石原隊ツーリング記録

2001年-2002年

2001年4月21-22日、関東ロータリークラブ会員を主要構成員とする石原隊は仙台ロータリークラブ 会員を中心とするハーレー会と4年ぶりのランデブーするために松島まで一泊旅行に出る。同時に北海道とニュージーランド遠征の打ち合わせも目的とした。参 加者は石原、飯塚、大須賀、中本、菅原父子、後藤、井畑、亀山、押川、青木の11名。仙台からは菅野氏が参加。松島のホテル五大堂 (Hotel Serial No.183) に宿泊し、東北道を往復した。松島センチュリーホテル訪問。 (Hotel Serial No.184) 瑞巌寺は参道だけで失礼。折からの北風で行きの気温は日中でも5度から8度であった。帰りは北風8メートルの強風で困難な走行であった。北海道は2001年9月、ニュージーランドは2002年2月と決定。バイクは船で往復させる必要がある。

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ホテル五大堂にて

HOGメンバーになってから1万マイル走破し、記念メダルを申請した。

2001年6月16日、石原隊は中軽井沢・ロマンチック街道経由、草津温泉一泊のライドにでる。9月の北海道ツーリングと来年2月のニュージーランド・ツーリングの詰めのためである。幸い梅雨の中休みで雨にも遭わず快適なツーリングをエンジョイできた。宿泊した草津グランドホテル (Hotel Serial No.185) は期待を裏切るものであったが、グリーンウッド氏にとっては草津の湯畑は40年前の独身時代訪れて以来のことで懐かしかった。湯畑以外は全て変わってしまった。

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湯畑の石灯篭

翌日は草津・嬬恋1線と浅間白根火山ルートで中軽井沢に戻り、蕎麦を食い、信越・上越自動車道経由夕方帰宅。

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浅間白根火山ルートで浅間山を背に

2001年11月24日-25日、石原隊は北海道旅行の反省とニュージーランド・ツーリングの詳細の詰めのため塩原温泉に一泊の旅に出た。地下駐車場の完備した紀州鉄道那須塩原温泉ホテルに一泊した。(Hotel Serial No.209)

帰路は「日塩もみじライン」経由川治に出た。「日塩もみじライン」は釈迦が岳の山麓を越える道で日陰は凍結しており、慎 重な走行が必要であった。川治温泉から五十里ダム、川治ダムを経由して霧降高原を通過して日光に出た。久しぶりに日光杉並木を通過。霧降高原は女峰山山麓 にある。ここを2000/8にも日光高原の旅の帰路通過したが霧の中であった。今回は天気がよく、女峰山東方に発達した谷にかかるアーチ橋からの景観は見事であった。

2002年4月21日、石原隊はニュージーランド・ツーリングの反省会と写真交換会のため、NZでお世話になった荻原氏の経営する妙高高原池の平ホテル(Hotel Serial No.217)に集まった。あいにく当日は雨で押川・中本を除き、4輪での参加であった。大阪の室井夫妻も参加。次の日は池の平別荘地の視察といもり池でみずばしょうの観賞をした。不景気で大手企業の保養施設が投売りの状態であった。2000年5月6日にもこの地を訪れみずばしょうを鑑賞したが、いつものとおりであった。

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妙高高原いもり池で

北陸の五箇山、白川、高山、安房トンネル一週ツーリングに出かけた。残念ながらグリーンウッド氏はウルシカブレのため、ドクターストップ。

2002年5月6日、石原隊長がクライストチャーチ市長ゲアリー・ムーア氏に出した感謝状に対する返書が石原隊長に届く。

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クライストチャーチ市長のレター

2002年5月25日、バイク雑誌クラブマンの取材と撮影のため、押川、中本、徳山各氏とグリーンウッド氏は横浜ベイサイドに集合。徳山氏はニュージーランドで購入したトライアンフに乗ってきた。グリーンウッド氏のボートでインタビューと撮影をした後、皆でセーリングを楽しむ。

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横浜ベイサイドマリーナでトライアンフを前に

2002年6月3日、ニュージーランドで大変お世話になった荻野夫妻が手に入れたばかりのハーレーのサイドカーに騎乗してグリーンウッド家を訪問。

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帰路につく荻野夫妻

2002年10月9日、8:00茅ヶ崎を出発。11:30関越道駒寄SA集合。水上ICで291号線に下り、2001年7月に登山した谷川岳の土合口駅より谷川岳ロープウエイで天神平まで往復し、紅葉を楽しむ。土合口駅では久しぶりに虹を見る。

谷川温泉の旅館たにがわで一泊の親睦会。(Hotel Serial No.235) 旅館たにがわは湯テルメ・谷川の前にある。(Hot Spring Serial No.163)旅館たにがわには埼玉のバイクディーラー会の面々も投宿していたが、このうち1名がクラブマン10月号の記事を読んでくれていた。

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旅館たにがわで全員集合

翌朝9:30出発。沼田ICから120号線を金精峠に向かう。38年前、開通したばかりの未舗装の道を砂塵を上げながら 走行し、いろは坂を下り、旧東北道の渋滞に悩まされた良い思い出の無いルートである。この失敗に懲りて二度とこの地を訪れたことはなかった。しかし38年 後の金精道路は舗装され、高速東北道は開通し、第二いろは坂が完成して、実に快適な走行であった。一方日光経由のルートは週末でもないのに、引退老人夫婦 が車でドッと紅葉狩に訪れ、完全渋滞である。NHKのニュースに躍らせられている、自主性のない、一億右向け右世代の悲しさを見る思い。

これに引き換え、金精峠越えのルートは渋滞なしの快適さである。丸沼、菅沼で気温が下がったため、セーターを着、手袋を冬山登山用に交換した。菅沼など人影も無く不気味なほどである。

2019/12/16特記 山の仲間が奥鬼怒温泉加仁湯と八丁の湯をはしごしたという。台風15号で料金が下げれれたためという。加仁湯には行ったことはないが、一番近い地点は金精峠である。いずれにせよ林道でした通じていない。

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一時休止して着込む

金精峠を過ぎると2000年8月に訪れた湯の湖、戦場ヶ原、男体山が一望の元に見渡せた。

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金精峠より湯の湖、戦場ヶ原、男体山を望む

中善寺湖金谷ホテル(Hotel serial No.167)前のコーヒーショップで昼食。金精峠湾岸ルートで渋滞にも遭遇せず16:30には無事自宅帰着した。

2002年11月14日、石原隊は大洗にアンコウ鍋を食しにでかけた。常磐道守谷SAで集合、土浦北ICで一般道に降り、1998年にロードスターで走行した道を逆走して霞ヶ浦大橋、鹿行大橋を渡って大洋村に出てから太平洋岸沿いに北上し、大洗シーサイドホテルに到着した。(Hotel Serial No.236)近くの大洗磯前神社に参拝。交通安全を祈願した。夜はアンコウ鍋、キモズ、白子、ヒラメ生造りに舌鼓をうつ。

翌朝は筑波山に登るべく、東水戸道を走ったが、徳川がなぜ水戸を直接管理する気になったか分かった。豊かな水田地帯が続 く。土浦北ICで一般道に降り、筑波パープルライン(表筑波スカイライン)に入る。バイクが無謀な走行をしないようにバンプが仕掛けられていて注意が必要 だ。不動峠まで至るとそこの料金所でバイク走行禁止を告げられる。料金を半額支払って不動峠から一旦山を下り、筑波参道入り口まで移動し、そこから筑波ス カイライン経由、風返峠に登った。風返峠より上はバイク走行禁止だ。表筑波スカイラインの尾根道より不動峠から急坂を下る落ち葉の降り積もった狭い山道の 方がよほど危険だ。若者の無謀な運転でオジサマ族は迷惑を被る。しかし行政はなんでこうもおせっかいなのだろう。役人が自らの保身のため、利用者の危険を 顧みないとは本末転倒であろうに。思考停止状態で、ピントはずれの行政批判をするマスコミももっと柔軟な頭をもってほしいものだ。

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筑波山風返峠にて

石原隊ツーリング記録

2001/6/23

Rev. Decmber 16, 2019


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