これまでの「asktaka の独り言」





  • 10月の「独り言」(第12回〜第20回)です。ご覧になりたいテーマをクリックしてください。それ以前の「独り言」はこの下をクリックしてご覧ください。

    9月までの「独り言」


  • 第20回:複合都市開発・地域開発と私

  • 第19回:ヴィーナスフォート誕生秘話?

  • 第18回:相撲の親方の講演

  • 第17回:オペラの話

  • 第16回:台風一過

  • 第15回:豊川稲荷とラーメン

  • 第14回:体育の日に思うこと

  • 第13回:話題の施設ヴィーナスフォート等雑感・その2

  • 第12回:地域経済を考える・その3




  • 以下は10月の「独り言」(第12回〜第20回)です。


  • 第20回:複合都市開発・地域開発と私

    私事ですが、私は80年代半ばまでは専ら上場企業を対象に戦略策定や中期計画づくり、新事業計画づくりを行っていました。しかし、その後そういった分野以外に、都市開発や地域開発のプランづくりにも携わりました。

    この2つ分野の分析手法は類似しています。つまり、環境分析と自社分析(あるいは地域資源分析)から入って、問題点と課題を抽出し、戦略(あるいは開発)の方向を定めて具体策を提案する、というアプローチです。

    当時、80年代の中頃は、まだ都市開発や地域開発の分析アプローチが未熟で、分析なしでいきなり結論という報告書が結構多く驚きました。そこで、戦略策定のアプローチを参考に、私なりに開発の分析アプローチをつくりプロジェクトに活用したのです。

    こうして、バブル以前から崩壊後まで多くの開発プロジェクトに関わってきました。具体的には、臨海副都心、幕張、汐留、中野坂上、オペラシティなどのビッグプロジェクト(の全体あるいは一部)、3haから10ha(約3万坪)の工場跡地の活用、リゾート開発(ゴルフ場開発を含む)、商業施設開発、その他土地を活用した新事業開発などです。

    開発プロジェクトに関わって思ったことは、やはり事業主体の発想が不動産屋さんなんですね。なにも不動産業自体が悪いといっているのではなく、土地という資源のみを使って一定の利回りがあればよいわけですから、事業リスクを極力回避する行動をとるのは当然といえます。そのため、事業ノウハウが余り必要ない、単に貸すだけのオフィスビルとか商業ビルを建てることになります。そして、商業施設の場合、日本あるいは世界のどこかから人気のあるテナントを持ってきて金太郎飴的な施設が続々登場したのです。

    もっとも不動産価格・賃料が周辺相場で設定されていれば、どんなテナントが入っても収益には関係ないのです。ところが土地・不動産の生む価値で価格が決まる収益還元法が当たり前になれば、テナントの中身が重要になってきます。今この業界も大きく変わっていますから、ハコだけ作るという発想は今後は少なくなると思いますね。

    ところで、開発プロジェクトでも不動産業的開発ではなく、多角化目的で自ら事業を行う場合は趣が異なります。例えば、テーマパークやレジャー施設、物販、飲食、スポーツクラブ等を自前で展開するには、人、モノ、金といった経営資源をすべて投入する必要があるので、ビジネスシステムをしっかり構築することが不可欠です。

    やはり、私はメーカーを対象にしたコンサルティングが多かったせいか、ビジネスシステムを作って事業化するタイプの開発プロジェクトの方が好きですね。つまり、当初のハコ、ハードは所与として、事業の成功の鍵を握るのは、人間が行うマネジメント並びにオペレーション、いわゆるソフトだからです。

    旧態依然とした百貨店業界も、ようやく従来の場貸し商売から脱皮しようとしています。不動産開発に関しても、これまでのやり方が変わりソフトの重要性が一層認識される日も近い、ヴィーナス・フォート開発の経緯をみて、こう実感しました(前回の「独り言」をご覧ください)。

    (1999年10月31日(日)) 
     

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    第19回:ヴィーナスフォート誕生秘話?

    先週、ある人からヴィーナスフォートのデザイナー選定の経緯を聞きました。その話をこの欄に書こうと思っていたところ、本屋で大前研一氏と宮本雅史氏(ゲームソフト大手、スクウェアのオーナー)の共著『感動経営学〜ヴィーナスフォート誕生秘話』を見つけ早速購入しました。

    ヴィーナスフォートは、宮本氏の構想を大前氏が肉付けし、森ビルと共同開発したとのことです。そのため上述した本は、やや手前味噌な面がある点は否めません。そこで、先ず、当事者以外の話から始めましょう(私のヴィーナスフォート関連の話は、第9回と第13回「独り言」をご覧ください)。

    先ず、デザイン面ではラスベガスの「シーザース・フォーラム」と規模を含めて瓜二つということです。それもそのはずで、内装は同じデザイナーのテリー・ドゴールが設計したからです。デザイナーの選定にあたっては、一応日本の会社を含めてコンペという形をとったようです。ただ、最初からラスベガスのイメージがあったので、勝負は当初から決まっていた、いわゆる出来レースというのが真相だと思います。

    こうしたデザイン上の類似性もあって、商業のプロは一様にヴィーナスフォートは「シーザース・フォーラム」のコピーであると指摘しています。そして、ターゲットの絞込み過ぎを懸念しています。

    本の中でも、最初に「シーザース・フォーラム」ありきを認めています。しかしながら、20代、30代の女性をターゲットにし、“ビューティ”をテーマとする非日常的な商業空間、いやテーマパークというコンセプトをもつが故に箱は似ていても全く異なる、と主張しています。何ともコンサルタントらしい理屈ではあります(そういえば、私もかって開発プロジェクトで同様なことを何回かいいましたね)。

    ヴィーナスフォートが成功するとすれば、それはターゲットを絞ってコンセプトを徹底させたことによります。この点は、森ビルと折半で出資し、もともとの事業構想者である宮本氏が開発を実質的に指揮したことが幸いしています。コンサルタントがいくらコンセプトを徹底すべき、といっても事業主体が理解できず、魅力のない開発プランになるケースが多いことを考えれば本当に幸せですね。

    もし失敗するとすれば、それもコンセプトとターゲットの絞り込みが原因です。つまり、コンセプトと物語性で話題づくりをして、どこまで実際に購入するか、またリピーターとなるか、が問題です。つまり、間接課金型テーマパークとして、入場料無料で物販、飲食、サービスの売上で事業収支の帳尻があうかどうかが問われているのです。といっても、これは私のコンセプトに基づくショッピングセンター(SC)定義では、アミューズメントライフ型SCに分類されます。この場合、立地とターゲットとMD(マーチャンダイジング、商品)政策がミスマッチでなければ問題はないはずですがね。

    いずれにしてもヴィーナスフォートは、ラスベガスから箱を持ってきてコンセプトで包んだものです。そのコンセプトの成否がオープン景気が一段落する年末以降明らかになるはずです。どちらに転んでも新たな実験が始まったわけで、結果が楽しみですね。

    (1999年10月25日(月))

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    第18回:相撲の親方の講演

    私は子供の頃からお相撲が好きです。世間では相撲取りに抱っこしてもらうと、元気になるとか、縁起がよいとかいわれているようで、元横綱の千代の山とかまだ横綱になる前の栃錦に軽々と抱き上げられた記憶があります。こうした幼児体験もあって、相撲好きになったのだと思います。

    もっとも最近では相撲観戦は専らテレビで、それもダイジェスト版をみるくらいです。それと以前にこのページで紹介した若松部屋の一ノ矢の友の会に入っていて、お相撲の雰囲気を味わっています。

    もう一人、たまに神田の馴染みのお寿司屋さん(マグロの頭の“ひっかき”を食べさせてくれる数少ないお店です)でお会いする相撲関係者がいます。元横綱隆の里の鳴戸親方です。親方はまだ相撲を取っていた頃、近所の日大病院に糖尿病で入院しており、その時からお寿司を食べにきていたようです。

    もう大分前になりますが、親方と私が二人きりになったことがあります。その日は親方は東北の方へ講演へ出かけた帰りでしたが、ちょうど私も皇居のそばの青年会議所で2時間ほど講演した後だったので自然に話がはずみました。

    親方の講演のテーマは、闘病生活を乗り越えて横綱になった苦労話だったと記憶しています。私も興味があったので、根堀葉堀話の中身を聞いて、講演の再現(?)を迫った形になりました。細かい話は忘れましたが、苦労話がとても臨場感があって、迫力を感じたことを覚えています。

    親方の話も面白いのですが、野球の監督の講演もなかなかのようです。西武の元監督の森氏、広岡氏それから阪神の野村監督(最近はサッチ−問題でお呼びがかからないかもしれませんが)などのお話も感動的だと聞いています。

    苦労してある分野のトップになった人々や多くの部下を統率してきた人達には、おのずと人生哲学や生きる知恵が身に付いており、それが人を惹きつけるように思います。

    ところで、鳴戸親方の話を思い出すたびに、若乃花や貴乃花が親方になった時に、やはり感動的な話が聞けるのかなと思うのです。でも、まだ彼らは若いので、まだまだ人生勉強もできますから心配することもないですね。

    それより、asktaka は、ビジネスやマネジメントの話は別として、人を感動させる話ができるのでしょうか、と自問自答するのでした。

    (1999年10月21日(木))

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    第17回:オペラの話

    先日、新国立劇場のオペラハウスで行われた、バレエ「白鳥の湖」を観に行きました。土曜日の3時からの開演でしたが、定員1800人のところほぼ満席でしたから結構入っていましたね。チケットをいただいてご招待だったのですが、私はバレエよりもオペラの方がいいですね。

    私の周りには昔から音楽好きが多い。大学院時代の恩師F先生はワグネル・ソサエティというK大学のオーケストラの部長を務めていて、蝶の収集とオペラ好きで有名でした。大学のそばの寿司屋の2階で昼ご飯を食べながら、しばしばオペラの話を聞いたものです。また、ある友人はワグネルでビオラを弾いていて、よく一緒にクラシックやオペラに行ったものでした。そして、ちょっと内緒の話ですが、20代前半の頃のガールフレンドがプロのヴィオリン弾きだったので、年中練習でいろいろな曲を聴かされていました。

    自分自身は音楽は苦手で、小学生時代、最高点の5をとれなかった二つの科目のうちの一つでした(もう一つは体育)。しかし、外部効果のおかげで、20代からクラシック音楽に夢中になりました。当時は家にいると、朝はバッハとベートーベン、昼はドビッシー、夕方はモーツアルト、お酒が入るとビートルズ、という具合にお勉強の合間に(?)音楽を聴いていました。

    私が初めてオペラを見たのは上野の東京文化会館で上演されたモーツアルトの「フィガロの結婚」でした。ご承知かと思いますが、初夜権をめぐる貴族階級の馬鹿馬鹿しいやり取りを通して旧体制を風刺したものです。言葉はイタリア語だったのでよく分かりませんでしたが、胸がわくわくして身を乗り出して見た記憶があります。その後、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の後日談が「フィガロの結婚」だということを知り、早速、時間を戻してフィガロの活躍ぶりを見に行きました。

    こうして、モーツアルトに始まり、ヴェルディの「椿姫」「アイーダ」、ワグナーの「さまよえるオランダ人」「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルリングの指輪」、プッチーニの「ポェーム」「トスカ」「蝶々夫人エ」、ビゼーの「カルメン」などのオペラを見たり聴いたりしていたのです。だが、私は最初に観た「フィガロの結婚」が一番すきですね。

    このように書くと回顧談のようですが、今でも休みの日の午前中は無性にクラシックを聴きたくなります。でも、今持っているCDはバッハやベートーベンのヴァイオリン・コンチェルト、モーツアルトの軽めのシンフォニー等が多く、オペラを聴くことはめったに無くなりました。実家の物置に残っているはずの数百枚のLPを取りにいっても、プレーヤーはないしなぁ。

    やはり、国立のオペラハウスで今度はオペラを見よう、と私は思うのです。ハードは良くても何だか使いにくいようですが、値段は他での上演よりも安くなっていますからね。皆さんもこの秋、オペラはいかがですか?

    (1999年10月16日(土))

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    第16回:台風一過

    先週、山口宇部空港に降りて宇部市や小野田市に出張しました。まだ台風の余波が残っていて、最終便は欠航だし、街もいつもとは様子が違っていました。

    この地域は1942年(昭和17年)の8月27日に台風が直撃して、海水を防いでいた堤防が決壊し一面水浸しになったそうです。ちょうど訪問先の会長が被災して(当時15歳だったそうです)、昼食時にその時の生々しいお話を伺いました。この地区で死者が数百人に達して、まさに死屍累々 だったということです。戦争中のため物資が不足しており、戦後になってやっと家屋の手当ができたそうで、それまでは泥壁の芯が剥き出しのまま放置せざるを得なかったそうです。今では考えられないお話ですね。

    57年目の台風上陸で、宇部、小野田両市の海岸沿いは、高波や竜巻にやられて特に被害甚大とのことでした。だが、幸い水害が海岸沿いだけですんだのも、かっての教訓が生きて堤防など防災対策を十分に行っていたからだといわれています。果たして阪神大震災の教訓は上手く活かされるのでしょうか。地震の予知は難しいとのことですが、関東でもその教訓を活かしてほしいですね。

    ところで、街の様子が違うといったのは、先ず、あまり飲み屋街に人が出ていなくて夜の街が真っ暗だということです。もっともマクロでみた不景気のせいと地元有力企業の業績低迷で、一頃に比べると夜の街も元気がなかったですがね。それと、ホテルが満杯なのです。台風の被害を査定するために保険の調査員が出張しているようでした。そして、もう一つは、建設会社の車が忙しく街を往来していることです。不謹慎を省みず、あえてこうした経済効果を概算すると、ケインズ理論のとおり地域経済にはプラスに働くことは間違いなさそうです。

    話は横道にそれましたが、台風一過の宇部、小野田に行って思ったことは、“備えあれば憂いなし”と“天災は忘れた頃にやってくる”というクリシェ(使い古した決り文句)でした。喉下を過ぎて忘れないように、早速to do listに防災グッズの購入と記入しました。皆さんの備えはいかがですか?

    (1999年10月14日(木))

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    第15回:豊川稲荷とラーメン

    先日出張中にANAの機内誌を読んでいたら、東京赤坂の国道246号線沿いにある豊川稲荷の話が出ていました。初めて知りましたが、名奉行として有名な大岡越前守の自宅にあった祠(ほこら)を移して出来たのが豊川稲荷だそうです。明治時代になって、私邸の神社仏閣禁止令が出された際に現在の場所に移転したという。

    機内誌にも書いてありましたが、境内の奥左手にあるお茶屋のラーメンが昔風で美味しいと評判です。私も噂を聞いて、去年一度行ったことがあります。醤油味のスープで上に海苔がのっている懐かしい姿でしたが、 麺は何の変哲もなかった。正直いって、私には期待はずれでした。

    世の中にはラーメン好きが多い。94年3月にオープンし5周年を迎えた新横浜のラーメン博物館は、今でも繁盛しているそうです。この店の人気の秘密は全国の著名なラーメン店を集めている点にあると思います。ここへ来れば自分の好きなラーメンを何時でも一箇所で食べることが出来る、いわばラーメンのワンストップ・ショッピングというわけです。

    ラーメン好きが多いということは、それだけ好みが多様だともいえます。現に人に薦められて行った店のラーメンを食べても、めったにリピーターになろうとは思いません(教えていただいた方すいません。でも、2回、3回と食べているうちに美味しく感じてくる場合もあるので要注意ですが)。

    ここまで来れば、お前の好きなラーメンは何だということになるでしょう。分かりましました。(多少もったいぶって)では私の気に入ったラーメン屋を教えましょう。きっと東京レストランガイドよりも中身が濃いですよ。

    ナンバーワンは「やまかな」です。品川駅の海側に下りて東京新聞の方にまっすぐ歩き、旧海岸通りに出たら右折します。そこから歩いて1、2分、食肉の屠殺場(正式名は不確かで恐縮ですが、食肉加工センター?)の手前のブロックにある小さな店です。私は小学校の頃から通っていますが、手打ちの麺と出来立ての(?)豚骨でつくった醤油味スープが何ともいえず美味しいのです。私はいつもラーメンの大盛を頼んで固ゆでにしてもらいます。ワイフと一緒の場合は、更に小カレーを注文して半分ずつにして食べることが多いです。日曜は休みで朝11時半から午後3時頃までしか営業していないので、土曜日か羽田空港からの帰りにしか行けないのが残念ですね。

    ではナンバーツーはどこかと聞かれると、ちょっと返答に困るのです。以前は銀座の東興園がありましたが、7、8年ほど前に火事で焼失してから所在が不明です(元気なおばあちゃんはご健在かな)。それから、JR蒲田駅から目蒲線で一つ目の駅の傍にあった支那そば屋、インディアンも今はない。また、三田の慶應義塾のそばの「ラーメン二郎」にしても、学生時代はよかったが、今はちょっとね。日本橋の元東急百貨店裏にある「たいめいけん」のラーメンも、どうも味が安定していないし、古川橋から目黒に移った「勝丸」も新横浜に出店してから今一歩のような気がするし・・・。

    油でぎらぎらせず、調味料でごまかさない、麺にこだわった醤油味のラーメン、これが私の好みなのですが、最近なかなかお目にかからないですね。と、ラーメン談義が始まるときりがないので、このへんで。

    (1999年10月10日(日))

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    第14回:体育の日に思うこと

    早いもので、もう体育の日がやってきます。皆さんは日頃身体を動かしていますか。かくいう私も週1回スポーツクラブに通うのが精一杯です。

    思い起こせば、私が健康に気をつけるようになったのは10年ほど前からです。それまでは、1日に煙草を100本から150本も吸うヘビースモーカーでした(そういえば、当時JTの方が私のスモーカー振りに感嘆していました)。おまけに、夕食は寿司かステーキ、あるいは天ぷらなど野菜不足でたんぱく質過多の、まるで犬みたいな食生活を送っていました(犬みたいとは、猫属のワイフ曰くです)。

    30代後半は、本当にハードワークでした。全国の主要都市でセミナーを開催してお話していたせいか、クライアントも上場企業から地方の有力企業まで幅が広く、週5日羽田空港を往復した時期もあります。朝一番の飛行機で地方へ飛んで、夜は羽田にとんぼ返り。その後、当時のコンサル会社に戻って、次の日の報告書の最終チェック。玉石混交のスタッフのレポートをチェックし終わるのは、決まって12時を回って午前2時か3時ということになります。

    そのため夕食は、一旦チェックしてメンバーに修正指示を出した後、会社の近所かタクシーで2、30分以内の店に出かけていました。次の日に報告を控えたプロジェクトを担当していない部下か、さほど修正の必要のない出来の良いレポートを書いた部下を連れて繰り出すわけです。

    こうした生活でしたから、土日は休養と専門知識のインプットで終わり、専ら食べることに喜びを見出していました。そんなわけで、運動は羽田か新幹線の駅の階段を全力疾走で駆け上がるぐらいだったのです。

    実は、私が定期的にスポーツクラブに通うようになったのは、慶應病院の小熊先生のご指導のおかげなのです。先生はスポーツクリニックでの私の担当医で、4、5年前からお世話になっています。40前から慶應病院の人間ドックに入ってチェックしていましたが、その結果小さい胆石が見つかり、その後血糖値が正常値ぎりぎりであることが分かりました。要は、食生活と運動不足が原因だったのです。海外や国内のホテルに滞在中に泳いだり、ジムで汗を流す以外はこれといった運動はしていなかった私ですが、定期的にトレーニングせざるをえなくなったわけです。

    長々とこうした話をしたのも、よほどのインセンティブがないと継続的に運動を続けるのは難しいと思うからです。特に私のような怠け者にはそうなのです。体育の日を単なるイベントで終わらせることなく、日常的な健康づくりのためのキャンペーンとして定着させるには、どうすればよいのかな。

    (1999年10月7日(木))

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    第13回:話題の施設ヴィーナスフォート等雑感・その2

    先般、臨海副都心の話題の施設として、パレットタウンの中のヴィーナスフォートなどを取り上げました(第9回)。だが、特に女性を狙ったヴィーナスフォートに関して、一部の女性の方々に(ワイフを含む)あまり評判がよくなかったことを告白します。

    先ず、「貴方が食べるものがないのは当たり前よ」という反応が多かった。私もこの施設が団塊の世代のおじさんを相手にしていないことは、重々承知しているつもりです。それで、わざわざ「ターゲットでないといわれればそれまでだが」と断った上で「私の入る店がない」といっているのですが・・・・・。

    しかしながら、「自分が食べられないからといってノーコメントとは何事よ」、とのお叱りも受けています。これはその通りです。 最近、個人的に食べる場合は和食・寿司系が多く、たまに中華とかフランス料理、イタ飯を食べますが、機会は随分減りました。何せ、昔は物足りなかった懐石料理も栄養のバランスがよい、と思うようになったくらいですから。

    というわけですから、やはりコメントしにくいですね。ですが、クレープ店の品揃えは食欲をそそるそうですし、イタ飯・パスタも結構美味しい店もあるとのことです。私は今度、フランス料理と日本料理とを融合した日仏フュージョン料理店「ショーザン」で食べてみようと思います。皆さんが入った店の感想も、是非お聞かせいただけませんか。

    それから、臨海副都心でファッションが売れるか、との私の指摘に対しては特にコメントはありませんでした。だが、ちょっと補足したいと思います。パレットタウン全体は、アーバン・リゾート立地におけるアミューズメント機能を強化したテーマパークです。だとすれば、その中の物販機能として少しポジショニングが違う、と言いたかったのです。

    いずれにしても、臨海副都心はまだ開発途上です。しかし、トヨタのテーマパーク「メガウェブ」が、オープン後5ヶ月で年間入館目標の300万人を超える人気です。ヴィーナスフォートの年間来店数1200万人、年間売上300億円、といった目標も軽く達成しそうな勢いを感じます。パレットタウンは、私の定点観測リストに入っていますので、時折経過をご報告したいと思います。

    (1999年10月3日(日))

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    第12回:地域経済を考える・その3

    先日、福岡で地元企業の会長と対談した。某誌の企画で対談したのだが、上場企業のトップにはない迫力と人間的魅力を感じた。会長は創業者ではなく2代目だそうだが、夢を実現しょうとするエネルギーが確かに伝わってくる。

    その会社は伝統的産業に属する本業を中核にして、アミューズメント事業や複合商業施設開発事業を展開している。各事業は分社化して、会長はグループ全体を統括している。会長は今年の年末には都内に自宅を構えて、本格的に東京進出し全国展開を図る考えだ。

    こうして見ると、各地にまだまだ元気の良い会社や経営トップが存在することが分かる。地域経済を支えてきた有力企業の発展に期待できるとすれば、日本経済の先行きに新たな光明が見える。

    ところで、今元気が良い会社は、軍隊的な会社、常識破りの(変な)会社、宗教的(カリスマ的)な会社、夢のあるトップを抱く会社、この4つのタイプに大別できる。このうち前者の2つは、確か外資系の某コンサル会社の社長も指摘していたが、私は後の2つが重要であると思う。つまり、カリスマによる理念あるいは文化の共有とトップのビジョンによるリーダーシップの発揮が企業成長の原動力となっていると思う。

    企業規模が大きくなっても、こうしたマネジメント・スタイルが通用するのか。ビジョン、夢の実現に向けて何段階かの障壁があると思うが、これを克服するだけの知恵とパワーが求められている。夢を語る地域の元気印企業の会長の眼差しに、成長への確信を見た。

    (1999年10月2日)

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