Bon Voyage! HOME > PRIVATE DIARY > 1999年6月上旬

迷狂私酔の日々


6月1日(月)

それはそれとして、歯車は回り出す。というわけで、この2か月は忙しいのでみなさんよろしく。×××の名義を変更し、●●●の預け先を決め、○○○を大量に売り、その金で△△△を買い、ついでに▲▲▲を設計変更し、□□□に移動する。そして▼▼▼の手続きをし、■■■などを作って配り、◇◇◇に説明したり謝ったりする。いったいナニがナニやら。

こういうときに、なんとやっぱり結局日本はアメリカンフットボールのワールドカップに出ることに決まったそうだ。わずか6か国でしかもアメリカとカナダが不参加とはいえ、初代ワールドチャンピオンになる可能性は非常に高い。でも、もう行けないよー。休暇願いはもう引っ込めたし、なによりこのスケジュールではまるで行けない。人生でもっとも日本を離れてはいけない時期なんだもん。ああ、泣きたい。果たして生中継はあるのか? 頼むぞGAORA!

6月2日(水)

印刷会社のオオドジのせいで走り回る。正確に言うと、延々出かけて延々待ち、延々話を聞くはめになったのだが。

録画失敗の件。誤解のないように補足すると、私がビデオの操作を会得していないのではなくて、ビデオとテレビのチャンネル設定が一部できなくなっているのである。マニュアル通りにしても入力が途中でフリーズしちゃうのだ。で、見るだけならなんとかなっているのだが、予約録画でチャンネル設定してもダメなんだな、これが。もしかしたら複雑な配線をしたせいだろうか?

オガピーは「ためしてガッテン!」のファンらしい。寝る前に食わない、酒を飲まないで7kgも痩せたそうだ。私は、なんであんなにバドミントンしても痩せないんだろう? やっぱり2か月に1回、2時間では足りないんだろうか? そのあとビールに焼き肉ってのがいけないんだろうか? 謎だ。

6月3日(木)

ああ、忙しい。

でも頭痛がするから早退きして、国立に行こうっと。

しかし、やっぱりぎりぎりになるのであった。ぜいぜい。日本対韓国が見られなかったじゃないか。女子だけどさ。それどころか、スタメン発表も聞きそこなった。整列しているところをスクリーンで見たら、井原がはずれて森岡、秋田、斉藤の3バックだった。ありゃま。右に伊東、左に相馬、中盤の底に田坂と名波、前に中田と藤田、1トップに呂比須。あ、川口は背番号がついに1になったのですね。

ベルギーにはオリヴェイラもムペンザ兄弟(兄が後半に交代出場したらしいが)もみえない。で、やたら背が高い。足が長い。なかなか倒れない。そしてすぐに高いボールを放り込んでくる。ハードマークや安全第一のパス交換を見ていると、まるでドイツか昔のイングランドみたいだ。でも、パスカットの時の読み、チャンスの時の走り込みなんかは近代的。でもですねえ、ラストパスとフィニッシュの精度がいまいち。裏返せば、日本のバックスがうまくパス出しにプレッシャーをかけ、シュートコースをふさいだ、ということかもしれない。

実は、前段B列だったのだが、A列はロープを張ってあったので最前列、すぐそこは陸上のトラックという席だったのです。選手が近い。しかし、プレーの全体がつかめない。逆サイドは見にくいし、オフサイドは判断がつかない(別に私が判定する必要は全然ないけどさ)。

それにしても惜しかった、ベルギーの前半ロスタイムのシュート。ふつう、入ってるよあれは。

6月4日(金)

「ライフ・イズ・ビューティフル」を見た。よかった。でも「人生は美しい」か「La Vita E Bella」の方がいいよな。

6月5日(土)

それにしてもパシフィックリム選手権の日本対フィジー(これはラグビーね)をどうしてどこも中継しないのだろう。

「スポーン」などというくだらない映画をWOWOWで見た。このキャラクターは売れるかもね、たしかに。フィギュアとしては。

6月6日(日)

書留の引き取りとダービーをいっぺんにいっちゃえ、ということをやると日本対ペルーを見られないことに気づく。すでに11時だし(単に起きるのが遅いともいう)。しかたなく、1時間半で後楽園まで往復して買った馬券は見事に間違っていた。500倍の馬券は1000円買っといて、14倍は500円しか買ってない。アホだ。まあ、これで当たれば50万円という夢を見られるわけだが。

日本対ペルー。

柳沢と服部と楢崎が先発。藤田が右ウィングで、伊東テルが底。なんか、気合いが入らないことこの上ない。別にメンバーが悪いわけではなく、監督も悪くないのだが、まだチームとしての形をなしていない。引き分けたのが不思議なくらいだ。

おお、日本ダービー。ベガの息子が勝ってしまった。騎手は同じ武豊。でも、いいレースだったな。みんな菊花賞にも出てね。距離が不安なら天皇賞路線でもいいけど。とにかく、怪我とか病気とかしないでね、お願いだから。

ちなみに、ベガの子どもだったから御祝儀で単勝を買っていたのでわずかにプラスではあった。もしかしたら、3年ぶりの勝利か。

最近iMacを買ったぼっこりちゃんからの救援要請の電話。郵便局に行って書留を引き取ってからぼっこりちゃんちのiMacへ。TAとの接続がうまく行かない。モデムの経由先に内蔵モデムしか選べないのが不思議。どうもTAのドライバのバグではないか、という気がする。だって、持っていたPBG3でもつながらなかったもん。TAがどうも反応しないのが気にかかる。

で、結局直らないまま、かつをのたたきをごちそうになって帰る。

6月7日(月)

昨日の問題について調べると、NTT-MEのMN128miniVには同様の苦情が多発しているらしいことがわかってきた。ファームウェアのヴァージョンの問題かもしれない。

diaryの更新をさぼって、ごめん。ついでに、movieには「ライフ・イズ・ビューティフル」、bookには『暴虐の奔流を止めろ』。

6月8日(火)

何はともあれ、セレッソ大阪対ペルージャ。

ラパイッチもマトレカーノもマッザンティーニもいないが、オリーヴェとペトラッキがいるからいいか。セレッソがなかなかいい攻めでチャンスは作るのに、点が入らないという「日本代表」状態。西谷の左足はいいねえ。で、西澤はどうも危険な感じがしない。ファンソンホンはやっぱりすごい。真中も悪くない。

しかし、ペトラッキのセンタリングをブッキがアタマで叩き込み、後半にはメッリがディフェンダー3人のすきまからシュートして2点目。中田は楽しそうにプレーしてたし。カズがいたときのジェノアはBに落ちるかどうかのプレーオフで負けて次の日というかまるで徹夜状態でそのまま来日するという気の毒なことになってしまったが、ペルージャは残留はしたし、お客さんは入ったし、日本にペルージャファンが多いことも実感してホクホクでしょう。

名波は予想通り、ヴェネツィアへ。レコバが来シーズンもいるとすると、中盤の底になるのかな? その前に、試合に出してもらえるに十分なアピールを監督・選手・サポーターにしないといけない。中田が、初戦でわかりやすいアピールとして2得点をあげたように。

中田の行き先だが、ウワサされるボローニャは中堅だけに移籍金を値切ることは間違いなく、強欲ガウチとのタフな交渉になるだろう。私の望みはローマを去ったゼーマン監督がウディネーゼの指揮を執り、中心に中田を据えることだ。ゼーマンのスペクタクルな攻撃サッカーを中田が花開かせるところを見てみたい。可能性はあんまり高くないが・・・。

ぼーっとしているのもナニなのでサンダルで飲みに出かける。そうしたらガス工事であった。でも明かりがついているし、突っ切ってもなにも言われないので入って飲んだ。いやあ、うるさい、うるさい。こんな状況では客は入る気にならないぞ。と、思ったら次から次から客がやって来るのであった。なんでだろ?

しかしだな。それから怒って、笑って、無茶苦茶おもろかったんだが、これは公開できんな。う〜ん、惜しい。

6月9日(水)

久しぶりにはしご酒。持ち金が少なくってハラハラする。最近の笑い話で楽しく飲む。私以外はみ〜んな女性だったのだが、全然意識せずにゲラゲラできるのは大変素晴らしいことだ。きっと、そうだ。

帰ってから、QuickTime4.0の正式版をダウンロードするかを一瞬考えるが、β版で問題はいまのところないし、日本語版は7月には出るそうなのでやめておく。で、またまた「スター・ウォーズ エピソード1」のムービーのダウンロードに挑む。順調にダウンロードを始めたので安心して寝る。せいぜい45分から1時間で行けるだろう。ダウンロードし終わったら、2分間なんにもしなければ自動的に接続は切れる設定になっている。ルータ経由だと、接続をいちいち切るのが面倒でそうしているのだ。

6月10日(木)

起きて、PB G3に警告ダイアログが出ているのを見つけた。「ネットワークに・・・」。ええい。このダイアログのせいでダウンロードは中断していた。昨晩(正確には今朝だが)午前3時頃には5〜8kbpsのスピードが出ていたのに、今は100〜150bpsだ。泣く泣くキャンセルする。天は我を見放したか。それにしても、もしかしたらずっと接続していたのかな? ああ、また電話代が・・・。やっぱりテレホーダイに入るか。

「恋に落ちたシェイクスピア」を観た。帰ったら、ぼっこりちゃんからメールが来ていて、結局新しいTAが届いてつながったそうだ。まずはめでたい。結局、不良品だったということか?


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