石原隊ツーリング記録

1998年10月-2000年

1998年10月25日、石原南関東支隊は日本晴れのもと箱根、湯河原ツーリング。熱海の大名茶屋 (Restaurant Serial No.106) でとろろめしとバーベキューを堪能。

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大観山より

1998年12月5日、石原隊は群馬県の薮塚温泉 (Hotel Serial No.120) に集合。折りからの雨でバイクで来た人はBMWを新規購入した中本、菅原御両人とトライクルの井畑氏のみ。あとは4輪での参加。

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呑竜様の樹齢1,000年の松の木の前で

グリーンウッド氏はラングラーで参加。雨の中の走行中メンバーの一人飯塚氏が経営する和菓子屋「水戸屋」により和菓子をご馳走になる。昼食は石挽くそばの長岡屋でそばをとる。(Restaurant Serial No.113) 夜半の雨がやんで、飯塚氏はバイクを取りに家に帰る。翌6日は快晴。三日月村 (Museum Serial No.114) や子育て呑竜(太田市大光院)に参拝して帰宅。三日月村の不思議土蔵は水が坂を逆流するなど、意外性があって面白かった。土蔵と中庭が30度近く傾いているための錯覚である。

1999年3月22日、折りからの低気圧通過直後の15メートルの強風・快晴・摂氏2度Cの寒気のなか石原隊南関東支隊とBMWライダー合同の日帰りツーリングが決行された。往路は東名沼津ICー修善寺ー戸田峠ー戸田港ー堂ヶ島ー松崎ー雲見。雲見の民宿「玉喜」で昼食、一風呂、午睡。帰路は仁科峠ー湯ヶ島ー八幡ー冷川ICー伊豆スカイラインーターンアパイクであった。戸田峠から見た、戸田港は弓なりに海に張り出た砂州が作る自然港で折りからの強風で荒れる海から守られた平穏そのものの美しい港である。仁科峠とターンパイクには雪がのこり、夕刻5時のターンパイクは凍結し始めていた。グリーンウッド氏は5ヶ月ぶりのHDで勘を取り戻すのに半日を要した。往路は雲見直前の崖中腹での突風中の走行訓練となった。停車中、強風にふき倒される人2名。帰路は風も止み、蛇行する山道のスラロームを堪能した。

1999年5月26日(土)朝4時起き、4:40自宅発、一時間半で集合場所の関越道高坂(たかさか)SAに着く。3時間かかる計算であったが、早朝で交通量が少なく、半分の時間で済む。ここで、ロングフォーク、クロームタンク、クロームフェンダーのハーレーダビッドソンを発見、写真を撮らせてもらう。1991年型を改造。カムシャフト交換、強力スターターを含み2倍のコストがかかったそうである。ロングフォークで車検を取ってあるとのこと。

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ロングフォークのハーレーダビッドソン

花園ICから長瀞、秩父市経由、雁坂トンネルを通過して甲州にはいる。雁坂トンネル直前の荒川が作る谷は斜面が急で道を付けられず、ループ橋で谷を渡り、ループトンネルで高度を稼ぎながらトンネルに入る。6キロのトンネルを出ると快晴であった。笛吹川を下り、塩山市で多摩川を溯上してきた青梅街道に合流、勝沼市のブドウの丘でバーベキュー昼食。石和(いさわ)温泉郷の石和常磐ホテル (Hotel Serial No.138) に一泊。

1999年7月18日、都城の江夏氏らの面々の千葉ライドの最終日を伴走すべく、潮来のカンポの宿 (Hotel Serial No.139)に集合。翌日は石原隊のメンバー中本氏が開発した庭園型霊園「佐倉ふれあいパーク」 (Theme Park No.138) を訪問。人件費をかけて見事なバラの植え込みがある完全西洋式霊園である。おいしいイングリッシュ・ティーをいただきながら、中本氏から開発のコンセプトを聞く。成田山新勝寺、海ホタル経由、川崎港に帰る。

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佐倉ふれあいパークにて中本氏の説明を聞く面々

1999年10月9日、新潟市の北60キロの日本海に面した新潟県村上市の瀬波温泉に出かける。村上市は大和田家の出身地である。泊まった大和屋旅館 (Hotel Serial No.147) は石油を掘りに来た3代前が明治37年に温泉を掘り当てたという由緒ある旅館である。村上市では切妻建築がめずらしい重要文化財の浄念寺とその門前の料亭吉源に立ち寄る。主人がロータリークラブの吉田ポストガバナー。

翌10日、瀬波温泉から新潟市に向けて快適な海岸線を走行。沖には阿賀沖の石油生産施設が見える。新潟近くでかってグリーンウッド氏が基本設計に関係したLNG輸入基地があった。グリーンウッド氏にとっては実物との初めての邂逅。氏は長岡ジャンクションで本隊と分かれ、一人長野へ向かう。佐渡弥彦米山国定公園の米山サービスエリアから見る日本海岸には柏崎原発が遠望できる。ここからは高圧送電線が山を越えて南に向かっている。こう見ると新潟は関東圏のためのエネルギー供給基地になっていることがよく分かる。上信越自動車道が北陸道に連結される20日前の渋滞道を上越ICから中郷ICまで一般道を走った。

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瀬波温泉発祥の地(当時)

1999年12月5日、群馬県安中市磯部温泉の舌切雀のお宿として有名なホテル磯部ガーデン(Hotel Serial No.148) に集まり2000年の計画を話し合った。富岡市の小幡城跡を見学。発掘中であった。

2000年4月15日、東北自動車道、常磐自動車道、常磐自動車道経由、いわき常磐湯本温泉1泊 (Hotel Serial No.159) のツーリングを行う。当日は雨模様で気温7度Cのため、グリーンウッド氏は押川氏のフォルクスワーゲンに同乗参加。菅原氏はBMWのサイドカーに乗換えていつも通り奥さん同伴の参加。帰路、勿来の関に立ち寄る。ここは奈良時代以来の関所。海沿いに常陸国から陸奥国への入口にあたり、白河・念珠(ねず)とともに奥州三関の一つ。はじめ菊多関と呼ばれた。桜の名所でちょうど桜が満開であった。表千家謂白派の野点をご馳走になる。昼食は日立市河原子南浜海水浴場前の魚料理店でとる。(Restaurant Serial No.138) 東海村をはじめて通過。旧軍の射撃練習所のあったところ。原子力関連研究所の無いところは国営ひたち海浜公園となっていた。走る人もない立派な高速道路がある。景気つけのための無駄な投資か?

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常磐自動車道十王町付近

井畑氏のトライクルはホンダ製のGolden Starである。水平対向4気筒エンジンである。このエンジンを2輪に載せネーキッドにしたものは米国で普及しているVulcanである。

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井畑氏のトライクル

2000年5月6日、富山県生地温泉1泊のライドに6:30出発。厚木、八王子経由、関越道に入る。北陸道はトンネルの連続である。「親知らず」に立ち寄るが何も無し。高速道路が海の中を走る難所である。午後4:00「たなかや」(Hotel Serial No.161)着。翌朝10:00「たなかや」発、近くの上杉謙信手植えの松に立ち寄る。12:00妙高高原いもり池着、みずばしょうを観賞後、赤倉「秀山」(Hotel Serial No.162)にて昼食。14:00妙高高原発、長野道経由18:00八王子着、20:00自宅着。

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生地温泉の上杉謙信手植えの松

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妙高高原いもり池とみずばしょう

2000年7月1日、群馬県老神温泉(おいがみ)一泊のドライブ旅行。行きは赤城山経由、朝日ホテル泊。(Hotel Serial No.166)八王子から前橋までは灼熱地獄。赤城山頂は24℃。沼田から前橋に出ると気温が急に上昇する。八王子から厚木を過ぎると海風の影響で気温は下がる。

2000年11月18日、米国走破の旅の写真交換会を群馬県梨木温泉一泊で開催。梨木温泉唯一の旅館梨木館泊。 (Hotel Serial No.177) 丁度紅葉のシーズンであった。

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梨木館の紅葉

石原隊ツーリング記録

Rev. July 13, 2008


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