Vartovからの便り
昔日のグルントヴィとともに

清水 満

Vartovと市庁舎
2002年2月22日の便り

2002年2月26日の便り

2002年2月28日の便り

2002年3月5日の便り

2002年3月7日の便り

2002年3月12日の便り

Vartov便り番外編

2002年3月15日

G君へ

いよいよデンマークを去る日が来ました。明日早朝にVartovから空港へ向かい、デュッセルドルフへと飛びます。最後の日もとても心地よい日でコペンハーゲン滞在を象徴する感じで終わりました。

 最後の報告は趣向を変えて、今回の滞在でいろいろ私のためにお世話してくれた人たちをご紹介しましょう。

 まずはVartovの管理団体Kirkeligt Samfundの事務局リーダーのHansとKirsten(キアーステン)です。二人のことは前にも書きましたね。最後までよく面倒を見てくれました。格安の滞在費で電話代もとらず、Vartovなどが発行しているグルントヴィ関係の重要な書物をたくさんただでくれたり、何よりも有形無形の心からの配慮がうれしかったです。

HansとKirsten

HansとKirsten

 彼らとは今回始めて出会ったのですが、もうすでに昔からの友人みたいにうちとけています。グルントヴィ・ムーブメントの家族的なよさを肌身をもって知ることができました。今度協会のツアーかなにかでVartovを訪れたときにはきっと暖かく歓迎してくれるでしょう。

 次は、畏友Ove(オヴェ)と彼の妻Klara(クララ)です。二人とはもう12年くらいのつき合いになりますが、今回もいろいろ世話を焼いてくれてありがたい限りです。月曜日には彼らのVibyの家に招かれ、今日はOveのつとめるデンマーク教育大学によったあと、二人でDGI Byenのヘルスバスとプールに行き、最後はそこのレストランで仕事を終えてきたKlaraといっしょにゆったりした時間を過ごしました。

OveとKlara

OveとKlara

 デンマーク教育大学は2年前にできたばかりですが、前はロイヤル・アカデミーの教育部門と教員ホイスコーレで、その二つの組織を改組してできたものです。ロイヤル・アカデミーは国立の純粋な研究所で、教員ホイスコーレは教員がサバティカル休暇をとってより専門的に学ぶところでしたが、今は学部卒の学生をとり、修士号と博士号をあたえる日本でいえば大学院大学的な形になりました。

 今日はOveにこの大学を案内してもらい、また彼の研究室でいろいろと話をしました。図書館も充実しており、グルントヴィやホイスコーレ、フリースコーレ、エフタースコーレなどの研究は、こことグルントヴィ図書館ですべて足りるそうです。私はいつでも利用していいとのことで、次回の訪問からより深く学ぶことができます。

デンマーク教育大学

デンマーク教育大学(手前に立つのはOve)

 DGI ByenはDGI(デンマーク体育連盟)のセンターで、体育館、トラック、テニスコート、プール、ボーリング、クライミング、射撃場などの各種スポーツ施設とホテルにレストランにカフェ、そしてヘルスバス(サウナ、蒸気風呂、アロマバス、マッサージルームなど各種の健康施設がある)などが完備した一大スポーツ健康センターです。協会の昨年のスタディツアーで最後ここのホテルにとまり、ゴージャスな設備に満足したものです。

DGI-Byen

DGI-Byen

 DGIもグルントヴィ・ムーブメントとホイスコーレ運動に属する伝統的な組織です。もとはデンマーク体操の中心であった体操連盟と射撃連盟の二つの組織でしたが、今は合体しています。ここのプールでは私も運動不足解消のために週に一、二度泳いでましたが、今日はOveのおごりでヘルスバスのコースに行きました。

 サウナなどの各種の風呂に入り、その後はプールで泳ぎます。プールをのぞけば日本のヘルスセンターと似た感じですね。最後の日をこういう気持ちのよい場所で過ごせるとは、いやまったく至れり尽せりのデンマーク滞在でしたね。

 Oveとプールで泳いでいると、彼がいうにはこのプールは建設時にたいへん議論があったものだそうです。この温水プールはだ円形をしてだ円に泳ぐようになっているのですが、関与しているデンマーク水泳連盟はふつうの競泳用プールにするように強く主張しました。それに対し、DGIの主流をなすホイスコーレ関係者は、競争のみになることに反対し、円形にすることで競争色の排除、そして美的な要素と身体運動の関係を重視して、今のような形になったということです。もちろん競技用のプールにできるような配慮もしていて、大会時にはそのように変えるそうですが、グルントヴィ・ムーブメントとホイスコーレ運動に属するDGIらしいエピソードだと思いませんか?

DGIのプール

DGIのプール

 デンマーク滞在中にここで気軽に泳げたのもそうした雰囲気があったからでしょう。聞いて納得できました。日本の有名ホテルのプールなどで泳いだり、あるいはスポーツクラブのプールで泳ぐのとはちと違うものがあるのです。ここは。

 泳いだ後はKlaraも来て、DGIレストランでフルコースのディナーをごちそうになり、リッチな夕べでした。前回といい今日のもてなしといい、彼らのホスピタリティーには感謝感激です。デンマーク最後の晩をかざるにふさわしい優雅なひとときでした。

 次は、私のデンマーク語の教師だったSusanne(スザンヌ)です。彼女のことは前にも少し書きましたね。よく二人で冗談をいいあい、よく笑いました。とてもいい人でけっこう気のあうところも多く、楽しい雰囲気で語学講習を終えることができました。最後の授業の日にはHansと何か私の進歩状況を話していましたが、ビジネスライクにならずちゃんとHansと連絡をとりながら私にとって一番いいようにしてくれていたのだとわかりました。

Susanne(スザンヌ)

Susanne(スザンヌ)

 最後はJette(イェッテ)とMartin(マーチン)です。二人は1999年から2000年にかけて日本の唐津にいたこともあり、協会関係者にも親しまれています。二人は現在コペンハーゲンに暮らしているので、何度も誘いを受け、結局3度も食事に呼ばれ、いろいろと気を使ってもらいました。Jetteは日本学専攻で日本の慣習もよく知っており、帰るときにちょっとしたお土産などをもたせます。心憎い限りでした。Martinも明朗でオープンな性格はあいかわらずで話すと楽しい雰囲気をつくりだしてくれるナイスガイです。

JetteとMartin

JetteとMartin

 こうした人々に支えられて私のデンマーク滞在も無事終わりました。長期に渡る滞在なので若干の不安もなかったわけではないのですが、予想以上に暖かいもてなしを受けてほんとうにいい滞在だったと実感しています。前に書いたKristian(クリスチャン)Lene(リーネ)、Bodil(ボーディル)も含めて、友人たちのおかげです。まったくもつべきものは友ですね。大なり小なりいろいろなところで助けてくれます。明日から5日間はドイツですが、ここでも親友たちが待っています。

 G君、君はこれから世界に出て活躍することをめざしていますが、組織や肩書きでつきあうのではなく、中味で彼らと接し、世界の各地に友人をつくることができれば、必要あるときは必ずその人たちが君のサポーターとなることでしょう。「国際」でもなく「会社、組織際」でもなく、「人際」的交流こそが相互理解や平和醸成をもっとも築くものではないかと思います。私の少ない経験からはそういう気がするのです。君のさらなる飛躍を切に期待しています。