読書録

シリアル番号 1044

書名

沈まぬ太陽

著者

山崎豊子

出版社

新潮社

ジャンル

小説

発行日

2002/1/1発行
2009/6/20第36刷

購入日

2010/03/22

評価

鎌倉図書館蔵

新潮文庫

川上書簡 5.沈まぬ太陽を読んでこの本を読まねばと思い、予約した。まず手に入ったのが4-5冊目の会長室篇である。ここから読み始める。

約1ヶ月後、1-2冊目のアフリカ篇、3冊目の御巣鷹山篇を借りられた。

会長篇

1985年の御巣鷹山墜落事件処理のために時の中曽根首相(利根川)が1986年に鐘紡代表取締役会長の伊藤淳二氏(国見正之)を会長にすえ、天下り官僚の山地進氏 (海野昇)を社長にした。伊藤淳二氏は根本的改革に取り組むが、スクラムを組む官僚機構と御用組合の既得権保持者達に負けて更迭されるまでの詳細を200名に取材した実話に基づき再構築したものとされる。

東大法学部卒の主人公恩地(小倉寛太郎氏)は推されて労働組合委員長となるが、第二組合を作って分断する会社の労務政策の犠牲となってカラチ、テヘラン、ナイロビと辺境の地をたらいまわしにされるというのが前篇のアフリカ篇のようだ。若き頃カラチ特派員となった経験を持つ川上氏が「年甲斐もなく涙した」ところだろう。会長室篇では主人公の恩地は国見に見出されて、国見の片腕となる。しかし国見の失脚に伴い再びナイロビに左遷されるところで終わる。

「沈まぬ太陽」とは世界を駆け巡る日の丸マークを象徴するものかと思っていたが、主人公が失脚して再びナイロビに左遷されたときの描写として「サバンナの地平に沈むアフリカの大きな夕日は不毛の日々にあった人間の心を慈しみ、明日を約束する、沈まぬ太陽であった」という最後のフレーズから来ていると判明。

登場人物のモデルをインターネットを調べると龍崎一清=瀬島龍三(中曽根の特別顧問)、竹丸=金丸信(副総理)、永田=福田(元首相で中曽根の政敵)、道塚=三塚博(運輸大臣)、十時=後藤田正晴(官房長官)、石黒=黒野国彦(総務課長→運輸次官→成田空港社長)、三成通男=利光松男(副社長)、永尾=長岡聡夫(大蔵省天下り常務)、和光=服部功(監査役)、 行天=モデルなし(主人公の実在の複数のライバルを合成した架空の人物)、岩合=石川芳夫(日本航空開発社長)、仰天の陰謀に乗り改革者を貶めるスクープ記事を書いた匿名記者=澤田秀雄(日本経済新聞編集員)、日本産業銀行=日本興業銀行という。

小説では国見、和光、恩地は国家的視野に立ち事態を改善しようと立ち上がるが、既得権者あるいは脛にキズ持つ者の抵抗に敗れる役をあてがわれている。他の登場人物はすべて悪役か無能、 利己的な目的で動く政敵、理念を掲げるがすぐ妥協・日和見する人間として扱われる。具体的には永田は利根川の政敵、無能な人間は海野昇・三成通男・永尾、悪役は岩合・石黒・仰天・匿名記者、その他は理念を掲げるが首相すら妥協 ・日和見する人間として描かれる。次第に感化され、理念のために戦い敗れる3名を除き、どれもこれもネガティブな人間とうつる。

御用労働組合の成果で子会社のトップになっていた岩合がニューヨークの ウォルドルフ=アストリアやプラザ・ホテルと並ぶ一流ホテルでセントラル・パークを見下ろす立地にあるエセックスハウスを買収して大赤字を出す放漫経営の象徴的実話。プラザ合意直前に10年の為替先物予約を提案して会社に大きなダメージを与えた大蔵省出身の永尾がでてくる。日本産業銀行会長の池坊はJALの10年為替先物とインドネシアの円借款をケイマン諸島で相対取引をし、インドネシア側が1ドルにたいし5円の鞘抜きし、2円を竹丸への裏献金にすることをインドネシア側に進言し、インドネシア側はこれを採用。結果16億円が日本債権銀行のワリシンとして竹丸に渡ったと書いてある。

利益誘導と、その見返りの裏金の還流を政治家がすれば大物に見習い小物達も真似をする。旅行代理店からのキックバックで自宅・別荘を買い、女を囲うなどの逸話がこれでもかこれでもかと提示され、あまりの愚かさと醜聞に少々食傷気味となる。この部分は流し読み。ちなみにキックバック=KB=麒麟麦酒中1本=1千万円、小1本=百万円とのことだ。

さて半官半民企業がしでかした10年の為替先物予約は政府の監督責任もあるから閣議で米国流の「経営判断原則Business Judgment Rule」を理由に前経営者の経営責任は不問という決議をする。ここで利根川首相は国見会長を指名しておきながら裏切ったことになり、改革は頓挫する。国見は辞表を龍崎に提出するが受理されず更迭、恩地は左遷。岩合などの小物達は首となる。

瀬島はこの本を読むまでもなく、保阪正康らの論評で「組織内での秀才に止まっていて視点が低い」人物と理解していたが、国見の辞表を受理せず、更迭とするなど思った以上に毀誉褒貶のある人物として描かれる。三宅坂のエリート参謀だったころを彷彿とさせる。中曽根、後藤田も流れに乗るだけで思ったほどの大人物ではないと評価を変えるに至る。

主人公の小倉寛太氏は引退後、講談社から「フィールドガイド・アフリカ野生動物サファリを楽しむために」を書いて充実した余命をまっとうした人で、今でも人気がある。彼がエセックスハウスの買収時適切な価値評価をしたかを調査にニューヨークに出張したとき、ブロンクス動物園のGreat Apes舎を訪れて鏡の中に見る己の姿には2重の意味がある。

米国流の「経営判断原則」は2006年になりようやく日本の証取法、会社法に取り入られた。この判断基準からみればエセックスハウス買収や10年の為替先物予約は経営者がするべきチェックをしなかったのだから経営責任が問えるということになる。だからこそ閣議決定でくさいものに蓋をする必要があったということになる。官僚達が降りかかる火の粉を避けるために裏で画策し、利根川こと中曽根康弘がこれに乗せられたということだろう。

後日、竹丸こと金丸が1992年東京佐川急便から5億円のヤミ献金を受け取っていたことが発覚したが、1993年3月、東京地検は同日脱税の容疑で金丸を逮捕。自宅へ家宅捜索を行ったところ、数十億のワリシンでの不正蓄財、時価1千万円相当の無刻印の金塊が発見された。”金丸が訪朝の際、金日成から受領した無刻印のもの”と風評された。

インドネシア向けの円借款もインドネシアの為ではなく、政治家への裏金ツールが目的としか思えなくなる。中曽根が官僚達の策謀にのって閣議決定したことがJAL倒産の原因になったといっても良いのではないだろうか。金丸からブラックマネー作りを学んだ小沢の民主党が積年の膿をだすことになったのも歴史の皮肉を感ずる。

伊藤淳二氏の後任に東京海上火災保険代表取締役会長の渡辺文夫が会長に就任するがこれもやめ、結局消去法で山地進副会長が誕生し1995年まで続き、JALに10年以上君臨している。意外にしぶといということはJALの命運にも責任もあったということだ。私が1987年頃、山地進の人物に関し直接経験した個人的体験は、無論この本には反映されていない。

著者はJALからクレームレターやら各種の嫌がらせを受けたという。連載した週間新潮もJAL機内では読めなかった。

ちなみにエセックスハウスはマリオットからJALの子会社が言い値で買収したものだが、放漫経営の批判を受けたJALは損失をかぶってウェスティンホテルに売却。現在はアラブ首長国連邦の高級ホテルグループであるジュメイラ・インターナショナルがオーナーであるという。マリオットやウェスティンは米国出張時に世話になった懐かしいホテルだが今はアラブ首長国連邦の所有になったとは。(絶句)浦島太郎のような思いだ。

アフリカ篇

主人公が遠島になったり、第二組合が作られたりしたのは時の首相が乗ったJAL便が到着するときにストをうったことの運輸省の報復処置と分かった。アカ呼ばわりして差別する手法は江戸時代からある役人の陰湿な悪癖である。

JALの立て続けの事故の国会審議の過程で主人公への不当労働行為が組合から明らかにされ世間の注目を浴びることになる。そして主人公の名誉は中央労働委員会で回復される。

私は1976年、1カラチで一泊してアブダビに向かったことがある。これがカラチの唯一の経験だ。主人公は遠島になっているため苦労しているが 、旅人としては悪い印象はない。ところで今回この旅のとき立ち寄った白亜のモスクはどこであったのかグーグル地図で調べ、カラチの中心部にあるカイデ・アーザム廟(Mazar-e-Quaid)と知った。建国の父ムハンマド・アリー・ジンナーの棺を置く廟であったらしいが私はこれを 単なるモスクと思っていた。

単身ナイロビに移ってサファリと狩猟に熱中して精神の平衡を維持する主人公がでてくる。 大地溝帯の縁にあるマサイ・マラ地区狩猟区でライオンを、ツアボ地区では象を倒す。アンボセリ地区ではバッファロー狩りをした。海抜1,700mのナイロビの南西にあるンゴング・ヒル、フラミンゴの居るナイロビの北西160kmのナクル湖にも立ち寄る。ナイロビからはキリマンジャロ が見え、ヴィクトリア湖にも出かける。

家族同伴でタンザニアのンゴロンゴロ保全地区、セレンゲティー国立公園にでかけた。ンゴロンゴロ保全地区は巨大なカルデラにあるという。このカルデラの急坂を四輪駆動車で下る場面がある。そこでグーグル地図を使いながら読む。 セレンゲティー国立公園はンゴロンゴロ保全地区とビクトリア湖の中間地点にある。ついでに先日テレビでみたキリマンジャロの東にあるムジマ・スプリングズもみつける。


大きな地図で見る  

この地形図でケニヤ、タンザニア国境を見るとキリマンジャロを含め火山が多く、ビクトリア湖も大地溝帯に水が溜まったもので地質的に興味深いところだ。ここはまさに地中から熱がわきあがってアフリカを縦に割っているのが地形図から読み取れる。

御巣鷹山篇

JALの事故の極めつけとして1985年のJAL123号の墜落事件がJAL設立35周年記念式典のその日発生する。509名の乗客と乗員のうち520名がなくなり4名が生き残った。原因はしりもち事故の修理をボーイング社作業員に丸投げしてよく検査しなかったことにある。2列であるべきリベットが目の錯覚で実質1列であったため、金属疲労が徐々に進行して破断に至った至極単純明快な事故であった。

この事故の前の日に同じ便でわが家族が大阪から羽田に飛んでいる。まさに一日違いの事故であった。さらにわが連れ合いの高校時代の友人が亡くなった機関士の妻であった。(当時はジャンボ機のコックピットは3人体制であった)新婚旅行のとき、この機関士のおかげでコックピットに入れてもらったことは忘れられていない。 わが連れ合いの友人の旦那は京大工学部出身だが、弁護士となってJALの管財人になった。テレビインタビューにでる夫にどのネクタイを選ぶべきか迷ったという。また我が高校同期で破産法権威の才口がたまたまその人員整理にかかわっている。このように世の中狭いと感ずる。

ボイスレコーダの音声データ30分をダウンロードして聞いてみるが、丁度訓練で副操縦士が左席で操縦に当たっていた。なぜ羽田に帰ろうとしたかは不明であるが、油圧が完全に抜けているので、操縦士は何もできなかったのだ。それでも彼らはエンジンスロットルを調節して、左右のエンジン出力を変えて方向を変えようとは試みている。

2005御座山登山のおり、完成したばかりの神通揚水発電所の上のダムである南相木ダムを山頂からみた。御巣鷹山は丁度、南相木ダムを抱え込む山並みの裏側にあったのだ。そして下のダムとは御巣鷹山を貫通するトンネルで連結されているのである。

事故原因調査のため問題の隔壁を持ち込んだのは調布飛行場の格納庫であった。ここに航空宇宙研究所の分室があったためである。

2009年の映画「沈まぬ太陽」

2011/2/12にこれをTVで観る

Rev. February 12, 2011


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