旧古河庭園、六義園(りくぎえん)、 漱石旧居跡

学士会報をよんでいたら漱石が英国から帰って千駄木の借家に住み「吾輩は猫である」を書いたという記事を読んだ。千駄木はどこか調べたところ寛永寺、谷中 墓地散策後訪れた根津神社のすぐ北にあることがわかった。ジョ サイア・コンドル設計の旧古河庭園や六義園も未訪問だし、ちょうど長い梅雨も終わったようなので 2013年7月6日、ペットボトル2本持ってでかけた。

旧古河庭園

山手線の駒込駅下車、聖学園脇を通って旧古河庭園に着く。駒込は武蔵野台地上にあり、日本武尊がこの辺を通った 時「駒込みたり」(馬がたくさんいるところだな)といったことから駒込と呼ばれるようになったといういわくつきの場所で武蔵野台地のうえのため、当時は水田はなく、牧場になっていたようである。 旧古河庭園はその丘の最も高いところにあり、庭園は一段と低いくぼみにある。



旧古河邸

陸奥宗光の本邸であったが次男潤吉が古河財閥の養子になった縁で古河家の所有になったという。設計者はジョ サイア・コンドル。外壁に真鶴産の新小松石(安山岩)をつかっていて重厚で美しい建物だ。陸奥宗光のころの建物は現存しない。

ちなみに長男廣吉(ひろきち)は、1887年二十歳で単身英国ケンブリッジ大学へ留学。彼が下宿した英国人家庭パッシング ハム家。そこの娘さんが、一つ年上のエセルで2人は紆余曲折の後、結婚。日本ではエセルの希望で鎌倉材木座の1,500坪の屋敷に住んだ。仕事で上京する 廣吉の定宿は、帝国ホテル、よく利用したのが日比谷公園の松本楼、上野の精養軒だった。

ジョサイア・コンドルが設計したもので現存しているものは岩崎邸開東閣、綱町三井倶楽部ニコライ堂とこの旧古河邸だから、これですべて訪問したことになる。



ジョサイア・コンドル

六義園


綱吉の信任あつかった悪名高い川越藩主柳沢吉保が平らな台地に池を掘り、その土を積み上げて小山を作りと相当の資金を投じて造園した回遊式築山泉水の大名園。当時、池の水は千川上水の水を使っていた。吹上茶屋で冷抹茶をいただく。



吹上茶屋の冷抹茶

高さ35mの人工の山、藤代峠に登って庭園の全景を俯瞰。本物の藤代峠は紀国にあり、四方を見下ろす景地とのこと。三井寺(みいでら)の近くにあるとか。



藤代峠頂上よりの全景

柳沢吉保は人気がないが、少なくとも領地の川越藩では評判はよいようだ。三富(サントメ)新田にその名をとどめる。明治期には岩崎弥太郎の別邸となった。日露戦争戦勝祝いに弥太郎が6,000名の将兵を招いて宴会を開いたと言われる。

漱石旧居跡

漱石は英国から帰って千駄木に住み「吾輩は猫である」を書いたと森まゆみが学士会報July No.901 2013-IVに書いていた。どこかと思って調べると根津神社北 口の北には日本医科大病院、その西には日本医科大がある。根津神社の東側は遊郭だった。この日本医大の西の道路を挟んだ今では向ヶ丘2丁目にある郁文館学 園の東隣だったようだ。漱石の借家の東側には太田ヶ池があり、太田邸の広大な屋敷があった。太田家は太田道灌の子孫で家康の側室お梶(かじ)の 方(英勝院)をだした家である。越生(おごせ)の地を通過するとき道灌の山吹の故事を聞いたがまさに昔日の感がある。

漱石は千駄木を駒込の奥と呼んでいる。ちなみに駒込村は日本武尊がこの辺を通った時 の「駒込みたり」(馬がたくさんいるところだな)といったことから駒込となつけられたという。漱石の意識のなかではそういうことだったようだ。

六義園から漱石旧居跡まで炎天下を歩く。大体台地の平たいところを歩くのだが、富士塚の上に拝殿のある駒込富士神社というものがあった。 前方後円墳に近い形状で、古墳ともいわれている。神明さまを祭った天祖神社というのもあった。頼朝が奥州征伐にでかけるときに建てたという。

漱石旧居跡の標識は日本医科大学同窓会館である橘桜会館の前にあった。建物は犬山市の明治村に保存されているという。家主は斎藤阿部具、森鴎外は そのまえの借家人で、そのころは団子坂上の観潮楼に移っていた。当時は水道もなかったため風呂をわかすのは井戸水をくみ上げて風呂桶に水を運ぶ重労働を意 味した。というわけで漱石は近く の草津の湯という銭湯を利用した。「吾輩は猫である」に描かれている。



漱石旧居跡標識

太田家の広大な屋敷の東に一段下がったところに太田ヶ池があったというが、いまでは斜面に緑が残るだけでなにもない。団子坂からこの太田ヶ池、そして根津神社のアジサイの斜面は一続きの本郷台地の東斜面である。

後 日、TVで知ったが団子坂を登った千駄木5-20-18には日本ナショナルトラストの千駄木・旧安田楠雄邸がある。普請道楽といわれた実業家藤田好三郎氏 (遊園地豊島園の創設者)が建てた家である。関東大震災で日本橋小網町の家を焼かれた安田財閥の創始者安田善次郎の孫にあたる安田楠雄氏が住んでいたとい う

千代田線根津駅まで歩き、小田急線経由で帰宅。

近郷散策

July 6, 2013

Rev. October 13, 2013


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