これまでの「asktaka の独り言」





  • 1月&2月の「独り言」(第29回〜第34回 )です。ご覧になりたいテーマをクリックしてください。それ以前の「独り言」はこの下をクリックしてご覧ください。

    11月&12月10月9月までの「独り言」


  • 第34回:知識人とバランス感覚

  • 第33回:鮨名人の2冊目の本

  • 第32回:煙草の話

  • 第31回:お酒に弱い日本人

  • 第30回:文藝春秋の巻頭エッセイ

  • 第29回:百人一首




  • 以下は1月〜2月の「独り言」(第29回〜34回)です。


  • 第34回:知識人とバランス感覚

    もう進歩的知識人とか文化人なんて言葉は死語になったかもしれません。そしてインテリという言葉にも懐かしい響きがあるのは、すでに死語になった証拠でしょうか?

    私の学生時代は70年安保が盛んな頃で、左翼の学生が騒いでいました。私ははっきりいってノンポリでしたが、どうも当時のA新聞の論調が気に入りませんでした(今でもそうですが)。どうしてかというと、まだ学生の私から見てもどうもソ連(当時)に対して弱腰なのと、左翼にあらずんばインテリにあらず、といった雰囲気があったからです。このへんは、「世界」「中央公論」「朝日ジャーナル」なども同様でした。

    当時から「文藝春秋」だけはしっかり右舵をとっていましたから、この4誌を読み比べると面白かったですね。現在はあまり鮮明な色は感じないのは完全に左の時代が終わったからでしょうね。もっともヨーロッパではいわゆる中道左派というのが幅を利かせていますが、これもバランス感覚のなせる技なんだと思います。

    ところで、かって私は、進歩的知識人や文化人と呼ばれる人達が皆左寄り、つまり共産党系で、右よりの主張をするものはあたかも野蛮的非知識人のような文壇の雰囲気に抵抗がありました。ちょうどその時、確か小田実が面白い本を出して(恐らく「日本の知識人」だと思います)、目からうろこが落ちる思いをしました。

    小田実がいうには、左でなければ進歩的文化人、知識人でないと思っている輩は、それだけ頭が硬く進歩がない。知識人といわれる人達のレベルの低下は、こうした偏ったスタンスに立つ頑迷さにある、とこんな調子でした。そして、真の知識人とは、人類や世界の行く末を考えあらゆる角度から真理を追求するバランス感覚がある人だ、と述べていたと記憶しています。但し、後段の部分は、そこまで小田実がいったかどうかは定かでなく、私の解釈が入っていることをお断りしておきます(学術論文ではないので、引用も忠実ではないですが悪しからず)。

    私が何故にこんな古い話を持ち出したかというと、どうもこの頃世の中のバランス感覚が欠けていると思うからです。但し、足して二で割る式のやり方は、決してバランス感覚とはいいませんよ。母集団の違うものを平均しても無意味ですからね。

    真のバランス感覚を身に付けるには、もちろん偏見や宗教とは独立したところにあり、歴史観と大局観が不可欠です。そのためには、歴史に学び、情報ソースの偏りを無くし、幅広い情報を集めて、それを加工し解釈することが肝要です。asktakaは、今こそバランス感覚をもった知識人が活躍して、世間の平衡感覚を取り戻してほしいと思うのです。あっ、知識人と言う言葉は死語でしたっけ?どうりで最近見かけないですね。さぁ、皆さんの出番ですよ!


    (2000年2月23日(水))

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    第33回:鮨名人の2冊目の本

    この欄でも以前から神田のお鮨屋さんを話題にしていました(第27回:グルメの話・鮨屋編(こちら))。今は引退しました が、私がよく通っていた鮨屋の元店主で鮨名人の師岡さんが二冊目の本を出しました。

    その本の名は「神田鶴八、ちょっと小粋な、鮨ばなし」(草思社)です。 最初の本は「神田鶴八ばなし」ですが、この本をベースにNHKの連続テレビ ドラマ「イキのいい奴」として放映されたのでご記憶の方も多いと思います。

    師岡親方は97年の12月一杯で引退したのですが、テレビで親方が修業した 柳橋の美家古鮨の加藤親方役を演じた小林薫さんとは、12月だけで2回もお店で一緒になりました。ちょうど隣り合わせになった際に、その時の連れが小林さんの 大フアンで、大喜びでサインをもらっていました。いやぁ、小林さんが黙って座って お酒を飲む姿は粋ですね。男の私でも、ちょっと品がないですが、“よぉー色男” と声をかけたくなるくらいです。

    鮨名人と一口にいっても皆さんはイメージしにくいでしょうが、ネタ、握り方 (ご飯とネタの量、握りの固さかげん、スピード感など)、お鮨の形、話、この4つのバランスが とれてはじめて名人といえると思います。師岡親方は、特に握り方と姿が抜群でした。 お鮨は柔らかすぎず、固すぎず、口に入れたとたんにネタとご飯が調和するといった 感じです。最近の鮨屋のように、醤油を付けようとするとご飯がこぼれるようなこと はありません。それから、鮨は形が重要ですが、全体の大きさや曲線の美し さはまるで陶器を見るようで、芸術品の域に達していたと思います。

    そして大事なのは、お話だと思います。鮨屋で立ちで食べるのは、客と鮨職人 との一対一の関係なのです。そのため、睨めっこしていても美味しくいただける わけではなく、ちょっとした会話が自然に食欲を増進させることになります。その点 師岡親方は、部類の映画好きで、映画の話を中心に話題が広がっていきます。このへんの 雰囲気は、本を読めばお分かりいただけると思います。中身はお店での対話を彷彿 させますからね。

    ところで、新しい本の中で二点ばかり面白い話に気が付いたので、さわりを ちょっとだけ紹介しましょう。

    先ず、いい鮨職人になるには「我(が)を捨てる」ということだ、と親方は いっています。お店での修業は学校に入るわけではないので給料をもらって習うわけです。給料をもらって鮨屋を起業するための勉強をするわけですから、その店のやり方を一旦は徹底的に吸収することが大事だといっています。例え、人それぞれに前歴、学歴などの歴史があっても、それを忘れて我慢することが大事だともいっています。私はこの話を読んで、コンサルタ ントの世界も同じだと思い共感したのですが、中には給料をもらって教えてくれるのが当り前だと勘違いしている輩もいますからね。

    次に、私達の言葉では、ポジショニングということになりますが、「あれはあれ、 これはこれ」という話です。回転寿司と親方のところのような鮨、○○堂の大衆的 な和菓子と高級和菓子、これもケース・バイ・ケースだといっています。親方が 回転寿司を、お鮨の「お客様の底辺を拡大」する、として前向きに捉えている点が 新鮮でした。

    他にも面白い話はたくさんあるのですが、もし関心をお持ちであれば是非購入してゆっくり読んでください。そして感想をゲストブックにご記入いただければ幸いです。ではまた。


    (2000年2月13日(日))

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    第32回:煙草の話

    普段何気なく見過ごしていることも、少し注意深く見てみると私を含めて人間の勝手さが目に付きます。地域のエゴ、会社のエゴ、政治のエゴこれも全て個人のエゴに帰着していると思います。こうしたエゴをうまく隠すのがマナーではないでしょうか。そこで、今回は煙草のマナーの話をしたいと思います。

    私は煙草を止めてからもう12年になります。スモーカーの頃は、一日100本から150本の喫煙量でしたから、周りは随分迷惑していたと思います。現在では傍で煙草を吸う人がいると、先ず舌がしびれて、次にいやなニコチンの匂いで気分が悪くなります。おまけに猫の毛アレルギーと同様に、鼻腔がむず痒くなりくしゃみが止まらなくなることがあります。

    こうした状況ですから、煙草に対する私の見方はバイアスがかかっていると思います。でも、最近の世間のスモーカーのマナーの悪さには目を覆うばかりだとは思いませんか?

    第一に、禁煙ゾーンで煙草を吸う輩が多いこと。第二に、歩きながら煙草を吸うこと。第三に、煙草の投げ捨てが多いこと。第四に、食事中に煙草をすうこと、等々。

    何も私は、若い女性がくわえ煙草で歩いている姿に文句をいうつもりはありません。稀に絵になる人もいますからね。だが基本的に、煙草は、吸っている人自身にとっても有害であるのみでなく、周りの人達にも害を及ぼす点で凶器に等しいことを認識すべきだと思います(そこまでいうか、との声がありそうですが)。

    米国はこのへんのところは徹底していて、日本で交通事故者の数が道路脇に表示されているように、煙草によってガンで死んだ人の数が道路沿いに表示されています。そして煙草にも“健康のため吸い過ぎに注意しましょう”なんて甘い話ではなく、“健康に害がある(harmfull)”とはっきり書いてあります。もちろんレストランを含めて人が集まる場所はほとんどが禁煙です。

    それと喫煙率のデータを見ると、フランスを除いて先進諸国は低く、日本では地方へ行くほど高くなるという結果が出ています。こうした観点からは、日本は後進性をもっているといえます。もっとも経済的には先進国の仲間になって鼻高々の政府が、こうした後進性を許容しているのは、ひとえに煙草が重要な収入源だからです。

    このように書くと、愛煙家から猛反発されそうですね。しかし、煙草はお酒と違って効用は皆無で害のみなのです。昔、私も煙草を止めると仕事がはかどらない、いらいらしてかえって身体に悪い、といって喫煙を正当化していました。だが、止めてみて分かったことは、煙草を一本吸う時間は確か三分だと思いましたが、随分時間を無駄に使っていた点です。まあ、無駄の効用ということもありますが、煙草は健康にとってマイナス効果しかないことを肝に銘ずるべきだと思います。

    人は煙草を吸う権利もあるといわれると、それもそうだと思います。ですが、asktakaは愛煙家はせめて他人に迷惑をかけないでほしいと願うのです。だがまてよ、他人の迷惑を考えないのは、別に喫煙者だけではないのですね。そう考えると、この国はどうなるのだろう、と文春の巻頭エッセイを書いている阿川弘之さんのような気分になりました。


    (2000年2月4日(金))

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    第31回:お酒に弱い日本人

    かっては巷に酔っ払いがあふれていましたが、バブルがはじけて以来そうした光景はあまり見られなくなりました。若い人が以前ほど飲まなくなったせいもあるかもしれませんね。もちろん中年層がもろもろの事情で飲めなくなったことが大きな要因です。

    これまで私は欧米人に比べて酔っ払いが多いのは、日本人がお酒にだらしがないせいかと思っていました。外国の方々とパーティなどで一緒に飲むとたいてい酔っ払うのは日本人ですからね。

    ところが、日本人はお酒が弱い人種であることが科学的に証明されたそうです。原因は日本人はアセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)の2種類のうちALDH2が欠損しているとのことです。

    ALDH2が欠けていると有害物質であるアセトアルデヒドがすばやく分解できないため、少しのお酒でも酔いやすく、かつアルコールが内臓に及ぼす影響が大きいそうです。

    ちなみに、日本人のALDH2の欠損率は44%で、中国人は41%と最も高いグループです。以下、韓国人28%、フィリピン人13%、タイ人10%、インド人5%の順で、他の国の人達はすべてゼロかゼロに近い数字です。

    このデータからお気付きの通り、こうした遺伝的性質はモンゴル系民族(黄色人種)に特有のもので、ヨーロッパ系白色人種やアフリカ系黒色人種には見られないものです。

    道理でフィンランド人の友人などは、ジン系のお酒をがぶがぶ飲んでもけろりとしているはずです。asktakaも飲む方では彼・彼女らに引けをとらず、まだ宴席でウイスキーや日本酒で一気のみをしても相手が倒れるくらいです。でも肝臓にきていますね。

    昨日定期チェックで信濃町にあるK大学病院に行ったところ、主治医の一人にカルテに“断酒”と書かれてしまいました。消化器系の主治医にはそこまでは言われなかったのですが、何とも情けない話になりました。

    そうそう女性ホルモンはALDHの働きを低下させるため、体質的に男性に比べてアルコールが弱いのだそうです。私の知っている女性の皆さん(一緒に飲んだことはないのですが酒豪と想像できるSさんも含む)、オジさんのたわ言とは思わないで真剣に聞いてくださいね。asktakaも時々断酒しますからね。(笑)


    (2000年1月29日(土))

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    第30回:文藝春秋の巻頭エッセイ

    20代の頃から毎月中央公論と文藝春秋が出るのを楽しみにしていました。昔は大森駅前の町田書店が配達してくれましたが、配達日当日に家にいると自転車が止まる音を聞くたびに玄関に飛び出したものでした。そして、この2冊の月刊誌を手にして、真っ先に読むページが文藝春秋(以下文春)の巻頭エッセイでした。

    文春の2月号に『「この国のかたち」司馬さんからの手紙』という論文が掲載されており、その中にこれまでの巻頭エッセイ執筆者が載っていました。予想はしていましたが、錚々(そうそう)たる顔ぶれです。

    1923年(大正12年)1月の創刊号から5年弱執筆したのは芥川龍之介でした。戦前では芥川ほど継続して書いた人はいなかったようで、幸田露伴、武者小路実篤などが複数回執筆している程度だそうです。

    戦後は1963年(昭和38年)から小泉信三が3年近く書いた後、高橋誠一郎が一年間執筆しました(このお二方は慶應義塾の経済学者ですが、 小泉先生は今上天皇の教育担当として知られ、高橋先生は吉田内閣の文部大臣を勤めました。高橋先生は浮世絵のコレクションでも知られ、確か90歳に近かった私の学生時代でも、その軽妙な語り口と矍鑠(かくしゃく)としたご様子は変わりませんでした)。

    その後5年間隔が開いて、72年から5年半にわたって田中美知太郎が第1回目の連載をしました。ご存じでない方もいらっしゃると思いますが、京都大学の哲学の先生でした。

    その後決まった筆者がいなかったそうですが、81年から2年間東大の学長を勤めた林健太郎が担当し、しばらく後84年後半から田中美知太郎が再登板となりました。田中が85年(昭和60年)の12月18日に亡くなって、その後司馬遼太郎が引き継がれました。司馬が96年2月に長逝した後、現在まで阿川弘之が連載しています。

    こうして巻頭エッセイの執筆者をみていると、私が文春を読み始めたのは、田中美知太郎の1回目の連載中だと思います。このエッセイは毎回読んでいたのですが、残念ながら詳しい内容は良く覚えていません。しかし、人の生き方とか風物、歴史について述べた文章は、相当深いお話なのですがまるで軽妙なタッチで描かれた絵のような爽やかな印象だったことだけは、鮮明に覚えています。それから、当時はこのエッセイを読んだ後は、何か浮き浮きした気分になったものでした。

    司馬遼太郎の最初のエッセイが始まったころは、ちょうど私が転職した時期で何故かよく覚えています。テーマは「この国のかたち」という大上段に構えたものでした。ところが、最初の話が堅かったせいで、どうもその後は敬遠したせいか中身はよく記憶していないのです(第1回目は「思想」、第2回目は「朱子学の作用」だったようです)。

    司馬が亡くなった後、阿川弘之が引き継いだのですが、この方は軍人さん上がりで、ほほえましくも頑固さが前面に出たエッセイでした。 現在も連載中ですので興味がある方は文藝春秋をご覧ください(ちなみに、女優の壇ふみさんと仲良しで有名な阿川佐和子さんは、確かこの方の娘さんですが、娘が苦労しそうな親父さんです)。

    このように文藝春秋のエッセイを話題にしているのは、エッセイもいろいろだなと思っているからです。柳に吹かれる風のように、気分のおもむくままに洒脱な語り口を聞かせてくれるタイプからテーマをかたくなに追求するタイプ、頑固親父タイプなど実に多様だとは思いませんか?

    私はどちらかというと軽妙洒脱なエッセイが好きなのです。だっていかに先人の知恵は傾聴に値するといっても、エッセイってリラックスして読みたいではありませんか。

    このへんを意識してか、文春の2月号には松たか子にエッセイを書かせています。その最後の文章は軽妙とはいえませんが、「感謝というのは、ほんの一瞬で気付き、心を動かす大切な糸口だと、私は思う。その一瞬を逃すことは、ひとつの仕事を失うことよりも、深い意味をもつのではないだろうか」といっています。なかなかいいでしょ。

    文春の読者層は大分お歳だとお見受けする。いや、それよりも編集者の感覚が古いのかな。例えば林望とか吉本ばなななどを起用する気はないのでしょうか?そうすれば皆さんも文春を読む気になるのではないでしょうか?(私は文春の回し者ではないですぞ(笑))


    (2000年1月17日(月))

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    第29回:百人一首

    昔は正月というと羽子板で羽根突きをしたり、いろはがるたなどで遊んだものでした。最近は街を歩いていても、あまり子供達の正月らしい遊びを みかけません。

    私は小学校の2、3年の頃から百人一首が好きでした。親に連れられて親戚の家に行った際に、その家の近所の子供達と一緒に遊んで以来病みつきになったのです。一番年少だった私が一枚取れたのがとても嬉しかったと記憶しています。ただ、親戚のお姉さんが私の横についていて、狙いを定めての一枚でしたから取ったといってもインチキでした。

    その時の一枚は次の歌でした。

    天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも(安倍仲麿)

    大空を見上げると美しい月が出ているが、それは故郷の春日にある三笠の山に出ている月と同じなんだなあ、と望郷の思いを詠んだ歌です。それ以来これは絶対に死守する一枚になりました。そういえば、ドボルザークの「新世界から」も望郷の思いから生まれた曲ですね。共通するもの哀しさを感じるのは私だけでしょうか?

    その他、好きな歌は次の通りです。

    玉の緒よ絶えなば絶えねながらえば忍ぶることの弱りもぞする(式子内親王)

    なんだか忍ぶ恋の思いが切々と伝わってくるようですね。八代亜紀の歌よりもよっぽど情感を感じるでしょ?もう一つ忍ぶ恋をあげると、

    忍ぶれど色に出でにけり我が恋は物や思うと人の問うまで(平兼盛)

    それから、

    花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に(小野小町)

    有名な歌ですが、わが身の衰えを嘆いたものと解釈されています。何か身につまされるような気分になりませんか?

    また、次の歌も子供の頃からなんとなく好きでした。

    大江山いく野の道は遠ければまだふみもみず天の橋立(小式部内侍)

    和泉式部の娘が詠ったもので、小式部が歌人として歌会に呼び出された際、藤原定頼にからかわれた時の即興の歌だそうです。定頼は権中納言定頼のことであり、百人一首の中の“朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに・・・・”を詠んだ歌人として知られています。当意即妙の出来映えに定頼も返歌が詠めず、ほうほうの体でその場を逃げ去ったそうです。なんとも小気味のよい響きを感じるのも道理です。

    まだ好きな歌はたくさんあるのですが、今回はこのへんにしたいと思います。また折をみて私のお気に入りの歌を紹介しましょう。

    asktakaが気になる点は、子供達が皆で集まって百人一首のような遊びをする機会が減っていることです。最近は小さい時から車の往来を気にするせいか、一人で他所の家に遊びにいけない子供達が増えているようです。住宅事情もあるでしょうが、一人でゲームなどに熱中するだけではね。

    将来、コミュニケーションがとれない大人が巷に溢れなければよいのですが、とasktakaは思うのです。え、皆さんもインターネットに夢中になって、人とのフェース・ツー・フェースの接触が億劫になってきたって、それは問題ですよ。(笑)


    (2000年1月9日(日))

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