シリアル番号 | 284 |
書名 |
中世ローマ帝国ー世界史を見直すー |
著者 |
渡辺金一 |
出版社 |
岩波書店 |
ジャンル |
歴史 |
発行日 |
1980/6/20第1刷 1985/7/25第4刷 |
購入日 |
1985/08/01 |
評価 |
良 |
岩波新書124
一神教のうちのイスラム教は砂漠の民、ベドウィンの改宗とジハードによるローラー的改宗で、ローマ帝国およびその周辺の森の民へのキリスト教布教には2つ要素があった。
(1)布教者のイニシャティブによるものが半分
(2)ローマ帝国が民族移動の波にのまれて紀元476年に消滅したのち、東ローマ帝国コンスタンティヌス大帝はキリスト教を公認し政治支配に利用した。すなわちキリスト教ローマ皇帝理念を確立し、ビザンツ皇帝を家父長、諸民族国家の君主を兄弟または子供とするビザンツ一家の制度に利用した。かくしてローマ・ビザンツ帝国と隋・唐帝国は独自に世界帝国理念を打ち立て、巨大な官僚機構、中央政府と地方行政府、文官と武官の対立、宦官を持ち、農民が皇帝権力と大土地所有の争奪の対象となるという共通の要素を持つようになった。ヨーロッパの民族移動のさなかには、このキリスト教化は役にたったようである。
シリアの石灰岩山地の放棄されたオリーブ・プランテーションを調査したロシア人建築家のチャレンコの報告書を詳しく紹介している。
この地帯が7世紀前半に廃村になったのはバトラー・マルテンなどの考古学者が安直に唱えた「この地方の荒廃は濫伐、地味枯渇など、エコロジー的原因である」という説を退け、この地方が荒廃したのはエコロジー的原因ではなく、外部世界との流通関係が絶たれたことが原因としている。その証拠に1918年秋のローレンス率いるベドウィンの反乱が成功してから、この地方がトルコの束縛から解放され、第一次大戦後の30年間に再入植が自然発生して緑がもどったとのこと。
エコロジー的には古代も現代も大差なく、よく遺跡で発見される豪華な建物の中の大きな梁は金と交換に他の場所から持ってきたもので昔そこにあった森林のなごりではない。
マレーシアにしてもインドネシアにしても斜面のきつい山岳地帯をのぞき平坦な土地は、飛行機で上空を飛べばわかるが、殆どヤシのプランテーションで覆われた一様な人工林である。(石鹸の原料)もう我が地球は人工林になってしまったわけで、これを管理してゆくには平和と通商が必要なのだなとつくづくおもう。日本の山岳地帯は斜面が急で、手もつかず原始林として残っている世界にもまれな秘境ではないだろうか?