わんだふる ネパールヒマラヤ (3)


  
1.プロローグ 
  2.ネパールへ向けて出発 : 12月26日(金)、27日(土) 
  3.クーンブ・ヒマール入口 ルクラ、パクディンへ : 12月28日(日) 
  4.シェルパの里 ナムチェ・バザールへ : 12月29日(月) 
  5.クーンブ・ヒマール展望1 クムジュンへ : 12月30日(火) 
  6.クーンブ・ヒマール展望2 ゴンゴ・リ登頂と帰路1 : 12月31日(水) 
  7.帰路2(モンジョからルクラへ) : 01月01日(木) 
  8.ルクラからカトマンズへ(市内観光) : 01月02日(金)、03日(土) 
  9.さよならネパール・ヒマラヤ : 01月04日(日)、05日(月) 
     *トレッキング留意事項(感想)* 
 

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4.シェルパの里 ナムチェ・バザールへ : 12月29日(月)

4.1 パクディンからジョサレへ(12月29日(月):その1)

 朝の6時ころに起きた。高山病の影響とは思われないが、下痢気味で、夜に何度もトイレへ行くはめになり(ここのトイレは、幸いにもロッジの入口にあり、ヒシャクで水を流す方式であった)、熟睡できなかったのが辛い。シェルパのボーイがノックをして、お湯の入った洗面器に入ったお湯を持って来てくれたので、早速顔を洗った。その後に紅茶とビスケットのサービスがあり、体が温まった。

 外へ出ると、昨日の天気がうそであったように、空は快晴であった。これはツイテいると思った。パクディンの村落は、ドードゥ・コシ川の河岸段丘のようなところにあり、周りを山に囲まれているので、太陽が登るのが遅い。そのため、昨日の雪が残っていることもあって、気温は相当に低かった(マイナス5〜10度くらい?)。朝食は7時であった。シェルパのコックが作った朝食をキッチン・ボーイがダイニング・ルームへ運び込み、テーブルに並んだ我々に給仕してくれる。とてもおいしく食べることができた。体調がやや不安であったが、これなら今日のナムチェ・バザールまではなんとか行けるだろうと思った。
 8時にパクディン(Phakudin:2,650m)を出発した。しばらくは、ドードゥ・コシ(Dudh Kosi)川に沿った、緩やかな登りである。歩くにつれて、体も温かくなり、快適なトレッキングとなった。


ロッジのダイニング・ルーム
朝のドードゥ・コシ渓谷 Mt Nupla (5,800m) ? Mt Thamserku (6,623m) Mt Khumbila (5,761m)

  しばらく歩くと、クーンブ・ヒマールの岩峰が、青空を背景に次々と見え始めてきた。ヌプラ(Nupla:5,800m)(ナムチェ・バザールの南西に位置する)。タムセルク(Thamserku:6,623m)(ナムチェ・バザールの南東に位置する)。そして、クーンヴィラ(Khumbila:5,761m)。この山はナムチェ・バザールの北側の背後にそびえ、シェルパ族の”神の山”として崇められている。このため、クーンヴィラは入山禁止となっているとのことである。

 11時に、モンジョ(Manjo:2,815m)のサガラマータ国立公園(Sagarmatha National Park)のチェック・ポストに到着した。ここで入園証のチェックを受ける。しばらく小休止した後、モンジョを出発。11時40分、ジョサレ(Jorsale:2,852m)に到着し、ランチとなった。もちろん、ここでシェルパのサポーターが先に到着し、ランチの準備をしてくれており、到着するとすぐに紅茶のサービスがあった。やや疲れ気味の体にとって、心地よい紅茶であった。

休憩 国立公園チェック・ポスト ドードゥ・コシ渓谷

4.2 ジョサレからナムチェ・バザールへ(12月29日(月):その2)

 12時30分に、ジョサレを出発。集落を抜けると、吊り橋を渡り、いったん河原に降りる。河原から樹林帯の山腹を巻きながら登って行くと、遠くにつり橋が見えた。ここは、右から支流のボーテ・コシ川(Bhote Kosi)がドードゥ・コシ川と合流する点で、そこに架かる吊り橋を渡った所(Larja Dobhan)が、ナムチェ・バザールへの登り口となる。1時20分にこの登り口(約2,850m)に到着した。

ここからナムチェ・バザールまでは、標高差およそ600mの急な登りとなる。日本ならこの程度の標高差はまったく問題ではないが、標高が3400mを越えるので、多かれ少なかれ高山病の症状が出る恐れがある。私自身、富士山(3774m)すら登ったことがなく、私にとっては最高標高到達位置への初めての体験となる。皆、気を引き締めて登りに取り掛った。
 道は山腹をジグザグにぐんぐん登っていくが、道幅は比較的広く、しっかりしていたので、快適な登りであった。高山病対策として、大きな深呼吸を何度も繰り返したり、新陳代謝をよくするために水分の補給をおこなった。また、日差しも強くなってきたので、防寒衣類は脱いで、長袖シャツにした。もちろん紫外線も強いので、日焼け防止やサングラスの着用が必要があった(エヴェレスト街道の行きは、後ろ(南)から日が射すので、首筋の日焼けに注意する必要がある)。



Namche Bazar 登り口のつり橋
 ちょうど登りの半分くらいのところ(トップダラ:Topdhara)に来ると、サーダーが「ここから遠くにエヴェレストが見える」と教えてくれた。皆で道の脇に集まり、北の方を遠望すると、はるか遠くにエヴェレストの小さなピークを見ることができた。もちろん、皆で歓声を上げ、感激!!
 また、クスムカングル(Kusumu Kanguru:6,367m)も大きく見えるようになった。 



Mt Everest (Hさん撮影) Mt Everest (8848m)
歓喜醒めやらない中を、再びナムチェ・バザールに向かって登って行くと、シェルパ族の「神の山」:クーンビラ(Khumbila::5,761m)が大きく見えてきた。もうすぐである。



Mt Khumbila (5761m) Namche Bazar 村入口 Mt KongdeRi (6187m)

  3時過ぎ、ようやくシェルパ族の中心村、ナムチェ・バザールの入口(”Welcome To Numche Bazar”の看板)に着いた。入口から少し上ると、村落が展開する広い高地に出た。そこには、仏塔門?と大きな眼がふたつ付いた仏塔?が我々を迎えてくれた?そして、その背後には、雄大なコンデ・リ(Kongde Ri:6,187m)が見られた。またまた、感激である。
 村落は、南側に大きく開いた馬蹄形の山腹に、段々畑のように展開していた。このため、村は既に日が陰っており、また雪も残っていたため、ちょっと寒く感じた。

 仏塔門をくぐって、階段状の道を登って行くと、すぐに道の両側に土産物店やロッジ、バッティ(茶店)などがびっしりと並んだ”商店街”に入った。中には、インターネット・カフェや公衆電話のようなものまであった(後でサーダーに聞いたのだが、現在、政治情勢のため、政府から各家庭での電話が禁止されているとのことであった)。
 この路地裏のような商店街の中をくぐるように登って行くと、村の上部に位置した、我々が今晩宿泊するロッジにようやく到着した。3時40分であった。もちろん、シェルパのキッチン・ボーイが温かい紅茶で迎えてくれた。謝々。
 
Namche Bazaru 雪景色 Namche Bazar 路地(商店街)
 一休みしてから、ロッジの前の庭に出ると(庭の片隅にトイレがある)、ナムチェ・バザールの村落を眼下に見渡すことができた。また、タムセルク(Thamseruk6,623m)の大きな山容が眼に飛び込んできた。とにかくここまで来れたことで、大きな感動を味わうことができた。イヤー、実にすばらしい!!また、
 高山病の症状も出ず、体調も悪くはないので、街中?をちょっと散歩しようかとも考えたが、日が落ち始めると冷え込みが厳しくなり、道が凍り始めたので(街中は坂道ばかりである)、断念した。


Mt Thamserku (6623m) 夕日に映えるThamserku

 6時に夕食をとった。食後、再びロッジの前庭に出てみると、タムセルクが夕日に照らされて、金色に輝いていた。感激、感激!!
 明日の晴天とすばらしいエヴェレストの展望を期待しながら、早めにシュラフの中にもぐり込んだ。高山病の症状はなく、下痢もほぼ止まったようだが、夜中にトイレに何度も起き、その度に外へ出るので、よく眠れなかった。でも、満天の星空には驚かされた(といっても、私は目がよくないので、はっきりとは見えないが)。


<高山病対策> 
 高山病は症状が現れたときは、すでに進行中だそうで、重大な事態にならないためには、充分な高山病対策と兆候を早く察知し、処置することが大切とのことでした。高山病にまったくかからない人はいないく、程度の差はあっても必ずかかるそうです。症状は人によってそれぞれ異なり、年齢、体力とか男女の違いはあまり関係ないとのことです。
 初期症状としては、頭痛(脳の酸欠が原因)、食欲不振、胃のむかつきや吐き気、不眠、手足や顔のむくみ、呼吸数の増加やチェーン・ストーク呼吸(睡眠中に不規則な呼吸と無呼吸を繰り返し、窒息感に襲われて目を覚ます)などがあるそうです。
 高山病の症状をできるだけ軽減するためには、早く高度に慣れるための対策をとることが重要とのことです。私が教わったのは、次のような点です。
(1)ゆっくり歩く。サーダーがリードしてくれるのですが、日本でのペースからみると、とてもゆっくりで、ちょっといらつくような感じのペースでした。 
(2)しっかり呼吸する。呼吸は当たり前ですが、深く、大きく呼吸することがよいとのことです。これによって、肺内の炭酸ガスの排出が促され、血液に酸素が供給されます。
(3)一気に移動高度を上げない。これは、行程自体がそのように組み込まれており、今回は1日600mくらいになっていました。
(4)水分を充分にとる。1日3リットル以上の水分を摂取して、十分排尿するようにとのことでした。これで新陳代謝が促されるとのことです。したがって、お湯またはお茶を入れるためにサーモスタが必須でした。シェルパ族の人々が飲むミルクティーなどが良いとのことでした。
(5)当たり前ですが、しっかりと食事を摂り、十分な睡眠をとる。コックの日本人向け料理は、そういう意味でおいしく、よく食べることができました。また、夜は湯タンポがサービスされたため、足が冷たくて眠れないということがありませんでした(トイレで何度も起き、眠れないことがありましたが)。
(6)最後に、疲れたからといって、夕方から寝込むのはよくないとのことでした。というのは、寝ると呼吸が浅くなり、肺に十分な酸素を供給できなくなるからだそうです。したがって、寝るまでは、体を動かしたり、お喋りなどをするのが望ましいとのことでした。ついでに言いますと、トレッキング中でも、押し黙って黙々と歩くのではなく、適当におしゃべりをするのは良いとのことでした?日本ではよくおばさんのグループが疲れもせずに大きな声で”つまらない事”を話しながら歩いているのをよく見かけ、うんざりするのですが、ヒマラヤはあのおしゃべりハイキングがお薦めとは知りませんでした。

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