三陸海岸・下北半島・津軽半島

周遊ドライブ

2007年7月、グリーンウッド夫妻は3泊4日の三陸海岸・下北半島・津軽半島周遊ドライブに出かけた。いままでバイク で東北ツーリングし、 ジープで八幡平鬼首など何度か訪れ、登山でも焼石岳・栗駒山に出 かけている。しかし三陸海岸下北半島、津軽半島は空白地帯だったのである。(2011/3/11の大津波の破壊前)

東北道を往復することは充分経験したので今回は盛岡まで新幹線往復とし、そこから車をレンタルすることとした。予算を圧 縮するためにJTBのフリープランを採用した。

赤色ルート

第一日 7月16日(月)

東京8:28発→新幹線盛岡駅(車をレンタル)→(宮古街道)→区界峠→宮古→浄土ヶ浜散策→浜街道→龍泉洞散策→ホテル 羅賀荘泊

日本の南岸を縦断した台風が過ぎた直後の出発となった。盛岡に向かうはやて007号が仙台駅を発車した直後、停電のため約1時間、車中に閉じ込められた。 社内アナウンスでは中越・長野方面で震度6強の地震が発生したため、停電になったという。早速長野の実家に電話を入れるが無論通じない。

盛岡には1時間遅れで到着。ジャパレンでニッサンの小型車を借りる。長野も震度5であったが無事とのこと。ナビに従い宮古街道を区界峠(くかいとうげ)をこえてただひたすら宮古に向かって走る。右手に早池峰山(はやちね さん)があるはずだが、雲の中である。宮古街道のを囲む山は高くはないが深く、単調なドライブとなる。

宮古を過ぎて左折すれば浄土ヶ浜である。右折すれば本州最東端の魹ヶ崎である。浄土ヶ浜で約1時間散策する。白色石英粗面の岩海触地形であるとのことだ が、その白さと海の青のコントラストが非日常的で目に滲みる。台風の余波の荒波が押し寄せているが、湾内は湖水のように静かである。緑は全て赤松の巨木で ある。

舘ヶ崎展望台から浄土ヶ浜を望む

浄土ヶ浜には絶景ポイントに浄土ヶ浜パークホテルがある。

浄土ヶ浜からは浜街道を北上する。時間がありそうなので龍泉洞に立ち寄ることにした。龍泉洞 は石灰石洞くつだという。その成因はおおよそ下記のようなものという。

ペルム紀から三畳紀にかけて太平洋のプレート上に形成された海山にサンゴ礁が発生する。 ジュラ紀には海山がアジア大陸東端にたどり着き、プレートが沈みこむときに岩体が剥ぎ取られて大陸に付加された。白亜紀にはプレートがマグマを発生させて 火山帯が形成される。前紀中新世末から中期中新世初期にかけ日本海と日本列島が形成され、第四紀に氷期がl繰り返されて海面が上昇 ・下降を繰り返し、石灰石洞くつが形成された。

内部は広く、往復小1時間かかった。 長さは2.5kmあるという。内部は天井から地下水が雨のように降り注ぎ、人工歩道の下は川になっている。深さ90mを越える地底湖もある。水の透明度が 42mあるといっても底までは見通せない。ファントム・ オブ・ザ・オペラの舞台はこのような場所からヒントを得たのではと思った。

龍泉洞

三陸海岸に取って返し、本日の宿のホテル羅賀荘に向かう。(Hotel Serial No.395)途 中鵜ノ巣断崖に立ち寄らんと車を走らすが、展望台は駐車場から500mあることが分かり、時間もせまっているので断念。

三陸海岸は沈み込む太平洋プレートに押し上げられて隆起してできたものであるため上端はほぼ平らでところどころ深い侵食谷が切れ込んでいる。浄土ヶ浜から ホテルまで海面より100-200m高い 高地を走っているが断崖の縁に道がつけられていないため、海は殆ど見えない。海侵食谷底の漁港に隣接するホテル羅賀荘には急坂を下る。台風は沖合いを通過 したとはいえ凄い波でホテル羅賀荘は波しぶきのなかにあった。全ての漁船も北山崎めぐりの遊覧船も陸に上がり欠航である。(2011年3月11の津波では 宿泊客は無事避難させたが、建物に甚大な被害があり、年末に至っても営業できないでいる)

ミセス・グリーンウッドは寝入りばなの23時18分頃、地震動を感じたという。翌日に青森のテレびが京都府沖の深度300kmのM6.6の深発地震が剛体 である太平洋プレートを伝わって、太平洋岸に振動が伝わったものと報じていた。1,000km離れた北海道も震度4であったという。しかし日本海側では地 震を感じないので異常震域とよばれているとのこと。これはプレートが深さ数100kmに沈みこむと、プレートが上部マントルの中に入りこみ、堅いプレート の周りを柔らかいマントルが包ようになるからである。そのため地震波が真上に伝わろうとしても、上部マントル中を通るときにエネルギーが吸収されてしまう のだ。深発地震の原因はプレートが自分の重みで引きちぎられるような力が加わるため 、正断層地震が発生するからであるという。

第二日 7月17日(火)

ホテル→弁天崎→北山崎→黒崎→久慈→種差海岸→燕島→八戸→六ヶ所→東通村→むつ→恐山→奥薬研温泉→大畑町→むつ市プ ラザホテルむつ泊(Hotel Serial No.396)

一夜明け、高さ200mの絶壁のある北山崎に向かうため急坂を登っていると眼前に雄大な風景が展開した。ちょうど弁天崎の近くである。昨日断念した鵜ノ巣 断崖もホテル羅賀荘も一望の下に見張らせる。台風で荒れた海も迫力がある。

弁天崎から鵜ノ巣断崖とホテル羅賀荘を望む 合成写真

北山崎展望台に駐車し、約1時間散策した。この岩をみていると東山魁夷画伯は荒波が洗う岩を良く描くのでこの地を訪れているのではないかと思った。しかし 帰宅して東山魁夷の「風景と の対話」を紐解いたが犬吠埼、野島岬、紀州白浜、潮岬、襟裳岬、能取(のとろ)岬、能登半島能登金 剛、山陰の島根半島、萩の青海島などに言及あるも意外にも三陸の北山崎には言及がない。

北山崎

黒崎展望台に移動して北方の景観を満喫する。

野田村、久慈市を越えて種差海岸(たねさしかいがん)に向かうことにする。この地方の住人は漁業が中心らし く皆、川が海に流れ込む入り江に集落を作ってくらしている。しかし 時々、津波の被害を受けてきた。谷が海に開けるところには土手を築き、河口にはゲートをもうけてイザというときはこれを閉めることになっているようだ。

野田村は三陸海岸にはめずらしく砂浜がある。江戸時代は北上山中でとれた鉄を使った鉄釜を使い直煮(じきに)製 塩していた。この野田塩は牛の背に乗せられて北上山脈の平庭高原を越える「塩の道」を経由し北 上川界隈の稗と交換されていた。

久慈市は通過。

種差(たねさし)海岸は穏やかなところだ。広い草原にはウミネコが休み、海岸の野草と岩と岩に砕ける波が程 よいハーモニーを奏でている。 ミセスグリーンウッドが種差海岸の芝生が海に向かって傾斜しているところを見て東山魁夷の1950年の代表作「道」の舞台になったところかもしれないとつ ぶやく。しかし灯台が見えない。少し北の蓑毛崎展望台の近くかなとも思う。

種差海岸

つぎに蓑毛崎展望台を通ってうみねこ繁殖地の燕島も訪れようともしたが、NAVIは内陸の道を案内し、蓑毛崎展望台をパスしてしまった。燕島はウミネコが 駐車場を占拠しており、車にまとわりついてはなれなく、轢いてしまうか気がかりであり、また恐ろしくもあり、下車もせず逃げ出した。蓑毛崎展望台は時間が ないので割愛。ひたすら恐山に向かうことにする。

帰って、東山魁夷の「風景との対話」他、色々調べると葦毛崎展望台や釜の口湾、タイヘイ牧場や鮫角灯台を白浜・大須賀海岸側から望む風景は、画家東山魁夷 の代表作「道」の原風景となった。絵のスケッチ場所には、現在これを説明した標柱が建てられているという。すぐそばに行きながらパスをするとはおしいこと をした。

八戸は巨大な工業都市だ。ここにはちくわ工場の建設で訪問したことがある。イワシをダンプカーで運んできて、ホッパーに 投入するのだが、ウミネコの大群が襲ってきてイワシをワシ掴みにすると体重を減らすためかフンをピッと投下しながら舞い上がる。無論イワシは水洗するので 問題ないのだが、食欲を減ずることはなはだしかった。

レストランもないのでコンビにでオムスビを買い、運転しながら食す。三沢を通過する。ここも酵素製造 プラントで思い出の地だ。小川原湖に沿った道に入るが道路が林に囲まれて何も見えない。時々林の切れ目から荒涼とした風景が垣間見える。

いくつか沼を渡って六ヶ所村にはいる。むつ小川原開発に頓挫し巨額の不良債権をかかえた青森県は核燃料再処理プラント、 使用済み核燃料、高レベル放射性廃棄物を受け入れた。20pBq含むフランスから送られたガラス固化体だけでも1,414本も保管されている。福島第一 から漏れた量が30-40pBqというからその707-942倍もある。テロリストがよだれを流すような ターゲットだ。恐山や仏ヶ浦の案内板はあっても核施設関連の案内板がない。唯一鷹架沼の入り江 に建設したむつ小川原港に使用済み核燃料、高レベル放射性廃棄物の荷役クレーンと一時保管倉庫らしいものが車から垣間見えただけであるが何の表示もない。 一般道路は全て樹 木に囲まれて展望も利かない。迷惑設備のため隠そうとするのか、テロ対策なのか分からない。地図にもそれらしき記載もない。 ただ付近の道路の感じからかなりの工事車が走り回っている痕跡がみて取れた。なにも見えないといってもインターネットで調べれば伏字だらけの書類に尾鮫沼 の奥にそれらしき敷地が描いてある。尾鮫沼は白鳥の渡来地だ。そもそもこのような沼地は 地下水位も高く、汚染が拡大しやすい。むしろ貴重な生物のサンクチュアリーにすべきであって核燃料の再処理場には適さないのではないか。逆説的だが人々は 入り込まないため、かえってサンクチュアリーになるという見方があるかもしれないなとは思う。

むつ小川原には国家石油備蓄基地が完成しているがこれも林のなかで道路からはなにも見えない。原油タンカーは陸奥湾に入って荷役するのだろうか?

六ヶ所村をすぎれば左側に山がせまり、どこにもある海岸風景が展開する。あとはだだひたすら東通村(ひがしどおりむら)に向かって北上を続ける。2005年に運転開始した改良型沸騰水型原子炉をもつ東北電力の東通原 発1号炉が遠くに見えるが、道路は迂回して近くを通らない。

横流峠を越えてむつ市に入る。

むつ市の大湊港はかって原子力船むつの母港だったところだ。三菱原子力工業が遮蔽リングを 60cm厚の鉄を含んだ重コンクリートでつくるべきところ、ただの鉄で作ったために、1974年の試運転中、放射線を遮蔽できずに大騒ぎになった。すった もんだの政治的駆け引きのあげく、14年あまりも係留放置されたのち、外洋に面した関根浜に新に港を建設し、1988年そこに回航されで原子炉を改装して ようやく出力試験にこぎつけた。しかし原子力商船の需要がなかったため、5年後の1993年原子炉を解体撤去、海洋地球研究船 「みらい」へと改装された歴史がよみがえる。関根浜港は「みらい」の母港となり、撤去した原子炉室は港に隣接する「むつ科学技術館」に展示されているとい う。それにしても青森県作成の下北半島旅ガイドは「むつ科学技術館」については一切ふれていない。県としては国に押し付けられた迷惑施設という位置づけな のだろう。

中央官庁の面子のために長期間、税金を無駄使いし、育てた技術者も引退し、その技術は継承さ れていない。 山本七平氏は「日本はなぜ敗 れるのか 敗因21ケ条」で むつ騒動の政治家と役人の行動様式は戦前の軍部となんら差はないと指摘している。政治家、役所と、公益事業者の電力会社がデッチ上げた安全神話にスポイル された原発も 同じ運命をたどって日本国を滅亡に導くのか?

むつ市を通過して恐山に向かう。

恐山菩提寺

恐山は日本三大霊場として有名であるが、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を 中心とした外輪山の総称である とは最近まで知らなかった。ここに恐山菩提寺があり、賽の河原がある。恐山菩提寺の背後の小さな高まりは中央火口丘と思われる。死者の御霊を呼び、口寄せ を行なうイタコ(いたこ)が 寺の境内に粗末な小屋をかけて客をとっていた5-6個の小屋があった。恐山菩提寺はまた下北半島にある田名部海浜三十三観音の三十三番札所でもある。

寺の境内には4つの秘湯があった。参拝後、賽の河原を散策した。かっての火口である。いまだに噴気があちこちにでている。外れの森の中で老婦人たちが木の 枝に手ぬぐいをかけて木ににむかって盛んに呼びかけて涙をながしているのを目撃したが何のことか分からない。

まだ時間があったので恐山の北側にある奥薬研(やげん)温泉に行き、そこ の野天風呂「かっぱの湯」を楽しんだ。長部日出雄 の「天皇はどこから来たか」 によればここには幹の直系が1m、樹高27mのクリの巨木があるという。

奥薬研温泉の河童の湯

本州最北端の大間岬に行く時間はないのでパスし、大畑町経由でむつ市の「プラザホテルむつ」に向かう。 大畑町の海岸にはむつの第二の母港となり、現在は海洋地球研究船 「みらい」の母港である関根浜港がある。

「プラザホテルむつ」はむつ市の中心部にあるビジネスホテルである。バスタブは木製でバスルームには窓があり、快適で あった。ホテルの窓からはむつの母港であった大湊港とその向こうに恐山がみえる。

今回の旅程では寒立馬(かんだちめ)のいる尻屋崎、奇岩の仏ヶ浦は時間不 足のためパスせざるを得なかった。

第三日 7月18日(水)

プラザホテルむつ→脇野沢10:50発→むつ湾フェリー→津軽半島蟹田11:50着→ 平舘→今別→竜飛岬→竜泊ライン→十三湖大橋→十三道→七里長浜 のベンセ湿原→弘前城→弘前パークホテル泊(Hotel Serial No.397)

むつ湾フェリー はこの季節は一日2往復しかないので、午前の10:50の便を予約してあった。それも30分前には到着しておかなければならない。というわけで午前中の観 光は無理。ゆっくり出発してむつ湾岸沿いに脇野沢に向かう。フェリーを待つ間、持参した読みかけのAngels and Demonsを読む。

脇野沢近くの鯛島

蟹田港からは松前街道をつかって平舘と今別を経由して竜飛岬に向かう。平舘灯台に隣接する「おだいばオートビレッジ」で昼食。「おだいばオートビレッジ」 は吉田松陰が視察したお 台場と推察される。高野崎からは仏ヶ浦を双眼鏡 で遠望できた。緑色凝灰岩(グ リーンタフ)の海蝕崖地形とのことなので三陸の浄土ヶ浜とにたような地形になるのだろう。急な断崖の中腹に自動車道路がみえた。仏ヶ浦にはここか ら100m以上の高低差を徒歩で下ることになるという。

竜飛岬はやはりすばらしいところだ。強い風のため樹木が育たず草原が斜面を覆っている。風にとばされないように注意しな がら岬を散策する。 北海道が遠望できるが遠く日本海のなかに小さな島がポツンと見える。地図で調べると小島とういうのだそうだ。

津軽海峡線は今別で青函トンネルに入っるが竜飛岬の真下を通過している。そして列車火災事故などに対処するため、青函ト ンネル途中の海岸直下から僅かに海底寄りに消防用設備や脱出路を設けた定点という施設が2つ設けられた。その一つ が竜飛海底駅だ。竜飛岬直下にある。開業後、この定点をトンネル施設の見学ルートとしても利用する事になったという。送風機吸入口や排煙口らしいものが地 上にでている。新幹線も通れる仕様となっているが、目下のところ在来線として貨物輸送が中心となっているという。

中学・高校時代の友人土屋君が東北電力時代に担当した竜飛岬の風車群は。なぜか1台を除き運転を止めていた。かつそのう ち1台のブレードが外されている。帰って聞くと竜飛ウインドパークはこの3月で15年間の運転研究を終え、運転停止したという。撤去の上、更地にして地元 町村の第3セクターの風力会社が新たに風車を立てる計画の様だ。ブレードが1枚外されているのは、テストピースを取り出し残存強度テストするためでしょう ということであった。それにしても原発は30年以上使うというのに機械寿命を残して15年で運転を停止するとは贅沢なやり方だと思う。基本的には電力会社 は原発好きで風力発電嫌いなのだと感ずる。

竜飛岬

竜泊ラインで弘前に向かう。途中の峠で俯瞰する竜飛岬は格別であった。

竜泊ライン

小泊岬の根本を通過し、十三湖大橋を渡る。十三湖の南には車力分屯基地がある。2013年現在、米軍はここと経ケ岬通信 所に北朝鮮から発射される弾道ミサイルの複数の弾頭やおとりを識別する能力を持ち、探知距離は最長で4千キロ超とされるXバンドレーダーを配備し、弾道ミ サイル発射の早期警戒、追跡、目標識別、およびネットワークを通じて、日本のイージスBMD、GMD(地上配備型中距離弾道ミサイル防衛)等の弾道ミサイ ル防衛システムに目標情報伝達を行うとともに大気圏突入時にこれを迎撃するTHAADシステムを配備している。同じものはイスラエル、トルコ、中東、及び 日本に展開中で2016年、韓国にも配備された。

そうなるとはつゆ知らず、十三道経由で七里長浜のベンセ湿原に向かう。途中は大規模農地でタバコ など栽培している。 品種は褐色になるまで空気乾燥を行うバーレー21というものでアメリカン・ブレンドと呼ばれるタバコになるのだそうだ。

七里長浜は湿地の多いところで、湿地として保護されているベンセ湿原を散策後、一路弘前に向かう。岩木山の山頂は雲の中 で5月のバイクツーリ ング時に見た迫力はない。

弘前城は広大だが天主閣はガッカリする程小さい。ただ、しだれ桜は見事でシーズンにはさぞすばらしいものだろうと推察した。長部日出雄の「天皇はどこから来たか」 によれば、ここには3,000本の桜の木があるという。そのなかには樹齢110年のソメイヨシノがあるという。

弘前城

弘前パークホテルは町の中心部にあるビジネスホテルで快適であった。

第四日 7月19日(木)

弘前パークホテル→城ヶ倉大橋→雪中行軍遭難銅像散策→田代平湿原散策→田代高原→蔦温泉→ 奥入瀬渓谷散策→宇樽部→眺湖台→十和田湖乙女の像散策→発荷峠→十和田IC→東北道→盛岡新幹線駅(車レンタルバック)→盛岡18:40発

新田次郎の「八甲田山死の彷徨」を読んで以降、いつか八甲田さんの遭難 の地を訪問して見たいと考えていた。今回無理して旅程に組み込んだのである。代表的な場所として雪中行軍遭難現場と記念銅像をまず訪問した。 酸ヶ湯は時間に余裕を持たせるためにパスした。

鳴沢、按ノ木森山近くの雪中行軍遭難現場には次のような看板があった。

陸軍歩兵大五連隊第二大隊の大尉神成文吉の率いる210名がこの地を通過して、田代元湯温泉へ向かったが猛吹雪に遭い三 昼夜にわたり孤立し、193名が凍死し、わずか17名が救助された。

銅像に関しては

この惨状を連隊に報告すべく、指揮官神成大尉の命を受けた後藤房之助伍長が出発以来5日目に豪雪の中仮死状態のまま佇立 しているところを捜査隊によって発見され た。村上其一軍医の手当てで11分後に蘇生し、その証言により遭難事件のあらましがあきらかになった。銅像の製作者は大熊氏広氏で作品は芸術性にすぐれて いるため青森県の文化財の指定を受けていという。霧の中に立つ銅像はたしかに感銘を与えるものであった。

雪中行軍遭難銅像

八甲田温泉に向かう。ここで田代平湿原を約1時間散策する。

そもそも八甲田山は十和田湖と同じく二重火山で田代平湿原はカルデラにある。陸軍歩兵大五連 隊が遭難した按ノ木森山は外輪山のピークの一つで、鳴沢はこのカルデラの雨水が外輪山を深く侵食した渓谷なのである。田代平湿原からは 成層火山(コニーデ)の形をしたいくつもの中央火口丘のうち離岳、高田大岳、赤倉岳が雲の陰に望める。

散策中にカルガモの親子と出会う。人を恐れる様子もなく木道を闊歩している。

田代平湿原のカルガモの親子

後日、TV番組で知ったが、この田代平の深沢温泉から駒込川の沢に下ったところに昔は「やま だ旅館」があった。駒込ダム建設のため、廃業したが、まだダムは完成しておらず、建物は廃墟になったが、いまだ温泉だけは露天風呂となり「田代元湯」と呼 ばれている。ただここへのアクセスは吊り橋も落ちて、川の渡渉が必要で自己責任となる。

田代平高原の牧場を横切り、蔦温泉、奥入瀬渓流温泉経由で奥入瀬渓谷に入る。石ヶ戸で渓流の 散策をする。

奥入瀬渓谷石ヶ戸付近

宇樽部で昼食をとり、眺湖台にのぼり景観を楽しむ。学生時代に訪れてガッカリした十和田湖乙女の像まで散策し、発荷峠経由で盛岡に帰った。

眺湖台よりの十和田湖

平泉・八幡平周遊ドライブ時にパスした猊鼻渓の舟下り、花巻にある宮澤賢治関連の施設、遠野の曲屋などは盛岡以南のため割愛した。計画にあたり、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」 を読もうとするが、挫折。遠野に伝わる説話をまとめた柳田国男の「遠野物語」は性に関する民俗を切り捨て、漂泊民、非稲作民、被差別民に関する民話は無視 されたというので読む気にはならない。

車での総走行距離は946kmであった。帰ってから1日置いて腰痛になった。これはニッサン自動車の椅子の設計が原因ではないかと思う。以前富士川流域の ドライブの時も腰痛になったがこの時もニッサン車だった。ジープ、三菱、マツダ車では問題ない。それから眠気防止のガムを常用したが胃炎になったので、こ れも要注意だ。

July 15, 2007

Rev. August 12, 2016


トッ プページへ