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717

技術を進歩させた三大失敗

2003/07/07

(1)タコマ海峡橋の崩落:1940年完成したばかりの巨大なつり橋が突風に揺すられて、次第に増幅し、破壊的揺れになって路面がうねり、よじれついに切れて海面に落下する場面が映画に撮影されて有名になった。これは風との共振を予測しなかった設計上の問題であるとされた。この崩壊事故は、構造を拡張するときに、「失敗の回避ではなく、成功のモデルに基礎を置いたことが大きな事故を招く」ことを象徴している。失敗のない――過去の成功モデルは、設計が完全であることを証明しない。なぜなら、潜在的な失敗要因が、まだ経験されていない条件によって引き起こされるかもしれないからである。成功したプロジェクトに含まれるもっとも意味のある設計情報は、どのような失敗回避の戦略が組み込まれているのかということだ。タコマ海峡橋のような大事故は、ほぼ30年間隔で起こっている。30年の間隔というのは、「ある世代の技術者と次世代の技術者のコミュニケーション・ギャップ」を示すものという。

(2)1940年代のリバティー船の破断事故:リベット構造を溶接構造にしたために生じた。鉄板を重ねるリベット接合は、一旦亀裂が生じても周囲の鋼への波及をくい止める効果があった。一方、溶接では亀裂がそのまま拡大し、さらに溶接の工程そのものが鋼をもろくしていた。この結果、状況によっては鋼鉄船がガラスのように破断したのである。

(3)コメット機の墜落事故:墜落した機体を回収し、金属疲労に原因があるのではとの疑惑がでて、別の機体に繰り返し水圧をかけて破断することを実証した。JALのジャンボ機が御巣鷹山に墜落した事故もリベット不足によるオーバーストレスでアルミ隔壁に疲労が蓄積し、破断したという典型的な例である。ただこの因果関係は既知のもので説明可能な初歩的ミスで技術を進歩させることはなかった。

日本でも1970年代に三菱重工長崎造船所で発生したタービンローターの破裂事故以後、溶けた鋼を冷却する過程に問題があったことをつきとめ、この知見を全世界に発信した。以後、毎年世界のどこかで起こっていたローター破断事故は根絶された。
学士会報2003-IV No.841 畑村洋太郎 失敗学

入社直後、ポンプのNPSH不足で蒸留塔のスカートをかさ上げしなければならなかったと先輩から教えられた経験がある。

石油精製会社数社で配管ドレンから油がもれ、火災事故が何度か発生したことがある。この原因は4インチという、巨大な液安全弁をつかったところに原因があった。この弁が開く時、弁体のフラッタリングにより強い液柱振動を生じ、ドレン弁を共振して弁が開いてしまうことが実証された。最悪ドレン弁が根元から疲労破壊で飛んでしまう。対策として安全弁に振動防止のダンパーをつけて以後事故は再発していない。しかし、火災事故には行政罰がからむので真の原因の公表はさしとめられたままであると理解している。

文部科学省が失敗知識データベース構築事業を展開したり、NPO失敗学会などが結成されたことは結構なことだが、失敗の原因をすみやかに共有する試みは現在の日本の刑法と行政罰の仕組みを変えなければ、秘匿体質は変われないし、変わらず、失敗は今後もくり返されると思う。文部科学省や工学者は失敗をくりかえさないために日本の刑法と行政罰の仕組みをかえさせるところまで踏み込んでもらいたいとおもう。

Rev. February 12, 2011


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