Bon Voyage! HOME > BOOK REVIEW > September, 1998

1998年9月
『虎の潜む嶺』
ジャック・ヒギンズ、伏見威蕃=訳、ハヤカワ・ノヴェルズ

原著は、1963年にマーティン・ファロン名義で刊行されたポール・シャヴァスのシリーズ中の1作にプロローグとエピローグを加えて1996年に再版されたもの。ビューロー(秘密情報部)の局長を20年務めて引退を翌日に控えたシャヴァスのもとを訪れたチベット僧にかつての冒険譚を語る形で物語は展開する。

それにしても、身元が明らかでない相手に、自分の身分や過去の話をそんなに簡単にしゃべるものだろうか? それが、相手の本当の姿を探る手だとしても。

プロットが簡潔、というか、実にあっさりしている。さすがに、エピローグではひねりを加えているが。

作戦が、今の水準からすれば原始的。通信手段とか脱出が遅れた場合の代替プランとか、潜入のための偽装とか、そういうものは準備しないのかね?

シャヴァスへの李大佐の感情がなかなか微妙。シャヴァスが囚われて尋問される過程がけっこう圧巻。そのわりには最後の脱出行をもっと書き込めば、と思う。

華麗(イアン・フレミング)でも重厚(ジョン・ル・カレ)でもない、シニカルでアウトサイダーな主人公の創造への過渡期なのか、後のヒーロー造形への萌芽が見られるところはファンには見逃せないかも。

35年前には、こんな素朴なキャラクターとストーリーでよかったのかも。昔懐かしい図式。ヒギンズが好きだから、とにかくけなしたくないので。

ヒギンズらしい味のある人物像が(ほとんど彼のサインのようにいつも同じような陰影だが)、まるでクルーグのノン・ヴィンテージのように、安定したおいしさを堪能できる。

『沸点の街』
ミッチェル・スミス、布施由紀子=訳、新潮文庫

原題は"Sacrifice"。邦題は、まあ、盛り上げようという題名なんだろうけど。どうもミッチェル・スミスの作風からは合わないんだなあ。フロリダの感じでもないし。つまり、アクションとかサスペンスとかダイナミックとかサイコとか、そういう要素はたしかにあるけど、むしろ丹念なディテールから浮かび上がるしっかり陰影のついた 個々の人物造型とそこから生まれる奇妙な味わいこそがキーだと思うのだ。

この作品は、要するに猟奇連続殺人の犠牲になった娘の復讐に立ち上がる銀行強盗の話だ。そんなありふれたプロットを、リアリティある物語に編み上げていく手腕は確かだ。

裏世界のコネと男気で犯人を追う主人公が実にいい。そして、出てくる娼婦悪徳警官銃の密売人金の洗濯屋文書偽造人麻薬密売人おいぼれギャングといった登場人物が、短い描写ながら印象的。意図的に軽い仕上げにしているのではないかと思う。ほんとうなら、もっと粘液質にネチネチと書き込むんじゃないかな。

犯人側のストーリーも追いかけていく方も、ほどよいひねりとわかりやすさ。なんか、フランス料理の三ツ星シェフが大衆向けにアレンジした洋食という感じもしないではない。あんまり複雑な人間関係だとついていけなくなったりするからな。主人公があまりにいい人なんで、ひねくれた感性ではどうも甘ったるいかもしれない。前作『エヴァン・スコットの戦争』からさらにポピュラリティがアップして、重厚さが消えつつあるのは、予想できたとはいえ残念。

『ミス・オイスター・ブラウンの犯罪』
ピーター・ラヴゼイ、中村保男ほか=訳、ハヤカワ文庫

18篇を集めた短編集。イギリスの本格ミステリーの王道に現代的な味付けをほどこした、とでもいえばいいのか。一篇が短いので、ワンアイディアでいかに読者をあっと言わせるか、に技巧の冴えを見ることになる。なかなか楽しめます。

意外な犯人も意外な殺人方法も意外なアリバイも意外な手がかりも取り揃え、さらに幽霊もホームズも奇妙な味もブラックユーモアもあってサービス満点。「ああ、そういう展開か」と安易に予想すると、上手にひねりを効かされて一本取られますよん。ニヤリとすることしばしば、なんとうまいことよ。

もっとも、ここにはハードボイルドもヒューマニズムも社会批判もないので、あくまで頭脳を柔らかくする体操としてお読みください。私は人物描写に込められた人間観察の鋭いトゲが面白かったのですけどね。

『ホワイトアウト』
真保裕一、新潮文庫

『ブラックライト』の次は『ホワイトアウト』なのだ。ははは。

さて、これは大変評判になった日本冒険小説、つまり、設定は現代の日本。船戸与一のように外国に活路を求めず、佐々木譲のように過去に舞台を移さないで、いかにしてアクション活劇を成立させるのか、その挑戦は成功するのか?

結論としては、ほぼパーフェクトに問題を解決しています。日本人らしく銃器に不慣れな主人公はダムを知り抜いている強みで切り抜け、「なんで知らせに行かないんだ?」というよくある疑問を排除する、納得するしかない行動パターン(ダムの放流を止めにいくところね)。リアリティを感じさせる設定、よく考え抜かれた流れ、しかしもっとも重要なことは、孤高の使命感の雄々しさというか、ハードボイルドなんだな。

場所は雪と山に閉ざされたダム。テロリストの占拠事件に巻き込まれながら、ただ1人難を逃れたダム運転員。たった1人で、人質をたてにするテロリストと戦うところは「ダイハード」、雪山で登山の技術を生かして対抗するあたりは「クリフハンガー」(友人を失った傷をもつところは酷似)と言う感じだが、もっとも近いのはデズモンド・バグリイの小説世界ではないだろうか。たとえば『原生林の追撃』とか。過酷な大自然との戦いを、テロリストとの争いの構図のなかでさらに厳しくして 自己の弱さとの戦いを浮き立たせるところなんか、そのもの。

しかし、それは精神の気高さにおいて似ているのであって、この作品世界はまったく日本オリジナルだ。とにかく煙攻め、水攻め、雪道ラッセルを生き抜き、さらに戦いの場へ赴くのだから。中でも、交信に成功してから敢然とダムへと戻っていくところなんか落涙もの。

最後まで緩まない緊張感と、予想を裏切り、上回るストーリーのひねり。 ラストの余韻もいい。久しぶりに泣いたぜ。

難を言えば、警察側のキャラクターを掘り下げて内部の軋轢も描いたら厚みが出ただろう(もっとも下手すると焦点がぶれるが)。敵の個々人の書き分けにもちょっと不満。また、犯人の名前は聞いただけならカタカナ表記じゃないかな? はっきり言えば、このネタなら上下2巻分楽しみたいのだ。というわけで、贅沢な不満なのでした。

『ブラックライト』(上・下)
スティーヴン・ハンター、公手成幸=訳、扶桑社ミステリー

『ダーティホワイトボーイズ』の続篇だとばっかり思っていた。いや、それは間違いではないのだが、本当は四部作の第2作と第3作に当たるのだそうだ。そして第1作は未訳で、新潮文庫から刊行予定。いやはや。『ダーティホワイトボーイズ』にはそんなこと書いてなかったぞ。

というわけで、実はこの四部作はボブ・リー・スワガーを主人公にしたサーガで、この2部と3部は、ワキ筋になるらしい。う〜ん、そうだったのか。それならば、あからさまな伏線(バレバレの謎)にも納得がいく。出生の秘密や40年前の事件、父親との確執といったテーマの反復も意図的なものだろうし。

形式としては、父親の死の真相を探るミステリーで、謎の提示とひねり、意外な解決は一応揃えてある。しかし、何より印象的なのはライフルをはじめとする銃の数々。クライマックスはスナイパー同士の「狩り」。中心となるボブにはベトナムでの殺人者としてのヒーローという名誉と十字架が負わされている。この人物については、第1作を読んでいることを前提にしているはずなので、評価を保留にせざるを得ない。この『ブラックライト』だけでは、超人的なヒーローという側面が強調され過ぎている感じなのだが。

かなり面白いことは確かだが、この作品に関して言えば、書き込んである脇役はさすがに印象的だが、肝心の敵があっさりしているのがキズか。ただ、このシリーズの第1作を読んでみないとわからない。かなり壮大な意図のもと、「悪の物語」が展開されているような予感がするのだが。


←BACK |↑TOP | NEXT→
(C) Copyright by Takashi Kaneyama 1998