Bon Voyage! HOMEMOVIE REPORT > 1999年5月

「エネミー・オブ・アメリカ」
トニー・スコット監督、ウィル・スミス、ジーン・ハックマン、ジョン・ボイト、レジーナ・キング、リサ・ボネット、スチュワート・ウィルソン、ローレン・ディーン
★☆

国家権力が個人の生活をここまでメチャクチャにできるんだぞー、っていう恐怖心を煽る映画。悪者の立場が違うがシチュエーションは「ザ・インターネット」のサンドラ・ブロックと同じ。

で、ウィル・スミスが何が何だかわからないまま仕事はクビ、クレジットカードは止められ、妻には浮気を疑われ、ひたすら逃げ回る。観ているあいだはとにかく目まぐるしく場面が転換して飽きないのだが、実に底が浅くてがっかりもの。

衛星からの監視とか、盗聴チームの描写がなかなかではあるが昔の「カンバセーション」のような心理的緊張感には及ばない。プロらしい対決というにはディテールのレベルが低い。ウィル・スミスが自宅で警察を装った連中から取り調べられる場面で「捜査令状は?」と聞き返して監視チームは「こいつ頭がいいな」とコメントするんだけど、やり手の弁護士なんだからそんなこと当たり前だろうが。ジーン・ハックマンにしても、あれだけ正体を隠していながら、大詰めの証拠を録音する場面では何の工夫もなくつかまるし。

それにだな、最後の大逆転にしても、あんまり頭の冴えた解決じゃない。サンドラ・ブロックが非力な女に見えて、結局自分のプロたる領域で反撃したのに比べると数段落ちる。

個人的にはあんなランジェリーショップは実在するのか? とかジョージタウン大学では生物学の講座があるのか? 相撲の力士が動くインジケータは誰が作ったんだ? とかいう関係ないところが知りたかったりする。

「シン・レッド・ライン」
テレンス・マリック監督、ショーン・ペン、エイドリアン・ブロディ、ジム・カヴィーゼル、ベン・チャップリン、ジョージ・クルーニー、ジョン・キューザック、ウディ・ハレルソン
★★★☆

キャストにはニック・ノルティとかジョン・トラボルタもいるのだ。ディカプリオもブラピもニコラス・ケイジも出演志願したとか、伝説の巨匠とか、話題としてはなかなかマスコミ受けするのだが日本での興行成績はどうも悲惨なようだ。

哲学的独白と、芸術的映像美で構成された戦争の詩。これがフツーの監督だったらまるで相手にされないだろう。

人物造形とかストーリーとかよりも、印象の断片の積み重ねでイメージの定着を狙っているのかと思う。言葉にしたら薄っぺらな抽象概念を、映画というメディアでどれだけ描けるのか? という実験なら納得できないこともない。単に戦争の残酷さ、非人間性を卓越した映像で浮かび上がらせるというレベルではないだろう(もしそうだったらただのバカというか大きな誤解だ)。

誰が誰だか区別がなかなかつかないのはなかば意図的かもしれない。対照的にわかりやすいキャラにはわかりやすい俳優を当てているし。ショーン・ペン、ニック・ノルティ、ジョン・トラボルタ、ジョージ・クルーニーなんかはほとんどステロタイプといってもいいような定型なんだもん。だが、それに対して兵士たちの複雑な内面独白はむしろ観客の思考を停止させる。集団劇の必要条件としての性格設定はないし(いや、もしかして努力して失敗したのか?)、かといって個人と集団というテーマでもないみたいだ。これでわかれっていうのが無理ではないか? まあ、私の注意力が散漫なのかもしれないが(それにしても本編を見ている時に5回も目の前を通り過ぎたヤツのせいで、何度も膝をどけさせられたのが辛い)。

ある程度意識させられるのはソロモン諸島の原住民とその文化への視線と、豊かな自然なのだが、映像としてはそれほど称揚するようなものでもない。木漏れ日を逆光で捉えても、「羅生門」(白黒だけど)の衝撃からいえばたいしたことはないわけだし。

実は、日本兵のしゃべる数少ない日本語の台詞ってのがいちばん強調したかったみたいだ。でも、それが「きさまも いつか 死ぬんだ」とか「おれは おまえを 殺したくない。わかるか?」で、何度も繰り返されるわけなんだが、それが象徴的な高みにまで昇華しているとは到底思えない。日本語で聞いているからだろうか?

極限状態において生と死の意味を問う、という古くて新しいテーマなのか? それならなんでそんなもんをいまなぜやりたかったのかなあ。スピルバーグの場合にはアカデミー賞がどうしても欲しくなったとか、音響とか特殊効果を古い題材で試したかったとかわかるんだけど(それはそれでレベルも志も低いが)。

というわけで疑問だらけ。もしかしたら20年後には「去年マリエンバートで」のようなカルト人気哲学映画になるかもしれない。だが、現時点の評価では意欲的実験作にして壮大な失敗作というところか。それにしても不思議な映画だ。いわゆる涙ボロボロの感動とはまったく別種のエモーションを掻き立てるのだ、そしてそれはどうもアタマでは理解不能だったりする。切に、「もう1回観たい」と思う。今度こそ、邪魔が入らないことを願って。


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Text by (C) Takashi Kaneyama 1999