読書録

シリアル番号 483

書名

円の支配者

著者

リチャード・A・ヴェルナー

出版社

草思社

ジャンル

経済学

発行日

2001/5/14第1刷
2001/6/1第4刷

購入日

2001/05/28

評価

原題:Princes of the Yen by Richard A. Werner

衝撃的かつ説得力あり。購入してから24時間で本書を読みきった。本書の趣旨は以下の通り。

景気を支配するのは通貨供給量である。戦後の日銀総裁は大蔵省からの天下り組と生え抜き組が輪番で勤めてきたが、大蔵省からの天下り組みは金利政策は兎も角、通貨供給量の設定と制御には預かることはできなかった。生え抜きの副総裁と営業局長が窓口規制という手法で秘密裏にこれをしてきた。この生え抜き組み総裁・副総裁とは新木栄吉、一万田尚登、佐々木直、前川春雄、三重野康、福井俊彦である。このグループは日銀内で関東軍と呼ばれているインナーサークルを構成している。この人々はプリンスと呼ばれてもいる。バブルになるように通貨供給量を増やしたのは三重野副総裁で、バブルを終息させるべく蛇口を止めたのも三重野総裁である。その動機は破綻した戦後経済体制を完全に破壊し、構造改革しなければならないと決意したためであり、主導権を大蔵省からもぎ取るためであった。戦後経済体制に組み込まれた量的拡大ではなく、質的改善すなわち生産性の向上で、国際マーケットに生き残ろうという目的である。指導者は日銀を辞めたのち経済同友会で活躍した佐々木直と前川春雄である。特に後者は戦後経済体制を完全に破壊する必要性を説いた前川リポートを書いた。しかしここにはどうやってこの革命を達成するかはふれられていない。日銀内部では前川リポートは「十年計画」として存在し、手法とタイムスケジュールも書かれている。そしてこの革命は1996年には予定通り成功した。しかしまだ戦後体制としての大蔵省の法的権限は大きかった。そこで再度蛇口を止めて大蔵省を解体し、新日銀法を成立させて1998年ようやく完成した。1999年には大蔵省が国債発行の代りに銀行からの融資に切り替えたために、再々度蛇口を絞った。今は目的を達した判断し蛇口はひらきつつある。かくして失われた10年といわれる危機の創出によってこの改革はなされた。目的に偽りはないだろう。しかし、ドイツでは古いシステムを破壊せずに必要とされる新規産業分野に通貨供給量を重点的に配分するという手法で大きな犠牲を伴わず、産業構造の変革を達成して「社会市場経済」と自称するシステムを作っている。三重野がおこなったのは団体主義、カルテル・談合による協調、年功序列賃金、融資による資金調達によって象徴される戦後経済体制を完全に破壊し、1930年代の日本にあった個人主義、自由競争、頻繁な転職、株式による資本調達というアメリカ型のシステムを再導入するという最も過激な手法であった。結果として米国が持つ欠点も導入することになるだろう。

以上のような重要な路線の選択が民主的な方法で決定されず、一部の既得権エリートにより不透明な手法で説明責任を負わずに決定・実行される危険性は改善せなばならないだろう。現在の日銀法の改正が必要である。

1997年のアジアの通貨危機もアジアの中央銀行によって仕組まれた同じ趣旨の行動の結果である。

米国の連邦準備銀行もほぼ同じ、両方とも金利政策に世間の注目を集めておいてマネーサプライでは相反したことをおこなっている。アラン・グリーンスパンも三重野と同じく自分のしていることをはっきり認識している。

この本を読んで1年後に冷静になってみれば、これも一種の陰謀史観で書かれたものであろうと気が付いた。ただ大蔵省と日銀が情報を共有せず、縦割り組織のなかでそれぞれ合理的と思う政策を勝手にして「合成の誤謬」(Paradox Serial No.14)に陥っているという見方のほうが説得力がある。

2003/2/24に次期総裁は福井俊彦との報道に接し、絶句。小泉首相はとうとう焼きがまわって官僚のいうがままのレームダック化したのかとおもったら、意外や福井氏は前任者の失敗をみていて正しい方策を採用したかに見える。



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