6月7日(火)、パリ市内観光。
実質的には今日からが本格的観光である。コンコルド広場、チュイルリー公園など記憶が曖昧であるし、パレ・ロワイヤル、コメディー・フランセーズ、ポンピドー芸術文化センター、サン・ニコラ・デ・シャン教会(St-Nicolas des Champs)、レピュブリック広場、サン・マルタン運河は未訪問のため、サン・マルタン運河まで全て徒歩で歩く。シャンゼリゼのルイヴィトンの店は改装中でビルが大きなカバンの中に入っている。
シャンゼリゼを過ぎると大きなロータリーになる。ここで右折してマロニエの並木道の下を万博のために造られたという強大なガラスドームをいただくグラン・パレの前を通ってアンヴァリッド橋に向かう。ここからアレクサンドルIII世橋までセーヌ河岸を散策。金ピカに化粧したアレクサンドルIII世橋に登ってエッフェル塔とアンバリッドを遠望する。
1969年ころだったろうか仕事ではじめてパリを訪れた時、オルリー空港からタクシーに乗ってここを通過した。ちょうど6月で快晴。カーラジオから聞こえるシャンソンを聞きながらあけ放った車窓からベージュ色の建物と緑を見たときの感動を思い出す。ナポレオン ・ボナパルトの墓があるアンバリッドは黄金色に輝いて今も立派だ。靖国神社も時代が経過すればこのように国際的に認知されるかもしれない。ただ迷惑をかけた近隣諸国との融和のためには無名戦士の墓が凱旋門の下にあるように日本も立派な鎮魂の施設を作り、一国の首相はここを詣でればよいのだろう。
プチ・パレの前を歩いてシャンゼリゼ大通りにもどり、コンコルド広場に向かう。木立のなかで美しい小鳥の声を聞く。初め戸隠探鳥会で知ったアオジかとも思ったが、翌日同じ鳴き声をヴェルノンで聞き、真っ黒な姿を目撃して橋倉峠特別探鳥会で出会ったクロツグミと鳴き声はにているが 、イギリスに多かったブラックバード(クロウタドリ)であると後に判明した。人懐っこく、芝地を飛び回り、ミミズなどの虫を好んで食していた。
アレキサンドルIII世橋からグラン・パレ |
オベリスク 遠く凱旋門 |
コンコルド広場に望む旧海軍省 |
ナポレオン・ボナパルトがエジプトから運んだオベリスクも変わりなく コンコルド広場の中央に立ち、広場に面する旧海軍省の前の噴水は省エネか、タイマーで作動している。コンコルド橋の上からセーヌ河を再度ながめ、チュイルリー公園に入る。ここで朝のティータイムとし、 屋外の木陰のテラスで一休み。
アレキサンドルIII世橋から望むアンバリッド |
ヴァンドーム広場 |
コンコルド橋から望むセーヌ河 |
ヴァンドーム広場ではブランド店オンパレードを視察。広場に面したホテル・リッツはちょうど読み始めたダビンチコード の主人公のラングドンがフランス警察からの逃避を開始する舞台となったところだ。
そのまま真っ直ぐ北にゆくとバレー・オペラ両用の重厚なガルニエ設計のオペラ座に出る。「オペラ座の怪人」の舞台であり、地下水脈の上に建設されたため、今でも地下7階には地底湖があるという。バスチーユ広場には行かなかったが、ここにある歌劇用のオペラ・バスチーユはモダンな建物 ということだ。
ガルニエのオペラ座 (クーパー氏撮影)
Vターンしてパレロワイヤルを訪れる。フランス革命の密議がなされたという噂のあるところだ。近くのご老人が新聞を読んだり子供を連れた主婦達がおしゃべりをして時を過ごしている。
ヴァンドーム広場のホテル リッツ |
ルーブルのピラミッド |
パレロワイヤル中庭 |
ここからルーブルの中庭にでる。ここもダビンチコードの主要な舞台であるが、ガラスのピラミッドを外から見るだけにした。再びセーヌ河のポンテ・デサールに抜けてルーブル宮の正面ファサードを見る。 世界遺産である。
ポン・ヌフのたもとにある百貨店のラ・サマリテーヌの屋上のレストランにあがり、360度の景観を楽しみながら昼食をとる。ヨーロッパのスズメは日本と種類がちがい人を怖がらない。テーブルの縁にパンくずをおけば、ちゃっかりと食べに下りてくる。
ルーブル宮正面ファサード |
ノートルダム大聖堂 |
最高裁判所 |
食後はセーヌ河岸の古本市を冷かしていたら1895年10月22日発生した西鉄道駅(Chemins de Fer de L'Ouest)の壁を突き破って道路上に落ちた蒸気機関車の写真を買った。かってベクテルのロンドンオフィスで米国西部鉄道の蒸気機関車が木製の橋から落下した写真を飾っているエンジニアが居たことを思い出したからである。
古本市でみつけた古写真
シテ島に渡って、最高裁判所とノートルダム大聖堂を訪れる。再びパリ市庁舎前を歩いてポンピドーセンターに向かった。パリ市庁舎は北京オリンピック後のオリンピック招致に熱心のようだ。
サン・マルタン運河 |
ポンピドウセンター |
サクレクール聖堂 |
それにしてもこの現代のパリをデザインし、実際に作り上げたナポレオンIII世はたいした人物だと思わざるをえない。
ポンピドーセンターは賛否両論の声があがったが今ではパリの風景に溶け込んでいる。エンジニアの目を通すとメンテナンスコストはかえってかかるのだろうなという感がする。
クパー氏に教わったサン・マルタン運河まで更に歩く。ちょうど観光船がセーヌ河からバスティーユ広場の下を通る長いトンネルを通過して一段高い水面に上るためのロックを通過中であった。
ここまでよく歩いたものだ。近くのコンクール駅からメトロM11に乗り、ベルヴィル駅でM2に乗り換えた。M2もスターリングラード駅をすぎるころは地表にでてアンヴェール駅でまた地下にもぐる。サクレクール聖堂は1971年に訪れた時と同じく大勢の観光客を集めていた。変ったことといえばケーブルカーが設置されたことだ。テルトル広場やピガール広場は今回はパスして メトロでホテルに帰った。
コース
ホテル出発、9:00凱旋門、シャンゼリゼ、グランンパレ、アンバリッド橋、セーヌ河岸、アレクサンドルV世橋、プティパレ、コンコルド広場、コンコルド橋、チュイルリー公園、ヴァンドーム広場、ホテル・リッツ、 ガルニエのオペラ座、ビクト ワール広場、パレ・ロワイヤル、コメディー・フランセーズ、ルーブル美術館、百貨店のラ・サマリテーヌ、古本市、最高裁判所(Palais de Justice)、警視庁、ノートルダム大聖堂、パリ市庁舎(Hotel de Ville de Paris)、ポンピドー芸術文化センター、サン・ニコラ・デ・シャン教会(St-Nicolas des Champs)、レピュブリック広場、サン・マルタン運河、コンクール駅(Concourt)、M11、ベルヴィル駅、M2、アンヴェール駅、サクレクール聖堂、アンヴェール駅、M2、18:00エトワール駅、ユーゴ通りホテル・デュ・ボア泊 。
July 09, 2005
Rev. April 26, 2007