メキシコからの安価な輸入品の流入がアメリカ人の雇用と賃金の圧迫につながるほか、境界地帯の環境汚染の進行を憂いている。域内貿易は明らかに増えており、これはNAFTAの効果といえる。ただ、同時にアメリカの貿易赤字が増加している。最近では1997年11月に、クリントン政府がファースト・トラック(議会が大統領に対して通商交渉の一括交渉権を与える)の更新に失敗したことが、アメリカの交渉力の減退につながり、開発途上国からの輸入に対するアメリカ人の警戒感が、21世紀のアメリカ経済に影を落としていると結んだ。
 薬師寺氏は、マイケル・ギボンズを引用しながら、技術の創造と普及とがサイクルを描いて発展する点に注目し、新技術が国富を蓄え、その国に「創業者利潤」を与えるものの、それが普及していく過程で他の国に対しても技術の同質化が進行し、元の国の利益がなくなる時点に達する。たとえば、アメリカの情報技術の典型といわれるインターネットの場合、国防省の研究所が核戦争を想定して軍事的ネットワークが破壊されたときに、パケット通信という迂回路を通って通信を行う「前衛的な」技術が発明された。ところが、その後の過程では、ウィンドウズ95や98にしてもアップルのGUI画面をビル・ゲイツが真似ただけであり、それが日本にもヨーロッパにも普及したにすぎない。この普及の局面で、アメリカがリーダーシップを持っているのだが、今後となると、アメリカの独創性が再び発揮されるかどうかは不透明である。ただし、アメリカには技術的なリベラリズムと呼ばれるものが伝統としてあり、それが今日のアメリカの主導権の基礎になっている。
 林氏は、シュレシンジャーのサイクル論が、これまでの歴史解釈には有効だったが、1990年代に至って色合いが薄れてあいまいになっているとする。そうした中で「ニューエコノミー」と呼ばれる現象(好景気の持続、失業率の低下、物価の安定)がアメリカで起きており、財政再建も達成された。インターネットを中核とする情報テクノロジーは、テクノロジーにとどまらずシステムであり、新しいビジネスを生み出している。商業活動、取引、暗号開発等々があっという間に商業化されて全世界に広まった、そうした源となったところにアメリカの繁栄の理由の一端がある。競争の次元も変わってきている。ネットワーク同士の競争、グループの獲得競争、エコノミーズ・オブ・スピードといわれるアイディアをどれだけ速く製品化できるか、といった次元での競争が一般的なものとなりつつある。今後は国際競争力といった場合、たんなる労働生産性の優劣でなく、たとえばアメリカがインスピレーションの源であり続けることができるかどうかが、問題となるのではないか。 
 菅氏は、ヘンリー・ルースの『アメリカの世紀』を引用しながら、アメリカの世紀を構成する3要素とは、生産力、理念、使命感ないしは政治的意志が不可欠だが、さらにロバート・コックスの制度を入れて4つをヘゲモニーの源泉と考えたいと述べた。サミュエル・ハンティントンによると、一方でアメリカは経済、軍事、理念、普遍性、技術、文化いずれの観点からしても唯一の超大国だが、影響力の点ではその実力に見合っていない。このギャップをどう考えるかが、出発点ではないか、と主張する。具体的には、冷戦後の短期決戦型の軍事介入の反面としての孤立主義、外交目的にかんするコンセンサスの不在、社会全体を覆うアイデンティティ・クライシスが問題となる。グローバリゼーションの進行はアメリカ固有のリベラリズムを堀り崩さす危険もある。日米関係における中国の存在の意義、核保有国でありながら、インド、パキスタンの核保有は禁止という原則の矛盾、アジア的な人権の概念とアメリカ的なそれとの相互浸透の必要性などに注意が向けられた。
 小池氏は、演劇を総合舞台芸術の意味で考えれば、20世紀はまさにアメリカの世紀だったとした。なぜなら、総合舞台芸術にとって巨大な資本と市場の論理は不可欠だから。アメリカではヨーロッパのように貴族の支援などないところから始まったので、時の社会に受容されて利潤を生み出すためには、エンターテインメント性が要求された。そこで、世界中から才能を集めてアメリカの世紀を確立し、今日に至っている。ブロードウェイ・ミュージカルの全盛はその結果である。では、21世紀に向かう課題は何かというと、1つに、「コーポレット・カルチャー」にどう対応するか。芸術性とエンターテインメント性との微妙なバランスが、後者に傾く形で崩される危険がある。第2に、急速に発展するテクノロジーとどう共存しながら、よい舞台を創るか、の問題。俳優という生身の肉体を持った人間の人間性が過剰な映像や照明の存在によって消される危険性がある。第3に、固有で普遍的なアメリカ像をどう再構築し、作品化していくか、という問題。昨今の多文化主義の流れの中で、エスニシティなどに関して固有性のたこつぼへの押し込めが起きて、観客の分断化が起きており、普遍性に根ざした芸術表現が求められている。
 フロアからの質疑では、油井大三郎氏(東京大学)、新川健三郎氏(フェリス女学院大学)、五十嵐武士氏(東京大学)、高橋雄一郎氏(専修大学)、森孝一氏(同志社大学)らがさまざまな観点から質問・論点を提供し、活発な議論が行われた。最後に、シンポジウムの発題の「アメリカの世紀は復活するか?」という問いかけに対して佐々木氏は自由貿易政策の未来については不透明であるとし、薬師寺氏はソフトなパワーを活用できる点では21世紀は中国の世紀になるのではないか、と述べた。林氏は今後は知恵の勝負になるとすると、過去の怨念や歴史を引きずりながら、新しいシステムを構築しつつある、しかも過去に植民地経営の経験のあるヨーロッパが出現するのではないか、と示唆した。菅氏は内化されたアメリカのリベラリズムがグローバル・スタンダードになる過程で、国内からの反撥が起きると予言した。小池氏は、自ら問いかけた3つの課題が、市民意識の喪失と言われる事態とどうかかわらせて解決されるかを見守りたいと述べた。いずれにせよ、21世紀を文句なしの「アメリカの世紀」になると読んだパネラーはいなかった。 (秋元英一) 『アメリカ研究』第33号 1999年。


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