一歩前の会

第11回ミーティング

一歩前の会は2003年7月6日、弁慶で第11回目のミーティングを持った。選挙戦のいそがしい中にもかかわらず風間秦野市議、NPO副代表の吉田博士、大寺NPO理事、神奈川県中小企業団体中央会の職員、公認会計士、大企業社員、工場長、農園主、引退悠々自適組など15名に加え、近くの慶応大学学生も参加した。

弁慶の広大な庭にある大樹の木陰で、お茶とケーキを楽しみながら異業種交流を行なった。グリーン・リサイクルセンターの肥料を使って育てた野菜も持ち込まれたが、たちまちのうちに皆の腹に中に納まってしまった。

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弁慶の木陰でのミーティング

今回の目玉はNPOえがおつなげてがこの7月21日お披露目予定で冨田氏が製作中のマキカートの見学である。吉田NPO副代表によれば、森林が放置されるようになってから立枯れするマツが増え、これを放置すると倒れる時、根が大きく斜面の土砂を掘り起こし、土砂の流出につながる。山の保全のためにはこれを伐採しなければならないのでスギ・ヒノキの間伐材とともに利用したい。この有効利用にマキ自動車、マキ発電、マキコジェネが最適であろう。

マキカートのガス発生器を設計したグリーンウッド氏によれば、マキの主要成分であるセルローズ、リグニン、水分は含酸素化合物なので、空気を吸引しなくともマキだけで、一酸化炭素、水素、メタンガスなどが生成する。発生ガスが空気中の窒素により希釈されないのでマキは木炭よりすぐれたガス発生原料であるとの説明があった。吉田副代表はそれでは第二次大戦の戦争指導者が木炭利用に決めたのは、間違いであったのではと質問してきた。グリーンウッド氏は当時の戦争指導者が木炭にこだわったのは山から都会にマキを乏しい自動車と列車で搬出するためには木炭の方がこのましいと考えたのではないかと答えた。

製作中のマキカートは反応器や灰分離器は完成してカートに装着済みであった。未完だったキャブレターと水抜きも完成し、配管資材は入手済み、保温材も発注先の目途がつき、残りはスタートアップ用のブロワーをどうするかが課題として残されただけとなった。安全を考慮して全系統負圧運転を維持するため、吸入シロッコファンかベローズポンプ(フイゴ)をエンジン直前に設けることになりそうである。

グリーンウッド氏が個人で設置した自家用の風車と太陽光ハイブリッド発電装置の説明があった。自然エネルギー利用の分散発電は、化石燃料にも原子力にも頼らない未来志向のエネルギーである。個人用の小型装置で売電するような発電量はないので蓄電装置付きとし、直交変換のインバーターは安価な擬似サインウェーブとした。発電単価は蓄電機能の追加コストのため買電よりはるかに高いが、非常用・保安用と考えればコストも不当ではないだろう。原発不祥事にともない危惧されている停電などには威力を発揮するだろう。通常時は夜間、屋外の保安灯用に使う。

近くの慶応七夕祭りに参加中の慶応の学生が飛び込んで来てからは吉田博士が世界の人口抑制は女性が職業を持って自立するようになれば解決するという持論を若き女学生に縷々説明された。

メキシコ人の母をもつ学生がいることがわかり、話はバハカルフォルニアに飛んだ。バハカルフォルニアに囲いこまれたカルフォルニア湾内にあるとある小島だけに緑したたる森があるそうである。カルフォルニア湾界隈は荒涼とした荒地なのでなぜかとカルフォルニア大のある教授が調べたら、サケが遡上して産卵して死ぬと、そこに栄養素が残る。これを他の昆虫類が食して更に山の頂上まで飛び死んで、この栄養素をばら撒いているからとわかったという話を披露してくれた。日本では森が海のカキとかコンブを育てる話はよく耳にするが、海から陸に栄養素が登る話は初めてで印象に残った。北海道で川に入る前にサケを一網打尽にする漁法はそろそろ再考してもらわねば。この教授と彼に協力したある日本人研究者は船の事故で亡くなったそうである。

July 7, 2003


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