ヨーロッパ滞在顛末 8


作戦タイム(4月18日-3〜19日) 12/05/01

ホテルの部屋に帰ってきてから、ぼくはパスポートの入国審査のスタンプを見ながら、ため息をついた。やっぱり本当に駄目なのかな。日本に帰るしかないのかな。バカみたい。。。
外は雨が降ったり、不意に晴れたり、何だか変な天気だ。

でも絶対おかしいよな、これは。あんなにはっきり大使館のホームページにも書いてあったのに。ん? ホームページ……

ぼくはもう一度大使館のサイトを確かめてみようと思った。幸いこのホテルのルームテレホンはモデムを接続できるジャックを持っていた。
自分が読み間違えていないかどうか、語学研修ビザの項を確かめてみると、確かに大丈夫だと書いてある。このビザの場合は、むしろ入国後の申請を奨励しているくらいだ。

でも問題は、あのチーフを説得できるかどうかなのだ。また一方で、ぼく自身が本当に何らかの不備を持っている可能性も完全には否定できない。誰かに確信を与えてもらう必要があった。誰に?

その答はやはり大使館しかない。大使館に電話をかけよう。
でも大使館は午前中の数時間しか問い合わせを受け付けていない。その他の時間帯にどんなにしつこく電話をかけても出てはくれない。これはもう経験済みだ。ぼくは真夜中まで待たなければならない。それまでの間、電話で何を訊けばいいか、どう云えば自分の状況を要領よく説明できるかを考えた。

午前2時。窓から見える駅前の広場には誰もいない。煙草を吸うので寒いけれども開けてある窓からは、時々遠くを走る車の音が聞こえてくる。受話器を取る。
電話には、最初に相談に行った時に応対してくれた女性の係員が出た。ぼくは語学学校がビザ申請の簡略化について知らなかった旨を伝えた。彼女は少し笑ったようだった。
「困りましたね」困ってます。「あの、今そちらでは大使館のホームページってご覧になれますか?」はい、さっきも見ました。「そこにドイツ語で発表された文言がそのまま出ているところがあるでしょう」はい、ありますね。「もし可能だったら、その学校の方にそれを見てもらったらいかがでしょう」そうですねぇ……

実際それくらいしか効力のありそうな方法はない。ぼくがただ、大丈夫だったら大丈夫なんです、と云い張っても、あの状況ではとても聞き入れてもらえる雰囲気ではなかった。ぼくは、くだんのページのURLを書き留めてベッドに入った。とにかく確信は得られたので、疲れも手伝ってぐっすり眠った。

次の朝、ホテルの部屋を出る前に少し鞄の中身を整理していたら、ごしゃごしゃと詰め込んである紙屑の中に一枚のビラを見つけた。それは東京の大使館に置いてあったもので、日本人のビザ手続の変更についての告知のビラだった。何の気なしに持ってきたものだが、裏にはドイツの外務官吏が新聞向けに発表したという文面も載っている。こ、これは…少なくともホームページよりは、彼女を納得させる力があるんじゃないか? それに最悪の場合でも、旅行者のままで1・2ヶ月の間習うことは出来るだろう。

ぼくは再びC語学学校のドイツ語コース事務室の扉を叩いた。

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