ヨーロッパ滞在顛末 5


デュッセルドルフの中の日本(4月17日) 30/04/01

4月17日、火曜日。イースター休暇がやっと終わった。
今日までデュッセルドルフのホテルに泊まることにしていた。今日なら従兄に会って少し話ができるだろうと思ってのことだった。幸い彼と連絡がつき、昼食を一緒に食おうということになった。随分久しぶりに会う。

それまでに一仕事片づけておこうと思い、もう一度「日本クラブ」を訪ねてみる。窓口を奥様族が往き来している。これがここの普段の顔なのだろう。
さっそく1人の事務員に身の上を話し、何の手続から始めたらいいか助言を求めた。「総領事館は行かれましたか?」いいえ。「じゃあ、まずそこで訊いてみたらどうでしょうかねぇ。ここからすぐのところですよ」と、地図を書いてくれた。やはりここにとっては、あまりに質問が突飛であったようだ。

領事館ねぇ……ぼくは今ひとつピンと来なかった。十年前ヨーロッパを大学の友人と旅行した時、バルセロナの領事館に、こちらとしては切実な相談に行ったのだが、まるで相手にされなくて、不快な思いをした。その記憶がぼくを少し白けさせたのだ。領事館に行ってどうかなるとも思えないけど、じゃ、まぁ行ってみるか。

領事館の役人を前に、さっき日本クラブでした説明を繰り返した。「……。で、こういう場合は何から始めたらいいんでしょう」
役人は苦笑して、「…んーと、まずここはですね、基本的に日本国への窓口としてあるものなんです。だからドイツがあなたを受け容れるかどうかは、ドイツ側の問題ですから、ここで申し上げられることは何もないです」と教え諭してくれて、しまいには日本クラブを紹介してくれようとさえした。
あぁ、やっぱり。やっぱりこんなものだったんだ。一つや二つの例だけで偏見を持ってはいけないと判っていても、そう思わざるを得なかった。

勿論彼は正しい。それは判ってる。判ってるけど、どんな小さい手掛かりでもいいからもし知っているなら教えてほしいという気持ちで来ているのに。これが日本だったら怒りでプツンとキレて、「お邪魔しました」と吐き捨てて帰るところだ。
でもここで帰るわけにはいかない。観光ビザしか手元にはないのだから、何か手掛かりを得なければ、このままでは90日で日本に帰らねばならないのだ。

ぼくは質問の調子を変えた。さっきから気になっていた彼の、「ええ、ですからそれも、領事館といたしましては何とも……」という答の言葉尻を捉え、まず、「ではこれは、領事館のお答えということではなく、ごく一般的なご意見としてで結構なんですが」と前置きした。「私のような境遇の人間がまずやるべきなのは、住居を決めることでしょうか、それともそれより先にビザを取得するべきなんでしょうか」

それすら判らずにとにかくやって来てしまうあたり、今となっては自分でも無謀だと思うが、来てしまったものはしょうがない。それに、世間知らずのぼくにその辺のことを解りやすく説明してくれる媒体に、結局今まで全く出会わなかったのだ。いわゆる留学のガイドなら沢山あった。でも今回のぼくの旅はいわゆる留学とは少し違うので、そういった本では判らないことずくめなのだ。どこかに行けば情報はあったのだろうが、それへのアクセス方法すら解らなかったのだ、とにかく。

しかし幸い役人はやっと聞きたいことを云ってくれた。「国が人を受け容れるかどうかを決める際の常識的な線としては、まずあなたがどういう素性の人間であるかを知りたいと思うでしょうから、まずあなたのドイツでの身分の所在をはっきりさせる必要があると思います」

それは即ち、まずやるべきことは、語学学校に登録してビザを取得することだということを意味すると考えていいのだろう。ぼくは礼を云って領事館を出た。

それから従兄と落ち合って昼食を食った後、プリペイドの携帯電話を持つと便利だと教えてもらい、さっそく電気屋で買うのを手伝ってもらった。これは確かに非常に重宝している。

従兄の会社までついて行って、部下の人と茶飲み話をする。日本の会社に属していて、なおかつヨーロッパに住むと、色々なギャップに歯痒い思いをさせられるだろうということは想像に難くないが、その具体的なケースについて興味深い話をたくさん聞いた。

その夜は、ぼくには何もすることがなかったので、従兄は折角だからと部下の方も一緒に呑み屋に連れていってくれた。「日本人通り」と通称されるイマーマン通りの周辺にある「居酒屋」と「スナック」を訪れたが、これほど見事に日本の店の雰囲気を保存しているとは思っていなくて、正直驚いた。新橋あたりで呑んでいるような錯覚を覚えた。
いいのかなぁこれで、とすら思ったくらいだ。でも、これでいいのだ、多分。会社員だったら、せめて呑み屋でくらいは腹の底から日本人でいたいだろうし(もっとも、ぼくの従兄と部下の方は、だいぶ日本人ぽくないセンスを持った人のように見えるが)、ぼくはぼくで、どうせ明日からはこんな世界とは無縁になっちゃうんだから。

店を出ると、一瞬で酒が醒めてしまうくらい寒かった。
明日はいよいよケルンへ向かう。

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