鎌倉市が世界遺産への登録をめざしている

国指定史跡

24ケ所

北条氏系図

円覚寺

鶴岡八幡宮由比若宮(元八幡)

荏柄天神社
建長寺 若宮大 路 覚 園寺(かくおんじ)
亀ヶ谷坂(か めがやつざか) 法 華堂跡 永福寺跡(ようふくじ あと)
化粧坂(けわいざ か) 東勝寺跡 瑞 泉寺
大仏切通 寿福寺 朝 比奈切通(あさいなきりとおし)
北 条氏常磐亭跡 浄光明寺 名越 切通(なごえきりとおし)
一升枡遺跡 鎌 倉大仏 和賀江嶋(わか えのしま)
仏法寺跡 極楽寺 称名寺

武家の古都鎌倉の世界遺産登録は2009年まで延期となった。いままでの日本の世界遺産登録は国主導であったが、鎌倉が遅れるメリットは市民の支持を得る 時間があったということであろう。

平安時代までは氏神信仰だったのだが、頼朝が八幡信仰や天神信仰を広めたため「お宮参り」という風習を始めるきっかけになった。福岡の大宰府天満宮、京都 の北野天満宮と共に三天神社と称される荏柄天神の本殿は鎌倉時代の建物が残っている。

仏教信仰に関しては禅宗がはじめた庭園の造園法が金閣寺や銀閣寺の庭に影響を与えている。建長寺に残っている建物は江戸時代のものだが伽藍配置は鎌倉時代 のものだ。称名寺の平橋と反橋の対の橋も平安時代の御殿形式である。永福寺の復原も行われることになった。仏法寺跡は由比ヶ浜が見える景勝の地にあるがこ こにも入れるように準備を進めている。

鎌倉時代に沢山あった武家屋敷跡は失われた。例えば源氏三代の御所は清泉小学校になった。北条の代になって若宮大路の東側に御所を移転し、その裏の宝戒寺 に北条氏の屋敷を持った。京都御所と藤原氏の屋敷位置と類似点がある。若宮大路幕府跡は市街地になって失われ、北条氏の屋敷跡は寺になってしまった。唯一 残っているのが北条氏常盤亭跡だ。ここは第7代執政で歌人としても優れていた北条政村の別邸跡である。

ここに北条政村が別邸を作ったのは大仏切通の警備の意味があったと思う。切通は北条一族で守るという意思のあらわれである。建長寺、円覚寺は得宗家、極楽 寺は極楽寺流と大仏流、名越は名越流、朝比奈は称名寺の金沢流というわけだ。(内海氏談

黒字が国指定史 跡


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