miscellaneous essays
日々の雑記帳


過去の日々の雑記帳 1-10 11-20
ヨーロッパ滞在顛末

 

蕩児の帰宅 03/05/02

というわけで、はや帰国してからゆうに一月半経ってしまいました。

何かの拍子にすぐこうやって間が空いてしまうわけなんですねぇ… いやはや。帰国直後のどさくさで時を過ごすうちに、一旦間が空くと、再開するのにこう何というか、きっかけが必要になってくるじゃないですか。…とかといった云い訳はやめましょうね、はい。
それと、申し訳ないことにメールが溜まるわけなんです。で、返事も書かずにサイトなんて更新するわけにも行かないじゃないですか。かと云って、ぼくはメールって割と推敲しないと出せないタチで、この人にはどう書こうかなどと思いめぐらすうちにどんどんドツボに… って、これも云い訳ですね、はい。メールのお返事の滞っている方々、必ず出しますので、お許し下さい!(短くてもいいからとにかく出せ、との声もあり、これはごもっともな話です、はい)

一方で、2月あたりから何だかじわじわとサイトのヒットのペースが上がってきております。何故かは判らねど、ありがたいことです。それなのに更新をこうサボるとはなんて罰当たりな、うんぬん。ちなみに自分では1ヶ月に5回前後しかトップページを開けてません。どうでもいいか。ぶつぶつ。
いや、書くことは意外と溜まってるんですよ、おかげ様で。何がおかげ様でかよく解りませんが、いろいろ書きたいんです。ただ、エッセイばっかり書いてたってしょうがなくて、肝腎なのは作曲のはずだっていうのは、もう口がこれ以上酸っぱくなるとたまりませんので、ごにょごにょ。ほらシューマンだって著述が重要な仕事の一つだったとかって云うじゃないですか。とか云い始めるともっとドツボが深くなりそうなので、いい加減にしときましょうね、はい。どうでもいいけど、ぼく「…じゃないですか」って語尾は嫌いだったはずなんだけどな。。。

というわけで、帰国してからもうじき二月経とうかと…と、これはもう書きましたね。今日はそんなわけで、取るもんも取りあえず、近況を少したらたらと。

もともと世間様と時差のある人間なので、帰ってからそれほど時差に悩まされることはありませんで、何だかほんとにすぐ日本の生活に戻りました。ドイツでの生活について、一体あれは何だったんだろうと考え始めると、まるで夢みたいにしか思えなくなって、ちょっと切ないものがありました。

4月に入ってから、お仕事が始まりました。仕事についてはまた今度書くかと思いますが、週のうちほんの数日とは云え、当たり前なんですが朝が早いんです。今までみたいな暮らしをしてきた自分に、果たして可能なんだろうかと訝っておりましたが、幸いまだ遅れたことはありません。って当たり前なんだっつうの。ただ、今までのぼくを知っている人は、こう書きたくなるのも解るんじゃないかってくらい今までがひどかったんですよね…

まだ気が張っているというか、生活のペースが自分のものになっていない感じなのでアレなんですが、早くこのペースの中に「作曲」を組み込まないとね。なんか元号が変わったような気分ですね。よく解らんが。

でも、ドイツでの自分はもっと気が張ってたんだなぁと思う瞬間があります。どういう時かというと、電車やバスの窓から外を見て、ふと広告や看板が「日本語で書いてある」ということが意識に上ってくるんです。普通にしていればそんなこと考えもしないんですが、そういう風にボーっとしている時には、それが特に意識されるべきことになったりするんです。
それがなんで「ドイツでは気が張ってた」ってことになるのかと云うと、「日本語で書いてある」ことに気づいた後で、自分が決まってホッとしているのが判るからです。向こうでは市電の車体に刷られた広告の文句にも知らない単語が混じっていたりして、その度に意味を考えたり、といったようなことを絶えずやってましたからねぇ…

外国に暮らして言葉がモノになり始めるのは2年目からだ、という言葉を聞いたりします。そんなの人によりけりなんでしょうけど、もしそうだったら少し勿体ない事をしたかなぁと思ったりもします。でも言葉は日本でだって勉強できるしね。多大な努力が必要ではあるにせよ。
今回の滞在ではドイツ語もさることながら、やっぱりまずは英語やらなきゃなとも思いました。ドイツ語圏を一歩でも出ると、やっぱりコミュニケーションの手段は英語しかないんですよね。昔は一時期フランス語の勉強もしましたが、今となっては忘却の彼方…… 

何だかとりとめのない話でした。取りあえず今日は、こんなとこで。


zum Schluss 11/03/02

早いものです。いよいよ明日日本へ向けて出発です。

今日の昼にケルンを出て、空港のあるフランクフルトに近いマインツまで来ました。ドイツの3大ドームを見尽くそうということで途中下車したのでしたが、残念なことにマインツのドームは只今大規模な改修中で、塔全体が足場の鉄板で囲まれてます。。。まぁいいんですが。このドームの鐘の音は凄くきれいです。

年が明けてからは、ドイツ国内各地をめぐろうと思っていたのですが、住居をめぐるとんだハプニングに見舞われ、気分的および財政的に、何だかそれどころではなくなってしまい、たいして遠出はしませんでした。悔やまれます…
ヴュルツブルク、ウルム、ニュルンベルク、ドレスデン、ライプツィヒ、ハイデルベルク、ハンブルク… まだまだ行ってみたいところはいくらでもあったのですが。ブリュッセルとコペンハーゲンも出来れば行ってみたかった。

そんなわけで、近場で行ってみたかった場所に二三行きました。アーヘンと、トリアーと、ゾーストです。
アーヘンとトリアーはどちらもローマ時代の遺跡の残る古い街で、どちらにも非常に魅力的なドームがあります。ぼくが特に好きなのはアーヘンのドームです。なりは小さいですが、内装がめちゃくちゃ綺麗なんです。一種アラベスク調にさえ見えるモザイクの回廊天井はほんとに独特な雰囲気で、一発で惚れました。ここには結局3回行きました。

ゾーストというのはそれほど知られた観光地ではないかもしれませんが、ベルリンに行ったときコンパートメントで同席したドイツ人に勧められて、いつか行ってみたいなとずっと思ってたのです。ここは街を囲む中世の城壁がほぼそのまま残っているという珍しい街だそうで、まぁドイツの昔の街の雰囲気というのが味わえるというのは本当でした。ここに行くために旅行する、てほどの街ではないかもしれないけど、ケルンから遠足するにはうってつけでしたね。

あと、ケルン市内でも、行くべき所に行ってなかったので、終わりの数週間で慌てて回ってました。
まずドームの上に登ること。登って街を見下ろすと、さすがに街の中心はもう隅々まで頭に入っているなぁと思いました。で、ケルンって他の街と比べるとほんとに建物が新しめで(他の街だとたとえ新しい建物でも古そうな構えで作ったりするんですが、それをしない)、素っ気ないですね。で、ドームから見るもんだから、ドームも見えないし(笑) ケルンに初めて来てこの眺めを見ても、あまり面白くないかもしれない。

次にロマネスク教会。知らなかったんですが、ケルンはロマネスク様式の教会がたくさんあることでも有名なのだそうです。まぁ古い街なんだし、それはそうでしょうね。で、現存しているのが(もちろん大半は空襲でおじゃんになって再建したものですが)12軒(「軒」はおかしいよな、「館」かな?)あります。回るうちに教会見物に次第にハマってきました。

あとドーム裏のルートヴィヒ美術館。ピカソ展をやっているというので入ってみました。他の街ではけっこう美術館巡りをしてたのに、肝心のケルンのここに行っていなかったというのもなかなか間抜けかも。だって、こんなにでかいとは知らなかった… これが「地球の歩き方」に載ってないのっておかしいと思う。それとも新しいのかな。(大体「歩き方」のケルンの扱いって、街に比してめちゃくちゃショボいと思う。そこまで見るもののない街じゃないと思うんですけどねぇ。もっとも、そう思うようになったのってつい最近ですけど(笑))
それはともかく、ここはシュルレアリスム・抽象表現主義以降の美術館で、かなりしっかりしたコレクションです。ダリの「ペルピニャンの駅」とかモンドリアンの「タブローI」なんてのがあるのには驚いた。ピカソ展ははっきり云ってスカされましたが、68年のスケッチ帳てのがちょっと面白かった。90近いおじいさんが一所懸命春画描いてるってのも鬼気迫るものがあります。

2月にはカーニヴァル Fastnacht なんてものもありました。あれも面白かったなぁ。いかにもドイツらしい、無骨で陽気なお祭りでした。真剣にふざけてるって感じがいいんですよねぇ。

何だかバタバタと長たらしく書きましたが、ドイツでの最後はそんな感じで、純然たる観光客として慌ただしくしてました(初めにも書いたトラブルへの気晴らしの意味もありましたが)。ここ数日は、ちょっと涙もろくなってたかもしれない。

ともあれ、明日で生活はガラッと変わるんですねぇ。実感ないねぇ…
ピアノに触れるのが、ひたすら楽しみです。あ、もう遅いから早く寝なきゃ。


Pensees sentimentales 24/02/02

なんかここはもう、すっかり読み物サイトになっちゃいましたね… まぁ何はさておき動いているから、いいか(笑) それに何ていうか、今はやっぱり落ち着かなくて、帰らないと話が始まらないって感じがします。

最近は、ケルンの目抜き通りである、ホーエ・シュトラーセ Hohe Strasse やシルダー・ガッセ Schildergasse などを歩いていると、「この景色を見るのもあと何回かなぁ…」とか、「この次にここに来るのは一体いつのことかなぁ…」とかと考えて、少ししんみりしたりします。そんなに遠いことでもないような気もしますけど、でもそれは判りません。もしかしたら、一生で最後かもしれない。そうでないとは云い切れません。そう思うと、見慣れている景色も、何とか目に焼きつけなければいけない、貴重なものになります。

色々な人に出会い、また離れ、という繰り返しがこんなに多い年も、生まれて初めてだったと思います。そのほとんどの出会いが音楽と直接関係のないものであったのも、またよいことでした。ぼくが後生大事に奉っている音楽は、世界の中ではちっぽけなことの一つに過ぎません。もちろん音楽自体についてもいろいろ考えた年でもありましたが。

最近ぼんやりと思い出される、昔に見たある映画の場面があります。井上靖原作、佐藤純彌監督の『おろしや国酔夢譚』で、光太夫(緒形拳)とラクスマン(O.ヤンコフスキー)が最後に別れる場面です。200年前にロシアから日本に帰るということは、一生の別離を意味したと云ってよいだろうと思います。そのような別れに臨んだ二人は、殆ど言葉らしい言葉を交わさなかったように記憶しています。でも二人とも、その別れの意味をはっきりと知っているのです。それを見た時ぼくは、その別れの重みの前に呆然としていました。

その時は、今の時代なら、こういう「別れ」はあり得ないだろうと思っていました。しかし、ケルンを後にしようとする段になって、あながちそうでもないという気がしています。どんなに海外旅行が手軽になってきたって、やっぱりケルンは隣町ではないんです。1万キロ近く離れた場所であることには変わりがないのです。そう考えると、残りの日々を大事にしなければと思います。震えるほどに。
もっとも、そういう「別れ」は日本国内にだって実はごろごろしているし、人生自体、本当はいつ終わるか知れたものではないわけで、残りの日々の大切さには変わりがない… とか云い始めると収拾がつかなくなるので、ひとまずこの話は終わり(笑)

一方で、この1年は自分の出自について改めて考えさせられた年でもありました。やっぱり自分は日本という、東洋の最果ての国の人間なんだという認識が、時折、いや常に、ここでの生活に底流していました。日本はもはや西洋の文化なしでやっていけないところまで来ていますが、西洋自体は日本がなくても全然平気なんです。基本的に彼らは東洋には興味ないんです。そこは「異国趣味」の空想が時折遊びに出かけるお伽の国でしかありません。

でも、それは明治の留学生がヨーロッパに来てここの文化を貪るように吸収していたあの時代と殆ど変わらない風景ですし、それを改めて嘆くことには、あまりに面白みが欠如しています。また、そういう西洋人に日本人が同化しようとして、日本人自身が「日本」に対する視線を必要以上に削ってしまっていかねないという状況を危惧することも、これも相変わらず深刻な問題ではありますが、やはり新しみはないと云わねばなりません。

大事なのは、東洋にさして興味のない市井の西洋とも、マゾヒスティックに西洋に同化しようとする日本とも袂を分かち、かと云って、それらの境界を超えたユニヴァーサルな境地を目指すこともせず(というのは、その境地自体が「西洋近代」の捏造したものだから)、単にどこからも「外」である場所を目指すことだろうと思います。それはヨーロッパにいても日本にいても可能でしょう。逆に云えば、どこにいても困難なことです。


一足早めの、まとめ 18/02/02

もうすぐドイツでの生活も一応終わりということになります。この金曜に帰りの便を予約しました。
一体この一年間弱で何が出来たんだか判りません。が、ここでの生活がこれからの自分に、自分でも気づかないような局面で、伏流水のようにさりげない影響を与えるのではないかということだけは思います。そう思うと、やっぱり来てよかったと思います。

いつ頃からか、ぼくは自分のことを説明するときに、自然に「旅行者」という言葉を使えるようになりました。自分を「留学生」と呼ぶつもりは初めからありませんでしたが、何だかそこで「旅行者」という言葉を使うことに、当初は一種の「格下げ」に似た感覚を持っていたのでした。でもそれが次第になくなってきました。
それは何を意味するのかと云えば、多分ぼくの中の「留学」に対する幻想が幾分薄れてきたということなんじゃないかと思います。

正直に云えば、ぼくは今まで「留学」という言葉に少なからぬコンプレックスを抱いていたのでしょう。もちろん留学ということ自体は大変なことです。来た人はほぼ例外なく、ギリギリのところで頑張らねばならないのです。
でも当然のことですが、それ自体のみでは取りあえず何を意味するわけのものでもありません。結局そこでやることは「勉強」です。それを終えた後に、その成果をどう生かすかに留学の価値はかかっているのです。

「留学」の中身も人によって千差万別です。とにかく外国にいただけ、みたいな人だって中にはいるでしょう(ちなみに、そういうのを「遊学」というのだと思っている人も相当数いるようですが、それは日本語として誤ってます。ここでの「遊」とはいわゆるアソブことではなく、単に母国から出ることを意味します。つまり「遊学」は「留学」と全く同じ意味です。こういう思い込みってよくありますが、「音楽」というのもその一つです。これは語源的には、「音を楽しむ」こととは違います)
それでも、以前のぼくみたいな人相手にだったら、それは看板として立派に通用するのです。その看板にごまかされないことは大事だと思います。ぼくはそう思い至るためにわざわざ出てこなければいけませんでしたが、日本にいてもその認識は手に入るはずですよね。学歴やコンクール歴の看板も全く然りです(「留学」といわゆる「遊学」を区別したがる人は、この看板を信じる人だとぼくは理解します。看板と内実を特に相関させない人なら、そんな区別は不要のはずですから)
とはいえ、もし作品が間に合うのなら何かコンクールに出したいと思っている人が、ここに約1名いますが(笑)

それはさておき、とにかく外国にいる、というだけでも、やはりある程度大変であることには変わりありません。日本にいれば何の問題もなく簡単に済むはずのことが全然思うように行かなくて、ぐしゃぐしゃな気分になっちゃうことだってたくさんあります。
そういう時に、今思い返すと、実にたくさんの人が力を貸してくれたなぁと思います。日本人にせよ、こちらの人にせよ。
そして更に、自分は日本にいた時に、海外からの留学生や他のいろいろな外国人の力になれたことがあっただろうか、と自問します。こちらにいても、もしぼくで協力できる問題を抱えている日本人がいたら、今までの恩返しの意味でも出来ることはあるよなぁと思います。

何だか妙にキレイにまとめてしまいましたが(笑)、けっこう本気でそう思っています。日本に帰ってからは、そこだけはちょっと気をつけようと。
でも一方で、こちらで時々ベタッとした頼り方をする日本人も見かけます。そういうのはちょっと見苦しいと思っちゃいますねぇ。。。


ウェブサイト考 13/02/02

ひとのホームページにケチつけるのって、自分がつけられるの嫌だから、あんまりしたくないんですけど、今日あるサイトを見てたら不快な体験をしたので、どんなもんかなぁと思って、ちょっと書きます。

サーチエンジンで引っかかったあるページを開けると、大抵それはサイトの中の一部のページですよね。トップページであることの方が少ないと思います。
そういう時しばしばぼくは、ここのサイト全体はどういうものなんだろうと思って、ディレクトリのトップに行こうと、URLのディレクトリのスラッシュ以降を消して、「index.htm(l)」を出そうとします。今日もあるところでそれをやりました。そしたら。
JavaScriptを使った警告ダイアログが出てきて、「何するんですか!」って叱られちゃいました。。。

今日に限らず今までも時々、ダイアログまで出さないにしても、指定したのが途中の階層のディレクトリだったりすると、わざわざダミーページを用意してあって、「なんでここに来たんでしょうねぇ…」となじられたりとか。複数のサイトでそういう目に遭いました。

これって、そんなに悪いことなんでしょうか? 別にハッキングしているわけでもなし(したくたって出来ない(笑))。もともと公開されているサイトをどういう風に見ようが、見る方の自由なんじゃないのかなぁ。なんかムッと来ますね、そんな時。少なくともぼくは。
もしかしたら先方はそういうことをやって遊んでるだけなのかもしれませんが、ぼくはそういうのを見ると不愉快です。やめてもらいたい(実はぼくもあるディレクトリでそういう遊びをやってます。でも来た人を責めたりしてません)

文句は云わないけど好きじゃないやり方って、他にもまぁあると云えばあります。見た目はフレームを切っていないけど、単フレームをフレームセットの中に収めるとか(ネスケだと履歴が使えなくなるので不便なんです)、ステイタスバーの表示文字列をJavaScriptで変えるとか(ぼくは進む前に必ずここを見るので変えて欲しくない)。でも、そこら辺はもう趣味の領域なので、う〜んとは思うけど文句は云いません。面倒だけどソース見れば済む話ですし。

でも今日のアレは我慢ならん(笑) 何かをはき違えてる、と思うのはぼくだけなんでしょうか。

そういう話をし始めると、よく行き着くのが「リンクフリー(free to link)」の問題ですね。さすがに最近「このページは、リンクフリーではありません」という表示を見かけることは少なくなってきました。そのサイトをオープンにしたくない背景の事情によっては、理解できなくもないのですが、それでも人はURLを打てばそこに行けちゃうんですよね。だからどんなサイトでも原理的にはそういう指定は無理だと思います。パスワード制にするか、せいぜいロボット除けのMETAタグを挟むくらいしか出来ないでしょう。

よく、「リンクフリーですが、リンクして下さる場合には××にお願いします」と書いてある場合がありますが、ぼくは別にどこにリンクしたってブックマークしたって構わないと思ってます。そういうのを見ると、カウンタ対策なんだろうなぁと勘繰っちゃいます。ここはもちろん構いませんよ、どこへ繋いでも。どんどんお願いします(笑) (「相互リンク」っていうのは、これももう趣味の領域なのでぼくは何も云いません。個人的にはそこに「縛り」を感じるので、しないことにしてます)

なんか今日やけに怒ってますね。まぁとにかく、普通のことをしてたつもりなのに悪者扱いされたのがちょー悔しかったというわけです。あるよね、そういうことって……


酒のこと、など 06/02/02

普段あんまり書かない酒のことでも少し書きますかね。。。
ぼくは呑めばそこそこは呑めるんですが、元来それほど酒呑みじゃないです。でもこちらで何だか寝酒の習慣がついちゃいました(汗) ま、度を過ぎなければいいか。

ドイツで酒というと、やっぱりまずはビールとワインが基本アイテムでしょうねぇ。
来た当初は珍しくてヘッセンやプファルツなどのワインを買い漁って呑んでました。これらはかなり甘くて、美味しい時もあるんですけど、結局今落ち着いてるのは比較的辛口のフランケンですねぇ。これは瓶の形が変わってて、マテウスみたいに丸いんです。
もちろんフランス・イタリア・チリといった外国のワインも数多く手に入りますので、好きな人だったら本当に手当たり次第試していくことだろうなぁ。だって1瓶300〜400円台からあるんですよ。そんなの他人の家には持って行けないけど、1人で呑む分には十分楽しめます。

ぼくはどうも味覚が鈍いのか、ワインの良し悪しがいまいち判りません。一応好みはあるんですけど、それもまぁ、渋いのは嫌い、てくらいで。日本酒やウィスキーも似たようなもんですねぇ。。。酒とかコーヒー・紅茶の類の味に明るくなってみたいもんだと常々思ってます(笑)

そんなぼくでもさすがに、ドイツのビールが旨いのは判ります。いろんなタイプのビールがあるんですけど、ケルンだと「ケルシュ」Koelsch という地ビールが一番多くて、これは呑み口がすごくさらっとしていて、素晴らしいです。
他は大体コッテリ派のビールが多いんじゃないかな。バイエルン地方に多いヴァイツェン(またはヴァイス)ビールは白く濁っていて独特の甘みがあります。黒ビールもどっしりしてて旨い。チェコが発祥のピルゼナー(ピルス)は軽めでケルシュに似てます。

デュッセルドルフはケルンから電車で30分ほどの近所です。でもこの2つの市の市民はどうも互いに反目しているらしく、デュッセルドルフでは殆どケルシュを呑ませる店はないみたいです。ここの特産のビールはアルトビールといって、だいぶ濃い色の重厚派のビールです。面白いもんですねぇ。。。

一方、シュナップス Schnapps と総称される蒸留酒を食後に呑む習慣があるようです。消化促進によいということで。ウィスキー、ブランデー、ウォツカなどもこれに含まれますが、その他にもあまり日本で見かけなかった種類のものがあります。サクランボから作ったキルシュヴァッサー Kirschwasser とか、イタリア原産の葡萄の焼酎グラッパ Grappa とか。こんなのもたまに呑むと面白いです。

で、これらの酒が、おしなべて日本よりずっと安い。グラッパなんてかなり安いんですけど(500ml瓶が500円くらい)、ぼくはこれすごく旨いと思います。ほんと、洋酒好きの人には、こっちでの生活はコタえられないんだろうなぁと思います。

話は変わりますが、最近少しJavaScriptを入れたりして、サイトの細かいところを飾り始めました。やりすぎると重くなるのでホドホドにせねばとは思うのですが、何だか楽しくてついいじっちゃいます。現代の盆栽ですね、これは。。。
ソースの自前製作というルールもまだ一応続いてます。「デタラメPhotoshop」(正林弘城著/翔泳社)というレタッチのガイドブックを持ってまして、これ一冊でかなりいろんなことが出来るのでとても重宝してます。オススメ。


天網恢々 25/01/02

ヨーロッパを旅行した人はご存知でしょうが、こちらの電車の駅には改札がありません。パリやストックホルムなど一部の都市の地下鉄には自動改札がありますが、まぁ普通の駅にはまずない。

じゃあキセル(ドイツ語だと「黒乗り」Schwarzfahren と云うそうです)やり放題じゃん。てことにはなりませんで、かなりマメに検札が来ます。ドイツの場合、キセルがばれたらその時点で有無を云わさず60マルク(3,600円)取られます。
ぼくにこれの経験がなければ、「取られるそうです」と伝聞の形で書くところなのですが(汗)……切符買い忘れたのなんてあの時の一回きりだったんだけどねぇ、酔っぱらってたんだねぇ……ぶつぶつ。ところで、ユーロだといくらなんだろ。

で、もし日本がこれやったら、どれくらいの人が真面目に切符買うかなぁとふと思う。結構ちゃんと買うかな。でも都内の電車なんて混んでるし、わかんないですねぇ。。。
市電のキセルが多くて、会社の財政を圧迫してるみたいな記事が、ケルン市内で配られてたフリーペーパーに出てたこともありました。ドイツ人も実はけっこうやってる? でも圧倒的多数はちゃんと買ってるみたいです。でなきゃ成り立たないよな…

まぁとにかく、そういう社会なんですね。「ズルしようとすれば出来そうだけど、出来ない仕組みがちゃんとあって、みんな基本的にズルをしないのは、ばれた時にとても痛い思いをするからだ」みたいな。日本の改札とかのことを考えると、日本は「ズルをそもそも出来ない仕組みにしてあるから、ズルというのが本来生じるはずがないので、それに対する罰則がそれほど堅固ではない」て感じがするのは、気のせいかなぁ… でも日本でキセルがばれても、かなり痛いか。

そんなことをつらつらと考えているのはなぜかというと、今まさに、痛い思いをしているからなんです(笑) いやぁ……今回ばかりは絶句しました。
一体何があったのかというのは、話すと長くなるので、この間終わったことにしたばっかりのアソコで書き連ねることにいたしますです。少々お待ちを。

ブルーな時に気晴らしに聴けるようなCDは、先月日本に全部置いて来ちゃったんですよねぇ。。。久しぶりにマーラーの6番でも聴くか。そんなに景気のいい曲じゃないけど。
まぁ何にせよ、勉強させていただいたと思えば、て感じですかねぇ←半ばヤケ

しかし、思わせぶりなことばっかり書いてますね、今日は。そんな日もあるさ。。。


年を越す 10/01/02

早いもので、もう帰国まで2ヶ月かそこらになってしまいました。そろそろ荷物や予定のことを考えて動かないといけなくなってきました。

冬至が過ぎてから、気のせいかもう日が長くなってくるのが感じられるように思います。夏と冬の差が激しいから、その間の変化も日本よりは急でしょうね。いずれにせよ有難いことです。寒いのはまだ我慢できるけど、日が短いのは勘弁してほしいですよ、ほんと。だいぶ慣れてはきましたけれどね。

寒いのも、まぁ覚悟していただけのことはあります。連日、零下まで冷え込まない日はないという感じです。でも考えてみると、北海道の中の寒さの厳しい地域と較べてみると、まだ暖かいんですよね。旭川や帯広はこれより寒いんだと思うと、今さらながらすごい、と思う。それに雪がほとんどないから、やりやすいと云えば云えます。実は案外晴れの日がありますねぇ。ここら辺はドイツでも気候的に恵まれているかも。ミュンヒェンなどは−20度くらいまで下がることも珍しくないと聞きます。ひぇぇ。

年越しの晩は、語学学校の友人と一緒にケルンのドーム裏のライン河畔で花火を見ました。もう11時半くらいからそこらじゅうでバンバンやってる。みんな小さめの打ち上げ花火を銘々持ち寄って、酒かっ喰らって歩きながら騒いでましたね。ロケット花火を手に持って火をつけたり、人混みにネズミ花火を投げ込んだりするバカが沢山いて、ぼくははっきり云って河原にいたくなかったんですけど、みんなに丸め込まれて結局年越しの瞬間までいました(笑)

対岸のケルン・メッセ(見本市)やケルン・アリーナでは、大きめのいわゆる打ち上げ花火もやってました。でも日本のほど高く揚がらなくて、あぁ日本って、花火の先進国なんだなぁと思ったりしました。それにしても、こっち側でも対岸でも、みんなの花火がもう1時間くらいずぅぅぅっと上がりっぱなしだったので、その景色は壮観でした。カウントダウンゼロの瞬間は判らずじまいでしたが。
「え? 今明けたの?」「わかんなーい」「でも多分そうだよね、おめでとう〜!」的な、わりといい加減な年越しでした(笑)

そしてそのままカフェでダベって、朝方部屋に帰ったら、家の前の通りまで花火の燃え殻でいっぱいになってました。こんな狭い路地みたいなとこでもやってたんかい! うるさかっただろうなぁ。よかった、留守にしてて。。。

元日はそのまま寝倒して、明けた2日はホントに普通の日でした。そう、お金がDM(ドイツ・マルク)からユーロ(ドイツだとオイロと呼びます)に変わった以外は。

年が明けても当分DMは使えるしなぁと思って、旧年中にはユーロの現金を手にしたことはなかったんです。銀行の窓口に行けば替えてもらえたみたいですけどね。
でもいよいよ年が変わって、どれユーロとやらを下ろしてみるべぇと街に出ると、銀行の窓口もATMも人がスシ詰め。やっとのことで少し下ろしてみると、おー、当然だけど全部ピン札ですねぇ。硬貨でお釣りもらってもみんなピカピカ。
気分いいんだけど、なんか、見れば見るほど味のないお金ですねぇ。特にお札。硬貨は1ユーロや2ユーロは日本にないツートンカラーだったりしてまあまあ綺麗かな。まぁ、特定の国がフィーチャーされないようにしなきゃいけないんだから仕方ないんだけど、それにしてもこのお札は味気ないねぇ。。。

これから3月の帰国までの予定は、まだぼんやりとしか決まっていなくて、せっかくだからドイツ国内をもう少し見て回っておこうかなぁと思ってるところです。何かよく考えてみると、外国にはたくさん行ったけど、ドイツ国内はまだそんなに見てるわけじゃないんですよね。
冬のドイツは寒々しいものかもしれないけど、この一番厳しい季節をよく見てこそ、「見てきた」と云えるんじゃないかと思う。

ともあれ、この1年が有益なものになるようにしたいものです。


年を送る 31/12/01

まーた、やたらと間を空けてしまいました。今回は少しは理由があるんですが。

12月の頭から少し日本に里帰りしてました。十日間くらいで戻ってくる予定だったのが、帰って一週間経とうというくらいの時に、十年ぶりくらいのクラスの風邪にやられてしまったのでした。39度近くの熱がなかなか下りませんで、いやはや参った。仕方なく出国の日をずらして、唸りながら実家で寝込んでいた訳でした。風邪引きに帰ったような感じでしたね。
疲れが溜まっていたのか、気が緩んだのか。いずれにせよ、少し歳を感じさせられたものでした。帰国したら、ちょっとマジに健康診断受けないとな。

7ヶ月半ほど日本から離れていたわけなのですが、連絡をずっと取り合っていたためか、全然そんな気がしなくて、なんか変な感じでしたね。違和感ほとんどゼロ。まるで一週間くらい留守にしていたみたいな気軽さで、日本にとけ込んじゃいましたね。唯一の例外が、車の左側通行。これに慣れるのに少し時間がかかりました。歩いてるとちょっと危ないね。

そんなわけで知人にもあんまり会えずに日本を後にして、18日にまたケルンに来ました。街は Weihnachtsmarkt(クリスマス市)たけなわです。ドイツのクリスマスは初めて見ましたが、広場という広場に木造の小屋を所狭しと並べて市が立つんです。それで食べ物飲み物をはじめ、いろんな飾りやら人形やら売ってたりする。メリーゴーラウンドなんかもあったり。何となくメルヘンの世界になっちゃいます。
ぼくは日本の商業主義的なクリスマスはてんで好きじゃないんですが、こちらのは本気で喜んで祝ってるのが見てて判るので、なんかいいなぁと思います。

でもそんな賑わいも23日を最後にふっと止んで、あとは街はもうお休みモードに入ります。中央駅は旅の支度をした帰省客でごった返していました。
クリスマスはちょうど日本で云う正月みたいなものなんですね。家族や親戚が集まって、家の中で祝うのだそうです。そのかわり新年はあっさりしたもので、1日だけは休みですが、もう2日から仕事始めみたいです。なんか調子狂いますねぇ。大晦日はまた、花火や爆竹で派手に騒ぐらしいのですが。

* * *

いつの間にか、このサイトも開いてから一年間経ちました。
一年経ってもまだ工事中が多いですねぇ…… まぁ、ちょっと予想はしてましたが←おい

一年で4000弱のカウントをいただいたわけですが、こんな地味な個人サイトとしては、過分なことと思っております。アクセス解析とかはつけてないので、実質何人くらいの方がご覧になったのかは判りませんが、リピーターになっていただけるよう、引き続き頑張る所存でございます。ていうか、いつも云うことだけど、一番頑張るべきなのは、サイトのコンテンツのための【作曲】であることは云うまでもないのですが(汗)

色々あった一年でしたが、世界にも色々ありましたねぇ……
来年がどうなるかはまだまだ判りませんが、今年よりは平和な年になって欲しいものだと願わずにはいられません。

では、来年も aragak music institute をよろしくお願いしつつ。

 

hall atelier studio lab shop LDK heliport

copyright 2000-2002 by ARAO Gakuji
aragak@aragak.com