新聞に報道されない裏話

最近の社会現象につき、グリーンウッド氏かっての職場仲間をメンバーとする非公開のラウンドテーブル21(一種の掲示板)に投稿した雑感と対話集「市川先生の矛盾容認社会論に触発されて」のつづきです。


新聞に報道されない裏話

皆様、

ご無沙汰してます。このところ本業の遊びにいそがしく、また池上正太郎の「真田太平記」全12巻を読み始めてしまったので時間がなく、沈黙せざるをえませんでした。梅雪さんだけにがんばってもらうのも気がひけるのでまえじまさんの口添えもあり、たまたま大菩薩嶺登山で大菩薩峠の山小屋、介山荘の若主人から聞いた新聞に報道されない裏話をご披露します。本ウェブサイトの登山記録「大菩薩嶺*と丹波大菩薩道」に記した裏話をここに転載します。じつはまだ若主人と宿泊者の思い出話は延々と続くのですが、品位を疑われますのでこれ以上はオフレコといたしました。

<登山記録より転載>

皇太子殿下ご夫妻が私的登山した時の逸話が面白かった。非公式とはいえ当然地方警察や皇宮警察の護衛がつくのは当然である。1月も前から周到な警備の準備がされるのも理解できる。これからがあまり報道されない話になる。山小屋に宿泊するときは予約者の身元調査が行なわれるそうである。身元調査の締め切り日以後は山小屋は満員ということになると想像してよい。当然すべて山小屋の管理人には緘口令がひかれる。案内人はいろいろと面白い話のできる山小屋の管理人には依頼せず、公務員たる営林署の山岳会会員が勤めるそうである。その方が無難という判断か?皇室と市民の直接接触はできるだけ避けたいという本能のようないやなものを感じる。私的な登山のため、事前に予定は公表されないはずであるが、なぜか当日には100人の報道陣がかけつける。ただ指定の位置で写真撮影するという条件付きで来るらしい。一般登山者は理由も聞かされずに登山路の一部閉鎖をいぶかしがるが、突然ご夫妻に遭遇して感激することになる。こういう機会に近代的で快適なトイレなどが地方自治体によって整備されるのだが、私的登山なので役人の思惑通りには事は運ばす、生理現象も彼らの予想を裏切る。役人が周到に用意し、3人の管理人がうやうやしく待ち受ける公的で快適なトイレは使われず、山小屋が私的に管理する古典的汲み取り式トイレ!が役にたって感謝されたこともあったそうである。

グリーンウッド

 



中途半端な明治革命

皆様、

10月30日の朝日新聞に日本史研究者 磯田道史氏が面白い見解を披露してました。彼によると 

江戸時代の武士身分は一様ではなく大別して

●「侍」身分・・・袴OK、私服勤務、無条件の家督相続OK

●「徒士」(かち)身分・・・袴着用OK、制服強要、家督相続には読み書きソロバン能力が必要

●「足軽以下の奉公人」身分・・・裸足、制服強要、昇進は徒士止まりという鉄の天井あり
の3つに大別でき、身内内身分間の差別ははげしかった。

「侍」身分の層が無条件の家督相続をしていると藩主は象徴になり、家老会議も形式化する。「何もしない空っぽの頂上会議」に向かって、膨大な無駄書類があがり、おぼっちゃん家老たちがひたすら花押やら黒印を押していた。有能な「徒士」身分の非エリート武士が毎日毎日、規則・慣例にしたがって、この書類を書いていた。彼らは「藩がどうなるかは自分の仕事ではない。それはエリートの仕事。今日提出する書類が大切だよ」・・・そんな感じで日々つつましく暮らしを守っていたのが藩組織の姿であった。

この身分内身分の対立が明治維新の原動力になった。したがって明治維新は士農工商の士内部の革命にすぎず、農、工、商身分の人々は自分達の権利を獲得したという実感がない。ある日空から降ってきたのです。一方ヨーロッパの近代革命は王侯貴族の支配身分を非支配身分が打倒したので、血をながして差別を撤廃したという学習ができている。

というわけで、中途半端な革命により江戸時代の身分制を引きずる組織文化は、現代の我々の政府、我々の会社、我々の学校に受け継がれているのではないかというわけです。その後、藩はなくなり、武士は滅びた。そして今日本を見回すと・・・・そらおそろい結末が待ちうけているのでは?

欧米で制服を着ているのは軍、警察、消防署員だけですが、日本では銀行の女性職員、工場の全職員、建設現場の人は全て会社支給の制服を嬉々として着ています。米国のベクテル社と共同受注したプロジェクトの建設現場ではベクテル側は私服であるのに、日本側は制服です。スタートアップのため、7ヶ月ダス島に篭ったとき、私もはじめは制服を着ていましたが、あまりの暑さに制服を捨てて半ズボンにして大変快適に過ごしました。半ズボンで怪我しても自己責任ですし、衣服代は自前です。それでもなにか気分が良かったことを思い出します。しかしいまになってなぜ自由な気分、自主独立の責任感をもてたのか、その意味をようやく悟ったというお粗末さです。制服に疑問を感じない間は日本に変化は来ないのではないかと思ってます。

グリーンウッド

 


最近判明した明治政府による情報秘匿

パイントリーさん、

大昔わたしも若かった頃、司令官と参謀の役割の理想の形は司令官は泰然自若としていて参謀が知恵を絞って戦略を練り、司令官は「ヤレ」と言えばよいのだという話を パイントリーさんから聞き、なるほどと感心した覚えがあります。その後、これは一般に流布しており、日本型戦闘組織の理想となっていると知りました。しかしこの理想の形は実は明治政府がお手盛り叙勲のための情報秘匿と脚色により造られた戦史に起因する もので全く役に立たない思想であるという資料をご紹介させてください。本論に入るまえに少し脱線します。

ノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナル、インパール、レイテ沖海戦の旧日本軍の失敗を分析し、日露戦争の成功体験を忘れられず、学習棄却ができなかったためあるとし、失敗はあいまいな戦略目的、短期決戦志向、主観的で「帰納的」な戦略策定、空気の支配、狭くて進化のない戦略オプション、アンバランスな戦闘技術体系、プロセスや動機を重視した評価などに起因すると分析した野中郁次郎氏らの名著「失敗の本質」を1985年に読んで大変感銘をうけました。

その後の1998年、ノモンハン事件にテーマを絞って文藝春秋社の編集長だった半藤一利氏が書いた「ノモンハンの夏」を読んだ時の読書記録には「最近の日本の政界、官僚、経済界、企業内の問題がノモンハンににおける一連の経過、またその後の太平洋戦争に至る過程となんと似ていることか。被告は日本陸軍参謀本部作戦科と関東軍作戦科である。共通の問題とは組織の指導部の機能不全である。なぜこうなるかを見るに論理性の欠如と情緒に流されるという社会性に行き着くのではないか。このような社会でトップがみこしに乗っていると辻参謀のごとき、思い込みの論理で武装し、突っ走る元気いっぱいの若手将校の下克上がまかり通り。悲劇への道をひた走る。良識は卑怯者として抹殺されてゆく。司馬遼太郎氏が描こうとして果たせなかった気持ちがわかる。「驕慢なる無知」によって理不尽な死を強いられた人々に我々が手向けることができることは、このような過去を知り、歴史を繰り返さないようにすることだろう」と読書録に記しましたた。当時、無益な価格競争に走った企業・業界内部にいて痛切にそう思い強い共感を持ちました。

まあここまでは予備の知識として書き連ねました。

さて今日郵送されてきた学士会報2003-VI No.842に半藤氏が学士会で行なった講演「日本のリーダーシップについて」の講演記録が掲載されていましたので真っ先に読みまして目を見張ったのであります。その内容は明治政府が日露戦争戦争における陸戦と海戦の戦史に大きな情報秘匿をして脚色したために日本のリーダーシップ概念が間違ったまま植え付けられ、その悪弊が今に残ってしまったと指摘しています。さすが海軍だけは後に反省して極秘明治三十七八年海戦史という百五十巻の正史を編纂し、3部だけ印刷しました。2部は戦後のどさくさで焼却されたのですが、宮中に1部残っていたのが平成元年に目黒の防衛庁戦史室にもどされて、情報秘匿・脚色の事実があきらかになったのだそうです。なにを秘匿しどう脚色し、その動機はなにかというと。陸軍の総司令官大山巌や海軍の連合艦隊司令官東郷元帥がどのように情報をあつめ、異なった意見を持つ部下の意見をどのように聞き判断し、行動したかという詳細な過程が全て省かれ、大将はほとんど口を利かず、参謀まかせでゆったりと戦争をして勝ったという風にかきあらためられたのです。 合理性がないので全て人徳などにすり代える、山本七平氏のいう「徳川化現象」でしょう。その姑息な動機は明治40年に戦争に参加し、 無謀な提言と行動をし、農民兵の無駄死にをもたらした参謀も含め、軍人・官僚130名に爵位を与えるために不都合な経緯は隠し、履歴を飾るためであったというのです。

こうして日本の理想的なリーダー像が出来上がったわけです。司馬遼太郎氏も「坂の上の雲」を書くときに偽りの明治三十七八年海戦史しかよむことはできなかったわけですので、彼の著作もあやまてるリーダー像の増幅器としての役目にしか過ぎないものとなったわけです。偽りの戦史でイメージしたリーダー像が泰然自若とか動かざること山の如しではお粗末とさとった陸軍は昭和3年に統帥綱領をまとめますが、高邁な品性、公明な資質、無限の包容力、卓越した見識、堅実な意志、非凡な洞察力など神の属性のようなことを書いてます。半藤氏はこんなのは絵に描いたもちで何の役にもたたない。むしろ自分で決断する。明確な目標を部下に与える、権威を明らかにする、情報は確実に自分の耳で、規格化された理論にすがるな、部下に最大限の任務の遂行を求めよのほうがましで、これこそ大山巌や東郷が実際に実践したと極秘の正史にかかれていることだったのです。

身近な例を引くのも気が引けますが、もう歴史となったと思いますので倫理の束縛をかなぐりすてて、事実を後世に残す語り部の役目を果たすとすれば、我々が奉職した会社の創業者は極秘とされた日本の正史に描かれたリーダーの役を身を持って実践して会社を興隆に導き、陸士出の二代目社長は一般に流布する明治政府の作り上げたリーダー像に従い、経営に失敗したのだと伝えることでしょうね。わたしが小泉氏を評価しないのは今だ明治政府の偽りのリーダー像を信奉している風なためです。能力のない世襲世代には明治政府の偽りのリーダーシップ像が都合がよろしいのでしょうね。

ところで明治政府はなぜ司令官と参謀の関係をこのようにイメージしたかというとその原点は長州の足軽よりもっと下の出身の山縣が外国相手の下関戦争もやり、戊辰戦争では奇兵隊を率いて実力があり指揮官として問題はないのですが、西郷率いるかっての士族を相手に、農民からなる国民軍を指揮させるにはちょっとまずいと考え、軍事は何も知らない有栖川親王をシャッポにいただいて山縣を参謀長にしてたたかうことにしたのが発端だそうです。江戸時代の天皇と将軍の関係のミニ版です。そしてこの二重構造が無責任体制をもたらす構造的欠陥であるとかのオランダ人ジャーナリスト、ウォルフレン氏が何度もくり返すところのものです。

ところで有栖川という家名は最近詐欺事件にも利用されておいそがしいようですね。

以上ごくかいつまんでご紹介いたしました。パイントリーさんのご意見をぜひうかがいたいとおもいます。

道徳的に考える男は、たいてい偽善者である。道徳的に考える女は、必ずブスである・・・オスカー・ワイルド

グリーンウッド



Re:最近判明した明治政府による情報秘匿

グリーンウッドさん、

野村實「日本海海戦の真実」(講談社現代新書、99年7月初版)をお読みになりましたか?

極秘明治三十七八年海戦史なる百五十巻の正史のうち宮中に残っていたものをベ−スに書かれたものです。

東郷平八郎は大変緻密な司令官であったこと、T字戦法は秋山参謀ではなく山屋他人なる人物の発案であるが、事実上これをまとめたのは東郷平八郎自身であった、と書かれています。

東郷平八郎は若き日英国海軍に7年間留学、秋山真之は米国に留学・マハンの薫陶を受けていますよね。

日本海海戦の2人のリ−ダ−は共に英米帰り、当時「和魂洋才」なる言葉があったかと思うのですが、「洋才」に負うところ大とも云えそうです。

その後の明治為政者たちは、教えてくれた師を忘れさせ、「和魂」のみ強調したのかも知れませんね。

まえじま



明治革命が残した自己規制ミームという劣勢遺伝子

まえじまさん、

昨日、「極秘明治三十七八年海戦史」の存在をはじめて知って、もう15年もたつのだから誰かがこれに基いた本を書いているはずたと思ったのですがやはりありましたか。さすがまえじまさん、早いですね。教えてくれてありがとうございます。半藤氏の講演録にも詳細に真実が紹介されてますので買うかどうか迷いますが、鎌倉図書館に取り寄せるようにたのんでおきましょう。

T字戦法は秋山参謀ではなく、山屋他人なる人物の発案であるなど初耳です。昔マハンの古典的名著"Naval Strategy"の海軍軍令部訳を愛読しましたが、まえじまさんのおっしゃるように明治初期の若き海軍軍人達がマハンに学んだことは大きいと思います。そして米海軍も東郷元帥を大変尊敬していると聞いています。

ところで「市川先生の矛盾容認社会論に触発されて」で「日本では統治者を倫理の体現者として描き出すイデオロギーが強化されつづけただけである。」というウォルフレン氏の言葉を紹介しました。しかしその真実は明治政府とその軍は自分自身が仲間内の利益だけを計るというやましいことをしたので格別に倫理的な面を強調してしまったのではないのかと思いはじめました。深層心理がそうさせるのでしょうが、自分は悪いことをして民には徳を説くなど明治政府もかなりワルですね。長谷川如是閑も「強者の道徳は権利なり、弱者の道徳は義務なり」と看破してます。まえじまさんも パイントリーさんもウォルフレン氏のような外国人の言うことなんか胡散臭いとおっしゃっていますが、作家の高橋源一郎氏が「外」にたつものだけが、「内」の矛盾を見出すことができる。作家とはその国の、その国の言葉の「外」に立ち続けるもののことだ。という名言を吐いてます。私も引退してようやく外に立てるようになったことを感謝してます。

さて私は西も東もない。ダーウィンのいう淘汰圧は西も東もなく厳格に我々に作用していると思ってます。ヒトとチンパンジーのDNAの差異はたったの1.2%です。それにもかかわらず、ヒトは地球上の覇者となりました。原因は遺伝子外遺伝子の進化にあると私は見ます。遺伝子外遺伝子をリチャード・ドーキンスはミームと名付けました。即ち言語を介する文化の継承です。 スーザン・ブラックモアが更にこれを展開して「ミーム・マシーンとしての私」という本を書いています。

私は明治革命が中途半端で終わったので日本にはまだ古い好ましからざる遺伝子が残っていると思ってます。進化の圧力にさらされている以上、この劣勢遺伝子を次世代に遺伝させないようにしないとご本家のゲノムのDNAも淘汰されてしまうのではないかとある種の危機感をいだきます。さてミーム上にある劣勢遺伝子とは何か、それは私の見るところ、村社会のなかでは「目立つような行動をしてはいけない」という自己規制遺伝子ではないかと思います。制服を嬉々として着るというというのもそれです。この自己規制ミームが自分で考えて、自己責任で行動するということも抑圧してしまいます。体制にまかせ従って、小さな幸福を追求すればよいではないかと考え、政治体制がおかしいと感じても選挙という権限を行使することにも思いいたらず、坐して死を待つようなことになっているのではないでしょうか。まあ社会全体がいわゆる社会学やゲームの理論で有名な「フリーライダー問題」で指摘される、フリーライダーになってしまっているのでしょうね。

梅雪さんが紹介してくれるサラリーマン川柳には目立ちたくないが、心にわだかまる人々の思いが赤裸々に表現されていて心を打ちます。ソ連時代のブラックユーモアも優れております。今米国で盛んに作られるブッシュ氏揶揄のブラックユーモアも同じです。

いまゲーム理論の協調問題を社会現象に適用して考察したマイケル・S-Y・チウェ著「儀式は何の役にたつか」という本を読 みましたが、「人々がある事実を知る」だけでは、不十分であり、「”人々がその事実を知っている”ということを皆が知っている」ことが社会構造に大きな変化をもたらすと指摘し、フランス革命、マーロンブランドをスターにしたエリアカザン監督の映画「波止場」のことの成り行き、マッキントッシュの広告をスーパーボール放映時にあわせて大成功したこと、しかしなぜウィンドウズが覇者になったのかなどの現象を通じて解説してます。

梅雪さんの川柳を読めば表面に出ないヒズミがかなり社会に蓄積され続けているように見えますが、ゲーム理論によれば、「”人々がその事実を知っている”ということを皆が知っている」状態に達しないかぎり、社会革命は起きないので、そのような臨界点にいつ達するのか興味深深です。ただそのような社会革命後の社会が生物学用語でいう個体、すなわち我々個人にとって快適とは保証できません。ただ個体をビークルとする遺伝子にとって生き残るために最適なだけですので。

グリーンウッド

ラウンドテーブルに投稿した雑感の続き「項羽と劉邦」

November 5, 2003

Rev. October 30, 2007


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