由比若宮(ゆいわかみや)

元八幡とも呼ばれる。今でも横須賀線の脇にひっそりと残っている。 鎌倉に住んで25年になるが2007年暮れ、初めて訪れた。狭い路地を入ったところで訪れる人もない。鎌倉では御霊神社についで古いものではないか?

由比若宮 2007/12/26

前九年の役」で活躍した源頼義が 「前九年の役」後の上京の途中、鎌倉の由比郷に八幡宮の若宮を勧請(かんじょう)したことにはじまる。いまでこそ八幡は全国にゴマンもあると言われる程あるが、(実際には3万)当時、戦いの神と言われた山城の石清水八幡宮の本宮は天皇の命により勧請されるくらい、格が高く、本宮を勧請できなかった。やむを得ず格の低い本宮の祭神の分霊を奉斎した若宮を勧請したと考えられる。

由比若宮は世界遺産登録をめざしている国指定史跡の一つである。

明治期にはここから海側は滑川河口が造る沼沢地だっという。名越のトンネル掘削の残土で沼沢地は埋められ、いまは混みあった住宅地となっている。頼朝以前の鎌倉には現在の鶴岡八幡宮も若宮大路もなく、京と常陸の国を結ぶ官道が長谷から材木座を通って走水に抜けていただけであった。(黒ルート)六浦に抜けるもう一つの東西を結ぶ官道は六地蔵から寿福寺、鉄ノ井、筋交橋、そしてもう一つ大蔵御所の辺りを通る山辺の道である。

この近くの材木座一丁目9番には大正時代、小山別荘があり、敷地内の別棟に芥川龍之介が住んでいた。海軍機関学校の嘱託英語教官をしながら創作に励んだところとあるという。庭に大きな芭蕉が5-6本生えていた。

黒文字は世界遺産登録をめざしている国指定史跡

April 16, 2007

Rev. December 21, 2008


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