わんだふる ネパールヒマラヤ (7)


  
1.プロローグ 
  2.ネパールへ向けて出発 : 12月26日(金)、27日(土) 
  3.クーンブ・ヒマール入口 ルクラ、パクディンへ : 12月28日(日) 
  4.シェルパの里 ナムチェ・バザールへ : 12月29日(月) 
  5.クーンブ・ヒマール展望1 クムジュンへ : 12月30日(火) 
  6.クーンブ・ヒマール展望2 ゴンゴ・リ登頂と帰路1 : 12月31日(水) 
  7.帰路2(モンジョからルクラへ) : 01月01日(木) 
  8.ルクラからカトマンズへ(市内観光) : 01月02日(金)、03日(土) 
  9.さよならネパール・ヒマラヤ : 01月04日(日)、05日(月) 
     *トレッキング留意事項(感想)*  
 

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9. さよならネパール・ヒマラヤ : 01月04日(日)、05日(月)

 4日は、早朝の4時に起床した。窓の外を見ると、やはり霧が出ているようだった。うーーむ!これはどうもだめそうである。とにかく、朝食のためにフロアへ行き、食事をとった。霧が晴れて、遊覧飛行機が飛べそうということがわかれば、6時にホテルを出発することになっていた。しかし、やはり連絡が来ない。今日は、午後にはカトマンズを立って、バンコックへ向かわなければならないので、いつまでも待っているわけにはいかなかった。結局イライラしながら、9時まで待機したが、ここでキャンセルすることになった(料金は、フライトが出来ない場合は、戻ることになっている)。うーむ!残念無念!!空からヒマラヤ山脈を見るという希望がかなえられなくなってしまった。
 やむなく、ホテルの近くの市街地を散策したり、ホテルの前のスーパーでショッピングしたりして、時間を過ごすことになった。そして、10時45分にホテルを出発し、カトマンズ国際空港へ向かった。これでネパールともお別れになる。

 14時10分、タイ航空TG320便でカトマンズ国際空港を離陸、およそ3時間のフライトで、18時30分バンコックの国際空港に到着した。そして、往きで宿泊したときのホテルに連れていかれ、そこで宿泊した。

 翌日5日も早い。4時半に起床、5時には食事をとり、6時半にホテル出発となった。今回のツアーの費用が安かった理由が何となくわかってきた。すなわち、飛行機は、関西国際空港発着のタイ航空の利用が、バンコックの宿泊費を入れても格安で、かつカトマンズでの滞在を1泊増やしても(本来のツアーは10日間のツアーであるが、今回のツアーだけ11日間となっている)、日本の休日の4日をはずしたほうが費用が少なかった、ということではないだろうか?更に、関西国際空港からの帰りは、直接羽田へ飛ぶのでもなく、また新幹線で帰るのでもなく、驚くことに、バスに乗り伊丹へ行き、そこから羽田へという行程であった。ウワー!!すごい!!びっくりしたなー!!

 まあ、とりあえず東京へ無事に戻れればよいとしよう。8時30分にバンコックを飛び立ち、一路日本へ向かうことができた。飛行機は特に空いているということはなく、ほぼ満員であった。午後の3時25分に関西国際空港に無事到着した。ここからが大変。リムジンバスに乗り換え、伊丹飛行場へ向かう。そして、夜の7時にJALに乗り、8時過ぎにようやく羽田に到着することができた。とりあえず、ほっとしたと言いたいところであるが、これから家に帰ると夜の10時頃になりそうだ。そして、明日は”お仕事”が待っています。あの”わんだふるネパール・ヒマラヤ”は、遠くへ行ってしまいました。さようなら!ネパール・ヒマラヤ!!


   *トレッキング留意事項(感想)*

 最後に、今回のエヴェレスト街道トレッキングで私が感じたこと、あるいはこれから行ってみようかと思う人への留意事項などを、思いつくままに列挙してみたいと思います。ただし、一般的なお話ではありません。あくまでも、今回の私の体験から感じたことですので、ご理解ください。参考にしていただければ幸いに思います。

 01.気候: 思ったより寒くはなかった。標高1000mの山中湖の方が寒いと感じるくらいであった(山中湖では、厳寒期はマイナス15度くらいにはすぐ下がる)。冬は乾期で、晴天が多く、日中は日差しも強く、汗ばむような感じでであった。したがって、日本の北国のように、大雪が降ったり、暑い雲に覆われたりということはないそうで、今回の雪(およそ10から15cm)は珍しいとのことであった。

 02.登山道(街道): とても整備?されており、きつい登りもなく、日本の登山道に比べても、とても歩きやすかった。ゾッキョも、一部の場所を除けばゆったりと歩ける道である。吊り橋も、アルミ製のしっかりしたもので、安全であった。雪が降った後、少し凍ったところもあったが、慎重に歩けばまったく問題はなかった(アイゼンは不用である)。本には、モンスーン期(夏)は、木からヒルが落ちてくると書いてあったが、冬のせいかどうか分からないが、ヒルは私たちにキスをすることはなかった。

 03.宿泊施設(建物): 当初はテント泊と思っていたが、すべてロッジ泊となったので、ロッジ泊に限定して述べる(テント泊の場合は、ロッジの近くの広場でテントを張るイメージで、日本の山の中でのテント泊とは異なるようである)。ロッジは基本的には石造りで、石の間の隙間はシックイのようなものが塗られているようだ。したがって、行く前に言われたような、隙間風が吹き込むというようなことはなかった(昔、私の新潟の家では、冬になると隙間風が荒れ狂っていた?)。ただ、窓ガラスが一重なので、外気の寒さが直接伝わってくる感じである(今の私の山中湖の家も同じである)。床はおおむね板張りで、一部土間または石畳である。したがって、靴を脱ぐのは、ホテルと同様、ベッドに入るときだけである。日本の山小屋に比べると、数段上等な建物であると思った(もちろん、一部の北アルプスのホテルのような山小屋?は別としてであるが)。ロッジは、持ち主の家族が住んでおり、民宿のような感じではあるが、実態は”場所貸し”というイメージで、食料、炊事用具、寝具(シュラフ)等はすべて持ち込みというシステムである。



ロッジ(2F右がダイニング・ルーム)
 04.宿泊施設(部屋、暖房): 食事用のダイニング・ルームがあり、小奇麗で感じがよかった。部屋は、1部屋2人で区切られており(といってもとなりの声は筒抜けであるが)、簡易的なベッドが2つ揃っていた。寝具は厳寒期用のシュラフであり、ウール?のインナーシーツがついていた。部屋には暖房器具がなかったが、夜湯たんぽのサービスがあり、厚着をして寝れば、寒くて眠れないということはなかった。なお、ホールにはストーブがあり、暖かかった。行く前に、ダニがいると言われたが、幸いなことにダニ君とは遭遇しなかった。一晩だけ、天井でネズミ君が運動会をやっていたロッジがあった(日本でも昔はよくあったものだ)。


ロッジ(ダイニング・ルーム前) ロッジ(ダイニング・ルーム内)

 05.宿泊施設(電気、水道): 電気はすべて通じていたようで、食事をするホールには照明があった。ただし、ロッジによっては、部屋には照明がないところもあったので、懐中電灯(できたらヘッドランプ)は必携と思う(照明がないところは、寝るまではロウソクとなる)。水道は原則ないと思ったほうがよい。夕方と朝に洗面器に入ったお湯がサービスされるだけである。これで顔を洗ったり、体を拭いたりすることになる。もちろん、シャワーはない(一部のロッジでシャワーサービスがあるところがあるようだが)。飲み水は、お湯をテルモス(水筒)に入れてもらって、それを飲むようにする。

 06.宿泊施設(トイレ): 水道がないのだから、トイレは水洗ではない。一般的には、ロッジの外の中庭の片隅にあるトイレ小屋(日本の簡易トイレよりは3、4倍も広い)を使う。使ったトイレットペーパーは、専用の入れ物(空き缶)に入れるようにする。落ち葉が置いてあるので、大きいほうの後は、落ち葉をかぶせるようにする。これは、後で堆肥として使うとのことである。数10年前の日本と同じということである。一部のロッジでは、建物内にトイレがあった。この場合は、缶に水が入っているので、使用後ヒシャクで水を汲んで、水を流すようにする。夜、外へトイレに行くのに、懐中電灯(ヘッドランプ)は必携である(私は夜何度も目が覚めてトイレに通った)。ただし、外はそれほど寒く感じず、また目の悪い私でも、天の川がとても美しく見えて?、感激することができた。忘れるところでした。トイレット・ペーパー1巻を必ず日本から持って行きましょう(一部のロッジでは売っていましたが)。

 07.宿泊施設(食事): 今回のツアーでは、食事はとてもよかった。コックがカトマンズで日本料理を勉強したというだけあって、味付けも含めて日本人好みの料理であった。起床時、朝、昼、晩の食事時、それに到着時に出るティー(ミルク紅茶)もおいしかった。日本の山小屋の食事とは天と地の差である。日本の山小屋の食事は何とかならないものだろうか?強いて難を挙げるとすれば、もう少しネパール風、あるいはシェルパ風料理があってもよいのではと思うが、贅沢だろうか?なお、日本から梅干しやふりかけなどを持っていってもよいが、無いから困るということはない。

 08.高山病: 今回のトレッキングで一番気になったのが、高山病でした。結果的には、私はほとんど影響がなかったと思っている(頭が痛いとか、ちょっと下痢をしたといったことがあったが、これは東京でもよくあることで、高山病の影響かは不明である)。家内も含めて他のメンバーも、多かれ少なかれ高山病の症状は出たようだが、登るのが辛くてダウンするといったことはなかった。ツアーの行程そのものが無理がなく、1日の高度差も600mくらいということもよかったと思われる。また、ゆっくり歩く、深呼吸をする、水分を多くとるなども、効果があったと思っている。私の想像ではあるが、体調が悪くなく、高度順応に努めれば、多くの人は2800mくらいまではなんとかいけるのではないかと思う。ただし、個人差が大きいので、くれぐれも注意をすべきである(富士山でも、一気に頂上を目指せば、たいていの人は高山病の症状が出るようだ)。

 09.服装: 基本的には、日本の晩秋あるいは初冬の山歩きの服装で問題はないと思われる。ただし、防寒対策として、ダウンジャケットは必須である。私は15000円くらいのジャケットを買って行ったが、軽くて、暖かくて、かつコンパクトになるので多いに助かった。ただし、日中はフリースを着たので、ダウンジャケットを着ることはなかった(ダウンジャケットでは暑過ぎると思う)。その代わり、ロッジに着いてからは急に冷え込むので、フリースの上に重ね着をして、防寒対策とした。私は冷え性(年をとってから)なので、使い捨てカイロは多いに役に立った。また、タイツもあったほうがよいと思う。雨用のヤッケ(上下セパレーツがベター)も、雨が降らなくても、ウィンドヤッケに使えるので、持っていくべきか思う。我々は、最初の雪の日に着た。手袋、帽子も必須であり、目の弱い人は日差しが強いので、サングラスも必須となる。服装ではないが、紫外線が強いので、日焼け対策も考える必要がある。

 10.荷物、装備: 背負うザックは25Lから30Lの大きさでよい。入れる物は、ダウンジャケット(ほとんど着ることはないと思うが)、雨具(これも着る機会は少ないと思うが)、それにテルモス(または水筒)と個人的なカメラなどの小間物やおやつくらいである。テルモスは水分補給のために必携である。朝ロッジでお湯を入れてもらえば、道中水分補給ができる。道中に必要のない物はすべてダッフルバッグに詰め込んで、ゾッキョ君に運んでもらうことになる。ゾッキョにバッグを乗せると、においが付いて使えなくなるという話を聞いていたが、そんなことはまったくなかった。

 11.その他: お金は、おみやげを買う以外は、休憩時に紅茶を飲む時に使うくらいで、ほとんど使うことはない。頭痛薬、風邪薬などの薬は一応用意して行くべきである。ストックは私は邪魔なので使わないが、人によっては持っていくのがよいのかもしれない。道中のトイレは、どこでも困るものであるが、途中のロッジで借用するのも大変で、結局道端の林の中等で用を足すことが多かった。これは生理現象なので、よくないとはわかっていても、やむを得ないことと思う。この間、シェルパのサーダーが待っていてくれた。

 12.カトマンズにて: 行く前は、市内は埃っぽく、においが強いと言われ、マスクを持っていくように勧められた。確かに埃っぽかったが、臭いが気になるとかということもなく、マスクを着用することはなかった。ただ、我々が行ったときが偶然埃が少なかったのかもしれない。確かに、緑が少なく、道路脇にはむき出しの土が多く見られた。したがって、私には一般的な断定は出来ない。
 治安はとてもよかった。最初、市場などの人込みの中に入るときはやや緊張したが、すぐに慣れてしまい、まったく不安を感じることはなかった。時々歩いていると、おみやげを勧める男が近づいてきたが、”No"と断れば、付きまとわれるということはなかった。道路脇に物乞いをする人は見受けられたが、いわゆるストリート・チルドレンのような物乞いはいなかった。


                                                              2004年2月29日 完

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