ロータリアン、タスマン海を行く

準備編

河はながれ

やがて海にたどりつく

たとえ河がどこにゆこうとも

そこにゆくのがオレの望み…

ロジャーマッギンが歌うイージーライダーのバラードの一節である。1960年代に20才代、ピーターフォンダやデニスホッパーが騎乗するハーレーダビッドソンに魅せられた世代も今は60才代。事業を引き継ぎ、成功させ、責任をはたした男達はゆとりを確保したとき、若き頃、心をときめかしたことへの回帰を始めるのもまた自然であろう。

今ここにロータリークラブ会員を中心に集まったハーレーダビッドソンフリークの一団がいる。最高齢者が隊長とよばれている石原敏男74才。最も若いメンバーが中本隆久55才、平均年齢64才である。

過去7年間、北は北海道、南は鹿児島まで全国各所、27回のツーリングを共にし、一昨年は米国を走破、今年はニュージーランドに遠征しようとしている。

かっての「伊勢崎めいせん」の産地、北関東で機能性繊維製品の開発をしていた長身の石原は8年前、反物をインディアンやハーレーダビッドソンに載せて未舗装の道路を走り回った若き頃をフト思い出していた。たまたま高崎のとあるディーラーのショーウィンドーに新型のヘリテージソフテイルが展示されているのが目に入った。店に入ったのが運のつき、気がついたときはその車を手に入れていた。

石原は群馬県境町のロータリアンである。同じ境町のロータリアンで境町では3代続く菓子屋、水戸屋の当主で、長年イントルーダーに乗っていて事故まで経験し、7年前からファットボーイを一人で乗り回していた飯塚盛夫69才と近くで足慣らしをして昔の感覚を取り戻した。

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石原と愛車ヘリテージソフテイル

石原はある日、購読している日経産業新聞の上場企業役員の趣味を紹介する欄にソフテイル・カスタムを楽しんでいる人のインタービュー記事がでているのに気がついた。「走っているとき、脳から快感物質が分泌しているのではないか」という言葉に感ずるところがあり、早速直接電話を入れた。これが今でもメンバーの一人、グリーンウッド氏63才やその会社の同役で今は子会社の社長をしている押川士郎61才との7年に渡るお付き合いのはじまりである。

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日経産業新聞のMyウイークエンド

グリーンウッド氏は当時、エンジニアリング企業の役員をしていたが、上場企業役員の趣味の紹介欄掲載のため、ヨットの趣味について新聞社の取材を受けないかという話が会社からあった。当時はヨットは休止し、ソフテイル・カスタムを購入して乗り始めたばかりであったため、対象をバイクにしてもらったのである。55才になるまでバイクには乗ったこともなかったのであるが、若くして4輪免許を取得したため、大型バイク免許も自動的に付いていたのである。これを使わない手はない。用心のため実技を受講してから購入した。押川が10年前にファットボーイに乗り始めた動機もグリーンウッド氏と同じあった。ただ押川は20年前より国産バイクを乗り回してはいた。

石原は67才で始めたバイクライドの楽しみをロータリークラブの会誌に投稿した。これを読んで、ハーレーダビッドソンを愛する全国のロータリアンから手紙が舞い込んだ。

会誌に掲載された一文に共感を寄せて連絡して来たロータリアンは北は仙台市、佐渡ヶ島、群馬県沼田市、千葉県柏市、甲府市、東京都、南は宮崎県都城市の方々など10数名に達する。相互に親善訪問するだけで全国一週することになった。

特に宮崎県の都城市で江夏グループを率いる江夏昇氏を中心とするロータリークラブをバイクを連ねて訪問したのは快挙であった。江夏グループが経営する地ビールメーカーでの交歓会は花火を打ち上げる大宴会となった。

この勢いで都城市のメンバーと合同で2000年に米国遠征も果たした。ラスベガスでハーレダビッドソンをレンタルし、ニードルズ、バーストウで2泊しながらルート66をサンタモニカまで走破した。サンタモニカで旧交を温めたのちモロベイで一泊しながら太平洋岸を北上し、サンフランシスコに至りここでレンタルバイクを乗り捨て帰国という旅であった。

旅の終わりはゴールデンゲートブリッジを渡り、そのまま急斜面のロシアン・ヒルを登りきる。頂上部からロンバード・ストリートをコイト・タワーに向かい急坂を下る。サンフランシスコのカーチェイス場面に出るシーンである。ハイド・ストリートとの交差点から観光客のフラッシを浴びてロンバード・ストリートをスラローム。

ペリー・コモの歌う「我が心のサンフランシスコ」の歌詞"I left my heart in San Francisco  High on a hill it calls to me....” そのままの世界であった。

このようにして集まった人のなかで今回ニュージーランドで石原夫妻と行動を共にする人は既に紹介した飯塚、グリーンウッド氏、押川の外に霊園ディベロッパー、いせやの会長中本隆久、東京都大田区で造園業を営む菅原康夫57才、とそのご子息の浩人君、およびその友人で大田区で産業廃棄物の分別業を営む徳山四郎64才、石原に触発されて一昨年ヘリテージ・ソフテールを購入した食品機械製造業を経営する斎藤信義68才である。斎藤信義は家業の食品機械製造業を引き受ける前の若い頃、ホンダの販売店で働き、後独立してリクオー、トライアンフ、BMWを販売していたことがある。この経験のためか65才でもハーレーには難なく乗れ、すぐルート66にもチャレンジできた。

昨年引退したグリーンウッド氏を除き、皆、現役の会社オーナー・経営者である。

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後列左から斎藤、徳山、押川、中本、前列左から飯塚、石原隊長、菅原、グリーンウッド氏

中本隆久がはじめてバイクに乗ったのは今から10年前の1992年である。大型自動二輪の免許は16才の時軽自動車の免許取得したため自動的に有資格者であった。姪がカワサキ専門のバイクショップに嫁いだ縁からエストレイヤを買った。その後、イタ車のマーニーを買ったが、すぐ素人には乗れる車ではないと悟って、ドカッティーに乗り換えハーレーにたどりついた。ハーレーに乗りはじめたころ夫婦でタンデムで湯郷フェスティバルに参加し、奥さんが湯郷クイーンに選ばれたこともある。今ではハーレーも卒業し、もっぱらBMWを乗り回している。昨年はこの車で半年で3万5000キロ走った。いままでに買ったバイクはアウグスタ・セリオ・オロも含め9台。アウグスタ・セリオ・オロは日本に25台しかないものだ。新宿の京王プラザホテルの地下駐車場に保管してある。現時点では興味はヘリコプター操縦に移り、バイクは目下整理中である。ヘリコプターは2機目で現在はフランス製のユーロヘリ350B3を所有して、東京ヘリポートをホームポートに北海道や大島に飛んでいる。

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350B3をバックに愛車アウグスタ上の中本

菅原康夫はボート、水上飛行機、バイクの陸海空制覇組である。ボートの方は40フィート、29フィート、19フィートの3隻を所有していたが現在では1隻を除き処分した。若い時、ボートと連携するため水上飛行機の免許を取得した。バイクは若い時から乗っている。ハーレーのサイドカーを愛用していたが、乗り方がきついせいか、エンジンヘッドが飛んだり、ピストンリングが破損したりのトラブルが多発し、嫌気がさし処分してしまった。ハーレーの単車もあるが、これは息子用にして、自分ではもっぱらBMWに騎乗している。昨年軽い心筋梗塞を患ったが、大好きなタバコを断っての参加である。いざというときのヘリによる救出連絡網を準備し、団員も心臓マッサージ法を勉強した。

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菅原とBMWのサイドカー

徳山四郎は若い時からトライアンフなどを乗り回し、手足の骨にはいまでもいくつかの金属片が埋め込まれているつわものだ。かってはハーレーに乗っていたが、現在はBMWを愛用している。1月末、出発前の打ち上げ会が「いせや」の役員会議室で同伴家族を除く全員があつまった。ここで徳山四郎氏自身空手をやり、ご子息昌守氏はWBCのスーパーフライ級チャンピオンと知り全員ビックリ。

石原は現在2代目のロードキングであるが、飯塚、グリーンウッド氏、押川は浮気もせず一台目を頑固に守りぬいている。

2000年5月、富山県生地温泉に1泊のライドに出かけた折、妙高高原の「ホテル秀山」に立ち寄った。オーナーの荻野政雄氏がロータリアンのため、表敬訪問したのである。オーナーのお嬢さんの多賀子さんがニュージーランド南島のマルイアスプリングズでリゾートホテルを経営しているという。ハーレーも置いてあるのでぜひニュージーランドにもツーリングに行ってやってくださいとのお誘いを受けた。それでは米国のルート66の後はニュージーランドに行こうということになった次第である。

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マルイアスプリングズ

早速お嬢さんの多賀子さんと連絡をとる。荻野多賀子さんはバイクツーリングのサポート業をおこなうサーマルコネクションという会社も松下晃さんと経営されている。お二人によるとベストシーズンは2月だという。丁度真夏で花が一斉に咲き乱れ、観光客も大勢訪れるとのこと。メンバーは皆企業経営者であるため、会社を開けられるのはせいぜい1週間である。2002年2月中旬の休日がある週が適当であろうと期日を確定した。

コースは南島最大の都市クライストチャーチを出発し、太平洋岸内陸をクイーンズタウン近くのワカナまで南下し、そこからハースト峠を越えてタスマン海沿いにチャールストンまで北上し、そこからマルイアスプリングズ経由クライストチャーチに帰る南島一周コースとした。途中マウント・クックやフランツ・ジョセフ氷河などを訪れる。

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ルート図

サーマルコネクションの二人がサポート車にバイクを載せるトレーラーを引いて全行程エスコートしてくれるという。

ニュージーランドの南島にもレンタルバイク屋はあるが、置いてあるハーレーの台数は少なく、とても全員の分はない。日本から自分の車を持ち込む必要があるという。1週間のレンタル代と持ち込みのための船賃はほぼ同等である。

とりあえずレンタルバイク屋にある全てのハーレーダビッドソン、すなわち2台のヘリテージソフテイルと2台のロードキングを確保。石原、飯塚、菅原父子が利用することになった。残りの4台は斎藤、中本、押川、グリーンウッド氏が自車を持ち込むことにした。中本は手持ちバイクをかなり整理してハーレーの残りはサイドカーのみとなっていたので、これを持ち込むことにした。

国境を越えて関税を支払わず自家用車を持ち込み、持ち帰るには米国、カナダ、ヨーロッパ諸国では何の手続きも必要ないが、日本とニュージーランド間はジュネーブ協定に基づくカルネという書類が必要となる。日本では社団法人日本自動車連盟(JAF)が発行してくれる。とはいえかなり面倒だ。盗難車が日本から持ち出されることを防止する手段にもなっているためらしい。

車検証とパスポートを持ってこの運輸局陸運支局に出向き、登録証書という英・日対訳つきのハガキ大のピンク色の証書を1枚取得する。内容は車検証を英訳したものと思えばよい。次に車に積んでゆくスペアパーツやパーソナルアイテムズリストを作成する。ヘルメット、工具一式、盗難防止ケーブルロックなどはパーソナルアイテムズリストに入れる。

当然無税で持ち込むためである。ただし書き込んだものは持ち帰らねばならない。そしてその単価と合計を円表示で示す。つぎに旅行計画書・旅行ルートを作成する。人は飛行機、車は船で出入国の日時が違う。これを全て明記しなければならない。カルネ申請書用紙に記入し、本人と保証人の実印を押す。申請10日後、JAFに出向き、必要経費を支払いカルネ、国際ナンバープレート、Jマークをようやく受領できた。国際ナンバープレートは陸運局発行のナンバープレートの英訳版で今後何度も使えるとのこと。

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大黒埠頭で (押川、清水、中本)

船への積載日の7日前の中本、押川、グリーンウッド氏の3名は自走でサーマルコネクションがアレンジした大黒埠頭の運送業者の倉庫にバイクを持ち込み、ここで国際ナンバープレートに交換。中本はたまたま親指の怪我のため、友人のJR運転手の清水さんが運転して乗り入れた。エンジンキーとカルネを運送業者に渡した。斎藤はクレーン付き小型トラックをレンタルし、これでバイクを倉庫に持ち込んだ。

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クレーン付きトラックで持ち込んだ斎藤

2001年12月24日にバルチック・ブリーズ号は大黒埠頭を離岸し、2002年1月中旬、クライストチャーチのリトルトン港に入港した。19日にはサーマルコネクションの松下さんが、車を受け取り車検を受けた。ニュージーランドではランプの数が制限されており、いくつか取り外さなければならない車もあった。

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リトルトン港に到着した押川、斎藤、グリーンウッド氏のバイク

整備不十分で持ち込んだ車もあり、現地の労賃も安いことから、保管期間中、ハンドルブレーキスイッチ取り付け、ブレーキパッドの交換、潤滑油やブレーキフリッドの補充、空気圧の調整などしてもらった。

さてバルチック・ブリーズ号出航後、徳山四郎がもしハーレー車がなくともレンタル車があるなら参加したいと申し入れてきた。サーマルコネクションの松下さんが電話をかけまくって、かろうじてハーレーを1台見つけてくれた。

参加メンバーのほとんどは旅の間もビジネスを継続するため現地での携帯電話の確保など準備は怠りない。

ワナカのロータリークラブのディナーミーティングへの参加、旅行中に誕生日の来る石原隊長の74才の誕生パーティ、サーマルコネクションによるプロのカメラマンによるPRビデオ撮影、現地新聞社へ情報提供などイベント盛りだくさんである。今回のツァーのきっかけを作ったホテル秀山の荻野社長夫妻も我々のツアーに参加するという。

室井さんといわれるリタイアされている大阪からのご夫妻もレンタカーを借りて同じコースを旅するとのこと。

クライストチャーチのロータリアンのハーレーオーナーが伝え聞いてサーマルコネクションに皆と会いたいと申し込んできたそうだ。香港からハーレーを持ち込むロータリアンがいるとするところが少し違うところがあるがうわさとはそういうものであろう。グリーンウッド氏の運営するホームページで英文でこれまでのいきさつは全て紹介したことと何らの関係があるのか?

現地についてみると、話はもっと発展し、驚くような展開となった。

本編に続く

参考資料

2002/2/26

Rev. May 28, 2008


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