覚園寺

1218年、第2代執権の北条義時がこ の地に大倉薬師堂を建立したのが始まり。その後 の1296年、第9代執権北条貞時が蒙古の3回目の襲撃を防止するために心慧上人を開山に、覚園寺として再建して祈願させた時より北条氏の氏寺となった。 北条氏の滅亡とともに灰燼に帰したが、後醍御天皇が足利尊氏に再興を命じた。

鎌倉宮の左手一番奥にあり、鎌 倉に住んで25年以上経つのに訪問したか記憶がなかった。

2007年4月12日 再訪してかってT.H.とここを訪問していたことを思い出した。その時は 境内に入って真っ先にある愛染堂にお参りし、左脇の小さなしおり戸が開いていたのでそのまま奥の深い境内に入り込んだ。なかなかいいお寺だと感心しながら 出てきてとがめられたことがあった。ここは寺の方針として案内人つき有料参観であったのだ。愛染堂より奥は撮影禁止である。もし隠し撮りしていてインター ネットで公開したら訴訟を起こすとまで言われた。

愛染堂

愛染堂は明治の廃仏毀釈により廃寺となった旧大楽寺本堂を移築したも のという。

奥にある薬師堂は円覚寺と同じく鎌倉では古い建物である。茅葺き寄棟造りの屋根がちょうど葺きかえて半年経たところで美しい姿をしていた。堂内の正面には 鎌倉有数の巨像である本尊の薬師三尊坐像をまつり、左右には薬師如来を守護する十二神将立像が取り囲んでいた。重要文化財となっている。

愛染堂と薬師堂の間に赤く塗られた小さな地蔵堂がある。鎌倉時代に作られた黒く煤けた地蔵菩薩立像を安置してあるが訪れたとき修理が終わって、京都から 帰ってきて設置が終わって保護のカバーが外された直後であった。

境内に鎌倉十井の「棟立ノ 井」があるはずだが案内人の説明はなかった。

鎌倉プロバスクラブ会員のリンカン・ベル氏は登山が好きで修験道に造詣が深い米国人である。その彼に鎌倉宮のバス停に高 さ4mの石碑があり、この石碑に「弘法大師八十八箇所の道」と書かれていると教えてもらった。実は江戸の末期にここに四国八十八ヶ所のアンチョコの遍路の 道が勧進されていたのを知らしめるために東京の有志が建てたものらしい。四国霊場の第一番札所は竺和山霊山寺で ある。覚園寺のフルネームは鷲峰山真言院覚園寺であるから、これにちなんで弘法大師八十八箇所の道がつけられたということのようだ。覚園寺裏山の鷲峰山(しゅ うほうざん 127m)にある中世の横穴墓群である「百八やぐら」の一つ 一つに四国霊場の札所を模して八十八体の弘法大師像を置いたらしい。しかし明治の廃仏毀釈の運動で弘法大師の首は落ちている。その台の一つには「鷲峰山」 と「八十八番本尊薬師如来、讃岐国、大窪寺」と 刻んであるという。ただ関東大震災のときに崖崩れがあり、覚園寺からは直接はのぼれなくなった。ここにゆくのはかつての覚園寺総門跡から緑苑台住宅地脇を 登らねばならないという。


2016/4/10 急に思い立って友人Tを誘ってでかけた。JR鎌倉駅で落ち合い、桜の老木を完全に植え替えた段葛で花見をしながら、鎌倉宮(大塔宮)に 向かう。鎌倉宮バス停にその高4mの石碑があるのを確認。カメラに収める。裏面をみると江戸時代に建てられたものではなく、大正時代に東京消防第四区の有志によって建てられたよう だ。



石碑


覚園寺へ向かう道の途中の右手、庚申塔の立っているところがかつての覚園寺総門跡である。ここの庚申塔の右手に鷲峰山への登り口になるに細い道がついてい る。



庚申塔

シャガの咲き乱れる細道を登ってゆくと、やがて緑苑台の住人達ががタケノコを掘っていた。鷲峰山の山頂近くまで登ると樹木にからまれた「百八やぐら」が見 え始める。天園からのハイキングコースに合流する。建長寺方向(西)にしばらく進むと鎖場がある。鷲峰山の山頂近にもやぐらがあり,なかには4体の石仏が ある がすべて首がない。



百八やぐら

そのやぐらの上に台座に「第八十八番薬師如来像 讃岐国大窪寺」とある大師像があったはずだが、見落としてしまった。更に少 し西に向かうと右建長寺道とかいた石碑がたっている。(実は裏側に左覚園寺道とあったらしい)ここで左手に分かれて西御門方向に下山する道がある。途中 「やぐら」を沢山見る。桜の巨木から散る花吹雪の中をさらに下ると、やがてシャガが咲き乱れる草原にでる。まるで桃源郷だ。



桃源郷

この桃源郷から少し下ると、建長寺回春院の大覚池からくる大覚池ハイキ ングコースに出る。西御門住宅地の最高地点からは衣張山や名越の焼却炉の煙突が見える。急坂を下っでゆくと旧里見ク邸があった。建築家ライトの造形と高床式茅 葺屋根の茶室が保存されている。

八幡宮に戻り八幡宮まえのソバ屋で乾杯。に変わりつつある小町通りでウィンドウショッピングしながら帰る。ガーミンの GPSで5.9kmであった。

覚園寺では拝観料300円を支払う必要がある。拝観は10時、11時、12時、13時、14時、15時の6回定時のみ。 (雨天休)

覚園寺は世界遺産登録をめざしている国指定史跡の一つである。


2019/11/22

当初の予定では 歩く会覚園寺へ向かう道の途中の右手、庚申塔の立っているところから右手に鷲峰山へのぼり、右建長寺道とかいた石碑で分岐して鶴岡八幡宮に下るというルー ト下りに入る予定だったが台風19号で倒木やがけ崩れで整備できず入山禁止となった。ならばと雨の覚園寺をたっぷり楽しんだ。拝観料は500円にあがった。


薬師堂は円覚寺と同じく鎌倉では古い建物である。足利尊氏の梁牌銘のある天井は時代を背負っている。薬師堂の前に植えられているマキの古木は足利尊氏の時代に植えられたと言われている。

鎌倉市の西北にある手広というところの名主であった旧内海家の農家の家屋が覚園寺に移設されている。これを見ると田舎 でそだった子供時代の母屋を思い出した人がいる。馬を同じ屋根の下にはいる納屋に馬が出入りするために人間より背が高い馬が出入りのために出入り口は人間より高く作られていることを思い出した。自分は水車小屋の少女だったという思い出話 を披露された。

湘南国際村の隠れ家 - レストランACTYで」昼食とおしゃべりを楽しむ。

April 16, 2007

Rev. November 23, 2019


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