ウェールズ紀行

ウェールズ旅行を希望したのはグリーンウッド氏である。1971年1973年の英国滞在でここと東部だけは未踏として残さていたので。山岳地帯なら風景も良いだろうと考えたからである。感は当たり結構楽しんだ。かって石炭とスレートの産地だったため、鉄道と運河が発達し、いまでも観光向けに活躍している。

カーディフ城(第11日)

バース市を出てA46を 北上し、M4に入り西行する。久しぶりに高速走行だ。イングランドとウエールズを分けるセバーン川を渡る。いよいよウエールズだ。交通標識には英語の下に ウエールズ語がついている。場所により上下が逆転する。ウエールズ語は子音がダブってつかわれるのでどう発音するのかわからない。1536年にイングラン ドに併合されたので、ケルト語もまだ生きた言語として使われている。

ニューポートを迂回し、カーディフへのICが幾つもある。2番目のICで降り、市の中心部に向かう。市中の建物の様式は 雑多でコツウォールドのような統一感はない。かなり走ってようやく市庁舎やヒルトンホテルが見えてくる。ここは米国との関係が深いようだ。カーディフ城は どこかと見回すとすぐ右にあった。ベリーという矩形の城壁の中の平地にモットという土盛りがあり、その上にノルマン風な小さな塔、キープがそびえている。 土盛りの周りは堀で塔へ入るには跳ね橋を渡る構造になっている。典型的なモット・アンド・ベリー構造である。カーディフ城は1900年の歴史を持っている という。見学後、カーディフ城前のお土産屋でラブスプーンを買い、ダウンタウンのトラフルズでビターとローストビーフの昼食をとる。(Restaurant Serial No.185)

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カーディフ城のモットとキープ

ブレコンビーコンズ

ブレコンビーコンズ国立公園はカーディフの北に横たわる大きな山塊である。標高は1,000メートルしかないが、広大な面積が公園として保護されている。森の深い緑に覆われた東のブラックマウンテンズ、中央の一番高いブレコンビーコンズ、昔は王室狩猟地のFforest Fawr、岩だらけの西のブラックマウンテンの4つの山塊によって構成されている。それぞれ地盤が異なり、砂岩、石灰岩、礫岩である。岩盤の違いは地形、山肌、動植物の違いに現れているという。

ウェールズの中心部をカーディフからコンウィーまで南北に結ぶA470を北上する。ブレコンビーコンズの南端にある Merthyl Tydfilという白壁の多い美しい町を過ぎるとA470はブレコンビーコンの中央の谷間に入る。両側にせまる山肌は羊が放牧されているが、岩が露出して いる崖も見える。森に入るとNant-dduの標識があり、ナントデュホテルも林間にチラッとみえる。まだ時間があるのでそのままブレコンビーコンの北端 の町ブレコンに向かって北上を続ける。峠を過ぎてパーキングスポットで小休止。小雨で強い西風が吹いている。もし晴れていればここでは最高峰のブレコン ビーコンズ山頂が望めるのだがと想像を逞しくする。いたるところの山肌から清水が湧き出て滝となり流れ下っている。

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ブレコンビーコンズの小川

スランゴイドホール(Llangoed Hall)

ブレコンの小さな町の中心部ではおびただしいパトカーが交通規制をしている。何事かとおもったらゴールデンジュビリー関 連の行事らしく、老人がトーチを持って一生懸命走っている。早々にこの田舎町を抜け出し、A470に戻り、リスベン村(Llyswen)を訪れる。ここに はローラ・アシュレイの夫、アシュレイ卿が19世紀のカントリーハウスを買い取って経営しているホテルを訪れた。故ローラ・アシュレイのインテリア・デザ インが売りの若い女性垂涎のホテルという。午後のお茶でもご馳走になろうと考えたのだが4:00を過ぎていてドアが閉まっている。兎に角、広大な谷間の平 地を所有し、一望他の建物が見えない自然を借景にした豪壮な館である。ロビーにはローラ・アシュレイの肖像画がある。商売がうまい。

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スランゴイドホール

ナントズロッジホテル(Nant Ddu Lodge Hotel) nantddu.gif (10334 バイト)

A470を戻ってナントズロッジホテル泊。(Hotel Serial No.222)この界隈には宿泊施設はここしかない。従って夕食もホテル内のパブで取る。レストランには地元が人々が大勢夕食を取りに来る。深夜までディスコパーティーをしている。

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ナントデュホテル

ヘイオンワイ(第12日)

最近では英国一の古書店が集積しているヘイオンワイに行くことにする。ブレコン経由ではつまらないとMerthyl Tydfilまでもどり、A465を東進し、ブレコンビーコンズの東側の山越えの道、B4560を北上する。羊が放牧された見晴らしのよい丘の上のドライ ブはまことに爽快。ヘイオンワイはブラックマウンテンズの北側の谷にある。ウェールズ東端の街でもあり、古書店が軒を連ねている。ここで昼食。1914- 1936年に発行された絶版の雑誌やジブラルタルの銅版画を購入する。

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ヘイオンワイ

フォレスト・ファール(Fforest Fawr)

ヘイオンワイの帰り道は今度はブレコンの街を迂回し、Fforest Fawrを北から南に縦断する山越の道A4067を南進するルートを選ぶ。午後になると昨夜来の雨も雲も霧散し、晴れ渡り、すばらしい景観を満喫できた。さすが元王室狩猟地のことはある。

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Fan-Gihirych

一旦Fforest Fawrの南端に出てA465をMerthyr-Tydfilに向け東進する。このあたりは石炭の産地らしい。土地も荒れている。カーディフに近いのでもしかしたらバルチック艦隊を海の藻屑とした東郷艦隊がつかった無煙炭、カーデイフ炭の産地かもしれない。A4059で再度Fforest Fawrの東側の山越えのルートをとる。眼前に昨日見えなかったブレコンビーコンズがついに全貌をあらわにしているではないか。Nant-dduの谷に降りれば雨だ。谷の斜面はエロージョン防止のために森を残してある。ホテルでは昨夜と同じパブで夕食。

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A4059からブレコンビーコンズを望む

スノードニアナショナルパーク(第13日)

スノードニアナショナルパークまではA470を北上する。とはいえ山間の道なのでジグザグである。Powys地方の Llanidloesの東方の丘の上には大型のウィンドファームが見える。デンマークでは沢山の風車発電機があるが、英国ではここがはじめてである。ずっ と谷間では見晴らしもわるいのでLlanidloesからLlanbrynmairまでは山越えのB4518に入る。人造湖llyn Clywedogの見晴台にはエリザベス女王の訪問記念碑などがあり、日本の皇室を思い出した。西風が強い。更にA470を北上し、スノードニアナショナ ルパーク内のTrawsfynydd湖畔ではBNFLの原子力発電所を見る。 これは日本が核燃料再処理を委託している1957年事故を起したBNFL社のウィンズケール燃料再処理場(現セラフィールド)ではない。A487沿いのThe White Barn MO's Kitchenで昼食をとる。(Restaurant Serial No.186) A498からA4086に入って、スノードン山の直下の谷を走る。雲でスノードン山は見えない。スランベリス(Llanberis)で登山鉄道の運行状況を確認してティンロスカントリーハウスに急ぐ。

ティンロスカントリーハウス(Ty'n Rhos Country House) tynrhos.gif (35192 バイト)

B4547を北上するとティンロスカントリーハウスへの案内標識は簡単にみつかった。(Hotel Serial No.223) スノードン山から北に向かって緩やかに傾斜する牧場の中にそれはあった。前下がりの芝の庭を突っ切ると牧場に入り、さらに行くと沼地があり、その中をパブ リックフットパスが通じている。ミセスグリーンウッドはここで羊の毛を採取するが、後、人ダニを持ち帰った疑惑が生じる。ホテルの隣には納屋があり、トラ クターなどが置いてある。このトラクターが黒色のプラスティックシートで包んだ牧草を運び込んでいる。もともとここは牧場だったのだ。近くにはパブもな く、夕食はここでとる。東ヨーロッパの留学生を連れた教授然とした一段が別の教授を接待していた。またディレクターとモデルの一段がメキシコの思い出話を している。

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ティンロスカントリーハウス

スノードン山登山鉄道(第14日)

朝一番にスランベリスに行かないと登山鉄道はすぐ満員になるとのことなので出かけた。既に先客あり、乗れるのは1時間半 後の11:00の列車だという。操車を見ながら時間待ちする。蒸気機関車1台が客車1台を押して30分置きに出発している。アブト式狭軌(ここでは違う名 称を使っている)の単線だが、まだ下山してくる列車はない。途中駅が数箇所あり、ここで登りと下りがすれ違うように設計されているようだ。急勾配の軌道上 で水平になるように機関車のボイラは傾いて設置されている。構内では作業員が石炭をシャベルで機関車に積み、給水している。機関車のはく煙は昔懐かしい臭 いがする。付近には石炭とスレートの鉱山があるが、この石炭も地元産のものか?硫黄が多いのか、かなりきつい臭いである。約100年前の1896年に開通 したとき、第一日に下りの機関車が脱線し谷に落ちて大破してしてしまった。幸い機関手と機関助手は飛び降りて無事だったが、これをみていた客が客車より飛 び降りて1名死亡したそうである。実は客車の自動ブレーキが作動して客は飛び降りる必要はなかったのである。その後は無事故だそうである。

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スランベリスの登山鉄道操車場

それにしてもくたびれた施設である。レールなどよれよれしている。途中駅で下山の列車待ちの間にまた給水している。山体 から湧き出る泉水をコンクリートの貯水槽に溜めておいてそこから給水するのだ。羊が放牧されている中をのぼって行く。はじめは広々とした斜面を登ってゆく が山頂近くなると痩せ尾根にでて谷底には昨日走ってきた道と走行する車がみえる。ついに雲の中に入って何もみえなくなる。下ってくる列車をみるとディーゼ ル機関車もある。

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スノードン山山腹に敷設されたアブト式狭軌鉄路

山頂駅は山頂(標高1,085メートル)の直下にある。山頂は5人も登れば満員である。大勢の客が交代で山頂を極める。 ここから歩いて下山する人と乗って帰る人が別れる。歩いて登ってきて乗って帰る人もいるので、30分後の下山する列車に乗り遅れると歩いて下山しなければ ならない約束である。下山の車中。徒歩で下山している人、登ってくる人が見えるが実に気分がよさそうである。

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スノードン山頂駅

スノードン国立公園をふくめ、ウェールズの山はカンブリア山塊(Cambrian Mountains)と呼ばれている。これはローマ人がウェールズをカンブリアとよんだからである。そういえばカンブリア紀と いう地層のなまえがあったっけ。カンブリア紀といえば古生代の最も古い地層で、三葉虫などの海洋性の無脊椎動物が繁栄しはじめた時代である。これらの生物 はキチン質や石灰質のかたい殻や骨格をもち、古生代より前の時代のやわらかい体をもつ生物よりも、化石にのこりやすいという特徴がある。したがって、化石 が多く発見できるもっとも古い時代だ。ちょうどゴンドワナ超大陸があった時代だ。日本は造山運動の盛んなとことで、このような古い地層はない。スノードン 山頂でカンブリア紀の石を拾ってくればよかったと後で悔やんだ。

スノードンのけわしい山腹を下る道で
王が長蛇の軍を進めなやんでいた時だ。
剛胆なグロスターも、思わず立ち止まってその声に固唾を呑んだ。
「戦闘準備」とモーティマーが叫んだ。そしてふるえる槍の穂先をかまえた。

トーマス・グレイ 詩仙ービンダロス風頌詩(しょうし)

カナーボン城

カナーボン城は英国の皇太子がプリンスオブウェールスと呼ばれるようになったいわくつきの城だ。エドワード1世(在位1272-1307)がウェールズをイングランドの統治下に置こうと築いた城である。カナーボンの町そのものも城壁で囲まれている。城壁内のパブY Goron Fachで昼食。(Restaurant Serial No.187)

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カナーボン城

コンウィ城(第15日)

カーナボンからはバンゴール経由A55でコンウィに入る。この城もエドワード1世によって1287年に完成したという。 コンウィの街も城壁に囲まれている。コンウィの街からコンウィ城に入る門には今は無い跳ね橋を渡らねばならなかったという。大勢の高校生が城の見学をして いる。

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コンウィ城

ターナーは200年前の1802-03年にこの城の絵を描いている。コンウィ川に橋がかかったことと、船がグラスファイバー製のヨットに変わった位が変化と言えようか。

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ターナーのコンウィ城の一部

(ウエストミンスター公爵所蔵)

ボドナントガーデン

コンウィ川にかかる橋を渡ってA470を南下し、ボドナントガーデンを訪問する。ボドナントガーデン(Botanic Garden Serial No.182)は コンウィ川の東側の斜面に位置し、川の対岸にはスノードン山塊が見えてまことに絶景の場所にある。1792に造園されたときに植えた木が大木に育ってい る。庭は土地の傾斜に従いテラス状にしつらえてある。コンウィ川の支流が流れる川沿いの低地はデルとよばれているが、東洋や日本の木を多く植えてあるので 箱根に来たかと感ちがいする。

この庭とカントリーハウスは現在の当主アバコンウィー卿の曽祖父のヘンリー・デービス・ポーチンが土地を買ってつくった ものである。レスターシャーの自由農民(ヨーマンファーマー)の子として生まれたが、化学者になろうと決心してマンチャスターで学び、樹脂を精製して白い 石鹸を作るプロセスを発明した。この特許権を売った金を資本に更に研究し、硫酸アンモニアをアルミナと混ぜてアラムケーキを作り、製紙業に納めて財をなし た。引退後、この財をこの庭につぎ込んだのである。アルミナの原料は中国から粘土を輸入した関係で中国を幾度も訪れ、東洋の植物を知り、プラントハンター となった。このような歴史のため、この庭園には東洋の植物が豊富である。遺産を相続した娘が弁護士と結婚し、この弁護士は後、国会議員となった。その子孫 はいまもこの館に住むが広大な庭園はナショナルトラストが管理し、一般に公開されている。

ナショナルトラストが経営するレストランで昼食。

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ボドナントガーデン

スランデュデュノ(Llandudno)

ボドナントガーデンを辞し、A470を北上し海水浴場のスランデュデュノを訪問。スランデュデュノはアイリュッシュ海に 突き出たオルメという岩山でできた半島の付け根にある海水浴場だ。西側は強風の吹き付ける浜でなにもない。東側の浜が海水浴場になっている。弧状の浜に そって白いホテルが軒をつらねる。オルメ半島の付け根には釣り用の桟橋が用意されている。よく欧米の映画にでてくる一世紀前の風景がそこに完璧な姿で残っ ている。オルメ半島は岩山の絶壁の中腹に作られた有料道路で半時計回りに一周できる。時間がないので一週は断念。ここで午後のお茶にする。

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スランデュデュノ

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ザマウントはチェスターの郊外のハイヤー・キナートンの田園地帯にある。(Hotel Serial No.224)A55 を降りてからラウンドアバウトが幾つもあり、表札も小さいため、ここを探すのに難儀したが、無事到着。ジョナサン・メイヤー夫妻の奥様がビクトリア朝様式 の自宅を開放して副業として経営している。ご主人は牧畜業のようである。趣味で集めた骨とう品にあふれた大きな家である。ここを拠点にしてチェスターとそ の近郷をおとづれる。もう地元の食事にも飽きたが、田舎なので英国食のインしかない。長尾夫妻にいただいた、携帯日本食を夕食にいただき、荒れた胃袋を慰 める。謝々。今回買い求めた土産類や膨大な参考書類を整理し、スーツケースに何とか収納する。

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ザマウント

ポンテカサステ・アクアダクト(Pontcysylte Aqueduct)(第16日)

メイヤー夫人にポンテカサステ・アクアダク トへ の行き方を教わり、A483でWrexham経由、Ruabonからスランゴレン(Llangollen)に到着。タウンセンターのインフォメーションで ナローボートの乗り場を教わる。Thomas Telfordという会社が馬で引くボートとポンテカサステ・アクアダクトまでゆくナローボートを運営しているという。坂を登るとそこに運河があった。山 の斜面の中腹に等高線にそって走っている。馬で引くボートは毎時出発だが、ナローボートは日に2回だそうである。片道2時間。往復はせず、ポンテカサス テ・アクアダクトを渡った地点で船から降り、コーチ(バス)で出発地点に連れて帰ってくれるという。切符を買い出発までの時間を馬で引くボートや運河沿い に散策する人々を眺めて過ごす。船を引く馬が人懐こい。船会社のお土産店でナローボートの模型を買う。

この運河は最終的にバーミンガムまで連なるショプシャヤー・ユニオン運河(Shopshir Union Canal)の一部だ。ウェールズ産の石炭と屋根瓦にするスレートを運搬するために、産業革命時代に建造され、今は観光目的に維持されている。個人でナローボートを所有するのもこの国の人の楽しみだ。かってバーミンガムを訪れたときこ の運河が大切に維持されているのをみた。この運河はウェールズの山々の山腹に等高線に沿って建造されているが、平地に出る前に谷を渡って対岸の山腹に運河 を継続するために建設されたのがポンテカサステ・アクアダクトだ。ローマ水道と同じ構造をしている。ポンテカサステ以外にもアクアダクトはある。 (例えばバーミンガム近郷のストラドフォード運河のエドストーン運河橋)運河は狭いので船も船腹は7フィート狭く、積載量を確保するために必然として70 フィートと長くなる。運河は浅く、船底が運河の底をこする場面もある。レンタルできるボートもある。操船がしやすいように長さはナローボートの半分だ。

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ナローボート

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馬に引かれるボート

2時間のクルージングの間、沢山のナローボートとすれ違う。狭い水路ではバックしなければならない。広い水路には個人所 有とおぼしき船も沢山係留されている。ポンテカサステ・アクアダクトの橋脚は石造り、水路は鋼鉄製である。ナローボートがぎりぎり1隻通れる幅しかない。 ポンテカサステ・アクアダクトを渡るときはダクトが壊れないか心配になる。なにせ側板がでこぼこしていて心もとない。

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ポンテカサステ・アクアダクト

ポンテカサステ・アクアダクトを渡って下船する地点に跳ね橋がある。人はオーバーヘッドの橋を渡るが自動車はこの跳ね橋 を渡る。船が通過するときだけこの跳ね橋を上げる。現役である。2名の日本人客も乗合客の中にいたが、乗り物が好きなので、近くの蒸気機関車にも乗るのだ と言っておられた。

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跳ね橋

 

チェスター(第17日)

チェスターもローマ人が造った古い街で城壁で囲まれている。中心部とおぼしきところのパーキングに車を入れでてくるとク ロスといわれる中心部であった。ロウズとよばれる商店街のファサードは白壁に黒いティンバーが生えて美しい。16-18世紀に建てられたものだという。 958年に歴史を遡れるというチェスター大聖堂もすばらしい。喜捨をして参観する。ここでグレゴリオ聖歌などのCDを買う。街を囲む城壁の上をDee川に 臨む南門からチェスター大聖堂まで歩く。ここにもローマ時代の遺跡がある。円形劇場跡が発掘保存されている。

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ロウズ

マンチェスター空港

マンチェスター空港内のハーツレンタカー会社を見つけるのに苦労した。なんのことはない。3つあるターミナルの一つの立 体駐車場に車を入れ、ターミナル内のデスクに鍵を返すだけである。徹底した省力化がなされており、事務の女性と会っただけですべての処理は終わった。タク シーで空港内のホリデーインに着いて今回の旅は無事終わる。(Hotel Serial No.225)

ロンドン , コッツウォルド、ウェールズへ

July 5 2002

Rev. June 18, 2015


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