メモ

シリアル番号 表題 日付

1205

中央構造線と仏像構造線

2008/07/29

中央海嶺でできた太平洋プレートは玄武岩でできているが、その表面に乗る海山の頂上には石灰岩が生成し、海底に降り積もった微生物の死骸がチャートにな る。また大陸から流れ込んだ砂や泥などが プレート上に積もる。これらもろもろの遠洋性堆積物を乗せた太平洋プレートはユーラシア大陸の東南の縁にむけて移動してきて大陸の下に沈み込む。そのとき 堆積物が剥ぎ取られ、大陸に付加してできたのが日本列島の素材である。

2,500万年以前(古第三紀Paleogene)の岩体を基盤岩、それより新しい地層(新大三紀Neogene)を被覆層という。この両層を分かつもの が中央構造線と棚倉構造線である。

3,000万年以前の日本海拡大前は西日本は朝鮮半島の東海岸に接続し、東北地方は沿海州に接続していた。この時、中央構造線は紀伊半島を過ぎたあたりで 2本に別れ、パルチザンスク断層ー棚倉断層線やシホテリアン断層ー畑川構造線(双葉断層)に連なっていて1本のほぼ真っ直ぐな断層線であった。3,000 万年に東北日本がまず押し出されたため、糸魚川ー静岡構造線できれて東北地方は反時計方向に回転した。ここらへんのダイナミックスは日本列島の地質構造の変遷を 読んでもらえばわかる。

棚倉構造線は酒田に発し、朝日山地、飯豊山地、猪苗代湖、八溝山地の東側を通り、袋田の滝の西側を通り、棚倉からJR水郡線にそって水戸に抜けている。八溝山地に金がでたのは古い大陸の岩体だからと考えられる。畑川構造線は阿武隈山地の東側 に沿っている。

中央構造線 青色

中央構造線とは日本最大の断層線でナウマン博士によって発見され、Median Tectonic Lineと呼ばれる。九州、四国、紀伊半島を東西に横断し、渥美半島にそって次第に弓なりに北東に曲がって大鹿村を通過し、諏訪湖の東の茅野に抜けてい る。

四国の吉野川や紀伊半島の紀ノ川はこの中央構造線の破砕帯が侵食してできたものである。中央構造線はこれもナウマン博士によって発見された糸魚川・静岡構 造線より東のフォッサマグナ地域では切れている。関東山地では古第三紀以前の基盤岩が露出し、その北縁の下仁田町西牧川の河床に中央構造線が露出してい る。関東平野では新第三紀や第四紀の地層はあるが中央構造線は露出していない。

このように中央構造線、仏像構造線、棚倉構造線、畑川構造線はかって海洋プレートが付加体を日本列島の下に押し込んだ時、海溝型巨大地震を発生させたプ レート境界面が新たな付加体によって押し上げられ、雨水で侵食されて地表に現れたものである。

中央構造線、仏像構造線は1,500万年前ころからフィリピンプレートの沈み込みのために曲がり、現在の南海トラフにほぼ平行になった。下の日本の地形図に中央構造線がはっきり見える。

日本の地形図

能登半島は古生代以前の大陸地殻であり、中国地方と北九州は古生代から中生代三畳紀の付加体である。中央構造線の大陸側は内帯、海洋側は外帯とよばれる が、中央構造線の南側を平行に走る仏像構造線までは中生代ジュラ紀の付加体である。仏像構造線はジュラ紀付加体と白亜紀付加体の境界断層である。

仏像構造線は1931年に東大教授小林貞一が高知県土佐市西部にある地名「仏像」にちなんで仏像-糸川構造線と命名し、後に仏像線あるいは仏像構造線また はButsuzo Tectonic Line (BTL)と呼ばれるようになったものである。

仏像構造線は房総半島から東京湾を横断、多摩川にそって甲武信ヶ岳、諏訪東南部で糸魚川ー静岡構造線を横断して赤石山脈を縦断、天竜川沿いに南下して遠州 灘に抜ける構造線である。紀伊半島、四国、九州を横断して最終的には沖縄の本部半島までたどれる。

中央構造線の北川の露頭の構造面に直接接している岩石は、伊那山脈側(内帯)の淡褐色の岩石はジュラ紀の付加複合体が白亜紀に高温低圧型変成を受けた領家 変成帯である。花崗岩源圧砕岩(Granitic mylonyte)を原岩とする破砕後固結したカタクレーサイト(cataclasite)という。

南アルプス側(外帯)の灰色の岩石は白亜紀に低温高圧型変成を受けた三波川変成帯である。おもに緑色片岩を原岩とするカタクレーサイトから構成されてい る。 関東山地の長瀞も三波川変成岩の露頭である。

地質境界となる灰色の未固結の断層ガウジ帯(粘土帯)から1,240万年前±70万年の放射年代(カリウム/アルゴン全岩年代)が得られている。断層ガウ ジ帯を切って、東から西へのし上げる逆断層がみられ、それらの逆断層を切る垂直に近い最新の断層が、ガウジ帯の中にみられる。

高温低圧型の領家変成帯と低温高圧型の三波川変成帯は、白亜紀の変成当時は離れて存在していたはずだが、中央構造線の活動により大きくずれ動いて接するよ うになったと考えられている。

中央構造線の北川露頭  14:34

ここで内帯と外帯の異なる岩石を採取した。登山中はこの大断層が作った直線谷の特異な景観を眼下におさめ、日本列島の成因を納得した登山でもあった。

中央構造線に鹿島 神宮、香取神宮、諏訪大社杖突峠、杖突街道、高遠、分杭峠、地蔵峠、 秋葉街道、青崩峠、信州街道、別所街道、鳳来峡、鳳来寺山、長篠の古戦場、砥鹿神社(とがじんじゃ)、豊川 稲荷、豊川、豊橋、渥美半 島、伊勢神宮吉野 山、高野山四国霊場、 阿蘇・高千穂など歴史の古いものがある。

Rev. August 17, 2008

Rev. April 6, 2015


トップ ページヘ