わんだふる ネパールヒマラヤ (6)


  
1.プロローグ 
  2.ネパールへ向けて出発 : 12月26日(金)、27日(土) 
  3.クーンブ・ヒマール入口 ルクラ、パクディンへ : 12月28日(日) 
  4.シェルパの里 ナムチェ・バザールへ : 12月29日(月) 
  5.クーンブ・ヒマール展望1 クムジュンへ : 12月30日(火) 
  6.クーンブ・ヒマール展望2 ゴンゴ・リ登頂と帰路1 : 12月31日(水) 
  7.帰路2(モンジョからルクラへ) : 01月01日(木) 
  8.ルクラからカトマンズへ(市内観光) : 01月02日(金)、03日(土) 
  9.さよならネパール・ヒマラヤ : 01月04日(日)、05日(月) 
     *トレッキング留意事項(感想)*  
 

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7.帰路2(モンジョからルクラへ) : 01月01日(水)

 今日1月1日はルクラまでの行程である。時間的にはたいへん余裕があるので、7時起床であった。朝食は7時半。今日は元旦ということで、もちがひとつ出た。皆大喜びである。ツアー・リーダーの配慮に感謝である。

  8時半にモンジョ(Manjo)を出発した。いよいよ最後のトレッキングである。気分は爽快であるが、これで終りかと思うと、やや寂しい感じがした。空は快晴である。ぶらぶらしながらの下りの道は気が楽である。途中、日当たりの良い小さな滝の岩場に、ピンクの花が咲いているのを見付けた。日本のサクラソウに似ていた。日本に帰って本で調べたら、プリムラ・テウテロナナというサクラソウの仲間であることがわかった。それにしても、春に咲く花が、冬場に咲いているのが不思議であった。他に菜の花やタンポポも見かけた。10時45分には、パクディン(Phakudin)に到着。往きでは雪があり、寒さばかりが記憶にあったが、今日は、宿泊したロッジの周りは明るく、早春のような感じであった。


宿泊したロッジ(Manjo) サクラソウ
 12時にタドコシ(Thadokosi)に到着し、ランチとなった。一休みしてから、1時10分に出発。暖かいというよりは、やや暑いといった感じである。振り返ると、ヌプラ(Nupla)が大きく見えた。GoodBye!!




Phakudin&Dudh Kosi 往きに宿泊したロッジ(Phakudin) Nupla & エヴェレスト街道
 3時20分、トレッキングの最終地点(&出発地点)に着いた。ここでも、往きとはまったくイメージが違って、道の両脇には多くの店が開いていた(出発時も開いていたのかと思うが、脇目もふらずに歩いていたのだろう)。まだ時間があったので、皆で外へ出て、ショッピングを楽しんだ(私はウィンドウ?ショッピングであったが)。
 6時から夕食があり、食後は我々のトレッキングを支えてくれたシェルパの人々との交歓会が開かれた。ビールで乾杯し、それぞれが歌を披露したり、シェルパの民族踊りを一緒に踊ったりして、楽しい夕べを過ごすことができた。ツアー・リーダーにまたまた感謝!!

Luklaの入口 Luklaの街の通り

8. ルクラからカトマンズへ(市内観光) : 01月02日(金)、03日(土)
8.1 ルクラからカトマンズへ : 01月02日(金)

 今日で、クーンブ・ヒマールの旅、エヴェレスト街道パノラマ・トレッキングとお別れである。朝6時に起床、7時に朝食であった。飛行機は天候次第で、何時に飛び立つかは分からないそうである(カトマンズから飛行機が飛んでくる必要がある)。とにかく、8時半にロッジを出て、往きでも少し休憩した、飛行場に近いロッジまで移動した。宿泊したロッジも別に飛行場から遠いわけではないが、移動した先は街のはずれで、見晴らしが良く、飛行場が目の前に見えた。飛行場で待っても良いのだが、ターミナルの中がとても寒いそうで、飛行機が到着しそうになったら呼んでもらうことにしたそうだ。

 ところが、飛行機はカトマンズから飛んでこない。ルクラは快晴なのにどうしてなのかなと思ったが、カトマンズの天候が悪いので、飛行機が飛びたてないとのことだった。ネパールは乾季なので、雨が降るはずはないのに、どうしたのか?(といっても、来るときも雨が降ったが)。待てど暮らせど飛行機は来ない。最初は、暖かなので、戸外で周りの景色を見たりしてのんびりしていたが、だんだんと気持ちがいらいらとし始めた。最後は、ひょっとすると、今日は戻れないのかといった不安まで出てきた。

 11時過ぎ、ようやく第1便の飛行機が2、3機到着し、またカトマンズへ飛び立っていった。次は我々の番と期待したが、まだお呼びがかからない。とうとうシェルパから即席ラーメンが出され、ルクラで昼食をとることになった。ここはネパールなのだと自分に言い聞かせて、心を静めるしかない。

Nupla ルクラから南を望む シェルパの人々
  ようやく12時頃、飛行場へ来るようにという連絡があった(ようだ)。シェルパの人々とお別れの握手と挨拶をしてから、飛行場へ向かった。ところが、飛行場でまた待たされた。大変な国なのだなあとつくづく感心させられると同時に、東京での忙しい生活を思い出し、いやーな気分になってしまった。
 1時半過ぎに、ようやく第2便の飛行機が3機到着した。これで一安心。2時ちょうどに我々を乗せた飛行機が、ルクラの滑走路を飛び立った。ヤッター!!でも、これで本当に素晴らしかった”エヴェレスト街道パノラマ・トレッキング”はThe Endとなってしまった・・・・・
 フライトはおよそ30分で、2時半にはカトマンズの飛行場に到着した。すぐに迎えのマイクロバスに乗り、往きで宿泊したホテルへ向かった。ホテル到着は3時10分であった。30分のフライトにしては、長い1日だった・・・・




飛行機からのHimaraya山群
 6日間、風呂に入っていなかったので、ホテルに着くと、まず最初にバスに入って、体を洗った。まあ、慣れてしまえば、風呂に入らなくてもどうでも良いような気もしていたが、やっぱり風呂はさっぱりして、気持ちがよいものだ。さわやか満点といったところか。

 明日は、当初オプショナル・ツアーの遊覧飛行(マウンティン・フライト)に参加して、ヒマラヤ山群を飛行機から展望する予定であったが、最近のカトマンズは朝に霧が出て、昼近くまで晴れず、明日も危ないとのことで、明日の遊覧フライトは明後日に延ばすことにした。明後日の晴れに賭けるということだが、明後日も同じように思われる。今日のフライトの遅れも、カトマンズが悪天候であったということではなく、単に朝の霧が晴れなかったのが原因であったということであった。代わりに、明日は1日カトマンズ市内観光ツアーに参加するように変更した。
 夕食は、皆でネパール料理を食べに、近くのレストランへ出かけた。強烈なロキシーが喉を下って行き、酔いが回ってしまった。極楽極楽・・・


8.2 カトマンズ市内観光 : 01月03日(土)

 今日は一日市内観光なので、朝は余裕があった。予想どおりというか、朝のネパールの市街地は、濃霧に覆われていた、これでは、マウンティン・フライトは無理だろうなと思った。明日はどうなることだろう。
 朝食後は、ホテルの前のスーパー・マーケット(日本のスーパー・マーケットに比べれば小規模である)で、おみやげなどの買物をして過ごした。9時20分頃、現地のツアーガイド(日本語はもちろんうまい)がやってきて、我々をマイクロバスに乗せ、出発した。私自身は、市内観光はあまり興味もなく、事前に観光地などを調べてもいなかったので、どんな所へ連れて行かれるのか皆目見当がつかなかった。また、ガイドは大変丁寧に説明してくれたが、私はあまり理解もできず、聞き流してしまうことも多かった。ガイドさん済みません!したがって、これからの話は簡単に済ませたい。間違いもあるかも知れないが、ご容赦をお願いする。

 最初に行ったところは、スワヤンブナートという、小高い丘の上にある宗教施設(チベット仏教?)のあるところであった。ナムチェ・バザール村の入口で見たような、大きな目玉のある仏塔?が印象的であった。休日のためか、多くの人々が訪れていた。ここからは、市内はもちろん、遠くヒマラヤの山々まで見渡せるとのことであったが、10時頃というのに、薄日が少し差す程度で、まだ霧は晴れず、何も見えなかった。これでは本当に明日もやばそうだ。

 次に行ったところは、旧王宮のあるところのようである(実は、後述するパタン旧王宮やショッピングをした所とよく区別ができないでいる)。やはり宗教施設が多く、三重の塔のようなものがあった。ここも多くの人々で賑わっていた。また、内戦の危機か、兵士が銃を持って警備していた。これはネパールの古都には似つかわしくなかった。”クマリの館”というものがあって、”神”と崇められる少女が住んでいるとのことであった。そこへ行くと、その”クマリ”が少しばかり顔を見せてくれたが、私には悲しさと残酷な感じしか残らなかった。

スワヤンブナート(目玉仏塔?) 旧王宮前の広場 クマリの館(窓から姿を見せる) 旧王宮と市街(市場)
 それから、市街から少しはずれたところにある、パシュパティナートというヒンズー教徒の火葬場に連れて行かれた(他の参加メンバーが是非行きたいと言ったのだが)。火葬場は川のほとりにあり、観光客を含めて大勢の人々で賑わっていた。ヒンズー教の寺院内では、華やかな?女性の歌舞なども行なわれていた。川のほとりでは、火を燃やし、火葬の準備をしている光景まで見られた。ガイドによると、観光客も含めて、衆目の前で火葬がとり行なわれるとのことであった。実際、我々のすぐ近くを、白い布で覆われた”死者”が数人の人々によってタンカに担がれて移送?されて行くのを目撃した。宗教が違い、なんとも言えないが、少なからずのカルチャー・ショックを受けてしまった。

ヒンズー教寺院? 火葬場(パシュパティナート)
 続いて、やはり郊外のパタン市へ行った。ここも以前王宮が置かれたところとのことであった。本当に、ネパールの街は活気?があるようで、人々であふれかえっているという感じであった。ここでは、旧王宮の前で、共産党がお祭りのような集会を開催していた。この国は一体何なのだ??

パタン旧王宮 パタン旧王宮の市街(市場) <-五重の塔(Where?)

 最後に、仏像やお面などを作って販売しているという町(どこかよくわからない)へ連れて行かれた。五重の塔や、黄金の塔などがあったが、さっぱり興味はわかなかった。私はこんなに多くのすばらしい宗教施設や文化とまずしい人々の生活とのギャップに、ただ怒りを覚えるだけであった。遠くにヒマラヤの山々を見ながら、頭が混乱してしまったような気がした。
 夕方5時にホテルに到着した。今晩も皆でネパール料理を食べに外のレストランへ行った。今晩も強烈なロキシーをあおってしまった。明日の天気が心配であったが、明日は早朝に起きなければならないので、とりあえず早めに寝た。

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