1972-73年の英国滞在

28年前の写真は色あせてしまったが、使えそうなものをここに収録した。

1972年11月、1971年の英国滞在に続き、天然ガス液化プロジェクト実施設計の ための2度目の英国赴任。週末の余暇の記録。

3ヶ月間は単身赴任。オックスフォード・ストリートの裏通りのフラットに住む。仕事仲間と週末、ギルフォードのメロウ・ ダウンズ(Merrow Downs)にあるゴルフコースやホームパークのゴルフ場で時間を過ごす。クリスマス休暇には仲間3人でスコットランドに出かけ、セントアンドリュースや ミアフィールドでプレーした。 ミアフィールドなどはメンバーと一緒でなければ廻れないのだが、クリスマス・デーということで特別にプレーできたのである。

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セントアンドリュース

1973年2月3日、家族がロンドン着。ハンプトンはバッキンガム・ロードにあるブリティシュ・カレドニア航空の英国人 職員の家を借家。2軒長屋のセミディタッチト・ハウスである。オーナー家族はアフリカに家族ぐるみで赴任しているらしい。数ヶ月間は中古車付きであった。 隣人には親切にしてもらった。この付き合いは以後30年続いている。

機械科から移籍した故大谷先生大谷先がロンドンにやってきたとき、先生の自然博物館の案内を妻にたのんだこともあった。

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ハンプトンのバッキンガム・ロードの借家

1973年2月、ハンプトンコートとブッシーパーク散歩。

1973年2月、リッチモンドパーク散歩。とにかく広大。

1973年3月10日、ウインザーへドライブ。ウィンザー城前のロング・ウォークは広大で、国王の力を誇示する目的で作 られたと思われる。

途中、テームズ河畔のラニーミード(Runnymede) の原でジョン王が1215年にマグナ・カルタに署名した場所として知られるマグナカルタ碑を発見。碑にはto commemorate Magna Carta symbol of freedom under law.と書いてある。憲法とはリバイヤサン (怪物)たる統治権力を馴致(じゅんち)するための義務規定。または「国民が公権力を縛るルール」。




ララニーミード の原

ウィンザーではイートン校を訪れる。

きみたち、は るかな尖塔よ、古(いにし)えの高塔よ、
河ぞいの森に聳(そび)えて
学芸にいそしみつつヘンリー王の御霊を尚もあがめているか。
またウィンザーの丘のいかめしい岩角から
広野を見下ろしている堂塔よ、
君らの眺める林や芝生や牧場の
その青草や下かげや草花の中を
年老いたテムズは流れてゆくのだ、   ・・・トマス・グレイ  イートン学寮遠望のうた

マーローまで行く。帰路はサファリ・パーク立ち寄り。

1973年3月17日、ロンドンの真南、ブライトンの少し西にある海浜のリゾート地ウォージントンに日帰りドライブ。海 岸に着くまで緩やかな丘陵地帯を何回も横切る。この波打つ丘陵地帯はスーザン・ヒルの「魔法のリンゴの木」(English Quotation Serial No.386)に描かれている。ウォージントンの浜はペブルビーチである。海岸に直角に釣りのためのジェッティーがある。

ウォージントンの更に西にヘイスティングの戦いの20年後に作られたというアルンデル城がある。アンティークの店多し。 ここからドーキングに向かい帰路につく。ドーキングからギルフォードに向かうサレーの山の中で林の中に点在する高級住宅地を通過。

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アルンデル城近くの町並み

1973年4月20日、ランズエン ドに行くため、2泊3日のドライブ。

1973年4月23日、バンクホリデー、ハンプトンコートのファンフェアー。

1973年5月になりようやくハンプトンの自宅の庭に花が咲く。自宅の裏庭は花一杯。

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裏庭

1973年6月9日、ハイドパーク、 バッキンガム散策

1973年6月30日、テームズ河沿いにレイルハムまでドライブ。レイルハムの古い教会と墓地。テームズ河のロックを見 学。

1973年7月7日、ハンワース・カーニバル

1973年7月15日、近くのテディントン・ロック散歩

1973年7月24日、バッキンガム・ロードの家主が帰ってくるというのでブッシーパークの北側にあるテディングトンの長屋に移る。お別れパーティーをし てテディントンに転居。 テディントン駅が近く、通勤には便利になる。

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テディントン駅(冬)

ここで半年暮しただけであったので当時は知らなかったが、一駅ロンドン拠りのストローベリーヒル駅のテームズ側にストローベリーヒル・ハウスというゴシック 趣味の館がある。18世紀に英国首相をつとめたロバート・ウォルポールの御曹子のホレス・ウォルポール、第4代オーフォード伯爵が建てたもの という。

1973年8月4日、ロンドン動物園。

1973年8月、ケント州、セブンオーク近くのナショナルトラスト、ノール館訪問。1432に建設されヘンリー八世、 ジョン王、カンタベリー大僧正らがかかわってい由緒正しい館である。現在はサックウィル家の所有。

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ノール館

1973年8月11日、ケント州の廃城、スコットニー城を訪問。とてもロマンティック。

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スコットニー城

1973年8月12日、ロンドンの北西バッキンガムシャーにある。ロスチャイルド家所有のワデスドン・マナー(ナショ ナル・トラスト)を訪問。さすがに豪華。ウィーン・ロートシルト家第2代当主アンゼルム・フォン・ロートシルト男爵とその夫人シャルロッテ(ロンドン家の 祖ネイサン・メイアー・ロスチャイルドの長女)の間の三男としてフランス・パリに生まれたファーディナンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルド男爵が建て た。1865年にロンドン・ロスチャイルド家第2代当主ライオネル・ド・ロスチャイルド男爵の娘であるイヴェリナ(ファーディナンドの従姉にあたる)と結 婚したが、彼女はその翌年に生んだ子と一緒に死去してしまった。彼は以後、独身を通してこのフレンチ・ルネッサンス様式の館を作った。

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ワデスドン・マナー

1973年8月17日、19日、ハンプトンコートに隣接するブッシー・パークを散策。

1973年8月25日、ワイト島の西のボーンマウス、英国西南の海浜保養地に出かける。海岸で日光浴する人はいても水に 入る人は少ない。ボーンマウスの西のプールを過ぎて南下し、プール湾の対岸に廃墟となったコルフェ城とその村がある。

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コルフェ城とその村

コルフェ城の西方にあるルルワース・コーブはびっくりするほどの人出であった。ドーバーと同じくチョークが崖地にむき出 しとなっている。

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ルルワース・コーブ

セント・マイケルズ・マウント前のB&Bで1泊し、翌日はランズエンドとセントアイブズを回り、ダートムーアをかすめてロンドンに戻る。

2021年6月11日に日本首相はジョンソン首相に呼ばれてカービスベイ村にでかけた。一番高級なホテルはカービスベイホテル位でこれがG7会場である。私はセントアイブズでバーナード・リーチが日本から持ち込んだ小さな陶器を記念に購入した。いまでも棚に置いてある。

1973年9月24日、一週間の休暇をとり、パワボートをレンタルしてテディントンからオックスフォードまでテームズ河遡上

1973年10月、 ブッシーパークとヘンリー八世が作ったハンプトンコートを散歩。

義兄がロンドン訪問するというのでヒースロー空港に出迎えるが、霧のためマンチェスターに着陸。あわててパディントン駅に出向く。ちょうどオイルクライシ スで出光がタンカーをガルフに差し向けたというので新聞の一面にジャップの文字が大きく印刷された。

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ブッシーパーク

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ハンプトンコート

1973年9月2日トィケナム散歩

1973年10月ソーホー、リージェント・ストリート散策。

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リージェント・ストリート

1973年11月10日、2回目のロンドン市長パレード見物。

寒くなってきたが炭鉱のストライキで石炭の生産も減り、石炭を家にとどける配達人が苦労しているという。この後、発電用石炭も不足して計画的ロードシェ ディングがおこなわれるようになる。強すぎる労働組合が英国病を引きおこしていたわけである。4年後の1979のサッチャー政権の出現により英国病は一掃 されるのである。

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ロンドン市長パレード

1973年12月8日、ロンドン塔訪問。

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ロンドン塔

1974年1月、スーパーに加え、食料品買出しのキングストンマーケット。

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キングストンマーケット

帰国

時期は不明だが、夏のある夜、リージェントパークのオープン・エア・シアター (Theater Serial No.16) で「真夏の夜」を観劇。秋にはコベントガーデンのローヤルオペラハウス (Theater Serial No.14) の個室でバレー「白鳥の湖」を観劇。

中央集権的でない英国では貴族の居館であるカントリーハウスに富や文化や風俗が濃密に蓄積されている。 「イギリスの文化はカントリーハウスにあり」といわれるが、折角ハンプトンに住みながらすぐ近くのハンズロウー地区にあるサイオン・ハウスには行きそびれ た。16世紀にサマセット公爵邸として建てられ、18世紀にはノーサンバーランド公爵が、居館と庭園を改造した。チャールズ・ファウラー設計のガラスドー ムのある温室が見もの。

Rev. December 25, 2015

June 11 ,2021


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