日本経済について

グリーンウッド氏はかっての職場仲間をメンバーとする非公開のラウンドテーブル21(一種の掲示板)に参加して経済、環境、戦争、教育、世相などをテーマに自由な意見の交換を楽しんでおります。以下メンバーの一人、 にしのさんと交わした日本経済についての意見交換のうちグリーンウッド氏の発言をまとめたものです。


リチャード・A・ヴェルナーが書いた「円の支配者」の紹介

1昨年、リチャード・A・ヴェルナーが書いた「円の支配者」原題:Princes of the Yen by Richard A. Wernerを読んで目からうろこが落ちたことがあります。まずその時したためた読後感を読んでもらわないと話がはじまりません。以下少しながいのですが我慢してください。

衝撃的かつ説得力あり。購入してから24時間で本書を読みきった。本書の趣旨は以下の通り。

景気を支配するのは通貨供給量である。戦後の日銀総裁は大蔵省からの天下り組と生え抜き組が輪番で勤めてきたが、大蔵省からの天下り組みは金利政策は兎も角、通貨供給量の設定と制御には預かることはできなかった。生え抜きの副総裁と営業局長が窓口規制という手法で秘密裏にこれをしてきた。この生え抜き組み総裁・副総裁とは新木栄吉、一万田尚登、佐々木直、前川春雄、三重野康、福井俊彦である。このグループは日銀内で関東軍と呼ばれているインナーサークルを構成している。この人々はプリンスと呼ばれてもいる。

バブルになるように通貨供給量を増やしたのは三重野副総裁で、バブルを終息させるべく蛇口を止めたのも三重野総裁である。その動機は破綻した戦後経済体制を完全に破壊し、構造改革しなければならないと決意したためであり、主導権を大蔵省からもぎ取るためであった。戦後経済体制に組み込まれた量的拡大ではなく、質的改善すなわち生産性の向上で、国際マーケットに生き残ろうという目的である。指導者は日銀を辞めたのち経済同友会で活躍した佐々木直と前川春雄である。特に後者は戦後経済体制を完全に破壊する必要性を説いた前川リポートを書いた。しかしここにはどうやってこの革命を達成するかはふれられていない。日銀内部では前川リポートは「十年計画」として存在し、手法とタイムスケジュールも書かれている。そしてこの革命は1996年には予定通り成功した。

しかしまだ戦後体制としての大蔵省の法的権限は大きかった。そこで再度蛇口を止めて大蔵省を解体し、新日銀法を成立させて1998年ようやく完成した。1999年には大蔵省が国債発行の代りに銀行からの融資に切り替えたために、再々度蛇口を絞った。今は目的を達した判断し蛇口はひらきつつある。かくして失われた10年といわれる危機の創出によってこの改革はなされた。目的に偽りはないだろう。しかし、ドイツでは古いシステムを破壊せずに必要とされる新規産業分野に通貨供給量を重点的に配分するという手法で大きな犠牲を伴わず、産業構造の変革を達成して「社会市場経済」と自称するシステムを作っている。三重野がおこなったのは団体主義、カルテル・談合による協調、年功序列賃金、融資による資金調達によって象徴される戦後経済体制を完全に破壊し、1930年代の日本にあった個人主義、自由競争、頻繁な転職、株式による資本調達というアメリカ型のシステムを再導入するという最も過激な手法であった。結果として米国が持つ欠点も導入することになるだろう。

以上のような重要な路線の選択が民主的な方法で決定されず、一部の既得権エリートにより不透明な手法で説明責任を負わずに決定・実行される危険性は改善せなばならないだろう。現在の日銀法の改正が必要である。1997年のアジアの通貨危機もアジアの中央銀行によって仕組まれた同じ趣旨の行動の結果である。

米国の連邦準備銀行もほぼ同じ、両方とも金利政策に世間の注目を集めておいてマネーサプライでは相反したことをおこなっている。アラン・グリーンスパンも三重野と同じく自分のしていることをはっきり認識している。

さてそこで今日の次期総裁は福井俊彦との報道に接し、絶句。小泉首相はとうとう焼きがまわって官僚のいうがままのレームダック化したなとおもったわけです。どうです酒の肴になりましたか?Richard A. Wernerはドイツ人で日銀の研修生でした、内部で日本人職員から聞いた話を本にしたのです。「円の支配者」は一種の陰謀史観ともいえますが、内部告発に近い内容をもっていたので驚いたわけです。

ポール・クルーグマンの紹介

私の好きな経済学者にポール・クルーグマンがいます。アジアの金融危機を予言した人として著名で、まだ若いですが将来のノーベル経済学賞候補です。翻訳された本 「資本主義の幻想」、「クルーグマン教授の経済学入門」「グローバル経済を動かす愚かな人々」、「世界大不況への警告」の4冊 を読みました。それと彼のウエブサイトの愛読者でしたが、最近はニューヨークタイムズのカラムを担当して毎週世界経済について明晰な解釈を加えております。最大の被害者はブッシュ大統領でしょう。アラン・グリーンスパンだけがほめられております。グリーンスパン氏の迅速な金利政策が日本にあったら、第二の敗戦はなかった。というか米国の勝利はアラン・グリーンスパンに帰着するという極端な説もあるくらいです。

1997年にすでに日本経済に関しては日銀のスローな動き、政府の改革に関するこだわりを笑っておりました。「流動化の罠」にはまってしまった日本を日銀が救出できるとすれば需要を喚起するために国民にもしかしたらインフレーションが継続するのではないかとの思い込ませることくらいしかないのではないかとサジをなげてます。構造改革は必要だが、構造改革で経済はよくならないと当時言い切っております。それから6年目にようやく小泉氏もすこしわかってきたかなという程度です。当時米国では新しい理論が米国で生まれても日本がそれに気がつくに半年かかるという噂がありました。これは翻訳による遅延だろうということになってましたが、クルーグマン理論が日本で理解されるようになるまでに6年かかったことになります。なぜこう遅れるかというと、経済学者が御用学者化していて、それぞれの属する利益団体の利益を代弁するためではないかと思います。日銀は国債を買い取るべしと自民党のなかから声があがり、日銀は防戦一方で、国民はまだデフレは続くという確信がうまれてます。福井俊彦氏を任命すれば福井俊彦がその後どう変わろうと、あと5年間のデフレは保証されたようなものです。人々がそう思えばそうなるのが経済ではないでしょうか。アラン・グリーンスパンもブッシュの減税政策に愛想をつかして辞任するとい噂がありますのでこれで日本も助かるわけですが。

昔、王様とか殿様が中央銀行の役目をしていたころの弊害から中央銀行の政治からの独立性を保障するようになったわけですが、無作為の作為に陥ることも怖いですね。日本に中央銀行ができてからの中央銀行の歴史は常にインフレとのたたかいでした。しかし過去10年間の日銀はインフレ恐怖症というか、かっての日本軍が学習棄却ができなかったようにインフレ恐怖症から自由になることはできなかった。そこで中央銀行の政治からの独立保証に疑問がなげかけられたのではないでしょうか?日銀も財務省もトップはみな東大法学部出身ですね。まあ東大経済学部はマルクス経済学を教えていたので、いずれにせよ役にはたたなかったでしょうけれど。こんど副総裁として財務省から日銀に入る法学部出身者が次ぎの総裁候補でしょう。どうなっているのでしょうか?

e-Japan計画も企業のIT化も組織、人、仕事のやり方を固定したままで紙を電子に置き換えるだけですから、進歩がありませんね。書類が一見きれいにみえるだけでかえって弊害の方がおおきいでしょう。新しい技術の利点がでるように組織、人、仕事のやりかたを変えなくては進歩はないのにシキタリとオキテにこだわる法学部出は気がつかないでしょうね。

パーキンソンの法則の翻訳をした原子核物理学者の森永晴彦氏にたのまれて氏の新著の原稿を今日査読したのですが、現在、原子炉が検査のために沢山停止させられているのも、法学部出の書類マニアのためだと批判してます。事故が生じたらその対処より先にハンコをおした報告書を役所に上げないと原子炉は止まることになるんだとか見込みのない核融合に巨額の研究費を配布するのは法学部出がわけがわからんからだとか一高、東大組の氏が一高、東大組の法学部攻撃をしてます。一高の寮の同居人が元日銀総裁の三重野氏だったとかで今も同窓会で和気藹々とつきあっているようですが、「アイツが日本をダメにしたとおもいません?」などといってます。

1月のスペイン旅行中、もんじゅの開発公団かなにかにいたらしい、元役人らしい、品の良い老人がいて「TVニュースで国が裁判に負けたのを知り、とてもショックだ」と打ち明けられました。「そうですね、裁判で文殊が安全だと証明することは実績がないのでほとんど不可能でしょうね」と相槌を打ったら法科出身者なのでしょうか、ますます憂鬱そうな顔をして黙ってしまいました。なにか人生に失敗したような落ち込み方でした。刺激的なコメントなのでまた受けてたちました。

わたしは経済は素人ですが、1998年のクルーグマン教授の論文JAPAN'S TRAPを読んで目からうろこがでたものですので少し氏の思考を紹介したいとおもいます。論文のフルテキストは下記MITサイトにあります。英語が苦手の人は主婦の友社刊、「クルーグマン教授の経済入門」に付録として山形浩生の名訳で収録されてます。http://web.mit.edu/krugman/www/japtrap.html

まず日本は「流動性トラップ」に陥っていると認識するところから、解決策を提案している。流動性トラップを理解するのはお子さんの経済の教科書の巻末にでているLS-LMモデルを理解しないとはじまらないのですが、まあ時間がないので、パスします。自習してください。

「流動性トラップ」に陥っているとどうなるかといえば、日本のように人口トレンドが明るくなく、長期の成長見通しが低い国では貯蓄と投資をマッチングさせるために必要な短期の実質金利がマイナスにならなければならない。しかし名目金利はマイナスになれない(銀行に金を預けると保管料をとるようなことは出来ない)のでその国にはインフレ期待が必要になるという理論です。いまでこそデフレで価格が下がったので価格が反転すればインフレ期待が発生し、日本の経済は流動性トラップから抜け出すことができる。したがって将来はすこし明るくなってきてます。でも論文がかかれた1998年当時は価格は下方硬直的だったので、デフレ後のインフレ期待は期待できなかった。そのような状態では短期的な金融拡大はどんなに大規模でも効果はないと彼は言い切っています。赤字国債による政府支出も問題を軽減するが限定的である。ということは中央銀行は通常は無責任きわまる倒錯的金融政策に真剣に取り組まなければならないということであると。その無責任な政策とはまずこれからインフレを起こすまでマネーサプライを継続し物価が上がり始めても金融拡大方針が続くことを宣言して実行し民間部門に納得させるとうことだ!!とうすざましいものです。まあ三重野さんが1980年代に宣言なしに無意識に窓口規制(窓口奨励がただしい)でやったことですけど。

日銀にも長期国債が58兆円もあるなどとビビッテいるようでは日銀総裁が勤まるような政策ではないのです。58兆円というと巨額のようにみえますが、総貯蓄額1000兆円の6%に過ぎません。6%ではインフレははじまらないと感じませんか?構造改革して民間銀行をクリーンアップする必要だが、流動性トラップから抜け出すには役立たずと断言してます。小泉マジックは素人受けするキャッチフレーズなのです。

財政政策のうち、減税はリカード式のequivalenceにしばられるので何の効果もない。政府が支出を増やしても民間消費が減ってかなり相殺されるが、それでも一般には流動性トラップから抜け出すには少しは有効と考えられる。経済は需要に制約されているのだからムダな投資もしないよりはまし。しかし、日本ではすでにものすごい公共投資で経済を刺激しようとして失敗している。国の財政は破綻に向かうので限度があるだろう。

まあ彼が最後に言ってますが財政も金融もなにもしなくとも価格がデフレで十分下がり、反転し始めればインフレがはじまるので流動性トラップから抜け出すことになる。ただノーコントロールなのでデフレ脱出までの時間が5−20年かかるかわからないとだけという御宣託でした。

金融当局の役割はデフレ期間を短縮することに貢献するわけです。財政政策は無力で、唯一そのパワーをもっていた金融当局が何もしなかったのでただただ価格が下がることを待つしか方法がなかったといことのようです。先日デパートを歩き、繊維製品の価格は1998年代の半値にはなったのではないでしょうか。でもそれ以外は値下がりしてません。いつ反転するかは誰もわかりません。日銀が一押ししてくれればすぐにでも流動性トラップから抜け出せるのですが、無理でしょうね。それで物価スライドの年金支給額の減少は当分続くというわけです。

以上このノーベル賞をいずれ受賞するだろうという明晰な学者が日本に無料で提供した処方箋です。クリントン時代の米国の一人勝ちは彼が民主党政権に協力して政策提言したためとも理解されます。いま彼はニューヨークタイムズでブッシュ政権の経済政策をくそみそにやっつけてます。彼がN.Y. Timesのカラムでネオ・コンサーバティブの頭目Richard Perle氏の汚職を弾劾していましたが、ついにRichard Perleは辞職しましたね。

マンデル・フレーミング命題

クルーグマン論文と似たような見解を1996年にマンデル・フレーミング命題 として東京大学名誉教授館龍一郎(タチユウイチロウ)氏が学士会で講演し、講演録が学士会報813号に掲載されておりましたので興味をもってメモしておきました 。その論旨は景気がわるくなったら財政支出が望ましいというケインズ理論は金本位制下の固定為替相場制を前提として組み立てられているが変動為替相場制下でのケインズ理論を修正したものに金融政策を景気対策にし、財政政策は対外収支不均衡是正につかうべしという主旨です。IS-LMモデルで説明できます。日本のバブル経済もそのパンク後のデフレスパイラルも変動為替相場制下でのケインズ修正理論を理解していないことにあるような気がします。

IS-LMモデルはR・ドーンブッシュ、S・フィッシャー著「マクロ経済学」などの大学の教科書に記載あります。わたしは素人ですからただ先生の教えをくりかえします。財政出動はしないより増しということで、財政破綻してまでやれとは先生は言ってません。先生がいっているのは心理学にぞくすることでインフレ期待を生じさせるように日銀は発言し、国民の考えを変えるように行動しろといっているわけです。とにかくデフレは借金負担を増加させ失業を増し、ろくなことはないのです。これを必要悪と思い込んでいる人はまちがっています。でも金融政策がなにもないので経済は自己バランス上デフレにむかうだけのことです。デフレが収束すれば自然インフレに向かうのですが金融がなにもしないと長引くだけのことです。

財政政策について

いまの政府のように国債乱発して借金を背負い込めば、国民は心配になってますます消費を絞るので逆効果でしょう。先生は政府が国債を発行せよなどとはいってません。これは財政政策に属することだからです。そして何回も言いますが、財政政策は流動性トラップ脱出にはあまり有効ではないのです。西野さんの心配は皆が持つ自然な感情です。政府に国債の更なる発行はさせず、どうインフレ期待をかもし出すかは日銀マンの腕のみせどころですが、国債を買うこともインフレするかも知れぬと思わせるには有効でしょう。すでに発行してしまっている国債を市中から買えばマネーサプライは増えるわけですから。過去10年間の発言がまったくインフレを心配していると逆の発言ばかりしてました。まったく日銀総裁は頑迷というしかありません。自民党にも馬鹿の一つ覚えで財政出動を念仏のように言い続ける人が多すぎます。顔の四角なもと警察官僚出身の代議士などどうなっているんでしょう。浅間山荘の周りをうろついていたかっての若き姿に帰ってほしいものでです。

会社経営者出身の財界人はマクロ経済学をしりませんので間違った判断をしがちです。視点がどうしてもミクロになってしまうのです。トヨタ出身の財界トップも例外ではありません。

(1)いま価格が下がっているのは土地とお隣中国で製造可能なもので、特に繊維製品がそうですが、他の高度工業製品はそれほどでもありません。下方硬直性があるのです。これは日本が企業レベルでの雇用保障をしてまだがんばっているためとも考えられます。土地はかってのバブルの不良債権ですし、お隣の中国への一部産業の移転もグローバル化の必然でやむを得ないでしょう。しかし、それ以外は不要なデフレとして金融政策でまもらなければ企業レベルでの雇用保障も崩壊するのではないでしょうか。なにより、産業が何もなくなってしまうことを恐れます。

(2)自動化で雇用が減ることを恐れる必要はないのではないでしょうか、自動機械メーカーにあたらな職場、それも高度な技術を要する職場が生じ、切符切りというおよそ非人間的、非創造的な職場がなくなるだけのことです。ここでの切符切りの失業者を救済するのは再教育しかないのでしょうね。ここら辺に社会的救済メカニズムが必要とおもいます。そいう高度な技術教育をする再教育機関を創設するなど、大学の任務ではないでしょうか。でも切符切りの再教育はむずかしいでしょうね。グローバル化とは経済的に国境を取り除くということなのでこのような人々は平均的中国人と同じになるということなのでしょう。貧富の格差が増します。これが米国が持つ弱点で、日本も鎖国などできないわけですからグローバル化を受けいれた以上、必然として進行中ということなのでしょう。19世紀末のレッセフェール時代に逆戻りしてしまったわけです。これを解決するのはやはり政治しかありません。その点では日本の政治と企業はソ連以上に社会主義的ですので、救われているわけですが、結果、価格の下方硬直性が生じ、デフレ傾向はじりじりと継続し、じわじわと社会主義的政府と企業を死に向かって行進させているような気がします。西野さんの心配する赤字などが時限爆弾でしょう。よく米国の陰謀といいますが、陰謀とはグローバル化そのもので、日本はグローバル化で高度成長を遂げたので文句は言えないわけです。

どこまで弱者救済をするか要はバランス感覚で、どうすべきかここは思案のしどころでしょうね。小松さんの提案されるように、私もすこしでも個人レベルで役にたとうと、近くのパソコン文盲者をはげまして、電話でパワーポイントの操作法を教えたりしてますが、草の根の活動も大切です。近くNPOに協力して木炭車の再現プロジェクトにボランタリーで取り組むことになってます。久しぶりのエンジニアリングというかエンジン、キャブレター、乾留炉との油まみれの格闘になるでしょう。森林資源の有効活用の一環です。

(3)米国の繁栄はクリントンとともに過去のものです。米国は金融バブルがはじけ、財政は赤字に転じ、日本のように金利ゼロでもデフレが進行する流動性のトラップに入り込む可能性ありとクルーグマンは警鐘を鳴らしております。ブッシュが景気向上のために減税することも、リカード効果のため無意味といってます。私のカリフォルニアの友人はグリーンスパンは自分の名誉のため、いよいよサジをなげて辞任するのではと心配して手持ちの債権を全て売り払ったといってます。

金融工学

刈屋武昭著「金融工学とは何か」は読んだことはありません。陰謀史観を持つことは自己責任を回避する逃避の姿勢であって本人のためにならないのはそのとおりだと思います。すぐ米国の陰謀というのは逃げでしょう。

金融工学関連では野口悠紀雄氏の「金融工学、こんなに面白い」を読みました。 東大工学部卒、大蔵省、エール大PhD、一ツ橋大、東大教授歴任の著者が分散投資によるリスクの分散、ブラック・ショールズの研究などを紹介した後、14世紀までは高い文明を持った中国を中心とする東洋がなぜ太平洋を渡ってアメリカ大陸を発見せず、西洋は大西洋を渡ってアメリカ大陸を発見したのかと自問し、西洋がリスクに挑戦するための社会的な仕組みと技術を発展させたのに、東洋はしなかったためというのは面白かった。リスクに挑戦するための社会的な仕組とは例えば株式会社という有限責任の仕組み、ロイズの保険というリスク分散の仕組みです。

この他にも国家事業ではなく、民間収益事業を国家が許容すること、分権的な意思決定が行なえる体制があること、組織間の人材流動性が高い社会構造であることなどが必須要件であるとも言ってます。

明の鄭和が西アジアとアフリカに8,000トン級の船62隻に3万人の船員と将兵を乗せた大船団を7次に渡り出したのに、中国が官僚国家だったがためにリスクのない西への航路をとることした考えなかったと言ってます。マゼランの船団は100トン級5隻、総勢265名であった。今様にいえばベンチャーであったわけです。Jared Diamond著のGuns, Germs, and Steelにも同じことが描いてあったと記憶してます。(English Library Serial No.432)

「リスクに挑戦するための社会的な仕組みと技術を持たない国は、いかに高度な自然科学と工学を発展させても、やがて衰退することは歴史的な事実である」と野口悠紀雄は言います。そして「中国と同じくソ連という国もこの歴史的な証拠である。そして日本がいまの経済構造を継続するなら、16世紀の中国、20世紀の社会主義国と同じ陥穽に落ち込む危険は否定できない。失われた10年間はこれが決して杞憂でないことを示している」と予告してました。

私がが去る直前の会社の状態も旧ソ連と同じで中央からノルマを発令し、シャニムこれを達成させるという硬直したシステムでした。形式は別としてプロジェクトマネジャーに分権的な意思決定をさせないで売値を強制していては体制が崩壊してもやむをえませんよね。

スティングリッツの本

西野さんも「円の支配者」とスティングリッツの「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」両方とも読んでおられたのですか。1998年のノーベル経済学賞を受賞したアマーティア・センの最新著作Development as Freedomは個人の自由が経済発展のもっとも根源的な要因であると説き、21世紀でのパラダイム・シフトを起こす本と賞賛されていましたが日本語訳はまだでていないので原著を購入しました。しかし途中で挫折しております。

スティングリッツ著「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」を読んだ後書いた読書録を紹介させてください。

朝日の書評欄で山形浩生の書評が刺激的だったため求める。 私が評価している山形浩生が酷評した巻末の某エコノミストが誰かというのも買った興味の一つ。その人とはリチャード・クーであった。たしかにリチャード・クーの自慢話は鼻につくが、スティングリッツの論法を借りて小泉政権批判しているわけだ。ひょっとして山形浩生は慶応竹中平蔵の弟子と思ったが、実は東大卒であった。山形浩生もクル−グマンもリチャード・クーも景気対策優先論者で同じであるが、山形浩生もクル−グマンも金融政策、緊縮財政派であるところが意見を異にするためであろうか。

スティングリッツの主張を始めて知ったのはシアトルの首脳会議でグローバリゼーション反対の運動が荒れた後の1999/12/9にカルフォルニアの友人、Ronが送ってくれたJAMES FLANIGANの記事が初めてだった。

スティングリッツはノーベル経済学賞を受賞した学者であるが、世銀のチーフエコノミストで副総裁を務めた実務経験豊かな人である。IMF,米国財務省の官僚が繰り出す政策がアジアの経済危機、ロシアの自由化失敗、中南米、アフリカの混迷に直接責任があるとはげしく告発している。世銀でのインサイダー情報を駆使し、最新の経済理論を駆使してIMF,米国財務省が信じている経済理論は間違っていると説明する。IMFに従わなかった、マレーシア、中国、韓国が好調なのに、IMFに従順だった、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、インドネシア、タイ、ソ連、アフリカ諸国の経済は破壊さて、貧富の差も大きい。世界の経済を救うためとケインズが提唱した世銀とIMFという2つの官僚機構のうち、IMFがなぜおかしくなったかは説明責任をもっていない官僚組織は独善に陥るためだとしている。米国財務省はむろん米国民に説明責任をもつが、IMFと米国財務省の2つの巨大な官僚機構はその米国民への説明責任を果たさず、ウォール街の利益を代表していると告発している。すなわち米国財務省がクローニーキャピタリズムに堕落していると。IMF、財務省で成功した人例えばロバート・ルービン財務長官はシティーグループの会長に、IMFの副専務理事のスタンリー・フィッシャーは副会長になったように金融界のトップに迎えられるので、自ずと共通の利害が生じやすいということ。商務省もダンピング査定を乱発する不公正な公正取引法を引っさげて生産性でおとる国内産業を保護して米国民の利益を損ねていると告発している。

世銀もIMFもケインズがブレトンウッズで提唱してできたものだが、時の流れとともに一部利害集団の奴隷となってしまった。カムドウシュが腕組みをしている写真が有名になったが、IMFの体質を顕していたわけだ。この本では当然日本についてはふれていないが、小泉改革は危険ではないか?我々もIMF流のあやまてるというより金融界の利益を代弁する者のレトリックにはまってしまっているのではないかという疑念がフツフツと湧いてくる。

というものでした。

リスク分散の仕組みに関する私見

政府は貧富の差を埋めるべく税を取って、公平に分けるのがその本来の役目ですが、富を生み出すことにまで中央集権で口をだすことが、日本の活力を削いでいるのではないかと思うのですが。富を生み出す経済活動は中央への集中ではなく、分散でゆくべきと思います。日本の銀行の不良債権は土地を担保にする融資というたった一つの商品に集中したために、土地バブルが発生し、破裂とともに不良債権化したわけです。一方消費者金融が、返済できない人もいるが全体としてはリスクが分散されてうまくいっていると聞きます。これを戦後金融のパラドックスというようですね。(Paradox Serial No.24)ブラック・ショールズの株式投資のリスク分散のためのポートフォリオ・セレクション理論も同じようなことを言っているのではないでしょうか。リスク分散からも国家統制は害あって一利無しです。太平洋戦争が発生した理由を考えてみれば分かると思います。したがって特定業界の保護はやめ、規制緩和はもっとすすめ、結果生じる貧富の差は増税してうめるということでいかないと国際競争に負けると思います。だいたい個人としてこれはいいことだと思うことに寄付しても税金控除にならないのは国の活力を削ぐと思ってます。事業に個人的に投資しようという小金持ちがいないのもさびしいかぎりです。明治から大正時代に日本が躍進したのも財閥ができたのも、活気ある個人の投資が行なわれたからです。三菱の部長などは会社の接待費ではなく、自腹で部下におごることができたのです。戦後は寂しい、小汚いサラリーマンや官僚だらけになって、自腹をきるわけではないので、皆で渡れば怖くないと一斉に過大投資して、巨大負債を抱え込む愚を繰り返しているではないですか。戦後の成功モデルはもう機能しないということはわかったのではないですか。

関西のヨットと関東のヨットの事故死亡率を比較すれば関東の死亡率が圧倒的に高いのです。これは関西は小金持の個人所有ですが、関東はサラリーマンの共有が多くどうしても皆で渡れば怖くないとつい無謀なことをしてしまうためです。個人所有なら今日はヤバイから止めとこうとなります。私は共同所有は避けて、無理しても個人所有にしました。それもあまり友人も誘いません。つい無理をしてしまうからです。

グローバリゼーション悪者論に関する私見

グローバリゼーションに逆行すべきという魅力的な提案は危険な悪魔のささやきではないですか?WTOに参加しておらず20%もの関税を取っている国はアラブ諸国やブラジルです。その国がどうなっているかみればわかるもではないですか?徳川時代に日本が欧米に遅れをとったのも鎖国が原因です。食料の安全保障のため、農業分野での関税撤廃は頭の痛い問題ですが、どなたかが提案していた関税は下げて、米国やヨーロッパのように最低価格制度を作ればいいのではないかとおもうのですが、なぜか農林省はこの策を採用しません。関税で突っ張って、米国に押し切られて、結果、農業を荒廃に押しやってます。どうして負け戦を性懲りも無く継続するのでしょうか。私には農林省の役人がなにを考えているのか理解できません。面子にこだわって合理的な思考ができなくなっているのでし
ょうか?

伝統、倫理に期待する向きもありますが、人間の本質は恐怖のバランスが無ければ、即ち説明責任というチェックメカニズムがなければ、腐敗するのではないですか?儒教の中国が腐敗していなかった時代がありますか?毎日国会で見ていることではないでしょうか。会社の役員は株主のチェックがあってやっとしっかりするのです。会長に任命された役員がどう行動するかは、イラクを見ればわかるでしょう。インサイダーとして身にしみました。クーデターすらできなくなるのです。米国には悪い人や愚かな人が沢山いて色々悪事をしますが、全体として常に正道に立ち返ります。これはお互いにチェックアンドバランスをとっている結果だと思います。三権分立もその仕組みでしょうし、中央銀行の独立も同じ理由でしょう。今ブッシュが少しおかしいですが、世界中の人々がブーイングした結果、あまりひどいことはできないわけで、チェックアンドバランスメカニズムが働いていると思ってます。よく・・・の陰謀だという説がでますが、信じれば楽ですが多分そうではないと思ってます。だれかが欲得で行動しただけか、偶然そうなったということでしょう。

人類はブラウン運動しているに過ぎないので、なにか川のように押し流されるのは非常に危険だと思います。

金融に関する私見

日本金融資産の内訳をみてどうのこうのという知識は持ち合わせておりませんが、米国の経済学者は預金が多いこと、株式が少ないことが米国と違うと指摘してますね。日本の企業は配当金のほうが借金の金利より高いことを敬遠してローコストの銀行よりの借り入れで必要資金の調達をしたことは事実です。でもこれが今の日本経済の足枷となっているのではないでしょうか。銀行偏重の資金調達が不良債権の原因となり、優良企業ですら銀行から資金の引き上げをうけて不必要な倒産を生じているのも事実でしょう。

私は子会社の経営を引き受けてもっとも心を砕いたのは、運転資金の確保でした。黒字経営なのに、顧客である官庁は期末にしか契約金を払ってくれません。しかし給料は毎月、ボーナスは年2回支払わねば社員は辞めてしまいます。長年付き合っていた銀行の支店長の裁量の範囲内でなんとか運転資金を回してもらうよう頼み、融資してもらいました。この支店長の勇気には感謝感謝しか言い様がありません。民間には自己責任で安全確実と判断すれば動いてくれる人がいるのだなとしみじみ思いました。むろん完済しました。当時、政府が中小企業対策として運転資金の貸し出し制度を創設したので調べましたが、経営者の個人保証が必要とのことで断念しました。個人保証はオーナーでないお雇い経営者にはできません。このように政府の対策など何の役にもたちません。私は完全に日本政府をこの時、見限りました。役人は国民の血税だからという理屈で自分の責任を回避しているにすぎません。株式は有限責任ですので出資する方がリスクをとります。この点が株が日本で人気がない理由でしょう。

身内にベンチャーキャピタリストの世話になった人間がいますからそのありがたさは身にしみてます。米国の株中心のシステムがやはり優れているのではないかと思ってます。では出資者はどうして身を守るのかといえば、幾つもに分散投資して平均として儲ければよいという考えで保険と同じ思想のようです。この方法は人々はブラウン運動しているという前提がありますので、皆が同じ方向に流れているときはリスクヘッジできなくなります。米国で生じたITバブルがそれでしょう。日本のバブルも皆が同じ方向に動いた結果です。中学生の息子が「オヤジと同じに借金して自分の家を建てるのだ」と無邪気に言っているのを聞いて、その当時、地価が15倍に高騰していた時代で、「息子よ、オヤジの時と違って土地が高すぎる。今借金したら一生かかっても借金を返せない。なにか間違っていると思う。誰も買えない場合、これからどうなるのだろう」と言ったことがあります。このとき、借金はもう不可能な時代になったなと思いました。後で考えれば、バブルだったのです。やはり個人個人は自らの判断で行動するのが正しく、政府が一斉に借金で家をつくれ、投資信託をせよというのは胡散臭いと見るべきでしょう。日本の教育制度の欠陥はこの独自の判断をさせるという教育をしないことです。親も親で「先生のことはよく聞きなさい」などとといって安心してます。文部省が愚民政策を無意識で採用していることをわかっていないらしい。豊臣秀吉が刀狩をして農民と武士を分けてから一貫した愚民政策が今だ継続しているのではないでしょうか。「稲作に立脚した堅実な気風」も愚民政策の結果かもしれませんよ。ですから株は危険だと思うようになったのだともいます。分からないものは近寄るべからずと。無論、碌でもないポートフォリオマネジャーに任せれば危険でしょう。あくまで自己責任で判断しなければリスク管理はできないとおもいますね。私も含め、株を買う程、金もない人間は銀行に預けておくしか道はないでしょうね。入る金はほとんど使ってますから預金などほとんどありません。でも、もし手持ち現金があれば危険分散の意味で投資するでしょうね。デフレが長期にわたれば、終わった途端超インフレになる恐れがあります。このとき預金は紙くずとなり、株が何倍にも膨らみます。このようなリスクを避ける意味の分散投資にするわけです。ブラウン運動のさや抜きなどルーレットと同じですから、中味の分かった将来性のある企業への投資です。

合成の誤謬

「日本人は非常に賢い行動」はまさにケインズのいう「合成の誤謬」そのものでしょう。(Paradox Serial No.14) 個人個人が非常に賢い行動として貯蓄を選択し貯蓄率が上がると景気停滞をもたらし、所得を減らし、そして投資需要をも減らす。・・ケインズの初期モデルから導かれる。・・-「合成の誤謬」ともよばれてます。貯蓄のパラドックス、倹約のパラドックスとも言われます。塩川財務大臣が国会で「合成の誤謬」と言おうとして、間違って笑いを誘ってましたが。合成の誤謬からの脱却は国民に預金より消費に向かわせることです。でも先行き不安があれば誰も消費しませんよね。国民に安心感を与えることはほとんど不可能ですから「インフレ期待」をかもし出す政策が必要だとクルールーグマン教授は提案したのです。減税や財政投融資の拡大など財政政策をとっても国民は疑いの目でみますので有効でない。これもリカード効果ですよね。小渕内閣はこれで失敗しました。ブッシュうも同じ間違いとしようとしてます。

あとは金融政策でそのような期待をかもし出す必要があるのですが日銀は制御できないインフレになるのでそのような政策は取らないと念仏のように言い続けております。これがあやまてる金融政策そのものではないでしょうか。日銀がどんなにがんばっても政府が財政破綻し、デフレが長引けばかならず超インフレがいずれやってくるのは宿命なのです。われわれ引退組にとって困るのは我々の厚生年金は財形年金などのように預金してあるところから支出しているわけでなく、若い世代の保険料を横に回しているだけですから、デフレや失業で若年層の収入が減れば、年金制度が破綻することです。「清く貧しくは美徳」などといっていると我々引退層は死ねということになりかねません。また人口が減少することも同じ結果になります。スペインでは年金制度を維持するために外国人の移民を受け入れて結構豊かな暮らしをしてます。欠点は治安が悪くなることです。日本はいずれ移民を受け入れてゆかたさを継続するか、貧しい生活で我慢するかの選択を強いられるとおもいます。経済は非情で日本史を紐解けば沢山例があります。徳川吉宗など過てる政策をとった代表例です。この人が尊敬されるのも歴史家の無知故でしょうか。小泉さんもどこか吉宗に似てますね。

エコノミストの分類

新聞では政治家、官僚の経済運営にかんする政策が異なるのは驚かないにしてもエコノミストの意見も4分されているようです。日経ビジネスAssocie 2003年 5月号にその分類が掲載されていたので概要を紹介します。日本では経済学者が御用学者化していて、それぞれの属する利益団体の利益を代弁しているからこのように意見の不一致があるのだと思います。中立的立場で高所から正しい意見を述べている人はどの人か個人個人がよく考えて判断すべきものでしょう。私はむろん金融政策重視派ですが、西野さんは構造改革・緊縮財政組とお見受けいたしました。この考えが日本の主流ですが、私はいささか疑問をもっているわけです。

緊縮財政

景気対策優先 深尾光洋  森永卓郎

岩田規久男

 

ポール・クルーグマン

 

金融政策重視派

伊藤元重

竹中平蔵

木村 剛

財務省

野口悠々紀雄

水野和夫

斎藤精一郎

日本銀行

構造改革優先
植草一秀  リチャード・クー

財政政策重視派

吉川 洋

新・公共事業派

 

小野善康  金子 勝

小林慶一郎

 

 

 

 

 

積極財政

謝辞

お互いに言い放しで議論が充分かみ合っていない部分もあったが、辛抱強く、合いの手をいれながらお相手をしてくださったにしのさんに感謝します。

なお本稿脱稿後、にしのさんからリチャード・A・ヴェルナー氏の新著「虚構の終焉」を教えてもらい読んだ。詳しくは読書録を参照願いたいが非ワルラス経済学の提唱と日銀の独立の終焉が氏の提案である。

April 14, 2003

Rev November 27, 2006


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