千川上水

玉川上水を水源とし、境橋(現在の東京都西東京市新町と武蔵野市桜堤との境界付近)から江戸城の城北地域へ流れた総延長約22kmの用水路(上水)であ り、江戸の六上水のひとつであった。分水口のある境橋が仙川村(現在の東京都調布市東端から三鷹市南部にかけての一帯)のすぐ近くで、この仙川村を通した上水だったことにその名は由来している。現在は使用されておらず、大部分が暗渠化されている。

江戸の六上水とは玉川上水神田上水、千川上水、本所上水(亀有上水)、青山上水、三田上水(三田用水)。

1696年に江戸幕府将軍徳川綱吉により上水開削が命じられる。公の目的は、小石川御殿(綱吉の別荘)、湯島聖堂(幕府学問所)、上野寛永寺(徳川家菩提 寺)、浅草浅草寺(幕府祈願所)等への給水だが、六義園(綱吉の寵臣・柳沢吉保の下屋敷)内の池へも大量に引水された。

巣鴨に達した上水の水は、地中に埋められた木樋により、前述の5か所をはじめ、江戸の本郷、湯島、外神田、下谷、浅草などに飲料水として供給された。寛永 寺への給水は、途中で谷田川の流れる谷を越える必要があり、密閉された樋による「サイフォンの原理」の応用で一度水を谷底まで落とし、掛樋で谷田川を渡 し、寛永寺のある対岸の台地上へポンプなしで上げることができたといわれる。

下のルート図は千川の取水場所の境橋より上流の玉川上水も含めて巣鴨までのルートを示している。

東長崎の妻の実家訪問時はしばしば暗渠化した千川の上を走ったものである。

July 5, 2013


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